50話 side 裸のエルフの王とエルフの島にやってきた人
服を脱ぎ捨てたエルフが玉座に座り、濁った瞳で部下を睨みつける。
エルフの王、イデアは衣服で体を隠すこともなく、己の体を見せつけるように堂々としていた。
彼の周りには辱めを受けた多くのエルフが横たわっている。
ここが謁見の間だということを忘れさせるような光景だった。
エルフ最高の戦士、エヴァンは仲間のエルフが凌辱される光景に屈辱を感じながらもイデアの前に膝を折る。
王だと認めたくはないが、イデアとの力の差は歴然。
エルフの島はすでにイデアのもの。抗いたくとも、これは覆しようのない事実だった。
悔しいが、イデアは天才だ。
差が大きすぎて、その影すら踏めないほどの遠い存在。
「……ご報告いたします。グウィバーですが、ミライエ上空にてバハムートに遭遇。戦闘になった後……敗れてミライエ上空にて戦死いたしました」
部下にワイングラスを運ばせ、中に満ち満ちと注がれたワインをイデアはグビッと一口で飲み干す。
大量のアルコールに全く酔う様子もなく、水を飲んだかのように涼やかな表情だ。
退屈そうにエヴァンを見下ろす。
この褐色の肌をしたエルフは、ダークエルフとなった者の証である肌色をしている。欲におぼれたエルフは森からの聖なる加護を失う。加護を失って以降は闇に飲まれるという言い伝え通り、日々その体から神聖な力が抜け落ちている。
白い肌を失うのは、その呪いのせいだと言う者もいるが、イデアは未だに不調を感じたことはない。
それどころか、長い年月で習得した魔法と魔力が日々高まる感覚が面白く、実際かつてない程に力が高まっている。故に余計に森の加護などという古い言い伝えを信じる気持ちにはなれなかった。
その有り余る力と時間により、いよいよ人の世界にまで興味を持ちだしたのだ。
全てを手に入れる。いつしか、そんなことを考え始めていた。
「愚か者め」
エルフの戦士エヴァンの頭目掛けてグラスを叩きつける。
グラスが頭にぶつかって破片が散るが、エヴァンをはじめ、誰もイデアの行動を咎めようとはしない。むしろ何事もなかったかのように、静かな間が場を支配した。
「余の育てたグウィバーを貸してやったのに、何も成果を持ち帰らんとは。これだから無能なエルフどもは」
「しかし、バハムートがいるとは想定しておらず……」
「雑魚が。余ならいかなる相手が来ようとも殺せる」
実際、イデアはこれまで数々の強敵を言葉の通り葬ってきた。
玉座の隣にあるリンゴをもてあそびながら、ぐしゃりと握り潰す。そう、このリンゴみたいに、いつだって簡単に、一捻りに殺してきた。
「それはイデア様に限った話。我々はミライエには例のバリア魔法があるとしか聞いておらず、対処のしようがありませんでした」
聖なるバリアをイデアの育て上げたグウィバーのブレスで破壊する予定だった。
しかし、立ちはだかったバハムートとの死闘の末、グウィバーは命を落とし、エヴァンは命からがらエルフの島まで落ち延びた。どちらかというと、バハムートがエヴァンに興味を示さず、見逃してくれたという方が近いかもしれない。でなければ、グウィバーともども死んでいたに違いない。
エヴァンはあの戦いを思い出す度、トラウマのごとく背筋が凍るのだった。
「バハムートがなぜあんなところにいるのかは、たしかに謎だな。ふっ、少し面白くなってきた。そろそろ余も出るか」
「いえ、それには及びません」
玉座の傍から歩み寄ってくるローブに身を包まれた褐色のエルフ。
イデアが育て上げた直属のダークエルフの一人で、彼を直接サポートする幹部だった。
「すでにダークエルフはバリア内に忍び込ませております。内部でそろそろ騒ぎが起き始めるころかと」
「そうか。無事に忍び込んだか」
イデア自慢の教え子たちだ。人間などに負けることなど、想像もできない精鋭ばかり。
「くくっ、それでもやはり余が出る。余が遊んでやる。船を用意しろ。使えぬ愚かなエルフどもも動かせ」
「しかし、今出れば全面戦争です。こちらの被害も大きいかと」
「どうせ死ぬのは軟弱なエルフどもだ。先頭を走らせ、捨て駒にしろ」
イデアはローブを受け取り、裸の体のまま羽織り、立ち上がった。
何も隠せていない状態だが、エルフの王を簒奪した男は相変わらず堂々としている。
「内部で弟子たちが暴れ、海からはエルフどもに捨て身で突撃させる。盛り上がりが最高潮に達したとき、余があの巨大なバリアを破壊しよう。あれしきの魔法で守られていると勘違いした人間どもに、絶望を味わわすのが楽しみだ」
バリア魔法のことは聞き及んでいる。その異常さも。それでも……。
「あーっははははははは!!」
力強く傲慢な笑いが謁見の間にこだまする。
圧倒的な力を持ったエルフの王、イデアが動き出した。
