(一)旅立ちの時
飛行機が滑走路をゆっくりと滑り出した。
いよいよ旅立ちだ。
私はゴクリと唾を飲み込む。
シートベルトを装着し、手を合わせて目を瞑った。
飛行機は轟音と共にだんだんと速度を増していく。
突然、体がふわりと浮く――機体が地面から離れたのだ。
「ママ、ひこうき、もうとんだ?」
「とんでるんだよー、すごいねー」
後ろから親子の無邪気な会話が聞こえてきた。
ポーンっとアナウンスの音が鳴り、シートベルト着用ランプが消灯になる。
私はほっと息をついた。
何度乗っても飛行機は苦手で慣れない。
――成田発 北京行 JNA107便――
私はわずか一年勤めた会社を退職し、中国北京へと向かう飛行機に飛び乗った。
***
退職したのは半ば衝動的だった。
入社して初めの一月は楽しかった。
新入社員研修の間、同期とは学生のノリの延長ではしゃいだりしながら、将来の夢を語り合ったりした。
配属先が決まりバラバラになっても励まし合い、支え合えるいい仲間にめぐまれたと思った。
数ヶ月後、九条先輩が手がけるプロジェクトチームに入れてもらい、目標値を達成した私は、新入社員の中で唯一社内表彰された。
その辺りから、周囲の雲行きが変わっていった。
同期会に呼ばれなくなった。
可愛がってくれていた、とある女の先輩は、突然私を無視するようになる。そして、平凡な同期の子を私の前でわざとベタ褒めしたりする。
他にも「なぜあの子が?」など聞こえるように言ってくる人もいた。
理由は何となく分かっていた。
私が九条先輩と付き合っていたからだ。
四面楚歌でも良かった。
九条先輩が私を理解し、いつもそばにいてくれたから。
それに、これから実績を積み重ねて私の実力を証明すればいい。
しかし、ある日突然、九条先輩に別れを告げられる。
入社して八ヶ月を過ぎた頃だった。
そして、九条先輩の新しいプロジェクトのメンバーには私ではなく、同期の加奈子が選ばれた。
九条先輩は加奈子とも付き合っている事を知るのはそのすぐ後だった――
その三ヶ月後――会社の商品が転売されているという横領事件が発覚した。
九条先輩の仕業だと気付いたが、何故か私が全て一人で企んだ事になっていて――それが九条先輩の証言だと知った時――私の中で何かが弾けた。
部長に退職届を叩きつけて会社を去った。
――社内掲示板に内部告発の記事を投稿してから。
***
「お飲み物はいかがですか?」
キャビンアテンダントの女性に声をかけられ、ビールを一杯もらう。
北京空港までは四時間十五分。
***
急にガクンと体が落ちる感覚に飛び起きた。
いつの間にか寝てしまっていた。
「機長の山田です。この先悪天候が続くため機体が大きく揺れる事が予想されます。シートベルトを着用し、座席から離れないようお願いします」
私は慌ててシートベルトを締める。
悪天候――?
羽田を出た時には快晴だったのに――
「きゃああああ、あれ見て!」
誰かが窓の外を指差す。
黒い大きな渦――竜巻だ!
もの凄い勢いでこちらに向かって来る!
何も考える暇がなかった。
一瞬でこの飛行機毎飲み込まれてしまったのだ――