虚偽の巷説
僕は昨夜一晩中、答えの出ない思考を繰り返し、悩み、もがいていた。
いつものように繰り広げられる講義も、まるで頭に入って来ない。
そもそも講義を受ける意味さえ見失ってしまったのだから…。
一日の講義が終わり、いつもなら図書館に直行するのだが、今日は行く気になれない。
僕は無意識のうちに、昨日師匠と出会った中庭へと向かっていた。
「ごきげんよう、ファクト君!」
不意に、トボトボと歩く僕に声が掛かる。
声の方に振り向くと、そこには魔法学の講師ザレン教授が立っていた。
「今日の講義、いかがだったかな?私の目からは散漫に、放漫に、怠惰に、集中しているようには見えなかったが?」
「いえ、あの…。昨日遅くまで思案に耽っておりまして…。申し訳ありません。」
「なるほどなるほど。思案に暮れるのは悪い事ではないのだがね、睡眠不足では折角の大事な、重篤な、肝要な、講義が台無しではないかね?」
「はい、申し訳ありません。」
彼は気難しい顔をしたまま細い眼鏡を持ち上げた。
「ふむ、まあ良いでしょう。噂によると君は、新しい魔法の研究をしているようだ。ほどほどにしたまえよ。」
「はい、気を付けます…。」
彼の言葉に僕は不自然さを覚える…。
僕が魔法の研究をしている事は、2人しか知らない筈だ。
毎日図書館で顔を合わすリザは、人と関わるのが苦手で、講師に僕の事を話す筈がない。
そしてアイリスは、あの魔法の危険性を忠告したくらいなのだから、他人には絶対に言う筈がない。
「あの…、僕が魔法の研究をしている事は、どこで聞いたのですか?」
「詳しくは覚えていないのだがね、院生達の風聞、巷説、噂話、に聞いた覚えがある。」
噂話…そんな筈はない。
考えたくはないのだが、ザレン教授は僕の論文を狙っている可能性が高い。
だとしたら危険だ。
「そうですか…。急ぎの用があるので、失礼します。」
僕は彼に怪しまれないように、素早く踵を返した。
「待ちたまえ!急ぎの用とは一体何だね?」
大声で呼び止められた僕は、ビクリと背中を震わせる。
「あの…。アイリス…先生に呼ばれているものですから。」
「あの新任の特別講師ですか?なるほどなるほど、分かりました。それでは、ごきげんよう。」
僕は何事もなかった事に胸を撫でおろし、足早にその場を去った。
嫌な予感がする…。
僕は師匠に相談するため、彼女を探す事にした――
薄暗い院長室に、ボロボロの外套を纏った男が音もなく侵入し、執務机に座り煙草を噴かす男に歩み寄る。
「ほう、約束の時間通りとは律儀なものだな。」
「こっちも商売なんでね。それで、俺は誰を殺れば良いんだ?」
「ファクトという少年が持つ、ある魔法の論文を手に入れて欲しい。」
「おいおい、論文を手に入れるだぁ?俺は何でも屋じゃねぇんだ、そんな依頼は引き受けられねぇな!」
「王国最高峰の暗殺者集団『死神の大鎌』に、その程度の事が出来ないとはな。」
「ケッ、言ってくれるじゃねぇか。分かった、引き受けよう。」
「ふむ、よろしい。では、その少年の特徴などは、そこらの講師にでも聞きたまえ。」
「で、その小僧は殺しても構わねぇんだろうな。」
「いや、できれば無傷で連れて来て貰いたい。」
「チィッ、面倒臭ぇな!」
「その少年に手を焼く事はないだろう。ただ、少年と共にいる女が問題だ。」
「問題?なんだよ、勿体ぶりやがって。」
「国立魔術研究機関…貴様達でも知っているだろう?」
「なるほど、そういう事か。」
「その女は殺して構わん、貴様の好きにしてくれたまえ。」
「了解だ、一両日中には終わらせてやるよ。」
ボロボロの外套を纏った男は、入って来た時と同じように音もなく院長室を去って行った――
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