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真面目な人間  作者: 市田気鈴
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真面目に生きようとした男の話

真面目に頑張っても空回ったり、上手くいかない人は多いと思うのです。

 僕は初めて江口くんに会った時のことを実はほとんど覚えていない。小学校の入学式に出席番号が近かったが、どんな会話をしたのか、どっちが先に話しかけたのか、それとも誰かと話していた時に後から加わったのか、その辺りも覚えていないのだ。ただ席が近いことで、一緒の班になったり話す機会が多かったのですぐに仲良くなった。

 僕から見て江口くんはいい友達だった。頭が良くて勉強を教えてくれるし、忘れ物したら貸してくれた。それだけならありふれた関係性だが、彼は人格的にも尊敬できる相手であった。僕はいじめられていた訳では無いのだが、周りから遠慮の無い態度を取られていた。俗に言われるいじられキャラ(無理に乗っていた僕にも非があるのだが)となっていた僕に対して、丁寧に尊重した態度で接してくれる。あれが素なのかわざとなのかは知らないが、わざとだとしても自然に見える彼は見事としか言いようがない。

 僕の方はあまり明るい学生時代とは言えなかった。常に周りを気にして、変に思われないように合わせることも少なくなかったし、面倒とは思いつつも親や教師から悪く思われないように勉強を頑張った。もっとも勉強は大人になっても苦手であったのだが。

 それでも江口くんがいてくれたおかげで、僕の小学生生活はそれなりに充実していたと思う。彼は子供の僕から見ても、人間として真面目であった。

 中学生になってからもその付き合いは変わらなかった。敢えて変化したところを挙げるとしたら…僕が少しずつ江口くんの才能に直面化させられたことだろう。勉強ができるのはもちろんのこと、所属していた卓球部でも彼の才能は輝いていた。所属していた3年間のうち2回も夏に全国大会に行っていたのは努力と才能の賜物だろう。そして本人がそれを鼻にかけていないのが、一層輝かしく見えた。僕は何度もその凄さに感動すると同時に、同じくらい羨望と妬ましさを抱いていた。

 そして高校時代、僕にとって環境が大きく変わった時であった。父が亡くなったのだ。驚いたことは否定できない。なにせ父は非常にエネルギーに溢れており、活動的な人物であった。そんな男が急に心臓発作で亡くなるとは、つくづく人生とは予測できないことと思い知らされる。

 父が亡くなって最も難しい状況に立たされたのは、兄弟の中で間違いなく僕だろう。兄は大学2年生で奨学金とアルバイトで勉強をつづけている状態、妹はまだ中学生でしかも高校受験を控えていた。親戚からの援助は受けられたが、母の稼ぎだけでは僕を進学させることは不可能と言われ、僕は大学への進学を諦めた。大学に進学して教員になるための勉強をしたかったが、それは父の死により頓挫せざるを得なかった。

 父が死んだことは当然クラスに伝わったが、僕の心の内は誰にも話さなかった。僕には才能が無い、決して優秀ではない、そんなことは自分でも理解している。しかし真面目に生きてきた。大人からは悪印象を与えないように常に気を使い、同い年の友人にはノリの悪い詰まらない男と思われないように必死に合わせてきた。それなのに自分だけが苦難にさらされている。兄妹ではなく、友達ではなく、この僕がだ。僕がいったい何をした。他の奴らのように適当にやっていたわけでもないし、斜に構えて調子に乗っているわけでもないのに…。当時の僕の心は大きな義憤と不満に、それなりの嫉妬、ほんの少しの傲慢が混ぜられてぐちゃぐちゃの感情に支配されていた。こんな想いがあったのだから、親友の江口くんに対しても穏やかではなかった。

 それでも僕は理性的に過ごした。皆が見ている真面目で周りに合わせる岡田という存在を変えなかった。自分よりも過酷で苦しい立場に置かれている人はたくさんいるのだから、というあまりにも弱い言葉を必死に自分に言い聞かせながら…。

 僕はこのヘドロのようにしつこく重い感情を受験勉強にぶつけた。父がいなくなった今、家計を助けられてなおかつ安定と保険が約束されているのは公務員だと考えたからだ。僕は県の公務員を目指して勉強をした。幸い、周りも大学受験の勉強で忙しかったため、それに合わせるのは苦では無かったし、なによりも感情を発散させる手段として勉強は役立ってくれた。この時は江口くんと一緒によく勉強していた。勉強する内容が違うのにも関わらず、彼は困った時に丁寧に教えてくれた。こんなこともあるから、僕は彼を憎み切ることができないのだ。

 公務員の試験は落ちてしまった。実を言うとあまりショックでは無かった。それどころか少し安堵すらしてしまった。元々目指していたわけでは無かったのもあるが、これで僕は少なくとも1年は社会や親への責任から逃れることができたと思ったからだ。思い返せばなかなか無責任だし、当時の自分ですらそう思ったことに罪悪感を抱いたものだ。

 江口くんが合格したことにも嫉妬の感情は生まれなかった。むしろ僕は彼と少し距離を取るべきなのかもしれないと考えた。あれほど真面目で好感触な男を、このままでは嫌ってしまいそうだったから。

