31話 バリア魔法は後世へも
良い香りがした。女性特有のあまい香りだ。
「ん!?」
夜中にメレルがベッドに忍び込んできたとき、俺は心底驚いた。
けれど、添い寝するだけだと言われた。
本当に添い寝だけだったので良かったけど、良い匂いがして、女性が間近にいる状況に落ち着けるはずもない。
「なんだ花婿殿。まともに眠れなかったみたいだな」
「当たり前だ!」
途中、柔らかいものがあたったり、あたらなかったりして、睡眠どころじゃない。
始めて自分の理性より野性的な部分が勝ちそうな夜だった。でも、一度触らせてもらったのは感謝している。本当にありがとうございます!
「使者なら、使者らしい態度を頼む」
「それは建前だ。本当は花婿に会いに来ただけ。一緒に寝るくらい、許してくれ。なっ?」
ウインクが飛んできた。
やめてくれ。本気にする人ですよ、俺は。
それにやはり建前だったか。
侍女の持ってきた紅茶を嗜みながら、優雅に朝日を浴びるメレルは芸術品のように美しい横顔を見せる。
時折頭の猫耳がピックピクと日差しに反応するのが可愛らしい。ちょっと触りたいかも。
「一緒に食事を摂ろう。仕事の話もそろそろしておきたい」
「野暮だな。女王に頼まれた件など私たちの朝食の席に似つかわしくない。それより将来設計の話を」
「却下!」
身支度を整えて、俺たちは食堂へと向かった。
我が屋敷のコックは今日も優秀だ。侍女も丁寧な仕事を心がけてくれており、毎朝気分が良い。
「結構おいしいから、メレルの口にもあうと思うぞ」
「うむ、漂ってくる良い薫りで料理人の腕がうかがい知れるな」
紅茶を飲む仕草からわかってはいたが、メレルは食事のマナーも非常に良い。俺なんかとは比べ物にならない優雅さが体の芯からにじみ出ている。
「なんだ?そんなに私が魅力的か?」
気づかないうちに見つめていたようだ。
「いや、綺麗な所作だなと思って」
素直に褒めておこう。恥じらう部分でもない。
「これでも名門の出でな。幼少期より母にマナーを、剣の道は父に厳しく叩き込まれたものだ」
獣人の国イリアスについて俺はあまり詳しく知らないが、メレルがそういう家柄の出身だというのはイメージ通りだ。
なんだかもっと知りたいような、踏み込んだら引き返せないような。
葛藤が俺の中で渦巻いている。
「私が歴代最高の剣士にまで上り詰めたものだから、結婚相手も自分で決めることにした」
「そんなこと勝手に決めて大丈夫なのか?」
名門の家柄なら、いろいろとトラブルも多そうだけど。
「我が家は強さこそ権威。父を超えた私に意見できる者はいない。たまに祖母がグチグチいうくらいだな。結婚の話もされるが、悪いが私より弱い男に興味はない」
言い切った。
かっこいいと思ったのは、秘密にしておこう。調子に乗りそうだから。
俺もこんな堂々と生きたら、もう少し領主っぽくなるのかな?
バリア魔法しか使えてこなかったから、格好良さというものと縁遠い人生を送ってきた。
これからは、俺ももっと自分の力に自信をもっていかなくちゃ。メレルからはそういうった強い気持ちを貰えた。
「身の内話を聞けて嬉しいよ。でもそろそろ女王からの話も聞いてみたい。無粋だと言われたが、単純に気になる話でもある」
「よろしい。では、そちらも話すとしよう」
女王からの手紙は既に開封していたが、あいさつ程度のモノだった。
委細はメレルに託しているらしく、直接聞いた方がその場での交渉にも応用が利くとの判断だろう。
「イリアスがピンチ。結論から言ってしまえば、それだろうな」
メレルが女王から託された話は、イリアスが今すぐにやばいという話ではなかった。
今後の未来を鑑みるに、大陸の覇権はこの東の地、ミライエに偏るだろうとみているらしい。
それはやはり俺の聖なるバリアがあるからにほかならない。
ウライ国と、ミナントは俺の自治領と接していることもあり、今後ずっと恩恵を受けられる。今もその傾向が見えるんだとか。
しかし、北に位置するイリアスはその恩恵を受けられない。
それどころか、人が東に傾けば傾くほど、イリアスは深刻なダメージを負いかねない。
その深刻度は西のヘレナ国とは比べもにならに程小さいだろうが、冬の時代が訪れる前になんとか対応しておきたらしい。
「なるほど、大げさな気もするが理解した」
「そうか?私も女王と同感だ。決して大げさな話ではないと思っている」
そこまで評価してもらえるのは嬉しい限りだ。
自治領は目覚ましくて発展しているが、周辺諸国からしたら困った事態も発生するようだ。
「ミナントから良い条件を貰ったと聞いてるが」
俺がミライエの自治領主になる際に、ウライ国とイリアスには相応の対価が支払われているはず。
「あれは大きな収穫だった。イリアスに凍らない港が手に入ったのは非常に大きい。10年は我が国の方が、益が大きいだろうな。しかし、女王はその先を見据えている」
壮大な展望だ。
そういえば、獣人も人間より寿命が少し長いんだったかな?
