天使も勤労感謝の日を迎えたい
パワハラ、休日出勤、残業代未払い、そんな問題で世間を絶賛にぎわし中のブラック企業問題。
日本は諸外国と比較しても労働に割く時間が極めて多く、ニュースなどでもその実態が取り上げられているが、ではお隣の国にはブラックな労働環境はないのかと言われると、もちろんそんなことはない。
隣の国だろうが、世界の反対側だろうが、そういった労働環境は当たり前のように存在するのだ。
もっとも、そうした環境の中で仕事にやりがいを見出している一部の社畜もとい、エリート的精神を持っている人がいるのも事実であるが。
とはいえ多くの人にとってはやはり厳しい労働環境にはどうしても一言モノ申したくなるのが常であろう。それがたとえ隣の国だろうが、世界の反対側であろうが、なんだったら別の世界であろうが。
ここは天界、柔らかい表現で言うなら天国である。天国といってもなんてことはない。地球の文明と大きな違いはないものだ。強いて言うなら地球と異なり完全なエコを実現していたり、やたらと建築物や装飾品が白で統一されていたり、花畑がいたるところにあるといったところか。
天国はいくつかの階層に分かれており、ここは第九階層の東部に位置する3番隊事務所。
ここでは多くの天使たちが日々仕事に明け暮れている。ここで生活している天使はいわゆる羽を生やしたあの天使に間違いはないのだが、階級としての【天使】の意味も同時に指している。
いわゆる天使というものには第一位から第九位までの階級がある。第一位の熾天使にはじまり、智天使、座天使、主天使、力天使、能天使、権天使、大天使、そして最下級に位置するのが第九位の天使なのである。
よくゲームとかで耳にするルシフェルなんていうのが、いわゆる第一位である熾天使に位置していたりするものだ。まぁそのルシフェルさんは既に天使を退職して堕天したとかなんとか。話はそれてしまったが簡単に言うと天使は最下級で、住処も天界の中で一番下の第九階層。つまりは平社員に位置する天使が集まっている。
終業時刻から4時間ほど経った時、3番隊事務所に疲れ切った声がこだまする。
「終わったぁ~~~……って、4時間も残業してんじゃん!冗談きついわ!てゆーかこのブラック過ぎる労働環境をなぜ神はお見過ごしになるの!?いいの!?天界がこれで!?」
20畳ほどの事務所に並べられた、左右6脚ずつの机の一つに突っ伏して嘆いているのは、3番隊に勤務している天使の1柱であるアリアンナである。
赤髪がかった髪のサイドを残しつつ、後ろでポニーテールにまとめ上げている彼女の髪は、さすが天使というだけあり、枝毛とは無縁のみずみずしさを保っている。また、顔も目鼻立ちが整っており、疲れているという割には目にクマもできていない非常に羨ましく、美しい外見をしている。ただひとつ残念なのは、天界でのトレンドなのか、白のカッターシャツと白のスラックス、その上からややオレンジがかったローブを羽織るという人間ごときにはまるで理解できない謎めいた格好をしていることか……。
こうして仕事に対してぶつぶつ文句を言っているのはアリアンナにとってはいつものことなので、それにすっかり慣れてしまっている同僚の天使たちも特に何も思っていないようだ。
ちなみに彼女は出入り口から一番近い机に座っているため今にも、お疲れっしたー!とか言って帰りそうな空気なのだが、どうやら今日は本当に精神的に疲れ切っているらしく、ウダウダ言っているものの、まったく帰ろうとする素振りが見えない。
そんな彼女をとうとう見かねたのか、1柱の天使が声をかける。彼女は黒縁眼鏡とショートの黒髪が印象的で、凛とした雰囲気を醸し出している。名をパメラエル。アリアンナの先輩にあたる天使で、現世から天界までのルートを管理している3番隊の交通課主任である。
「何をぶつぶつ言ってるのよ。こう言っちゃ悪いけど、あなたの仕事は人間へのお祈りや案内をメインとした簡単なサービス業なんだから、そんなに大した仕事じゃないでしょ」
「いやいや、何を言ってるんですかパメラエル先輩、そりゃ私はまだ天使名も拝命してない駆け出し天使ですけどね、仕事はたーっくさんやってるんですよ」
パメラエルは黒縁眼鏡(オシャレですよー、目は悪くないですよー)をクイッと上げ、今日のアリアンナの日報を確認する。
死人の天界案内43件
地獄からの救済案件9件
生者への幸福祈願254件
繰り返すようだが、これは【日】報である。
