82話 バリア魔法誕生の軌跡
剣が宙に舞い、回転しながら騎士団カラサリスの背後に突き立った。
「う゛っ」
騎士団カラサリスとの訓練で、圧倒的な力差を見せつける異世界勇者こと鞍馬ひじり。
剣を落としただけでなく、カラサリスは同時に手首も痛めていた。鈍い痛みは骨にまで影響しているかもしれない。
単純な剣技においても、この半年で異世界勇者に敵わなくなっていた。
それどころか今日は子供扱いされる始末。
聖剣の魔法を使っているわけではない。ひじりは魔法も魔力も使わず、単純な剣技でカラサリスを圧倒している。
「今日はここまでだ……」
痛む手首を押さえながら、訓練の終了を告げる。
「はい」
気の入っていない返事をし、訓練場から立ち去ろうとするひじり。
その背中を見つめて、カラサリスは少し不満げに思う。
異世界勇者の訓練自体はうまく行っている。
思っていたより遥かに強い。宮廷魔術師をぶつけても、誰も勝てない。新しく迎えた宮廷魔法師10人全員でかかっても勝てないだろう。無様に負ける姿が容易に想像できてしまう。
あまりに存在が大きい。
計り知れないほどの力を持っている。
勝利は確定した。
ギフトを使って異世界勇者をこの地に呼び寄せた時点で。
おそらく300年前の異世界勇者、いや歴代でも最高の力を持った人物だ。
「どこへ行く、異世界勇者殿」
「……私の勝手でしょう?」
これだ。
カラサリスが唯一不満を持っており、懸念している点は。
洗脳がうまく行っていない。
思ったよりも聡い女性だった。
簡単な嘘はすぐに見抜かれる。
シールド・レイアレスが世界を破滅に導こうとしている話にも疑いの目を向けているのが見て取れる。なるべく外部との接触を避けさせたいのだが、あれだけの力を持った存在を誰が止められようか。
豪華な食事にも、ドレスや宝石にも興味を示そうとしない。
純粋に元の世界に帰りたいと願う少女への餌はすぐに尽きた。
力を付け続けるひじりは、魔法の仕組みも理解し始めている。
それはつまり、この世界から抜け出せないことを察し始めているということだ。
(これ以上の嘘は厳しいか。早めに決着をつける必要があるな)
これ以上の洗脳は厳しい。ボロが出る前にシールド・レイアレスを殺してくれさえすればいい。生け捕りにしてくれれば、尚のこと良いが、それを要求すれば説明が難しくなる。
「度し難い女だ……」
去っていくひじりの背中を見送って、カラサリスは不満を口にした。
これ以上、シールド・レイアレスの情報を辿られないように気を付けておきたい。自分たちが流した偽の情報だけで作られたシールド・レイアレス像を、戦いの日まで。
しかし、カラサリスの思惑とは裏腹に、ひじりはシールドの別の顔を知る機会を得る。
訓練を終えて、彼女が向かう先は決まっている。いつも通りの場所へ。
ヘレナ国のスラム街にひっそりと佇む小さな孤児院。
偏屈な老婆と、盲目の料理人二人で営む孤児院だ。30名ほどの身よりのない子供たちを囲い、育てている。
この世界になんの思い入れもなかったひじりだったが、とある日の散歩で道に迷った。
堅苦しい城を抜けて、美しい街を身に行っていた。
物珍しい異世界の光景に気を取られているうちに、知らない道に入り込んでしまったのだ。オリヴィエ程ひどい方向音痴ではないので、軽くスラム街に入り込んだだけだった。
そこで出会う。自分と同じく、世界で独りぼっちみたいな顔をした少年少女たちと。
孤児院『守りの家』と異世界勇者ひじりの出会いだった。
偏屈な老婆は子供たちに厳しく、近寄ろうとするひじりにも冷たかった。
しかし、この世界に来て初めて心揺れ動かされた少年少女の姿に、ひじりは次第にこの場所に通うようになる。
偏屈な老婆カトリーヌも、毎日顔を出すひじりに心を許し始める。
「ほら!あんたら勉強しな!このままじゃ大人になっても搾取されるだけの人生だよ!」
