(七)女房とは
この時代に来て一週間ほど過ぎた頃。
久し振りに隆家が私の部屋までやってきた。
「おや、そうしていると姫らしいではないか」
開口一番に私の平安装束姿の感想を言う。
「さようでございますか。あの、その姫って皆に言われるのが、気になるのですが」
「お前は清家の姫君であろう」
「清家の姫君って……」
「清原氏と自分で名乗ったではないか」
ああ、そうか。納得。
昔は庶民には姓を与えられていなかった。そして私は姓名ともにあるのだから貴族だと思われたという事か。
とは言え、名前を聞いただけでそう鵜呑みにしてしまう隆家も出雲さんも大丈夫なの? 結果的に助かっているわけだけど。
でも、もしかして隆家の言う清家って、本当に私の遠い祖先だったりするのかな?
「脚の調子はどうだ?」
私の前にどかんと腰を下ろして訊いてきた。
「おかげさまで、痛みはかなりひいてきました。まだ元のようには歩けませんが」
と、ちょっと着物の裾をまくって、ふくらはぎを見せようとすると、隆家は真っ赤になった。
「なっ、何をするのだ」
初めて会った時と同じ反応だ。
「良くなったのを見ていただこうと思っただけですよ。ほら、痣は大分薄くなっているでしょう?」
そう告げると、隆家は顔の前から袖を下ろし、私の脚を眺めた。
「た、確かに。綺麗になったな。も、もうしまいなさい」
確認してすぐに目を逸らした。
若い子から熟女まで奥さんがたくさんいるわりに、ふくらはぎ位で純情だな。
私は言われた通りに、裾を下ろして脚を隠した。
「私の傷の具合を確かめに来られたのですか?」
「それもあるが、これを渡しておこうと思って」
隆家は長い棒のような物を私に渡してきた。
大きい扇子? いや、扇だ、これ。
開いてみると、一面にしだれ桜の絵が描かれている。
「これを私に?」
「後ほど兄上が来る。宋では違ったのかも知れないが、貴族の姫君は、こんな風に顔を人前でさらしたりしないのだぞ。兄上の前では隠しなさい。女房ではないのだから」
平安時代の女性は人前で顔を出さない。
それ位、私も知っていたのに忘れていた。
「その女房の方々はいいのですか? あ、もしかして既婚者だから?」
「既婚者? 独身の者もいるぞ。女房達も他人の前ではあまり顔を晒したりしないが、ここの女房は兄上の女房でもあるのだから……」
?
隆家が何を言っているのか、理解できない。
奥さんなのに、独身?
兄上の女房でもある?
「ええと、日本語の確認をお願いします。女房って、奥様の事ではないのですか?」
「奥様?」
え? 通じない?
「ええと、他の言い方では嫁とか妻とかお方様とか……?」
隆家は私の顔をじーっと見た後、急に吹き出した。
「お前、まさか、女房が全員私の妻だと思ったのか?」
「そう思ってましたが、何か違うと感じて質問したんですよ!」
「ははははは。これは笑えるな。残念ながら、私には今は北の方はいないよ。ああ、北の方というのは正妻の事だ。女房とはな、上級の侍女の事を言うのだ」
涙を流して笑いながら、隆家は説明してくれた。
「そうだったんですか! てっきり、隆家は若いのに世継ぎの心配をされてるのかと思っちゃった。あっ、すみません。隆家様、でした」
隆家は袖で涙を拭きとり、少し落ち着いてから私を見た。
「隆家でいいぞ。それに、その話し方はなんだ。会ったばかりの時は、もっと気楽に話していただろう」
「それはそちらがお后様の弟様だなんて知らなかったから」
「姉上がどうとか関係ない。急に話し方を変えられると気持ちが悪いから戻せ」
「気持ちが悪い? ひどっ!」
思わず、ため口で返してしまうと、隆家はにっと笑った。
「それでいい。但し、兄上とか他の人の前では普通に」
普通ってどっちよ――と返そうとしたら、廊下の方から声がした。
「内大臣様がこちらに」
隆家は私に渡した扇を広げて、私の手に再び持たせた。
「顔隠して」
「はい」
言われた通りに、顔の前に扇をかざす。
あ、何か、いい匂い――
かすかな衣擦れの音と共に、その人はやって来た。