 翌年、公務員試験に合格した僕は晴れて公務員となった。理由をつけて4月から行けるようにすればいいものを、家族や周りを気にして中途採用として年度途中から働き始めた。あの頃は無我夢中であった。分からないことだらけで環境に慣れることに必死だし、仕事に対してやりがいも感じられない。高校のクラスメートの多くが大学生活を満喫していることも頭をちらついて仕方なかった。たまに江口くんから連絡が来るものの、それすらも余裕を持った返信は出来なかった。僕が勝手に打ちのめされているのだと理解していても、苦しかった。

 そして月日は流れて公務員になってから5年ほど経ったある日、今度は母が亡くなった。その前年から体調が悪く入院の繰り返しであったから、父ほどの衝撃は無かった。実を言うと少しほっとした気持ちもあった。入院していた頃の母の看病を多く引き受けていたのは僕であった。兄、妹共に県外(といってもすぐ隣だが)にいたため、3兄弟の仲ではまたしても僕が貧乏くじを引かされていた。仕事にようやく慣れてきた矢先に、この扱いは不本意であったと言わざるを得ない。死ぬ少し前に母は僕に対して感謝といつも過酷な状況に置いてきたことへの謝罪を述べたが、あまり身に入らなかった。そんなことを言うくらいなら僕を大学に行かせてくれよ、看病を他の人にお願いしてくれよ、そんな本音を飲み込んで僕は母に「気にしないでよ」と口にしたのだ。

 それから数年後、僕は公務員を辞めて、ある福祉事業団で介護の仕事をしていた。公務員を辞めたのは母が死んだことと、この職を続けることが単純に苦痛になっていたからだ。しかし辞めたところで介護の仕事も成り行きでなんとなくやっているだけに過ぎなかったが。

 その頃、江口くんが結婚したという噂を聞いた。招待状は来なかった。母が死んで家を取っ払い、さらに携帯電話の番号を数年前から変更していたのだから連絡を取る手段も無いのは当然だろう。この長い年月、心が荒みっぱなしだった自分としては学生時代の友人と連絡を絶っていたのだから、今さら連絡を取るのも不自然だし…そう思った瞬間、僕は自分の部屋で泣き崩れていた。

 僕は…僕は真面目に生きてきた、いや生きようと努力してきた。周りから健全で好印象を持たれつつ尊敬を受けたかった。いやそこまでいかなくても、もっと人並みの幸せが欲しかった。そんな考えを抱き、誰にもそれを悟られずに生きてきた。しかし現実はそれをことごとく邪魔してくる。父が死んだ時から、僕にとって幸せと呼べるものはことごとく潰れていった。どうして…どうして江口くんは僕が羨むような人生を送れるのだろうか。こんなことを考えるほど、彼への尊敬と嫉妬が僕を支配し、そんな自分を嫌悪し、頭がおかしくなりそうになった。父が死んだ時に勝るとも劣らない感情の混乱であった。

 それから10年後、僕は東京に住む妹を尋ねに行った。テレビマンとして働いている彼女は激務であったが、すでに僕よりもはるかに成功した地位を手に入れていた。洒落たレストランで待ち合わせしていたのだが、驚いたことに兄もそこに来た。どうやら元々は兄が計画していたのだが、自分から誘うと僕が来ないと思ったらしい。かなり久しぶりに兄妹と再会した。最初はただの近況報告と談笑であったが、デザートが出る頃に2人は僕に謝罪した。2人はこれまで僕ばかりが辛い境遇にあったことを、内心穏やかに思っていなかったらしい。しかし自分本位であった彼らはそれに目をつぶり、今日まで生きてきた。

 あまりにも唐突のことで僕は驚いたし、どんな反応をするのが正解なのかも分からなかった。ただ少し気持ちに余裕ができたことは事実であった。僕だって自分本位なのは間違いなかったからだ。

 僕はデザートを食べると早々に2人と別れた。別にイヤだったわけじゃないが、少し距離を置いてひとりで考える時間が欲しかったのだ。長年の荒んだ感情は理解できる謝罪に直面すると、思いのほか整理されていくものであった。

 足早に当てもなく歩いていく。暑い夜と食事の際に飲んだアルコールが自分の考えをなかなかまとめない状態にさせる。こんな時、かつての羨んだ親友ならどうするだろうか。なぜ彼を思い浮かべたのかは自分でも分からなかったが、それがすぐに運命的なものを感じさせた。

 僕は近くのビアガーデンに寄って、涼んでからホテルに戻ろうと思った。だから店員がお好きな席にどうぞと言った際に、ひとりの男が偶然店員に注文するために振り返っていた。その顔は20年以上会っておらず老け込んでいたが、僕が何度も羨望した親友であることは間違いなかった。僕はゆっくりとその男の元へと足を運ぶ。


「すいません、ここの席良いですか?」


 この一言を断られず、そして親友が驚きながらも泣いて迎えてくれたことで、僕は人生を見直す機会を得られたのだ。


真面目に努力する人が報われる瞬間は来て欲しいと思ってしまいます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >そして親友が驚きながらも泣いて迎えてくれたことで 不覚にもうるっときました。 素敵な短編ありがとうございました!
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