そう……天使はひじょ~~~に多忙なのだ。
「ほらぁ、メッチャ頑張ってますよねぇ私?案件300件越えですよ。そりゃ悪魔討伐とか、新薬開発とか、受胎補助とか大きな仕事を任されてるわけじゃないですけど、こんだけ仕事してたら疲れるのはしょうがないじゃないですか!どんだけ人間にサービスしてんだ私は!!!」
机をバンッと叩きながらアリアンナは不満を訴える。彼女たちは第九位の天使ではあるが、決して無能なわけではない。あくまで立場が平社員的なものというだけだ。事実人間は天使からのサービス、いわば恩恵を多大に受けているのが事実である。
当然才能だけでなく、日々の積み重ねというものが出世の評価に関わってくるのでアリアンナも決して業務に対して手を抜いているわけではない。
実績を積むことは大切だ。
大天使長なんて仰々しい役職についている某有名天使様もかつては第八位の大天使の一柱に過ぎなかった。
彼には兄貴が超絶チート天使っていう少年漫画お約束の血筋、友情、勝利を体現したような存在ではあるのだが、それも日々の努力を怠っていればそこまでの地位にはなれなかったことは明白である。
それが今では第一位の熾天使だというのだから、たいしたものである。まぁ神が作った時点で天使はみんな血筋カンストとも言えるが……。とにかくアリアンナが言いたいことは下っ端仕事とはいえ苦労してるんですよ!ってことらしい。
ちなみにパメラエルは基本的に真面目な性格である。先輩としての立場上間違っても、アリアンナの意見に同意するわけにはいかない。若い時の苦労など誰でも通る道なのだ。甘やかすつもりは毛頭ない。むしろこの駄々っ子ちゃんをどう指導したものかと考えを巡らせている。
というか論破することは簡単なのだ。
天使はそもそも高密度のエネルギー体であるため休息などとらなくてもある程度働き続けることができる。
つまり、その程度じゃてめー疲れてねぇだろうが!とでも言えば一応の論破にはなる。
とはいえ常に働くというのは精神衛生上よくないのも確かで1日12時間労働、残業は2時間までということになっている。
正直建前上のことであるため、この日のように残業が4時間オーバーしちゃった、テヘッ☆みたいな日もたまに、というか頻繁にあったりする。どう指導するかを考えに考えた結果パメラエルが発した言葉は
「てめー疲れてねぇだろうが。4時間残業ぐらいでガタガタ言うな」であった。
「おおぅ!パメラエル先輩が辛辣な言葉を使い始めた!?これは完全にカルシウム不足の時の
先輩だぁ」
アリアンナが慌てながら部屋の一角に設置されている小型冷蔵庫で冷やしておいた紙パックの牛乳をパメラエルに差し出すも、天使に栄養はいらないとか言ってはねのけられてしまう。
「いやいやパメラエル先輩それは違いますって、確かに私たち天使は食事をとらなくても死にはしませんよ。でも食事も効果がないってわけじゃないのはご存知でしょう。人間でいうサプリと同じですよ。摂取しなくても死ぬことはないけど、摂取したら超爆裂ぱわーあっぷ!みたいな」
「いりません!そもそも私は葡萄酒以外の飲み物は嫌いです!」
「でもでも先輩、好き嫌いをするのは天使としてはいただけないような気がしますがねぇ」
「んなっ!好き嫌いとかそういうことではなくて・・・そもそも私は機嫌を悪くしたのではなく、あなたの先ほどからの周りの士気に影響を与えかねない軽率な発言を指導しているだけです!だいたい1日300件の案件程度で何を疲れた気になってるんですか。それに今日も死人の天界案内で間違えて2名地獄に送っちゃっただの、間違えて団体さんを仏教の極楽浄土に送っちゃっただの。不満を言うなら、まず仕事のクオリティを上げてから言いなさい!始末書チェックする隊長が可哀そうに思えてきたわマジで」
アリアンナは典型的なブラック体質だこれ。とか思いながら、なおもパメラエルにかみつく決心をかため、自分の机に置いてあった小型のカレンダーをパメラエルに突き出す。
「仕事ができないのは1万歩譲って認めますよ。それによって残業が少しばかり伸びている時も確かにあります。しかしですね、これだけは納得いきません!」
パメラエルはアリアンナがいったい何を主張したいのか全く見当もつかないといった表情でアリアンナと彼女に突き付けられたカレンダーに交互に目をやる。
「私、今日で23052連勤なんですけど…………」
