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真面目な人間  作者: 市田気鈴
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真面目に生きた男の話

2話で終わる短いお話です。ちょっと練習がてら書いた作品です。

 夏の夜は湿気と合わさって特有のべたつく熱気に包まれていた。私はたったひとり、ビアガーデンでビールを煽っていた。外気とは一線を画す冷たさが口に、喉に、体内に広がっていく。

 この暑さでビアガーデンは繁盛しており、私のようにひとりでいる人間は見当たらなかった。それで良い。共に笑える存在がいるのなら、それに越したことは無いのだ。

 私にそうした存在がいないわけではない。ただ今日はひとりで飲みたい気分であったのだ。

 今日、私の下に中学の同窓会の案内が来た。懐かしさに胸が揺さぶられたが、同時に夕暮れ時のような虚しさを抱いたのであった。彼は真面目であった。友である私から見てもそうだと思う。

 彼の名は岡田誠二。至って普通の名前に込められた誠実さが、彼には間違いなくあった。名付けた人の祈りは届いたわけだ。これが悪いと思わないが、彼にとっては気の毒なことだった。

 私が彼と知り合ったのは小学生の頃だ。私の誕生日は彼とたったの一週違うだけだったので、席が近かったのだ。席が近ければ自然と話もする。そこから友情が育まれることは自然なことだろう。

普通の小学校で、私もありふれた学生のひとりであった。…まあ、他よりはちょっと恵まれていたかもしれない。学校で注文する習字道具とか裁縫道具は新しくて自分の欲しいものを買ってもらえたし、スポーツクラブも好きにやらせてもらった。岡田も同じであった。兄と妹がいることで、私よりかは経済的な余裕はなかったが、貧乏というわけではない。

 私にとって岡田は気を楽にして付き合える友人で会った。忘れ物があった時は互いに貸し借りしたし、放課後に他の友達と交えてよく校庭で遊んだものだ。ちょっとしたいたずらにも付き合ってくれたし、一緒に先生に怒られたりもした。

 同時に子供ながらにもわかるほど、真面目な男であった。勉強には真摯に取り組み、委員会の仕事を稀に忘れてもサボることはしない。クラスメートや後輩含めて、誰に対しても呼び捨ては一切しない。模範的なふるまいをしながらも、ちょっとしたいたずらのような悪いことへの付き合いが良かったため、クラスメートの心証はよかった。

 中学生になってからも私と彼の付き合いは続いた。一度はクラスが離れたものの、2年生になって再び同じクラスになった。しかも中学生の頃は出席番号が名前で決められていたが、私が江口であったためまた席が近かった。

 彼との交流は相変わらずであった。勉強を教え合い、同じ卓球部に入っていつも一緒に帰った。小学生の頃とまるで変わらない辺り、我々はまだ少年であったということだろう。

 彼とは高校まで一緒であった。この頃も親友としての関係性は変わらなかったが、私と彼の双方に大きな環境の変化が訪れた。

 私の方は初めて彼女ができた。2年生の頃に体育祭が終わった辺りに告白された。別に好意を抱いていたわけではないが、学生ながらに告白されて良い気分になっていた。それを快諾して私は人生初めての彼女を持つことになったのだ。彼女の存在により、岡田との付き合いが以前より減ったことは否定しない。しかし彼は「彼女との付き合いの方が今は大事だろう」とよく言ってくれたものだ。ここでも彼の誠実さが表れていたが、同時に余裕のない状況ゆえの言葉だったのだと思う。

 私が彼女を持ってから数か月後、彼の父が亡くなった。心臓発作であった。当時、それを知った私は岡田に対して声をかけることができなかったのをよく覚えている。葬式を終えて久しぶりに登校してきた彼の変わらない真面目さにもの悲しさを感じたのだ。この時になにか声をかけていれば、助けになっていればこんなに悩まなかったのかもしれない。

