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(九)陰陽師登場

 しんと静まり返る室内。

 耳を澄ますと、奥の部屋からざわざわと声が聞こえる。

 隆家のお兄さん――伊周(これちか)さんだっけ。大丈夫なのかな?


 肘掛け――脇息というらしい――に片手をついてそっと立ち上がってみた。

 もう痛みはほとんどない。

 更にゆっくりと片足を前に出してつき、重心を移動してみる。

 そして更に一歩、また一歩と足を前に出し歩く。

 少しふらつくものの、問題ない。

 この前の医生が言っていた通り、骨に異常はなかったんだ。


 簀子縁というらしい広い縁側のような所に出て、改めて邸内を観察してみる。

 ここは初めてこの世界で目覚めた時に倒れていた場所と同じ建物。

 あの時はもう少し端の方だったかな。

 目の前には池のある庭園。右側を見ると、別の建物が見える。その奥にはまた別の建物。

 二条宮と呼ばれるここは、関白である隆家のお父さんが所有するお邸で、現在、伊周さんと隆家が左右の建物に分かれて住んでいるそうだ。

 中宮だというお姉さんも時々北側の建物に里帰りされるらしい。

 道をはさんだ西側の大きな邸宅には、ご両親と妹さん達が住んでいるとか。

 …………

 何と言うか……文字通り、色んな意味で世界が違う。

 そしてここに落ちて来た私は運がいいのか悪いのか――

 良くはない。そもそも事故に巻き込まれなければ北京旅行から帰国して、次の職探しをしている頃だ。

 いや、今ここで生きていられる事を思えば、やっぱり運がいい?

 でも、お父さんとお母さん、お兄ちゃんもきっと心配しているよね?

 今頃、テレビのワイドショーでは飛行機墜落事故の特集を連日報道しているのだろうか?

 私は行方不明者?

 

 その時、後ろから人が来る気配がして振り返ると、白い装束をまとい烏帽子を被った少し年配の男性がゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

 私は慌てて後ろに下がり、隆家にもらった扇を開いて顔を隠した。

 白装束の男は私に気付くと、足を止める。

「女房殿ですかな。内大臣様のお加減が悪いとか。寝殿でよろしいですかな?」

「あ、ええと……」

 戸惑っていると、

「陰陽師様ですね。お出迎えが間に合わず申し訳ありません。私がご案内します」

と、いつの間に現れたのか女房の一人が前に出た。

 陰陽師、と言えば一人しか知らない。

 SEIMEI.――安倍晴明?


 女房が陰陽師を建物の奥の部屋に案内するのに、私もついて行く。

 部屋と言っても壁や扉なんてものはなく、御簾という簾や、屏風や几帳という衝立のようなもので囲んでプライベートな空間を作っている。

 私の部屋もそうだ。

 しかし伊周さんの部屋には襖も扉もあって、その奥に和風の天蓋ベッド――なようなものがあった。

 その上で伊周さんが青白い顔で唸りながらのたうち回っている。

 隆家が陰陽師を見て睨んだ

「晴明! 遅かったではないか」

 晴明? 何とやっぱり安倍晴明。ビンゴだったんだ。

「御医師はどうしました?」

「それもまだだ。いつもの事だよ。本当は連れて行った方が早いくらいだが、兄上のこの状態では動かせない」

 安倍晴明はふうーとため息をついた。

「診断も出てないのに私に何せよと」

「こんなに痛がっているではないか。痛み止めの祈祷とか」

「こむらがえり」

 安倍晴明が一言呟いた。

「え」

「右足のふくらはぎが痙攣しているようですね。それとこの痛がられ方はこむらがえりではないですかね?」

 つまり、足がつっていると?

 伊周さんを見ると、片足の膝を抱えて苦しそうにしている。

「私は御医師ではないので経験値でしか言えないが、祈祷までしなくとも時間が経てば治まるものでは」

 そう言って、安倍晴明は円座という藁か何かでまるく編まれた敷物の上に腰を下ろした。

 へえ。何でもかんでも物の怪が憑いている――じゃないんだ。

 でも伊周さんは目に涙まで浮かべて本当に痛そうだ。

「あの、ちょっと失礼します……」

 私は御帳台に近寄って、伊周さんの右足を伸ばした。

「お前、何をするのだ?」

 隆家が私の肩を掴んだ。

「いいから。伊周さん、このまま踵を突き出したまま、両手でつま先をつかんでみてください」

 そう伝えながら伊周さんの両手をもり、つま先まで持っていく。

「隆家……さんは、ふくらはぎを優しく揉んであげて」

「え、私がか?」

「私がやります!」

 出雲さんが前に出てきた。

「出雲さんはお湯と蒸しタオルの準備をお願いします」

「蒸し……たおる?」

「あっ、えっと、お湯をつけて絞った手拭いでいいです」

「お湯と手拭いですね。かしこまりました!」

 出雲さんは立ち上がり、他の女房と共に出ていった。

 残された隆家は、

「揉めばいいのだな?」

と伊周さんのふくらはぎに恐る恐ると手を添える。

 すると、

「よい……」

と、伊周さんが隆家の手を掴んだ。

 そしてゆっくりと体を起こして座り直す。

「もう治った」

 そうひと言呟き、手鏡をとって身だしなみを確認する。

 烏帽子は外れ、束ねた髪の毛は乱れてしまっていた。

「兄上、大丈夫なのですか?」

「ああ、もう大丈夫だ。ゆり子、そなたは医術の心得があるのか?」

「えっ?」

 そんなものはない。

 自分の足がつった時に、スマホで「足がつった 治す」でググった事があるだけだった。

「たまたま対処法を聞いた事があって」

「宋で得た知識なのだな……。助かったよ、ありがとう」

 やつれた顔でにっこりと笑う。

「いえ。良くなって良かったです」


「治られたとの事なら帰っても良いですかな?」

 安倍晴明が立ちあがろうとすると、隆家が慌ててそれを制した。

「呼んだのは足の事ではなくて、病の気ががあられるからだ。昨夜から腹を下しているらしい。今疫病も流行っているので早目に対処して欲しいと思って……」

 そう言いながら廊下の方に目をむける。

 桶と手拭いを持った出雲さん達と一緒に誰かがやってきたようだ。

 入ってきたのは先日、典薬寮で私を診てくれたあの医生だ。

「遅くなりました。御医師は全員出払ってまして、取り急ぎ私、尚賢が参りました」

「尚賢はまだ医生ではないか」

「中納言殿。彼は今時の御医師よりよっぽど優秀だから心配は不要」

 安倍晴明がまた前に出た。

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