「おかしいでしょ!人間なんて5日か6日働いたら基本は休み、どんなにブラックなところでも30日連続勤務とかがいいとこころでしょう!そりゃ一部のお偉いさんとかは別でしょうけど彼らはやりたくてやってるわけですし、それに対して私の23052連勤ってなんなんですか!もうかれこれ60年以上毎日毎日仕事してるんですよ!ブラック中のブラック。漆黒の極み。これが輝ける神のみ使いである天使に当てはまっていい言葉ですか!?」
パメラエルは心底、あぁそんなことかといった表情でアリアンナの魂の叫びを聞いている。天使に魂なんてものはないが、もし魂があったとしたらB’zも真っ青なシャウトになっていたことだろう。いい加減相手をするのが面倒くさくなってきたのかパメラエルは同じく同僚のジナエルに助けを乞うような視線を投げかける。
ジナエルは肩まで伸びたウェーブがかったブロンドヘアをかきあげ趣向品であるタバコのようなものを口にくわえながらアリアンナのほうに顔をむける。
ちなみにこの趣向品は最近発売された木の精霊のパワーを吸入でき、主に肌の美容効果にも優れるとのキャッチフレーズの商品だが、どうやら2週間吸っていてもあまり効果が見られないらしく、普段以上に眉間にしわを寄せている。彼女が美容に気を配るようになったのはこの眉間のしわが原因なのだが、それでまた眉間にしわをよせているようでは本末転倒である。
とはいえ彼女も天使であるためかなりの美女で、眉間にしわと言っても人間には視認できない程度の小さなしわなのだが、天使にとっては基準はあくまで自分たちなのでなんの慰めにもならないらしい。
「アリアンナ、あんたの言いたいことはわかったけど、さっきパメラエルが言ったように、私たちは疲れないようにできてるでしょ。だから休日なんていらないのよ、毎日毎日幸せを願う人間は無数にいるし、天に召される哀れな子羊や地獄に堕ちたものの、反省文をコツコツと10000枚したためて天界に復帰する条件を満たす人間もいるわ。でも私たちが休んだらその分手が回らなくなるでしょ。あんたが休むことによって他の皆の仕事が増えちゃうのよ。仕事において助け合うならまだしも、それで私のストレスが増えて眉間のクレパスもとい、しわがさらに濃くなったらどうしてくれんだっつーの」
ジナエルによって正論っぽいブラック特有の暴論をぶつけられるがアリアンナは当然ひるまない。もとよりこのような環境において社畜精神のようなものを持ち合わせる気など毛頭ないのだ。それにぶっちゃけ、どれだけ給料をもらおうが使う時間がなければに描いた餅である。
ジナエルの援護射撃に少しばかり肩の荷が下りたと言わんばかりのパメラエルが、ダメ押しの言葉をかけようとしたところで、アリアンナの声が室内に響く。
「すいませんけど、全っ然納得いかないです!人間と同じだけ休ませろとは言いません。でも、せめて1年に1回は休みが欲しいです!わたしだってもっと遊んだり、観光したりしたいんです!ただ貯金がたまっていくだけで、実際は何にも楽しめてないんですから!!」
そう、天使は人知を超えた高速移動が可能なため、たとえ一日の休みでもあれば観光だろう
がケルベロスまるごと一頭分の肉を使ったBBQだろうが結構ガッツリ遊べるのである。人間界への観光であれば顕現という天使共通のスキルでそれこそ瞬間移動できてしまうものである。
「そうだ!東洋の島国の日本ってとこでは勤労感謝の日ってのがありまして、その日はみんなお休みできちゃうらしいんですよ。それ導入しましょう。みんなで休めば先輩方に迷惑をかけることもないですし、そもそも私たちはこんなに働いているんですから、それに対して人間にもっと感謝されちゃってもいいと思うんですよ。だから一日ぐらい天使が休んだって人間は許してくれますって」
「いやいや、さすがにそれはマズいだろ、その日に死んだやつとかみんな浮遊霊になってしまう。それこそ神の鉄槌もといゲンコツをくらうことになるわ!」
ジナエルの指摘はそれはそれで至極まともであるがアリアンナは納得がいかないようで……
「では致し方ないですけど、勤労感謝の日をローテーションでまわしてシフト制にしましょう。休んでる天使1柱分の仕事は他の天使に振るしかないですけど仕方ないですよ。つか休息をとることで他のみんなに迷惑かけるなんて発想は古いんですよ。仲間に休息を与えるために、みんなで仕事を補い合う。それこそ本当の助け合いじゃないですか!」
アリアンナは胸を張って、どやぁ私の演説は!って感じで鼻息を荒げている。
