3話 ドラゴンより虫。バリア魔法でどうにかなるなら怖くない
「ぎゃあああああああ」
腕くらいのサイズがある巨大芋虫が肩に落ちてきて、俺は人生でかつてないほど大声で叫んだ。
森に入る前に、おじいさんにドランゴンの森へ入るのかと尋ねられて、そうだと答えたのが数時間前のこと。
ドラゴンの森では声を出さずに進むようにと、親切心で再三言われたのだが、さっそく言いつけを破った。
だって無理!インドア派の魔法使いだったのに、森自体無理!その上規格外の芋虫出現で、叫ばずにはいられない。
「いやあああああああああ」
今度は目の前を巨大な羽虫が飛んでいった。
一度血を吸われたら、枯れるまで吸い尽くされちゃいそうなサイズだ。
「でやあああああああああ」
なんかでっかくて固い虫を踏んだ。岩かと思ったら虫!
もう嫌。泣いちゃう。
俺もう、限界かも。
追放って辛い。城に帰りたい。
「あっ、ドラゴン」
今度は大木の幹に爪を食い込ませて、こちらを伺う黄金色に輝く鱗を持ったドラゴンがいた。
なんだ、ドラゴンか。
虫じゃなくて良かった。
足元に気をつけながら、歩きにくい獣道を進んでいく。
正しい道も知らず、地図も買ってなかったことを途中で思い出して、自分のあまりに準備不足なことを、今さらながらに実感した。
ただでさえインドア派なのに、俺はなんて馬鹿なことを。
「我を無視とは、面白い人間だ」
なんだ?
野太い声が聞こえた。
見渡す限り巨大な木が生い茂るこの森で、なぜ人の声がした?
上か。
視線をあげてもう一度見てみるが、やはり人などいない。
「こっちだ」
声はドラゴンからのものだった。
驚いた。
たしか、昔に書物で読んだことがある気がする。
魔物の中でも上位種の限られたわずかな存在は、人の言語を操ると。
「お前、凄いドラゴンなのか」
改めて見ると、黄金に輝く鱗といい、体をめぐる魔力といい、ただならぬ雰囲気を感じた。
虫ばかりに意識を奪われ、今更な感想になってしまった。申し訳なく思う。
「今さらか。まずい人間の肉など食えたものじゃないが、お主は面白い。故にこの最強種であるバハムート自ら食らってやろう」
「いや、勘弁してくれ」
木の幹にしがみついていたバハムートが翼を広げた。
次の瞬間、木の幹を強く蹴ってこちらへと大口を開けて迫ってくる。
バキリと砕けて折れる大木が、視線の奥に見えた。
助走だけで大木の幹を折るとか、どんなパワーだ。
迫りくるドラゴンと俺の間にバリアを展開する。
『バリア――物理反射』
ガコンとけたたましい音と衝撃が生じた。
ドラゴンはバリアを突破できず、俺の前に展開されたバリアに跳ね返された。
後方へと吹き飛ばされていくドラゴンが、大木をなぎ倒しながらその勢いを徐々に減らしていく。
どんなパワーだよ。
その桁違いな存在にドン引きだ。
しかもバリアに顔から突っ込んできたので、物理反射のダメージが顔にもろに入っているだろう。いたそー、そんな感想を抱いた。
「何が起きた……?」
野太い声でドラゴンが訪ねてきた。
「バリアで撥ね返しただけだけど」
「撥ね返した?見えぬ壁があったのは確か。それを破れなかっただと!?この我が!?」
まあバリアだからね。
守りの魔法が破られちゃいかんでしょ。
こちらとて、これ一本しかないのだ。バリアが破られたら全てを失ったも同然。
ドラゴン程度には破れないよ。
「何かの間違いだ」
ドラゴンが起き上がって、今度は上空に飛び立った。
空からの急襲である。
角度の問題ではないんだよな。
あれだけ痛い目を見たのに、工夫のないやつだ。
バリアの向きを変えて、もう一度その凄まじいパワーをそのままお返ししてやった。
『バリア――物理反射』
またも顔からバリアに突っ込んできたドラゴンが撥ね返された。
しかも今度は上空から先ほどとは比べ物にならないスピードで突っ込んできたものだから、空高くまで撥ね返される。
「うわー、だいぶ行ったな」
バリアにぶつかった瞬間、首が仰け反っていたけど、大丈夫か?ドラゴンの首ってあんな角度に曲がるものなのか!?骨、いってない!?
