150話 そのバリア、永続じゃないよ
「すっかり爺になったのぉ。これじゃから人間はつまらん。すぐに死んで行ってしまう。お主ももう数日と持つまい」
「……その通りだな。まったく、楽しい、100年だった」
消え入りそうな声で、ベッドに寝ている老人が嬉しそうに言ってのけた。
「みんなは、いるのか? 声が聴きたい」
「耄碌したのぉ。耳も遠くなったか。全員ここにおるわい。うじうじと泣きおって。仕事をサボって詰め掛けておるわ、狭苦しい程にな」
シールドが眠る寝室に、所狭しに、帝国を築き上げて来た英傑たちが集う。
シールドと同じようにすっかり老いてしまった者。
全盛期と変わらない精悍な姿をした者。
フェイのように一切姿の変わらない少女のような特殊な者もいる。
そう、ミライエにはあれから更に多くの種族が集い、巨大な国家を築き上げ、繁栄の100年を過ごしたのだった。
歴史に『バリア魔法ありし100年』と記される程の異色の時代だった。
人々に今以上の時代はないと思わせるほどの大繁栄。
平和そのものがこの地にはあった。
ベッドの上では、その巨大な王国を築き上げたシールドが静かに横たわる。
人間は、老いには勝てない。
それは最強の座を手にしたシールドも同じだった。
「約束を覚えておるか?」
「ああ、ずっと、覚えているさ。……塩、振っとく?」
「つまらん冗談を言うな。丸呑みに決まっとるじゃろう」
「……いつも、ゆっくり、よく噛んで食べろと、うるさく言ってきたが……丸吞み、助かる」
「あほう。食べられるのに感謝するやつがあるか」
「ふっ……そうだな。もう少し、話していたい。これまで、たくさん話してきたのに、まだまだ、話したりないな」
「そういうものなのか。我にはわからん」
「そうだろうな。フェイ、お前には、随分と、迷惑をかけられた。けれど、楽しかった」
「バリア馬鹿め。楽しいならもっと生きろ」
「ふははっ、無茶を、言うな」
二人に涙はない。
いつも通り、変わらない、何十年もやり取りしてきた感じのまま、二人の会話は続く。
「お前と出会った、頃は、大変だった。国を追われ、路銀に困り、数日飯を我慢した。そんな日が続いた」
「あれは我のせいじゃない。物価が高すぎるのじゃ。今ほど楽に食料が手に入れば、あんなことにもならんかった」
「ははっ。それもそうだ。お前との、大げんかも、随分と大変だった。何度殺されかけたか、数え、きれない」
「結局全部に勝っておいて、それはないじゃろう」
「ははっ。こっちは、命がけだ。そりゃ、勝たなきゃな」
「硬すぎるんじゃ、お主のバリア魔法は。結局訳がわからんままじゃったな。まあ面倒だから、今後も調べないが」
「フェイらしくて、いいな」
「お前も大概じゃろう」
「そうだな。フェイ、今、国ええ感じやねん」
「誰のモノマネじゃ、それ」
「出来れば、この大国の統治は、お前に任せたい。力ある者が、治めれば、この繁栄は、まだ続くかもな」
「面倒じゃ。我がそんなことをするとでも?」
「ははっ。そうだな。柄じゃないな」
「お前とベルーガの孫に良いのがおる。オリヴィエとの息子に老獪なのもいるじゃろ。いや、メレルとの孫も強くて良い。ガブリエルとアメリアとの孫は、あれらは研究者に向いてるかもな」
「支えてやってくれ」
「全く。なんだかんだで子孫を多く作りおって。まあ、あやつじゃろうな。次の統治者に相応しいのは」
「ほう、気になるが、お前が認めた程の器だ、きっと這い上がってくるんだろうな」
「知らん。けれど、面白い輝きを持っておる。お主とはまた違った才能じゃな」
「楽しみだ。なんて、楽しい人生なんだ。出来れば、もう少しだけ……」
明らかに体力が落ち、今にもまた寝てしまいそうなシールドだったが、話したい欲が勝り、なんとか話題をひねり出そうとする。
「あれなんて、最高だったよな……」
しかし、ここで限界が来る。シールドはまた静かに眠った。
大陸一の名医と回復魔法使いが駆け寄り、診察する。
室内が騒然とし始めた。
「眠っただけです。しかし、やはりそう長くはないかと」
「良い。もう下がれ。後は近しい者だけで、このバリア馬鹿を送るとしよう」
死の概念など持ち合わせていないドラゴンのフェイだったが、数年前から人の考える死について、書物を読み漁っている。
理解できないままでは、何か後悔しそうだった気がしたからだ。
数千年生きるドラゴンにとって、一日の長さなどほんの一瞬なのだが、ここ数年はその一日一日が尊い。
時間が過ぎるのが、勿体ないような気さえしている。
思考が鈍るからと、酒も完全に絶った。
人とは何か、なぜ死ぬのか。死んだあとはどこにいくのか、答えの出ない問いを考える日々。
「アザゼル、お主もいずれは死ぬのか?」
寝室に共にいる側近、アザゼルに問いかけた。
英傑の中には、当然この男がいた。
シールドの右腕として、繁栄の100年を支え続けた男が。
「そうでしょうね。きっと私もいずれはいなくなります」
「……そうか。我は少し散歩をしてくる。バリア馬鹿のことは頼んだ。それとベルーガ、そろそろ泣くのをやめぬか。お主の体に障る」
「……はい。お気遣いいただきありがとうございます、フェイ様」
「良い。では行ってくる」
フェイはあてもなく歩いた。
なんとなく歩いた先には、巨大なビルがあった。
