おおぶち
一軒のラーメン屋
こげ茶の木造作りの店舗、赤い看板、それに黒い文字で店名が書いてある。
「めん屋 おおぶち」
昭和中期から続いているであろう地元の老舗だ。
私は今日、初めてこのラーメンを食べに来た。
実は前から気になっていた。
しかし、入るタイミングが掴めなかったというか、また次の機会でも良いと言うか、決まって入店をしなかった。安定の味が保証されているチェーン店ばかりを選んでいたのだ。ハズレだったらイヤだという小心が勝負を避けるよう促していたのだろう。
店に入ると中は薄暗く、落ち着いた雰囲気。客はいない。私の3倍程の年齢であろう店主が厨房で独り、椅子に座りスポーツ紙を読んでいた。
目があってからほんの一瞬硬直し、スポーツ紙を閉じず、また椅子からも立ち上がらずに「・・・いらっしゃい」とため息と同時に漏らす。
私はカウンター席に座り店内を見回した。
電気をつけてなくやはり薄暗い、その店内を窓からの日差しが照らす。
壁も油汚れやヤニ汚れが目立つ。
置かれている雑誌は色褪せていて何年ものなのか分からない。
こんな雰囲気を求めている人も多いのだろうか。
これが昔ながらのラーメン屋の空気として成立しているのだろうか。
私は、壁に掛けてあるメニュー札を見て何を食べるか選んでいた。
「何にすんだい?」
店主が水の入ったコップを出してきて訪ねてきた。
「あの、お勧めとかありますか?」と訪ねると
「あんた此処来んの初めてかい?だったら最初は支那蕎麦でも食っときな。」
「じゃあ、支那蕎麦ください。」
1番スタンダードなメニューだ。
そして待っている間、タバコで一服。灰皿にタバコを打ち付ける時に一口水を飲む。
やがて厨房が湯気で充満した頃、二本目のタバコに火を着けた。口が落ち着かない。早く支那蕎麦を欲しているのだ。
次第に麺の湯切りする音がして、スープの香りがだんだんと店内に広がる。
そして二本目のタバコの火種を潰した時に
「はいよ。」
出来上がった支那蕎麦をカウンター越しで受け取り立つ湯気に目を細め出来栄えを覗いた。
シンプル、スタンダード、オーソドックス。
支那蕎麦とはそういうものだ。
なんて事ない地味な見た目から驚くほどの味が堪能できるか否か。
そこが支那蕎麦の魅力の全て。舐めてかかったら返り討ちに合うみたいな感じ。
私は支那蕎麦に返り討ちにあいたい。
まずはメラミン製レンゲにスープをすくい入れ、味わう。
「・・・」
その支那蕎麦のスープの味は、オーソドックスだった。
その時厨房から麺を啜る音が聞こえた。
昼時だからきっと店主も自分の分も一緒に作ったのだろう。
何気なく覗き見ると店主は焼豚が何枚も乗っているラーメンを食べていた。しかも大盛り。
人には支那蕎麦を勧めておいて。
私はオーソドックスな麺を全て啜り終え、タバコを一本吸い、会計を済ませて店を後にした。
多分もうここには来ない。
別にオーソドックスな支那蕎麦は悪くない。
別に店主が何を食べようが気にしない。
別に薄暗い雰囲気でも別にいい。
けれど。
注文時に初対面の客である私に「あんた」呼ばわりされた事を根に持っているからだ。
私はこの店の雰囲気に良く似合う薄暗い人間だ。