 高校3年になると大学受験で忙しかった。私は東京の名門大学を目指していたため遊ぶ暇は無くなり、数少ない暇も彼女との時間に充てることがほとんどだ。しかし岡田との交流は少なからずあった。兄が大学、妹も高校受験を控えていた岡田は進学せずに働くことを決めていた。そこで給料や保険、休日などを確保しやすい公務員を目指しており、共に勉強していた。内容は違うとも一心不乱に集中する我々には、間違いなく親友としての友情と確固たる目標を持った同志としての精神的な繋がりがあった。

 結果は私のみ合格した。先に岡田が落ちたことを知っていた私としては素直に喜べなかったが、それでも彼は笑顔で祝福してくれた。私は驚いた、その笑顔に一切の悲愴を感じられなかったことに。

 岡田はバイトをしながら翌年も公務員に挑戦した。その時は合格したようだが、噂では成績は断トツでトップであったようだ。私は腑に落ちなかった。それほどの成績を出せる彼なのだから、去年の合格にしてくれても良かったではないか。父親がおらず生活を一刻も早く安定させたいはずなのに。

 私の方は大学に進学し悠々自適に勉学と多くの経験を積ませてもらった。尊敬できる教授に出会い、人脈を広げ、多くの遊びを覚えた。高校時代の彼女とは別れたものの、人生を共にしたいと思えるほどの相手も見つけたし、この社会で生きがいと思える目標にも出会えた。まさに最高と言える学生生活であった。

 そのまま私は東京のある大手企業に就職した。全国転勤もある会社だったが、最初の数年は都内で毎日を忙しくしていた。

 この頃、地元の人で連絡をまともに取るのは家族くらいしかいなかったが、多くの友人はSNSをやっていたので少なくとも元気に生活しているのかは分かっていた。唯一、はっきりしなかったのは岡田だけだ。元よりSNSを利用するような男では無かったし、県の公務員で働いて3年以上経っているのだから、転勤して県南の方へ行っていたらしい。そして衝撃を受けたのは電話やメールをするも、彼に繋がることは無かったことだ。電話番号もアドレスもすでに使われていないものだったのだ。

 当時の私は彼に嫌われたのかと思って、本当に焦ったものだ。気づかないうちに親友を傷つけていたのだろうか。考えてみれば親友というのは自分が勝手に思っていただけで、彼からすればよく絡んでくるお節介な上に、上手くいっていた私は嫉妬の対象となっていてもおかしくは無かった。

 そんな不安を抱きながらも月日は流れて、私は結婚することとなった。28歳の頃であった。結婚式は東京で上げた。私の地元か、彼女の地元(彼女も出身は別の県だった)かで迷ったが、2人が出会った大学のある場所にした。県外にも関わらず、結婚式には多くの人が来てくれた。皆が私達の門出を祝福してくれる。しかしその中に私の親友はいなかった。

 二次会で当時の同級生と話したとき、岡田の話題が少しだけ出た。その場にいた皆が今どうしているのか分からなかったが、同じ公務員をしている友人の話ではすでに公務員は辞めているとのこと。また風の噂では母親が亡くなり兄弟もバラバラに暮らしているらしい。私はなんとか連絡を取りたかったが、誰も知らない相手と連絡を取るのは不可能であった。

 それからもう10年以上経つ。その間に幾度となく地元には帰ったし、何度か本気で探したこともあったが未だにその行方を知らない。ごくまれに聞いた噂もあまり喜ばしいものでは無く、その噂すらもすでに聞かなくなった。

 私が腑に落ちないのは、真面目に生きている彼が不幸を被り続けることであった。世界が残酷なこと、社会が厳しいこと、そんなことは当たり前だ。その責任や苦しさに目を背けたり、逃げる人もいる中で、岡田は真面目に向き合い、

 私はビールのおかわりを頼んで、枝豆をひとつ取る。その行動ひとつすらも感情に支配されたように重く感じた。昔のことを思い出すきっかけがあるたびに、かつての親友の顔がちらつき虚しい感情がこみ上げる。

 思いにふける様に食べた枝豆のさやを見ていると、ひとりがテーブルに向かって来る。店員がビールのおかわりを持ってきたのかと思ったが、かけられた言葉からそれが店員ではなかったことがすぐにわかった。


「すいません、ここの席良いですか?」


この次の話で終わりになります。短いですがお付き合いしてもらえると幸いです。

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