ここは魔道具研究所。
世界中の天才が集まる機関となっており、所長となったダイゴがここの責任者となっていた。
最上階まで上がったフェイは、そこで研究に没頭するダイゴを見つける。
今でも子供のように扱うが、ダイゴは立派な成人になっていた。
体つき成長し、顔つきも精悍である。少し痩せているのは、生活が不規則だからだろう。
「ダイゴ、数日寝ていないみたいじゃな」
「フェイ様!? あははは、どうも研究に熱中しっぱなしになっちゃって」
「現実逃避しているように見えるがのぉ」
「……そうかもしれません」
「バリア馬鹿がいなくなるだけのことじゃ。100年前、やつはおらんかった。少なくとも、我らは知らなかった」
「……そうですね。けれど、シールド様がいなくなることを考えると……耐え難い。僕は、あの方無しの世界を想像できない。……ダメかもしれない」
「馬鹿を言え。我らはまだまだ長く生きるんじゃぞ。しっかりせぬか」
「……はい」
「顔を出しに来ただけじゃ。ちゃんと寝るんじゃぞ。バリア馬鹿の最後に、寝坊なんてお主が一番後悔しそうなことじゃ」
「……お気遣いありがとうございます、フェイ様。では、僕は寝てきます。たしかに、強くならなくちゃ」
「それでよい」
研究所も出る。
フェイはまたあてもなく歩く。
大国となった世界の中心地ミライエで、フェイの存在を知らない者はいない。
街を歩くフェイはその美しさも相まって、その存在は非常に目立つ。
けれど、誰も気軽に声をかけようとはしなかった。
その表情に、悲しみが見えたからかもしれない。
――。
「逝ったか」
「はい……良かったのですか? 最後に立ち会わなくて。それに体も食さなくて」
「別に死んでからでも良いのじゃ。それに一秒でも長く話させないと、ベルーガたちがかわいそうじゃろう」
「フェイ様の配慮に感謝致します。では後日、シールド様のお身体をフェイ様に届けます」
「……ったく。別に今更もうよかったんじゃが、あやつの遺言じゃ。食べてやるとしよう」
そう、シールドが永遠の眠りにつく前、シールド本人から頼んできたのだ。
『フェイ、約束通りしっかりと俺のことを食べてくれ。土に還るよりも、焼かれて灰になるよりも、どうもお前の腹の中の方が安心できる気がする。でも塩はなしで頼む』
その言葉が、フェイが聞いた最後の言葉となった。
残りは、他の者に時間を分けてやりたかったので、席を外したのだ。
故に、本当の最後は見ていない。
別れはもう済ませたからと。
そして数日後、約束を守った黄金のドラゴンは、シールドを丸呑みにした。
約束通り、塩は振らずに。
「バリア」
シールドの唯一使えた魔法を展開する。
フェイがそのバリア魔法を見て、笑った。
小さな笑いから始まり、次第に大きく笑い始めた。腹を抑え、それは愉快で豪快に笑う。
「アザゼル、全力でこのバリア魔法を殴りつけろ。いいか? 全力じゃぞ」
「はっ」
命じられたアザゼルが、拳に魔力を貯めてバリア魔法を殴りつける
ガラスが割れるような音が響き、拳がバリア魔法を貫いた。いとも簡単に。まるでそこらにある初級魔法のバリア魔法と同じように。
割れてしまったバリア魔法は、そこで消え失せる。
「これは……?」
「ふははははははは。どうせ、こんなオチじゃろうと思っておったわ」
「ただのバリア魔法」
「その通りじゃ。どうやら、シールドのバリア魔法は我の能力でも引き継ぐことができないらしい。あのバリア魔法は、まさにシールドにしか使えぬ、神のような力じゃったのじゃ」
「……フェイ様はもしや、以前からこの展開を予想されていた?」
「当然じゃ。あやつの魔法はあまりに異質じゃったからな」
「ではどうして、最後までシールド様の元に? フェイ様は、シールド様のバリア魔法を引き継ぐために傍にいたのでは……」
「……アザゼル、ベルーガ、ダイゴ、魔族ども、エルフ共、死んでいった者ども、お主らと同じじゃ。ここが楽しかったからいただけじゃ。皆まで言わせるな」
「……楽しい100年でした。我々は、これからどこへ向かえばよいのでしょうか?」
「弱音を言うな。縋る相手がいなくなっただけじゃ。たった100年で腐った訳でもあるまい。シールドが残してくれものを、守る。それだけでも十分すぎるじゃろう」
「ええ、その通りですね。お供いたします。フェイ様」
「ったく、面倒じゃが、やはり我がやるほかあるまいよのぉ」
一つの時代が終わり。また新しい時代が始まる。
守護魔法使いシールド・レイアレス時代がここで幕を閉じる。
ミライエの空に涼しい、新しい風が吹き始める。
雲が流れ、人が行き交う。
その空にはもう、かつてあったバリア魔法は存在しない。
けれど、人々は逞しく生きていく。
新しい王と共に。
黄金のドラゴンによる統治が、これから始まろうとしていた。
本編これにて完結です!最後まで読んでくれた方、誠にありがとうございます!!感謝、感謝!!予定より伸びてしまいましたが、走り切れて良かったです。嬉しい報告も控えておりますので、また閑話や後日談の更新の際に、後書きにて報告します。定期更新はここまでになります。残りは不定期更新になります。ブクマ、ポイント評価入れてくれると嬉しいです。では、またこの作品の更新のとき、もしくは新作とかでお会いしましょう!!バーイ!!