第1話:愛なんて、まやかしだ
連載開始します。
よろしくお願いいたします。
「恋人になりたい? ありえないわ」
私は、たった今、愛を全否定された。
目に映る木目の美しい床が、次第に波打ち、ぼやけていく。
「泣かないでもらえる? あたしがおまえを傷つけたみたいじゃないか。気分が悪い」
そう言って鼻を鳴らしたのは、私が敬愛し崇める魔女だ。
先程、私の告白を、愛のこころを、無惨にも砕いたひとでもある。
私は泣いている自覚がなかった。目をまばたかせると、先程と打って変わり、床の木目の美しさがよく見えるようになった。
泣くなと言われても、悲しいものは悲しい。
私は魔女に愛されていると思えたからこそ、告白できたのだ。
本来であれば、田んぼで短い生涯を迎えるはずだった私。
そんな私を魔女は拾ってくれた。そのあとも追い出すでもなく、時に叱り、時に褒め、時に諭してくれた。
愛を注がれていると思うのは自然の摂理だと、私は思う。
数多くいるカエルたちの中で、私ほど魔女に大事にされているものはいなかった。
魔女の使い魔である証の布も。好きな食べ物も。仲間たちの中で、一番良いものを与えられていた。
そして、仲間の中で名前を与えられたのは、私だけだった。
仲間からも羨まれるほどに、魔女からとてもかわいがられている――と思っていた。事実はそうではなかったけれど。
私が目線をあげると、魔女は、柔らかいクッションを胸に抱え、一人がけのソファに座っているのが見えた。私を観察するように、眉間に深いシワを寄せて、足をプラプラさせている。
ぷらぷらしている足も気になるものの、せっかくの美しい顔に余計なシワが寄ってしまうのではと、私は不安になった。
魔女は風呂上がりの素肌に、いつもの黒のローブを羽織っているのみ。
出るところは出て、締まるところは締まっている。魔女のからだは色気がたっぷりで、同性の私でも変な気持ちになりそうだ。
否、変な気持ちを刺激されて、私は愛の言葉を魔女に伝えてしまったのだろう。
気持ちがごちゃ混ぜになって、また泣きそうな私を他所に、魔女は「そうだ!」と勢いよく立ち上がった。
魔女は私をすくい上げると、今まで魔女が座っていた椅子に私を座らせた。それから、椅子の周りをクルクルと歩き回りはじめた。
私は「なんだろう?」と疑問に思えど、声を出したらまた泣いてしまいそうで、目を閉じて魔女が立ち止まるのを待つことにした。目を開けていたら、目が回るんじゃないかとも思ったからだ。
時間にして十五分ほどであろうか。魔女は私の周りを歩くのに満足したようで、ようやく足音がやんだ。
「目を開けなさい」
魔女に促されて、私は目を開けた。
そこには姿見が置かれていた。
姿見には、魔女と先程まではいなかった薄緑色のローブを着た知らない女のひとが映っていた。
知らないひとは、魔女にそっくりだ。肌はぬけるように白く、唇は熟したイチコンの実のように赤くてぷるぷるしている。私でも守ってあげたいと思うような、そんな可愛らしさも兼ね備えていた。
「なに、ぼけっとしているの? 何か感想はないわけ?」
「えっと……? もしかして、これ、私ですか?」
姿見の知らないひとが、その人自身に指をさす。
私が言葉にしたタイミングで知らないひとの口が動く。
私が驚くと、そのひとも目を丸くする。
姿見をつんつんしたり、姿見から視線を外し、自分のからだを触ってみたりした。からだは魔女のように出るとこはなく、すっきりしていて、動きやすそうである。
「わぁ……。この緑の髪、素敵。緑の種類はいっぱいあるけど、その中でも一等綺麗な翡翠みたい! 目は黒! 左目の目元にある、この汚れはなんだろう?」
「汚れじゃなくて、泣きぼくろと言うの。どう? 気に入った?」
「はい! ありがとうございます!」
私が告げた愛の言葉は、実は通じていたのではないか?
あのひどい言い方はいつもの、魔女の気まぐれだったのではないか?
だって、気に入らない使い魔に、人間の姿になる魔法をかけるだろうか?
私はさっきまでの暗い気持ちを捨て、この魔女からの贈り物を喜んだ。
だが、喜んでいられるのも、少しの間だけ。
「クレア・ノワール。これからマルーべ王国に行ってちょうだい。おまえには、魔法使いのひとりとして、隣国のパージ王国からの侵略を防いでもらう。人の姿にしてやったのも、そのためよ。わかったわね?」
魔女は、赤くて美味しそうな唇を片方だけ釣り上げて、わらった。
使い魔の私に「はい」以外の返事ができるはずも無い。
体よく追い出されたことに気付き、気持ちが沈んでいく。
私は虚しさを抱えたまま、魔女の家を出た。
マルーべ王国にむかって、とぼとぼと歩き出した。
以前の、カエルの時より一歩の距離が違う。その感覚に戸惑っていたけれど。
あっという間に、暗い森を抜け、砂漠のような砂地に出た。
特製の布を、食べ物を、与えてくれたのは、どうして?