空から白く鋭い物体が落ちてくる。
おそらくドラゴン牙。地面に刺さる様は、空から巨大な槍が降ってきたかのようである。
続いて黄金の鱗も何枚かパラパラと落ちてきた。
あんな勢いで突っ込んでくるから。綺麗な鱗がもったいない。
うろこに続いて空から落ちてきたドラゴンが、地面にぶつかる直前に翼を羽ばたかせて、綺麗に着地した。
あれだけの衝撃を受けて、まだ意識があるのか。
しかし、牙の折れた口からは血が滴っていた。
「なぜだ。なぜ人間ごときの魔法を突破できぬ」
「そういうものだからね。突破されるバリアって、バリアじゃないよね」
「なっ!?ただのバリア魔法だと!?なぜこれほどまでに固い。あんな初歩の魔法が、なぜこれほどまでに成熟しきっている」
「10年毎日バリア魔法だけ使って来たんだ。こうなっても不思議じゃないだろ」
これしかなかったからな。
コツコツ頑張ったんだよ。本当に。
地味に毎日バリアだけを張り続けた10年。この地味さが分かるか!?
「あり得ぬ。なんという才能。しかし、突破口がないはずはない!」
ドラゴンが再びその大きな口を開ける。口の周りに凄まじいエネルギーと眩い赤い光が収束する。
見つめるのがまぶしい。太陽を直接みる感覚に近いだろう。
何かくる。
『バリア――物理反射』
先にバリアを張っておいた。
相手の出方がわからない以上は、先にバリアを張っておくに越したことはない。
収束しきった光をドラゴンがパクリと口に含み、再度口を開くとそこから一直線に光線を吐き出した。
バリアとぶつかるまで、1秒もかからなかった。
見た目は光線だが、バリアとぶつかり合って辺りに赤いものが散っていく。
はじめは炎かと思っていたが、良く見るとそれはほとんどマグマに近い物質だった。なんちゅうものを吐き出してんだ、この生物は。
それにしても、ブレスが反射されない。
バリアが突破される気配はないのでこのままでもいいのだが、ドラゴンの生態を調べるいい機会だ。
『バリア――魔法反射』
バリアの性質を変えてみた。
他に使える魔法が一切ない俺だが、バリア魔法だけは変幻自在、器用に使いこなせてしまう。
性質を変化させたところ、ブレスが撥ね返される。
ブレスの横を搔い潜るように進んでいく反射ブレスがバハムートの体を捉えた。
「ぐああああ!」
辺りにドラゴンの叫び声が響く。
声というより、振動だ。辺りが揺れるような錯覚を感じさせる程のドラゴンの悲鳴。
なんだこいつ、ドラゴンにしてもちょっと規格外すぎないか!?
「人間ごときが……」
マグマに覆われて、ドラゴンが小さくなっていく。
溶かされているのだろうか?
