仄暗き森に蠢く者
アルフォード王国――広大な大陸の南西部に位置し、大陸有数の長い歴史を持つ王制国家である。
温暖な気候と平野部が国土の大半を占める事から、農産物の国内生産力が高く、内海に接する王国南部では漁業や海洋貿易が盛んに行われ、西方諸国と南東の聖教国ハイネシアを結ぶ街道の中継国家として発展してきた。
そして周辺国家の中で、最も魔法研究が盛んに行われ、魔導王国として世界に広く知られている。
僕の故郷である南部都市シルフィアから北上する事およそ300km。
王国のほぼ中央に位置する大都市リィンフォルトまでは目と鼻の先のところまで迫っていた。
ハイネシアへ至る街道の中継都市として栄え、王国北部の王都圏を結ぶ街道も交差している事から、経済の要所として多くの人や物が集まる巨大都市である。
陽も中天に差し掛かった頃、眼前には森林地帯が広がっていた。
フォルトの森と呼ばれるこの森は、昼間でも陽の光が届かず、木々が鬱蒼と生い茂っている。
しかし、森の中央を真っ直ぐ突っ切るように木々が切り倒され、大型の馬車でも通れるほどの道が続いている。
「ここを進むんですか?」
故郷からあまり遠くへ来た事のない僕にとっては、光差さぬ未知の森は得体のしれない恐ろしさを感じてしまう。
「どうした?怖いのかー?」
前を歩く彼女は後ろを振り向かず、からかうような笑みを浮かべて答える。
「いえ、そんな事は…」
僕の小さな虚勢を見抜いたのか、彼女は小さく鼻で笑った。
「まさかモンスターの類がいるとでも思ってんのか?くだらねぇ、そんなもの人の恐怖が生み出した幻想だ。御伽話を信じる歳でもねぇだろ?」
「確かにその通りですが…」
「そーいえば、この森には人喰い熊が出るらしいな…。何度か荷馬車が襲われ、護衛もろとも餌になったって聞いた事があるぞー。見方によってはモンスターと言えなくもない、良かったな。」
そう言って彼女はクククと冷たい笑みを浮かべる。
「良くはないですよ!人喰い熊ですよ?もし襲われたらどうするんですか!?」
「心配するな、その時は私の魔法で吹き飛ばしてやる!」
「いやいや、貴女なら僕もろとも吹き飛ばしかねないじゃないですか。」
「ククク、まるで吹き飛ばして欲しいような口ぶりじゃないかー?」
どこまでが冗談なのか解ったものではない。
ともすると本気で吹き飛ばしかねないのだから。
長い付き合いではないが、僕は今までの事を振り返り、小さく溜息を吐いて恐る恐る森の中へと歩みを進めた。
幾重にも重なる虫や鳥の声、そして得体の知れない何かの蠢き。
その度に僕はビクリと身を震わし、彼女は笑う。
「ホントにオマエは、ククク…私を笑い死にさせる気か?」
「いや、でも、何かいますよ!あそこの木の陰とか…。」
そう言って彼女も右手の奥にそびえる巨木の陰に意識を集中する。
「…面倒くせぇ、一発ブチかましてみるか?」
「止めて下さい、藪蛇ですから!」
「ちぇー、つまんねぇーの。」
軽く舌打ちをした彼女は僕の不安をよそに、どんどん奥へ進んで行く。
森の中だというのに、馬車に踏み固められた道は歩きやすく、ギラギラと照り付けていた太陽の光は木々に遮られ、ひんやりと涼しい。
そのためか、森に辿り着く前の彼女とは段違いに歩みが早い。
僕は背負い袋の紐を握りしめ、速足で彼女に続く。
なるべく森に潜む何かを意識しないように彼女の背中を一点に見つめて。
どれくらい進んだのだろうか、森の中にも夕闇が迫る頃、突如彼女が立ち止まり、後ろに掌を突き出し、小さく「おい」と呟いた。
小走りになっていた僕は勢いのまま彼女の掌に顔面を衝突させ、悲鳴を上げた。
「イタタ…ど、どうしたんですか?まさか人喰い熊が!」
「静かに!」
彼女は人差し指を唇に当て、周囲を見渡しながら意識を集中し始めた。
「そこの茂みに身を隠せ。」
彼女は乱立する木々の間の背の高い草むらを指差し、自身は道の反対側にある巨木の陰に背を預け、巨木の向こうにある何かに警戒を始めた。
沈黙――