居場所を与えてくれたのは、どうして?
特別な存在でもないのに、なぜ名前まで与えてくれたの?
挙げ句、任務のためとはいえ、人間の姿の魔法をかけるだなんて。
いっそうのこと、何も与えてくれなければ、愛されているなどという勘違いをしないのに。
次第に虚しさは悲しみに、悲しみは悔しさに変わった。
いつの間にか、また涙を流していたらしい。
鼻水も、たれていたようだ。悲惨な顔になっているだろう。魔女にうり二つな美しい顔をローブでゴシゴシとこする。両頬を思いっきり叩いくと、パーンといういい音が響いた。
もう間違えたりしない。
私は、魔女に愛されていない。
私も、魔女を愛してはいない。
些細なことで特別だと勘違いしない。
私は全身に筋力強化の魔法を施し、マルーべ王国へと、昼夜問わず、ひた走った。
走り続けること、十日間。
マルーべ王国の領内へと入った。
魔女からは、マルーべ王国の魔法使いになれと言われた。侵略を防げ、とも。
私は王国の名前こそ知るものの、王国の常識も、そもそも人間の生活の仕方も知らない。
少し考えた結果、私は侵略を防ぐ軍に入る前に、図書館に入り浸った。
私ははじめに、地図を広げた。
「ここは、魔女の家からまっすぐ南下した場所にある。間には二カ国ほどあるけれど、大きさはそこまで大きくないわね。問題のパージ王国は、川をまたいだ西側にあって……。あらあら、マルーベ王国よりも大きいのではないかしら?」
次に、「マルーベ王国の歴史」と題された本を手に取ってみた。
正直、面白くなかった。
この辺り一帯にある王国の中では、歴史ある国のようだ。
魔法を使う人間を重宝する、珍しい国でもあるらしい。
頭に新しい情報を入れるのに疲れてきた頃、絵本を見つけた。
銀髪の王子さまと黒髪のお姫さまが結ばれるという恋物語であった。
黒髪のお姫さまが、魔女を思い出させ、いまどうしているだろうと考えさせた。
一ヶ月ほどで図書館の本をひと通り読み終えた。なんとなくマルーべ王国の事をなんでも知っている気になっていた。
人間の姿にもだいぶ慣れ、生活もできるようになっていた。
そのあと、商人たちの護衛をしがてら、王都を目指した。マルーベ王国という国のことを肌で感じようと思ったからである。
どこも薄暗い雰囲気で、じめじめしていた。
戦争をしかけられているのだから、そういうものなのかもしれない。
王都に着くと、街のいたるところに「軍に志願しよう!」と書かれた紙が貼ってあった。
私はザルな試験を受け、合格を果たした。もはや人数が足りておらず、動物の手も借りたいくらい、ひっ迫しているらしかった。
そうして、私はマルーべ王国に仕える魔法使いのひとり、クレア・ノワールとなったのだ。
私が、配属された先は防衛班だった。
面倒見の良い先輩が愚痴をこぼしがてら、教えてくれた。
防衛班というのは、攻撃班、治癒班を守るのが仕事だ。
しかし、物は言いようでしかなく。
現実はただただ敵の攻撃の壁になる仕事だった。
治癒班にお世話になるのは、主に防衛班だ。
本来、治癒班は攻撃班のためにいた。
前線で戦う攻撃班の傷を癒やすためだ。
治癒班は自衛できないため、彼らを守るために防衛班ができたのだと、傷を負った先輩は教えてくれた。
しかし、次第に攻撃班が攻撃に集中するため、防衛班は治癒班だけでなく攻撃班も守るようになった。
いろいろ教えてくれた先輩は痛む傷を抑えながら、私に言った。
「攻撃班を守るのは、もう仕方ないさ。そういう仕組みになっちまったんだから。けど、あの上官たちにも働いてもらわなきゃ、割に合わないぜ」
その夜、先輩は血を失い過ぎたせいで、息を引き取った。
防衛班に所属しているのは、ほとんどが平民の志願兵であり、上官は貴族のひとだった。
上官は陣地の門番をするだけで、本当の戦火で犠牲になるのは志願兵たちだった。
私は先輩から聞いていた話もあり不満を、険しい顔をしている銀髪の偉そうなひとにぶつけた。
「何故、何もしないひとを上官に据えてるんですか?」
「ば、言葉を慎め! 新人!」
銀髪の偉そうなひとではない、ほかのひとが目くじらを立てて怒り始めた。
銀髪の偉そうなひとは、片手でそのひとを制すと、困った顔で言った。
「きみたち志願兵の者たちに負担を強いているのは分かっている。しかし、しきたりもまた、守らねばならなくてね」
私には、理解できないことだった。
戦争をしているのに、しきたり?
