138話 バリア魔法内はやばい
やばいやばいやばいやばい。
心の中がひたすら一つの考えで埋め尽くされる。
ここは、やばすぎる。
何で繁栄したかも理解せず、ただ平和を謳歌する愚民ども。
ミライエで見た民の質はそんなものだった。
取るに足らない相手。ある程度情報が集まり、期待していたものはなかった。そう報告に戻ろうとしたタイミングで、アレキサンダーの目の出品があった。
目を持ちかえれば、あの方が喜んでくれると。
あの方が成し遂げようとする大望の前に、この偽物の平和を享受している連中はなすすべもなく飲み込まれるものだと思っていた。
しかし、なんだこれは。
俺は完全に見誤っていた。
ここは緩みきって平和ボケした土地などではない。
怪物が住む場所だ。俺は踏み入ってはならないところに来てしまったのかもしれない。
事前に得ていた情報では、シールド・レイアレスにだけ気を付ければいいと聞いていた。
もしかしたらバハムート様もいるかもしれないから、いた場合は失礼のないようにとも。相手はドラゴンだ。下手をしたら命を落とすと警告を受けていたが、言われるまでもないこと。
ゲートを潜ってこちらに来るまでは容易かった。
まさか大陸間の移動が、ああも一瞬で可能になるとは。
この地の技術力は素晴らしい。
支配下に置けば、世界を統べるあの方にとって大きな意味を持つ地となる予定だった。
それも、これも、どうも予定通りにはいきそうにもありません!
逃げ切れない! 心の奥底で、どこかそう感じてしまっていた。
片腕を失って体力が落ちたのはある。幸いにも焼かれた傷口が止血の役割を担ってくれている。
気を失い様なほどの痛みが襲ってくるが、それでも体は動く。
城を飛び出した直後は、余裕で振り切れ、数日体を休めて、ベンカー大陸に戻れると思っていた。
「ちっ」
影から投げられてくるクナイ。
これはベンカー大陸で、アサシンたちが使う暗器。なぜこんなところで見る嵌めになるのか。
「私からは逃れられない。シールド様の命令だ、生け捕りにする」
体に寒気が走る。
クナイが飛んで来たので距離があったと思い込んでしまった。
黒い格好をした女は、今や隣にいて、耳元に言葉を投げかけて来た。
どういう仕掛けなのか、宙吊りなって体が逆さまだ。
「ああ゛っ!!」
驚愕ととっさの反応で、短剣を握り、女を刺した。
とった……!
ばたりと地面に落ちたそれは、人のサイズをした丸太だった。
「くそっ」
走り出す。
立ち止まっていると、命はない。
あのアサシンの女だけではない。
既に軍まで動き始めている。
情報が知られてから動き出すまでのスピードがあり得ないレベル。
この地は常に戦時中かというくらい軍が機能している。あまりに優秀すぎる。
まるで一個の生物のように、統率のとれた軍の動きが逃げ場を奪ってくる。
建物の上、地下でさえ行き場所がない。
入るときはああも容易だったというのに、出るときになると一向に出口が見つからない。
出口がない、無限とも錯覚させられる道のりだ。
「誘いこまれ……いや、そもそもこういう事態に対処できるからこその平時の緩みようなのか……?」
蟻地獄を想像してしまった。
一度入ったが最後、ここからは逃げ出せないのでは。
空を見上げると、広大なバリア魔法がこちらを見下しているように感じる。
余裕そうに。
「ちっ。絶対に逃げ切ってやる」
「どこへ?」
今度は進行方向の正面にアサシンの女がいた。
分身を刺したので当然無事だが、それにしても動きが速すぎる。
「どこまでもちょこまかと」
「大人しく捕まって黒幕を吐けば、それだけ寛大に扱ってあげるわ。シールド様は懐の深いお方だから」
「黙れ。お前らなどに屈せぬ」
「盗人風情が随分と大口を叩くのね。降伏しないのなら、こちらも本気で行くわ……ってなんであなたもいるのよ」
後ろから凄まじい殺気がした。
振り返ると、美しく輝く白い髪を風に揺らした美女が立っている。
美しい立ち姿は、歴史ある騎士家の出身を思わせる。それほどに彼女の立ち姿は整っていて、一つの完成形があった。
敵ながらあっぱれである。
水魔法で作られた剣の先が、自分に向けられていた。
「仕事が遅い。このくらいの雑魚とっとと引っ張って来なさい。シールド様をこれ以上待たせるものではないです」