我々人間よりも長い目で考え、未来を見据えるのは当然かもしれない。
「わかった。それで、俺に要求するものとは?」
ようやく本題に入る。
結局、何かを欲しているんだろう。
しかし、バリアは難しい。
あれは他国とのバランスを崩すものだ。
俺も今となっては、日々の高速な変化によってその影響力の大きさを理解している。
メレルや、イリアスの女王の頼みでも、おいそれと聞くわけにはいかない。
それはミナントやウライ国への裏切りにもなるからだ。バランスを望んだ、先の契約が台無しになる。
「ふふっ、それが今回の私の旅行と結びつく。女王はお望みだ!そなたの子を!」
「ぬぅん!?」
変な声が漏れてしまった。
またそっち!?
獣人の国、イリアスの女王まで俺を狙っていたのか。勘弁してくれ、モテなかった男が急にモテだすと、どうしていいかわからなくなるんだ。
「勘違いするな。女王は御年60を超える方だ。既にシールドを口説き落せるような美貌は持ち合わせてはいない」
「自国の女王にそんなこと言っていいのか……?」
「よい、あのババアは実際かなり不細工だ」
またも言い切った!
恐ろしいことを聞いてしまってハラハラするけど、俺はこういうはっきり言う人が実は好きだったりする。
顔には出さないが、心の中ではほくそ笑む。
なんだか、とても痛快だ。
「そなたの子を望むとは、その言葉のまま捉えて貰っていい」
「将来、俺に子供が出来たら、その子を獣人の国イリアスに預けろと?」
「その通り。その子が人間との子ならば、公爵の地位を与えると約束する。更に、その子が獣人との間の子なら、国王の座を渡すと約束する」
「はい!?」
あまりの突飛な話に、目を見開いた。
流石にそれはありえなくないか?
「待て、待て。俺に将来子供ができるとして、そいつが無能だったらどうする。それでも公爵の地位を!国王の地位をくれると言うのか!?」
「もちろんだ」
馬鹿な。
俺ほどのバリア魔法が使えるとしたら、理解できる。
俺が死んだあと、受け継がれた力で大陸の覇権は時間をかけてイリアスに移っていくだろう。
しかし、無能でもいいだと?
「あっ……」
なるほど。やはり女王は政治上手だ。
「俺が人情で、イリアスにバリアを張ると。流石に子供の住む国だ。何か便宜を働くことを想定しているのか」
「その通り。よく理解しているじゃないか」
うーむ、人の心をよく理解しておられる。
悪い話じゃないよな。
むしろ、最高レベルにうまい話だ。
将来の子供のことなんて知ったこっちゃないと言いたいが、それは情がなさすぎる。100年後はフェイの支配する国だと考えるなら、半世紀でも幸せな人生を送らせてあげてもいいかもしれない。
それにしても、生まれながらにして公爵か国王になることを約束されてるだと!?どんな強運の持ち主だ。
「どうだ?悪い話じゃないだろう?さあ、私を抱け、シールド。我らの子供が無能になるはずがないし、私がとことん鍛え上げる。そしてその子は将来の王だ!」
「……凄い話だ」
女王も、メレルも凄く頭の良い人に見えてくる。
俺はバリア魔法という最強の一手を持っているが、政治の上ではみんなの手のひらでコロコロ転がされている感じがする。
「……考えてみる。良い話だとは思っているけど、簡単には返答できない」
規模の大きすぎる話に、まだ頭の整理が追いつていない。
「それでよい。どうせ、いずれ私の魅力に耐え切れず抱きたくなる。その時に話をまとめればいいさ」
「ぐっ」
そ、そんなに簡単に行くと思ったら大間違いなんだからね!
ちょっとだけ、ツンツンしてみた。
俺とメレルの食事が終わった頃、ちょうどベルーガが入ってきた。
「またも美しい女性の来客です。ヘレナ国の使者ですので、まだ殺してはおりません。指示があり次第殺します」
口元を拭い、俺はベルーガを見据えた。
「どいつもこいつも予約なしで来やがって」
殺してはおりません。その言葉の意味は、相手に悪意があるということだ。
どうやら、新しい来客はベルーガの悪意フィルターに引っかかったらしい。
「メレル、すまない。先に面倒くさいほうを片付けてくる」
「私もイリアスの使者として同席しよう」
「なぜ?」
「面白そうだからだ!」
あっ、そう……。
許可しておいた。面白そうだから。