案外脆いものなんだな、ドラゴンの最強種も。
「まっ、それだけ自身のパワーが凄まじいってことか」
俺に全力でぶつかってくるから。
何もしなければ、俺はただのバリア魔法使いだ。お互いに何もなくこの場をやり過ごせたはず。
「さて、ドラゴンが作ってくれた道を行くかな」
もう獣道は勘弁だ。
ドラゴンが大木をなぎ倒して、道を平坦にしてくれた方向へと向かおう。
どうせ道が分からないんだ。ならば、楽な道を行こう。
進んでいくと、撥ね返したドラゴンのブレスが辺りに散らばっていて、まだ燃え続けていた。
乾燥する時期でもないし、森に燃え広がることもないか。
ここら一帯の気温が上っている気がする。
改めてどんなものを吐き出してんだよ、バハムート。魔法ってより、災害に近いな。
視界の先に、ひときわ大量のマグマ溜まりを見つけた。
位置的に、反射ブレスがドラゴンを飲み込んだポイントだ。
遠くからだと臨場感がなかったけど、近くから見ると結構ぞっとする光景だった。
こんなものを大量に浴びていたのか。
そりゃドラゴンでも一溜りもないな。
「よっこらしょっ」
「はっ!?」
マグマの中から声が聞こえた。
少し固まってきたマグマを持ち上げて、ぽいっと傍に投げて、マグマの中から一人の少女が出来た。
金髪に同じだけまぶしい金色の瞳をした、かなりの美少女だ。少し大きめの口が、活発そうな印象を与える。そして、なんとその背中には黄金の翼が生えていた。更に更に、なんと裸である。
なんだこれ?
「おう、おぬし。さっきはようやってくれたな」
「えっ、誰?」
こんな美少女、知らないんだけど。
「我じゃよ、バハムート。久々に人間の姿になったけど、まあこんなもんかな?」
「バハムート!?さっきのでかいドラゴンか!?」
「そうじゃ。魔法で人間の姿になったわい」
凄い。そんな魔法もあるのか。
バリア魔法しか知らない俺にとっては、未知の世界だ。
しかし、普通に話している場合じゃない。
「とりあえず、服を着てくれないか?」
「そうか。人間はそういう生き物じゃったか。仕方あるまい」
少女が指を立てると、彼女の体に綺麗なドレスが現れた。どこかの令嬢だと言われても不思議ないくらいに、綺麗な容姿と佇まい、そして美しいドレスだ。
「ここ、森だぞ……流石に変だ」
「あまり多くを要求するでない」
それもそうか。けれど、こんな大森林をドレスで歩く令嬢なんていないよな。しかも翼まで生えているし。
「……まあ、いいか」
「そうじゃ、そうじゃ。お主どこへ行くのじゃ?興味が湧いたからついて行こうと思う」
「俺に?なんで?」
「そうじゃ。食えなかった人間は初めてじゃからのう。ドラゴンの森は食べ物がうまいが、流石に飽きた。しばらくは人間の世界を見て回っても良いと思って」
うーん、そう言われても。
俺自身がどこに向かっているのか分かっていないからな。
「方角、わかるか?」
「当たり前じゃ」
そうか。ならば、旅は道連れ、世は情けってね。
「来いよ。一緒に行こう。ちょうど一人で退屈してたんだ」
「そうか、なら先を行くがいい。わしは少し準備があるのでな」
「ん?」
なんだろうとは思ったけど、言う通りにしておいた。
先に歩き出すと、後ろから殺気を感じた。
首だけで振り返ると、すぐそこに大口を開けた少女の姿をしたバハムートがいた。
「もう遅い。油断しおって」
ギラリとその黄金の目が光る。がぶりと嚙みつかれた。
まさか、こいつまだあきらめてなかったのか!?
「う゛っ!!」
けどな、バリア魔法しか使えない俺に抜かりがあるはずもなく。
「悪いな。体にも見えないバリアを常時張ってるんだ。一応のためだったけど、はじめて役に立ったよ」
「こんのおおおおおお!!」
『バリア――物理反射』
ガコンと少女姿のバハムートが吹き飛ばされた。
小さな歯が折れて、宙に舞ったのが見えた。
吹き飛ばされて立ち上がったバハムートは少し涙目だった。
こちらを睨んでいる。
なんか、俺が悪いことをしたみたいだ。
「おい、行くぞ」
「……うぃ」
拗ねながらもついてきた。
一緒に旅をしたいと言いながら、本当は俺を食うつもりだったか。
今後も油断できないな。
後ろで涙目で前歯のかけたバハムートは、歯の生え変わる年頃の少女みたいで、少しだけ可愛らしかった。
バハムートの目の色を変更しました。1月30日