剣を構える女を見て、俺は生きて帰れないことを悟った。
こいつには、絶対に勝てない。
腕が残っていたとしても、絶対に。万に一つも勝ち目がない。
アサシンの女は、自分と同類だ。
暗躍するタイプの敵には対処方法を心得ている。
幸運が重なれば、なんとかなると思っていた。
「ベールガ、あんたは見てなさい。これは私の手柄よ」
「手柄の問題ではありません。シールド様が待っているのですよ?」
「……それも、そうね」
このベールガが呼ばれた女がやばい。
一歩でも不用意に動けば、もう片方の腕が飛ぶ。
命は取られないと、なぜか不思議と分かる。相手はあくまで俺の情報を搾り取ることが目的らしい。
目を放すのが恐ろしい。
アサシンの女に、完全に背中を向けてしまっているのに、二人に注意を割く余裕がない。
……こいつは一体なんなんだ。ここの土地は本当にどうなっている。
どんな修羅場を潜れば、どれだけ鍛錬すればこれだけの逸材が生まれるんだ。
この領域はおかしい。こんなに遠いはずがない。
人が到達できるレベルではない。
「俺は……死ぬのか?」
「シールド様に祈りなさい」
次の瞬間、目の前が真っ暗になった。
何が起きたのかさえ、わからない。
次に目を覚ますと、先ほど会ったばかりのシールド・レイアレスが目の前にいた。
「おう。二日ぶりだな」
さっきぶりじゃない。二日も意識を失っていたらしい。
しくじった。
大事な時期に、とんでもない失態だ。
申し訳ありません、マナリンクス様。
――。
「アーノルドが戻らない?」
「はい。あの方に何かあるとは思えないのですが」
巨漢の男、マナリンクスは自室から外を見ながら、自身の側近であるアーノルドのことを考えた。
分厚い体に相応しい量の口ひげを撫でながら、出発前の杞憂を思い出す。
ここまでの計画は全て完璧だった。
マナリンクスに与えられた特別なギフトで、この腐ったベンカー大陸をはじめ、世界に変革を齎す計画。
計画途中に、突如ベンカー大陸内に起きた政変と呼べる出来事。
ハルア国のガンザズ伯爵が倒れ、新しくゲート領と名を変えた領地が現れた。同時に現れる大きなバリア魔法。
これから世界を変えようというマナリンクスの耳にも当然情報として入る。
マナリンクスは、あまり大きなこととして考えなかった。
ガンザズ伯爵は有名な悪徳領主として知られていた。それが勝手に倒れてくれたのなら良し。そのくらいにしか思っていなかったが、側近のアーノルドがこの件にとことん興味を示した。
あのガンザズ伯爵を打ち倒す人がいるなんて信じられない。
是非とも一度、領主となったシールド・レイアレスに会ってみたいと興奮気味に言っていたのを覚えている。
ゲート領のことを聞いていくうちに、マナリンクスは変な感覚を覚える。
やつらは何処からやってきた。ガンザズ伯爵を打ち破るほどの勢力がどこに隠れていられるのだと。
不思議と、昔から直感は良く当たる。
不気味で恐ろしい相手だ。直感でそう思った。
ゲート地方を探ると言い始めたアーノルドを、一度は止めた。
「俺がミスをするとでも? マナリンクス様のために、有益な情報を持ち帰りますって。なあに、すぐですよ」
実際、今までは全てアーノルドの言う通りだった。
持ち帰った情報の大きさが、ここまで計画を順調に進めさせた。
結局は今回もなんとかなるだろう。
最終的にそう考えて、送り出した。
それがミスだったと今はわかる。
アーノルドは無事ではない。最悪死んでいる可能性もあった。
だが、今更計画は止まらない。
アーノルドがやられたなら、余計に叶えなければならない。
同じ志を持ち、ここまで共に歩んでくれたアーノルドのためにも。
「アーノルドはもう戻ってこないだろう」
「……そんな。アーノルド様がやられたと!?」
「その通りだ」
敵は強大である。
しかし、そんなことは端から分かっていたことでもある。
世界を変えるのには、多大な犠牲が必要であることは覚悟していた。それが大事な部下であろうとも。
「アーノルドから情報が漏れたかもしれない。計画を早めるぞ」
「はっ」
少し不安そうな顔を見せ始める部下たちに、今一度夢の果てを聞かせてやる。
「魔法の時代を終わらせるときが来た。ワシのギフト『魔法を消し去る』能力で、この地に新しい時代を作る。古きドラゴンの時代の復権だ」