勇者
突如始まった名も知らぬ少年との喧嘩。
先に動いたのは、俺をはずれ子呼ばわりしたガキンチョの方だった。
幼い雄叫びを上げて走りながら、こちらに向かって突き出された拳。突出したものないそれは、俺が少し身を捩ることで空を切る。
躱されるとは思っていなかったのだろう。
拳に振り回され大きくよろけながらも、めげずに吠えながら向かってくる少年。
同年代なら十分届くだろうが、生憎俺は他とは少し違ういんちき人間。流石に反撃する気は無いが、不意打ちされたこともあり、お情けで喰らってやる気はまったくなかった。
「てりゃ、おりゃあ! このぉ!!」
紙一重ですらないことに気づいていないだろう。けれど当たらずとも構わないと、少年は無我夢中で俺を狙い続ける。
元気で結構。その心の若さに少し憧れてしまう。
適当にいなしていると、案の定すぐに鈍くなってくる動き。やはり子供だなと内心思いながらも顔には出さず、この際へばるまで付き合ってやろうと避け続けた。
「……はあっ、はあっ、はあっ」
「終わりか? ならとっととそいつを連れて帰れ、ガキンチョ」
「く、っそぉー!!」
膝に手を置き息を整える少年に一声掛けると、少年は更に怒りを露わにした。
激情のまま突っ込んでくる少年。
これ以上は時間の無駄。頑張っているこいつには悪いが、足でも引っかけて終わりにしてやるか。
一歩だけ横にずれ、少年が通り過ぎると同時に足を出す。
止まることをしらない少年は見事に引っかかり、勢いのまま地面に叩き付けられた。
「……く、くそぉ」
「まだやるか?」
「……ふんっ!」
俺は終わりだろうと手を差し出すが、少年はその手を弾いて立ち上がる。
泣きべそを掻きながらもこちらを睨むのを辞めはせず。
……いい闘志だ。俺が本当にガキだった頃なら、泣き言一つで退散していただろうよ。
子供らしい気持ちの熱に感心しながら、最後まで付き合ってやろうと構える。
少年もまだまだやる気十分。
一瞬だが交わる視線。少年が再度手を握り、こちらに手を出そうとした──。
「やめて! けんかはやめてよぉ!」
直後。先ほどまで泣いていたルアリナが、男の喧嘩を遮った。
割り込むように俺たちの間に入り込むルアリナ。さっきの俺みたいにたじろぐ少年を確認し、俺も構えを解く。
……残念だ。久しぶりにちょっと楽しくなってきたところだったんだがな。
「なんでけんかするのぉ……。やめてよぉ……」
「だってあいつがるありなをなかせてたから! なにかされたんじゃないからって……ちがうの?」
「されてないよぉ……」
ルアリナに責められる少年にちょっと申し訳ない気持ちになる。
……まあ、俺が泣かせたことには変わりないからな。端から見たら俺がいじめていると思うだろうし、こいつの友達ならいい気持ちは湧かないだろう。
いきなり手を出してきたのはどうとも言えない。けどまあ子供ってそんなもんだろうし、むしろその度胸は褒めてやれる点だ。
服に付いた土と草を払いながら、二人の側に歩いていく。
少年は少し腑に落ちない目をしてくるも、隣のルアリナを一度見た後に頭を下げてきた。
「ごめん。るありなをいじめてるんだとおもってさ」
「気にすんな。泣かせたことには変わりはないしな」
少年に手を差し出すと、今度は払うことなく握ってくる。
素直に謝れるなんて子供ながらよくできた奴だと、俺の中での少年の評価をまたちょっと上げながら、少年に名を聞いた。
「おれはあるとら! みんなからはあるとってよばれてるぜ! よろしくな!」
「あるとくんはせんしゅうくらいからあそんでるんだー」
すっごくあしがはやいんだよー、と楽しそうに語るルアリナ。けれど今の俺にとって、重要なのはそんなことではなかった。
「……なあアルトラ。ナーリアって聞いたことあるか?」
「おう! なまえのうしろになーりあってつくぞ! いったらかあさんおこるけどな!」
脳裏を貫いた疑問に対し、予想通りに答えを元気に返してくるアルトラ。
俺は思わず頭を抱えそうになる。
何せその名前は、こんな所で聞いていい名前ではないのだから。
アルトラ・ナーリア。その名は未来において、多くの者が知るであろう一人。
偉業を為した英雄に与えられる“勇者”の称号。俺が死んだ年において五人しか持たないその栄誉を持つ、まごう事なき英雄の名だ。
俺が死ぬ三年前に憤怒の厄災と相打った英傑。聖騎士よりも格が高いであろう本物の英雄が、まさかこの村にいるとは思わなかった。
……まあ、今回とは違う意味で友達少なかったからな。
そもそも朧気なことが多いのもあって覚えてるわけもないし、前もこの村にいたんだろう。
それにしても、未来の英雄二人が同じ村にいるとかどんな偶然だろうな。
もしかして、村が滅んだのは必然だったりするのか。 そこに人がいたからではなく、そこに誰かがいたから燃やされたのか。
「おーいきいてるかー?」
「…何か言ったか?」
「きいてろよー。なまえだよ、なまえ。こっちもなのったんだからおしえろよー」
さっきまでの敵意は何処に捨ててきたのか。
掌を返すように態度を変えたアルトラは、目を輝かせて話しかけてくる。
「ギルダだ。よろしくな」
「おう! よろしくな!」
実に爽やか。空に浮かぶ太陽のような笑みに、思わず毒気を抜かれてしまう。
これが聖女すら堕としたという太陽の勇者の微笑み。成程、確かに絶望の渦中でも希望を抱けそうな輝きだ。
「それにしてもおまえつよいんだなー! いっぱつもあたらなかったぜ!」
「ぎるだくんはけんのおけいこしてるんだよー! ぎるだくんのおとうさんみたいに!」
ルアリナはえっへんと胸を張り、自分のことでもないくせに実に誇らしげに自慢してくる。
別に父を真似ているわけでもない。
けれど事情も糞もない普通の子供には、あの人を追っているように見えるのだろうか。
……皮肉なもんだ。子供らしくあれたあの頃は、そんなことを言われたことすらなかったのにな。
「なあおれにもおしえてくれよ! おれもつよくなりたい!」
「……やだよ。こいつ連れて他の奴と遊んでろよ」
「えーいいじゃんかよー! おしえてくれよー!」
嫌な気持ちを全開にして手を払うも、どうやら欠片も伝わってないらしい。
これじゃあルアリナと一緒。……いや、より面倒な事態には転がっているじゃないか。
見ろ。この一幕で止まっていたルアリナまで目を輝かせてしまっている。
この年で数の利を理解しているとはなんて聡い奴ら。その図太さとめげなさは、確かに英雄の器で間違いないだろう。
「やーだよ。そいつ連れて普通に遊んでろ」
──ま、断るんだけどな。一人でも二人でも面倒いのに変わりないし。
にべもない態度でばっさり話を打ち切り、不満を漏らす二人を放置して木刀を手に取る。
さて、ちょっと煩い休憩だったが、それでも体力は戻ってきた。
今日はあと一セット。とっとと今日のノルマを熟さなければと、再び集中力を高めていく。
そうだ、俺には時間がない。才能のない俺は、こんな風に子供と遊んでいい暇はない。
己の未熟を恥じなければ。やるべきことを見据え、ただひたすらに鍛えなければ。
少しの間目を閉じて、心を入れ替え素振りを再開する。
邪魔な焦燥と雑音を断ち切るように、未来の自分と重なるよう木刀を奔らせた。