パメラエルはまたも黒縁眼鏡(オシャレですよー、目は悪くないですよー)をクイッと上げてため息をつきながらアリアンナの演説にこたえる。
「わかったわ。それじゃあアリアンナの言う通り勤労感謝の日を3番隊にだけ設けましょう。ここだけの制度であれば、神や第八階層以上の上の位の天使の許可をとらずともよいでしょう。アリアンナの言う通りシフト制でいくことにするわ」
思いっきり妥協したパメラエルに驚きを隠せないジナエルは思わず眉間にしわを寄せる。アリアンナはというと、一拍間をおいた後、持ち前の天使不思議パワーで物理的に目をキラキラさせはじめた。
「マジっすか先輩!?まさか私の演説であっさり折れてくれるとは!さすがの私も予想外だったんでビックリです!あぁl先輩愛してるぅ!」
「ちょっとパメラエルどういうつもり?アリアンナのこんなバカな提案を真に受けちゃって、だいたい決定事項みたいな言い方だけどあんたにそんな権限ないでしょう。隊長からの決済はきっちりとれるのかしら?」
ジナエルの決済という言葉を聞いてアリアンナは急速に気持ちが冷めていくのを感じた。そりゃそうだ。まさかの勤労感謝許可発言につい喜んでしまったもののジナエルの言う通り、パメラエルにそのような権限はないわけで、隊長から決済が下りることも現実的に可能性は低いだろう。ぬか喜びさせんじゃねーよと心の中で先輩様に悪態をつきつつ、パメラエルのほうを見ると、……なぜか自信満々な顔をしている彼女の姿があった。
「安心なさいアリアンナ。この決済必ずとって見せるわ。任せておきなさい!」
なんということだ。救世主が……救世主がこの第九階層にもいたのだ。
パメラエルの言葉を聞いたアリアンナにはもはや希望しか見えない。あぁ自分は今まで一体どれだけこの瞬間を待ったことか。
雨の日も風の日も仕事に明け暮れてきた。早朝出勤、外勤を済ませてからの事務所内での事務処理、たまる始末書、残業、そして連勤に次ぐ連勤はついに23052日まで伸びた。何度も抗議をしてきた。それがついに……ついに実ったのだ。
できれば1か月に1日は休みたいが欲張りは言っていられない。神も強欲はいけないとかおっしゃってるし、1年に1日なら怠惰とまではみなされないだろう。そんな希望に満ち溢れて、天界にいるのにも関わらず昇天してしまいそうな顔をしているアリアンナであった。
「ただし!今後いっさい仕事に対しての愚痴を言わないこと!これが条件よ。守れる?」
とパメラエルはアリアンナに確認を求める。
「それぐらいは仕方ないですね。勤労感謝の日ができるならお安い御用ですよエッヘン!!」
こうして1柱のわがまま天使の意見により天界の第九階層3番隊には1年に1回のシフト制による勤労感謝の日が認められた。
……そして月日は流れ、アリアンナの待ちに待った勤労感謝の日(アリアンナだけがシフト上休むことになる)が明日に迫っていた。事務所で普段では考えられないぐらいウキウキ気分で仕事にかかっていたアリアンナにパメラエルが話しかける。
「アリアンナ。明日から10日ほどヴェネチアに出張行ってきてもらえる?」
何言ってんだこのド近眼天使が……とアリアンナは思わずストレートに悪態をつきそうになったが、なんとか心の中だけにとどめることに成功する。
「はぁ!???何言ってんですか?明日は待ちに待った勤労感謝の日ですよ!忘れちゃったんですかぁ?明日はバカンスに行く予定を組んでますし、休むに決まってるでしょ!」
パメラエルの言葉にさすがに憤りを隠せないアリアンナであったがとりあえず悪態はついてないのだからセーフだろうと判断する。
そしてパメラエルはため息交じりにアリアンナの疑問に答える。
「一応言っとくけど勤労感謝の日はもともと穀物の収穫を祝うもので、そのための勤労を尊ぶものであり、決して勤労者に楽をさせてあげようって趣旨の祝日じゃないわよ」
「いやいやいや!そんなんで納得できるわけないでしょ。そんな詐欺的な結末は許しませんよ!趣旨なんてこの際どうでもいいんですよ。だって祝日なことに変わりはないんですから!祝日ってことは休み!休日!ほりでぇ!ここは絶対譲りませんよ!」
パメラエルは黒縁眼鏡(オシャレですよー、目は悪くないですよー)をクイッと上げてアリアンナに微笑みかける。その微笑みは天使というよりは悪魔に限りなく近い嫌らしい笑みだ。そしてパメラエルは恐ろしいことを口に出す。
「サービス業は祝日でも働くものなのよぉ」