「人の地に絶望という名の血の海を作り上げる。まずはミライエの地から。領主シールド・レイアレスの首は持ち帰り、我がコレクションとする」
イデアの一声で、エルフ全体が動き出す。
島があわただしくなる日々が来た。
「イデア様、王ならせめて王らしい格好を」
立ち去ろうとするイデアに、エヴァンが珍しく苦言を呈する。イデアは基本的にあまり服を着ない。自由奔放で、性にもだらしない。これまで誰も指摘したことのない部分だった。
珍しくイデアは機嫌が良い。エヴァンの諫言を特に咎めることはしなかった。むしろからかい始める。
「おい、エヴァンには余の服が見えぬらしい。愚か者には見えぬ服を着ているが、皆には見えるよな?」
見える、見える、見える。
謁見の間にいたエルフは、全員口をそろえて『見える』と口にした。
「そうですか……」
エヴァンはこれ以上、何も言えずに目をつむる。
高らかに笑うイデアの声が、去っていくまで目を瞑っていた。どうか、この悪夢が一秒でも早く覚めることを願って。
エヴァンを置いて、イデアは城の屋上へとやってきていた。
窓から浮遊してここまできた。城の一番高いところに立ち、海の先を見る。
遥か先だが、ここからでも見える。
あの巨大なバリアが。
屋上には幹部のダークエルフが数名付き添っていた。
「何度見てもでかいな。しかし、脆そうだ」
数か月前に突如現れた巨大なバリア。何事かと思えば、ただのバリア魔法らしい。
それを壊せない人間共の劣等ぶりを考えると、哀れみを覚えずにいられない。
すでに分かっていることだが、再度勝ちを確信する。
「イデア様。少し気掛かりがございます」
「なんだ?」
イデアの機嫌を損ねるかもしれないが、それでも報告せずにはいられない。
部下の一人が先ほど入った情報を伝える。
「潜入させていたダークエルフの一人と連絡がつきません」
「ほう、さぼっているのか?」
「そうは考えづらいかと……」
「ではやられたと言いたいのか?」
イデアの怒気のこもった声に怯えて、それ以上は返答できない。
しかし、イデアも理解はしているつもりだ。
おそらく死んだ。
何者かの手によって。
相手は思っているほど弱くはない。
しかし、この場にいる誰もがイデアの勝利を疑いはしない。
嫉妬心すら沸かない圧倒的な魔法の才。憧れすら抱けない、未知の領域。
まだ見ぬ魔法の世界を見せてくれる存在、それがイデアである。
部下の一人が消えようとも、勝利とはなんら関係のない要素だ。
「バハムートもいるし、手練れが一人二人いてもおかしくはないか。まあ、全ては祭りの余興でしかない。むしろ歓迎すべきか」
これまでまともに相手になってきた敵すらいなかった。
絶対の強さというのは、時に退屈すら感じさせる。
そう考えれば、部下が一人消えたのも、バハムートが立ちはだかるのも、全ては祭りを盛り上げるための材料でしかない。むしろ歓迎すべき出来事。
「あれを見よ。あのバリアの中で安寧の時を過ごしていると勘違いしている、愚かな人間共のことを考えると笑いが止まらん」
本当に愉快そうに笑いだすイデア。
ひとしきり笑い、再び話始める。
「あれが壊れた時、人間どもがどんな顔をするのか。だれか絵を描いて余に届けよ」
「はっ」
シールド・レイアレスの顔も同時に気になる。
バリア魔法しか使えない愚かな魔法使いらしい。
その唯一の魔法が破られたとき、どんな顔をするのか目に焼き付けておこうと決めた。
「さあ、戦いを始める。破壊し尽くせ。燃やし尽くせ。余の覇道を歴史に刻もう」
ダークエルフの時代がやってくる。
それを信じてやまないイデアの野望に満ちた視線が、聖なるバリアを一点に見据える。
――。
「ここどこ?」
奴隷たちを解放し、英雄として祀り上げられそうになったオリヴィエは、それを断るために嘘をついた。
自分は旅の途中だからもう行くと言い残し、奴隷たちを解放した後、奪った商戦で一人海に出た。
適当に航海したのち、陸地に戻ろうとしたが、変な海流に乗ってしまい、気づけば見たこともない土地にやってきていた。
見たことのない植生の土地は、知識豊富なオリヴィエでも知らないものばかりの土地だった。
木も、土もどこか大陸のものとは違う。
そして、初めて出会った人らしき生物の耳が長く尖がっているのを見て、オリヴィエは急いで姿を隠した。
感じる魔力の性質も違う。あれは……。
「エルフ……?」
ミライエと海を挟んだ東の島にエルフがいるという話を聞いたことがある。絶対にたどり着けない島だとも聞いていた。
オリヴィエはようやく、自分がエルフの島まで流されたことに気が付いた。
「なんでこんなとこにいるのおおおおお」
オリヴィエの悲鳴がエルフの島に鳴り響く。当分シールドとは会えそうもない。




