(六)一夫多妻にも程がある
ここに来て初めての夜。
隆家は宿直だからと、出かけて行った。
出雲さんが若い女性二人を呼んで、私の着替えを手伝うように頼んでくれた。
ワンピースから白い肌襦袢のような単と言う着物に着替えた後、アップにしていた髪を解かれ、丁寧に櫛をかけてくれる。
最後に褥という寝床を整えてくれてから、二人は静かに去って行った。
――やっと一人になれたわ。
足を引きずりながら、部屋を出て縁側のようなところに腰をかける。
広い手入れされた日本庭園。
少しだけひんやりとした風が頬に当たる。月明かりで開花した桜の木が見える。季節は春か。元の世界と同じ――
元の世界。
タイムスリップ。
自分に起きた事を整理してみる。
信じられないことが起こった、のよね?
紛れもなく、ここは違う世界。
古代日本。京は都――平安京。寝殿造の貴族の邸。
飛行機が真っ逆さまに落ちていくあの瞬間、地上に落ちることなく、私はこの時代まで飛ばされたのだろうか? 時空の切れ目か何かができたとか?
――異世界転生はライトノベルの世界だけの話だけど、タイムスリップに関してはアインシュタインが理論的に可能だと相対性理論で言っていたんだ。
そう私に語ったのは、九条先輩だ。
ああ、思い出したくもない人の事思い出しちゃった。
とにかく、あのままだと確実に死んでいたはずの私が、私のまま今ここで生きているのは事実。
この事態に感謝するべき? 死んでしまうよりは、ましなのか?
――で、今は一体何年なのだろう?
平安京遷都が七九四年で鎌倉幕府が一一九二年に開かれたのだから、約四〇〇年間が平安時代――
一時新撰組にハマった時期があって幕末だけは詳しいのだけど、平安時代はさっぱり分からない。
年号は「八九四に戻した遣唐使」の菅原道真と「一〇八六白河の院政」の白河上皇位しか覚えてないんだけど。
中国の事、唐ではなく宋って言っていたから、菅原道真の時代よりは後。となると平安中期から後期までの間?
他に平安と言えば、藤原道長と紫式部と清少納言――
そうだ、清少納言。彼女は今生きていると。でも、それが何年位なのかは分からない――
翌朝、水が入った器を持ってきてくれた出雲さんに、
「今は何年なのですか?」
と聞いてみた。
「長徳元年ですわ」
「長徳……。西暦では?」
「せいれき……」
「あ、何でもないです。ところで、この水はどうするのですか?」
出雲さんは少し笑顔を固まらせて、
「洗顔用のお水ですわ」
と教えてくれた。
ああ、そうか。水道なんてない時代だ。洗面所もないんだ。
「あと、こちらに着替えを置いておきます。後ほど他の女房が来ますので、彼女に手伝ってもらってください」
と、綺麗な着物を私の前に置く。
「他の女房――の方がいらっしゃるのですか?」
もしかして、一夫多妻制?
「ええ、もちろん。たくさんおりますわ」
「たくさんって、どの位?」
「私も把握しきれていませんが、たくさんですわ」
「そんなに?」
「ええ、ほら、ちょうど隆家様が寝殿に渡られるのが見えますわ。後ろについているのは女房達ですよ」
出雲さんの目線を追うと、渡り廊下のような所を隆家が歩いているのが見える。そして、その後ろに十数名の、出雲さんと同じような格好をした女性が並んで歩いていた。
下は十代から四十代位の女性たちと見た。いくら何でも多すぎない?
女房の一人という、大夫の君という昨夜も来てくれた女性が来て、また着替えを手伝ってくれた。
白い着物の上に袴を履いて、羽織のような朱色の上着を羽織って終わりだった。
神社の巫女さんのような格好だ。十二単ではないのか。ちょっと残念。
更に、大夫の君は白粉を手にして、私の顔に塗ろうとした。
「あっ、それは、私いいわ」
「えっ」
「ええと、その、肌が弱いから」
「さようでございますか。では眉と紅だけ」
うーん。化粧位自分でやりたいけど、今日のところはやってもらおう。
「後でまた他の者が足の薬草の交換に来ますので、お待ちくださいね」
「もしかして、他の女房の方?」
「いえ、侍女ですわ」
侍女――
主人の隆家だけでなく、私までお世話してくれる程たくさん奥さんがいるのに、更に侍女がいるのか。
食事は一日二回、間食一回。
時々、時刻を知らせる太鼓が鳴るので、それを元に規則正しく生活を送る。
お風呂なんてものはなく、数日に一回、沐浴をするらしい。
トイレは――厠があった。水洗ではないけれど、贅沢言ってられない。厠もない家もあるらしいから、その点だけでも貴族の家に落とされて良かったと思う。
隆家は毎朝早くに仕事に出て、帰ってくるのは昼過ぎの日もあれば、夕方だったり、翌日だったり、いろいろだった。
結構忙しそうで、しばらくは私の前に姿を見せることもなかった。