たった数分の間でも空気が張り詰め、とてつもなく長く感じられる。
騒めく木々や生物たちの声が耳障りに響く。
そして、息を切らせ草をかき分けこちらに走ってくる影が、彼女のいる巨木の向こうから迫ってきた。
目視できる影は次第に数を増し、どうやら先頭に簡素な鎧を身に着け、黄金色に輝く短い髪を乱れさせた少年が一人。
年の頃は僕と同じくらいだろうか、利発で真面目そうな顔を焦りで歪ませている。
それを追うように、ボロ布のような汚い装束を頭まですっぽりと身に着けた十数人の人影が確認できた。
先頭の少年が草むらから僕たちの歩いてきた森の道に飛び出してきたその時、彼女は声を張り上げた。
「おい、簡潔に答えろ!オマエ達は何者だ?返答によっては助けてやるのもやぶさかではない。」
少年は突然の大声に驚き、足をもつれさせて踏み固められた森の道に顔面から突っ伏した。
少年は鼻血を垂らしながら身を起こし、恐る恐る彼女の方を凝視し、怯えながらも威厳のある声でこう答えた。
「自分はリィンフォルト自警団のザックスです!盗賊が追ってきています、この道を進めばすぐに街に出るので貴女も早く逃げて下さい!」
「なるほど、キミを信じよう。だが、この程度の輩から逃げるってのは私の性に合わん。ファクト、少年を連れて先に行け!」
僕は彼女の怒鳴り声を聞いてすぐさま草むらを飛び出し、少年に駆け寄った。
「さぁ、ここは彼女に任せて行きましょう!」
第三者の登場に目を白黒させる少年は僕の手を取り立ち上がるが動こうとしない。
「しかし、それでは彼女が!」
「大丈夫です、彼女なら心配いりません。かえって僕達がいる方が足手まといになります。」
少年は一瞬の逡巡の後、強い決意を瞳に宿した。
「わかりました、行きましょう!」
僕たちは森の道を走り出す、そして――
「いい大人がガキ相手にこの人数って、テメェら恥ずかしくねぇのかよ?」
彼女は走り出す2人と盗賊達の間に身を翻し啖呵を切った。
「ほぉーこいつは上玉だ、いただいちゃって良いっすかねぇ、フラッツの旦那。」
少年を追っていた盗賊の一人が涎を垂らしながら顔を突き出す。
その手には歪な形の短刀が鈍く輝いている。
「お楽しみは後回しだ!ダン、ベクト、回り込んであのガキを捕まえろ!」
一番後ろに控えているフラッツと呼ばれたリーダーらしき男が両端にいる盗賊に指示を飛ばす。
「おっと、こっから先は行き止まりだ!」
彼女はそう言い放ち、両手を左右に広げ、瞳に真紅の輝きを湛え、邪悪な微笑を浮かべる。
2人の盗賊が森の道を迂回し、彼女の横を通り過ぎようとした瞬間、彼らの前に爆発が巻き起こり、森の中を数メートル吹き飛んだ。
一方はグシャリと不快な音を立てて巨木に激突し、もう一方は右足を失い大量の血を吹き出しながら、芋虫のように這いつくばっている。
「この女、ウィザードか!ちぃっ、分が悪い引くぞ!」
盗賊達は口々に捨て台詞を吐きながら森の中に散って行った。
「…ったく、もうちょっと楽しませてくれても良いじゃねぇか、なぁフラッツの旦那?」
彼女は盗賊達が消えて行った方にある巨木を睨みながら、足元の小石を巨木の幹に蹴り当てる。
コンと乾いた音を立て小石がぶつかった幹のすぐそばから、フラッツと呼ばれた男が顔を覗かせた。
「完全に気配を消していたつもりなんだがね。」
「姿を消して油断したところをバッサリって寸法か?情けねぇなー。」
そう言って彼女は肩を落とし、おどけたように首を振った。
「奪う、騙す、殺すにルールなんてないのが俺達の稼業だ。」
「もっともだ。それで?私と遊んでくれるのかい?」
「いや、遠慮させてもらおうか。これでも仕事が増えて忙しいんでね。」
「そーかい、じゃあ次の機会にしましょーか、私も弟子が心配なんでね。次は遊びじゃなく殺し合いで!」
そう言って彼女は片手を挙げて踵を返し、少年達の後を追った。
「殺し合いか、俺もお楽しみが増えて嬉しいよ。」
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