守るべきは、ひとの命でしょうに。
私は顔が歪まないように、気をつけながら頷いておいた。
人間は命を、案外軽く扱うのね。
きっと、このひとたちに何を言っても変わらないのだわ。
なら、私が多少好き勝手に動いたところで、傷がつくことに変わりはない。
ただその傷が、前線で防衛する時に受ける傷か、命令違反で罰せられる名誉への傷かの違いなだけで。
私は軽く目を伏せた。
それからの私は、昼間は皆と一緒に盾になり、夜は国境の川沿いに結界術を張り続けた。
実を言うと、結界術はもっと前から、八つ当たり的に張っていたのだ。魔女のことが頭をよぎったり、納得いかない気持ちになるたびに、国境の川へむかっていた。
結界術とは、一部の人間にも扱えるが、もともとは私たち、カエル特有の詩を使った魔法である。
カエルである私は人間より広範囲の結界術を編める。そして、こと攻撃を防御するだけの単純な結界術ならば、魔女の太鼓判付きである。
結界術に力を入れ始めてから二日ほど経ったある日のことだ。
予期していたとおり、同じ防衛班なのに、見張り番を担当しているだけの上官たちに呼び出された。
「おい、新人。若い娘だからと、こちらが甘くしてりゃあ。毎晩毎晩、川に何しに行ってんだ? あっちには敵しかいないはずだぞ」
「結界術を張ってました」
「笑わせるな! おまえみたいなひよっこが、結界術なんか張れるわけないだろ!」
「事実です」
「敵に情報を売ってるのはおまえだろ? 騙されるものか!」
そう、やいやいと騒ぎになり始めたときだった。
「なにをしている」
静かな、声だった。
それなのに、先ほどまで威勢の良かった上官たちの姿が固まった。
振り返ると、あの銀髪の偉そうなひとが立っていた。
「殿下! とうとう敵に情報を流しているヤツを見つけました!」
「ほぉ?」
「コイツが毎晩毎晩、川に出掛けていくので、怪しいと思ってつけてみたんです! そしたら!」
その銀髪男の前に、上官たちによって、私は頭を地面に押しつけられた。痛い思いをするだろうとは思っていたが、まさか罪をねつ造されるとは思わなかった。
人間って愚かだ。そう思ったら、わらえてしまった。
けれど。
「そうか。実は、僕もきみたちが気になっていてね……」
そう銀髪男が言うが早いか、最近なじみ深くなった人間の肉が切り裂かれる音がした。
血の臭いが充満する。
私を押さえつける力が、なくなった。
私が不思議に思って、顔を上げると、銀髪男しか立っている人はいなかった。周りは血だまりである。
「な、ぜ?」
この男が私が敵に通じていないことを知っているとは思えない。
それなのに、何故上官たちが、血を流して絶命しているのだろう?
銀髪男は口元に笑みを乗せて言った。
「きみが毎晩、川に結界術を張りに行っているのは、僕も知っていた。不思議な詩と言えば良いのか……。声が聞こえてね?」
「そうですか。でも、上官たちを殺さなくても良かったのでは?」
「ダメだよ。彼らこそが、情報を流していたのだから。最近、きみの結界術のせいで、うまく情報が渡せなくなっていたんだろう。それで、きみは狙われた」
銀髪の男は、私の頭をなで、立てるように手を引いた。
「きみは異国から来た志願兵だと聞いた。それなのに、結界術を我が国のために張ってくれてありがとう」
礼を言われるとは思わなかった。
素っ気ない言葉しか返せなかった。
「やれることをやったまでです」
「知っているとは思うけれど。僕は、エイダン。きみの名前を改めて知りたい」
「……クレア・ノワール」
仲間でも簡単に殺してしまうひと。魔女の冷たい部分そっくりなひとだと、そんなふうに私の中で記憶された男がエイダンだった。
気付けば、月日は流れて三年。
泥沼と化していた、侵略戦争は終わりを告げた。
私がマルーべ王国とパージ王国との境に張った結界術が役に立ったらしい。
なにも計算して強固な結界術を張ったのではなかったのに。
休戦協定がなされた数週間後の新聞に、でかでかと私の絵姿が載っていた。
意図せず、私はマルーベ王国を救った英雄と呼ばれるようになっていたのだ。
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