カトリーヌの厳しさは愛情故だった。
今はこの厳しさの理由を理解できない子供たちも、いずれは彼女の愛情の大きさを理解するだろう。
「あんた、また来たのかい!異世界勇者だかなんだか知らないけど、来たからには魔法の一つでも教えて行きな!」
「はい、はい」
「はい、は一回!」
杖でおしりをたたかれたひじりだったが、少し嬉しくて笑う。
小うるさく言うカトリーヌの姿が母の姿と重なるからだ。
いつしか、この場所が第2の家だと感じるようになってきている。
城に自分の居場所はない。
皆、自分を恐れている。優しい言葉をかけてくる人間も皆どこか利己的な影が透けて見える。
あそこは嫌いだ。
「でも、ここは好き」
汚く、いつも騒がしく、料理も粗末だがここが好きで仕方ない。
今日も城からくすねてきた食材を孤児院に届ける。
ここは常に金欠に見えるけど、これだけの子供を抱えてやっていけている。
その理由をひじりは知らなった。
自分が今貰っているお金を寄付しようとしたこともあるが、カトリーヌに何度も断られている。
「カトリーヌさん、本当にお金は大丈夫なの?」
「食材をありがとう。でも本当に大丈夫なんだ。シールド様がから送られている分があるからね……あっ」
ひじりからの食料を受け取りに来た盲目の料理人が口を滑らせた。
ずっと秘密にしていたことがバレてしまった。
カトリーヌが料理人の尻を杖でたたく。
「ご、ごめんよ」
「馬鹿垂れ。いいから行きな。子供たちがお腹空かせているよ」
説明は自分が引き受けるからと。料理人にはこの場を去るように伝えた。
今の言葉にひじりが驚く。
ずっと知らされていなかった情報だった。ここに通い始めてもう一か月も経つというのに。宿敵であるはずのシールド・レイアレスから援助を受けている?
「裏切っていたのですか?私をずっと騙して、楽しんでいたのですか?」
沈黙が流れる。
カトリーヌも申し訳なさを感じていた。
「騙した形になったのは事実だから、言い訳はしないよ。あんたが異世界勇者のひじりで、この世界に召喚された理由も知っている。つまり、あんたの宿命も知っているってわけさ」
「シールド・レイアレスは世界に破滅を齎す者ですよ!いくら子供のためとはいえ、そんな人間の援助を受けるだなんて!それなら、なぜ私のお金を受け取ってくれなかったのですか!」
思いの丈が溢れる。母のように慕っていたからこそ、余計に気持ちが乱れる。
なぜ、なぜ、なぜ。ひじりの中でこらえきれない感情があふれ出てきた。
「……あの子はね、ここの出身なんだ」
「え――?」
ひじりの知らない話だった。想像すらしていなかった。
シールド・レイアレスが元々ヘレナ国の宮廷魔法師だった話は知っている。
しかし、生い立ちは知らない。
聞かされた話はシールド・レイアレスの日々の悪行と、国を裏切って他国に寝返ったことだけ。
「わたしゃ、あの子の全てを知っているわけじゃない。宮廷魔法師時代は派手に遊んでいたみたいだし、今も国が流す情報通り、あの子は世界を破滅に導こうとしているのかもね」
「それが真実のはず……」
自分でそういうが、まだ見ぬ真実がある気がして、カトリーヌの言葉を待った。
「ただお金を受け取っていると聞くだけじゃ納得いかないわなぁ。わたしゃが確実に知ってる話だけでも、聞いていくかい?」
少しだけ怖かった。知りたいけど、真実は恐ろしい。
場合によっては、何のために戦うのか、誰が味方なのかを見失いそうになるから。
「覚悟はあるかい?」
「……はい」
「ならよし。あの子は5歳からここにいたよ。誰よりも勉強熱心で、誰よりも優しく、いつもみんなを守っていたね」
信じられない話だった。
カラサリスから聞かされていた人物像と大きく乖離しているからだ。しかし、素直に話を聞く。
単純な理由だ。カラサリスよりも、カトリーヌの方が好きだから信じる。それだけだ。
10年以上も前の話になる。
