第10話:踊る
「あー……」
思わずうめいた。けれども、私は悪くないと思う。
私は朝に起きられなかったショックと、昼過ぎに出仕したら書類が崖になっていたことで、エイダンとの約束は、記憶の彼方へと紙飛行機にして飛ばしてあった案件である。
朝起きられなかったこと、お仕事が山……崖のようにあること、それがいけなかった。ワタシ、悪クナイ。
そんなことも想定内だったのであろうエイダンは、落ち着いた様子で言う。
「約束はしてあるし。今日はもう帰れるのであれば、少し教えようと思ってね」
「そうですね……。わかりました。よろしくお願いします」
「よし、じゃあ。ここだと危ないから、外に出よう」
エイダンは背中を向け、先に歩き出した。その背中はどこか嬉しそうだ。ひとくくりに縛っても、背中まである銀の髪のしっぽが揺れている。
私は灯りを消して、あとを追ったのだった。
魔法使いの根城をおりてすぐのところに、小さな花壇がある。今は寒いし、夜だしで、花は咲いていないが、春の祭典の頃になれば、美しく花を咲かせていることだろう。
その花壇の前がひらけていて、雨乞いの動きはできそうである。……まあ、夜会のダンスというものが、どれだけ広い場所で行うものなのか分からないので、大丈夫と言って良いのか分からないけれど。
「さて。一回、僕が女性パートを踊って見せるから、見てて」
そうして、エイダンが踊りはじめた。銀のしっぱが楽しそうに宙を舞った。
感想としてひとことにまとめるならば、優美である。
踊り終わられたエイダンを見て、「ああ、終わっちゃった。もったいない」と思ったのは秘密である。
「これが一曲。本当はほかにも何曲かあるけれど、基本のこの形をまずは覚えようか。さあ、僕の姿を見つつでいいから踊ってみよう」
これから、どんな強硬教育が待っているのだろうと戦々恐々としつつ、私はエイダンの動きの真似をはじめた。
ところが、エイダンは優しかった。
「一回で覚えなさい」とは言わなかった。
ちょっとだけ、私は魔王と呼んでいた上司を見直したのだった。
手の動きがおかしければ、手を添えて分かりやすく教えてくれた。
手に意識がいって、足がおろそかになっていれば、手だけ、足だけというように切り分けてくれた。
「手の動きがおかしい」、「足の動きが追いついていない」なんてことは一回も言われなかった。
部分部分止めながらも、三回ほど踊った頃だろうか。
意外とダンスというのは汗をかくもののようだ。そりゃそうか、常に動いているのだもの。
「くしゅんっ」
私はついうっかり、ダンスの最中、くしゃみをしてしまった。エイダンは動きを止めた。
「すみません……」
「いや、いい。こちらこそすまない。まだ外は寒いか?」
「そうですね、寒いです」
「わかった。少し休憩だよ。上着を取ってくるから、待ってて」
そうエイダンは言い置くと、サクサクと歩いて行ってしまった。
その様子をぼんやりと見送りながら思ったことが、口から滑り出た。
「昼間のお仕事の時も、あれくらい優しければ良いのに」
ハッと我に返った私は頭をブンブンと横に振った。
あの仕事の鬼である魔王が、今のように優しくなったら……。きっと仕事が回らないであろう。そんなことを私は想像した。
ダンスの疲れもあってか。――それとも寒くて本能が眠りたくなったのか。
私は近くの花壇のわきに座り、エイダンを待った。気付かぬうちに、私はうっつらうっつらしはじめていた。
私の名前を呼ぶエイダンの声がする。私を探しているようだ。
「クレア? どこに……? クレア!」
まるで私がおたまじゃくしの時、さまざまな動物に追い詰められて出した声にそっくりだ。そう追い詰められている時は決まって、魔女が颯爽と現れて助けてくれた。懐かしいなぁ……。
「クレア、居るなら出てきてくれ。寒い思いをさせて悪かった!」
「けろ~」
「ここにいるし、そんな泣きそうな声しないで」と返事をしたつもりだった。
む? おかしい。
あくびをすると、数年ぶりの馴染みある感覚。長い舌が、にょーんと伸びた。
えぇ?
目を開けると、あらまぁ。地面の土がとても近い。土の、自然を感じさせる匂い。気持ちが良い。
おや、手の甲がとても綺麗な翡翠色になっているわ。
私って、カエルだったのね。そうよ、カエルよ。何を今更。
はて。私、すごく素敵な人間にしてもらった気もするのよ。
う~ん。でも、とても眠いわ……。
「くわぁ~」
私の近くで土がザリザリと音を立てている。誰かが私を待たせていた気がするけれど。そんなこともなかったような……。
ふわふわした気持ちに揺られていた。
「クレア!」
だあれ? 私は眠たいの。呼ぶなら、用件を先に言いなさい。
もう一度、私はあくびをした。
すると、土の音は止んで、代わりに動物の荒い呼吸音が聞こえた。
魔女の手よりゴツゴツした、温かい何かが私を包んだ。
「ちょっ、待った。なんでここに? クレアなのか?」
「けろ~」
「今度は夢、じゃ、ないんだ……」
魔女の声よりもっと低くて、落ち着く声。良い声ね。カエルの私が高評価をあげちゃうわ……。
そこから、私は深い眠りに落ちた。
夢のなかで、私は結界術をはっていた。
正確に表現するのであれば、詩を歌って歩き回っているだけである。
詩と言っても、そんな大層なものではなくて。
思っていることをツラツラと言葉にして並べるだけである。
夢のなかの私は、荒れ果てた大地だと思わしきところにいた。
水も、緑も、光もない。
ただ足下だけ、見える。
暗い闇のような寂しい空間に、ひとりきりだった。
誰かが、私を呼んでいる。
そう感じた。
私は歩くのをやめて、立ち止まった。
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