当時からカトリーヌは偏屈な老婆だった。
カトリーヌが子供たちに色んなことを学ばせようとする中、シールドはバリア魔法の書物だけに嚙り付いて読んでいた。
引き剝がしても、叱りつけてもそればかりを勉強する頑固な子供。
なぜそればかり読むのかと聞くと、この魔法はみんなを守れるから好きなのだと。
好きにやらせることに決めてからは、シールドはより一層驚異的な集中力でバリア魔法だけを学び続けた。
その魔法がいつしか奇跡的力を発揮するようになるとは、孤児院にいた誰も思わなかった。
15歳の時に孤児院を出て、シールド・レイアレスは宮廷魔法師になった。
あまりの出世に、カトリーヌも孤児院で育った仲間もみんな盛大に祝ったのだった。
「あの子は当時から、給金の大半をここに送っていたよ。自分で手に入れたものだ。自分で使えばよかったものを」
「それが本当のシールドなのですね?」
「ああ、あの子は誰よりも優しかったよ。決して他人を傷つけたりしない。けどね」
まだ続きがあった。
「ここはなにせ貧乏だろう?仲間が飢えてたりしたら、盗みをやってたりしたよ。それは絶対にダメだと言ったら、今度はどこから獲ったのか野生動物を仕留めて、一人で捌いてみんなに食べさせていた」
全く信じられないような話だった。
これまでに聞いた話と正反対にあるかのようなエピソード。
しかし、自分が慕うカトリーヌが嘘をつくとも思えない。
ひじりの中でシールドのイメージが少しずつ変化していっている。
「では、やはりヘレナ国は偽の情報を流しているのでしょうか?私もところどころ不自然に思っていました」
「さてね。私が知るのはここにいた頃のあの子だけさ。今何を考えているなんて知りようもない。実際、送られてくるお金と共に手紙も添えられている。魔族やドラゴンと共に生きているのは事実らしい」
「魔族やドラゴンと!?うーん、ではヘレナ国の情報は真実?どれが真実なのでしょうか」
カトリーヌが空を見上げる。
ぼーと空を眺めているが、この場にはいないシールドを思っているのが分かった。
「真実はあんたの目で見てくるといいよ。あの子と戦うのが宿命なんだろう?」
そのために呼ばれたけれど、今は迷っている。
シールド・レイアレスの真の姿が分からない故に。
それに、戦えば確実に殺してしまう。それほど強大な力を持っている自覚もあった。
「戦えば、彼を死なせてしまいます。殺してもいいと?」
「残念だけど、真実が分からない以上どうしようもないねぇ。あんなに優しかった子だ。国のために立派なバリアまで作り上げてくれたのに、この国を追われちまって。どれだけ傷つき、怒りに染まったか想像もつかないよ。深く傷つき、あの子がこの世界を破滅に導こうとしているのも、別にない話じゃない」
少し悲しくなる。シールド・レイアレスが追放されたのも、いろいろ噂を聞いている。それもどれが真実かわからない。
自分はなにも知らない。カトリーヌに言葉を返せなかった。
しかし、自分は間違いなくシールド・レイアレスと戦うためにこの地に呼ばれた。
元の世界に帰るためにも、まずはそれを終わらせなければ。
「カトリーヌ、ヘレナ国の情報が真実であれば、私はシールド・レイアレスを殺すかもしれません……」
「うん、仕方ないねぇ。もしもシールドが死んでしまったら……。戦いが終わったら、あの子の亡骸を届けてくれないかい?あの子がまだ心安らかにいれた、この場所で眠らせてあげたいね」
「はい……」
思わず涙が出かけた。申し訳なさと、その愛情の大きさに。
悟られないように後ろを向き、そのまま歩き出す。気づけば逃げるように走っていた。
カトリーヌの本音は、絶対に戦って欲しくないはずだ。
しかし、シールド・レイアレスの目的が世界の破滅なら、自分は彼を斬らなくてはならない。
それが宿命だから。そう自分に言い聞かせて、城へと戻る。
戦いの日は近い。




