医務室の二人
蝉の声。
夕日に朱く染まる医務室で、僕はベッドに横たわる彼女の顔を見つめていた。
院生達の殆どが実家や寮に帰り、蝉の声だけが学院に鳴り響いていた。
僕の育ての親は、この街の商店街に居を構えている。
学院からも、そう遠くは無いし、僕の家だと思ってくれと言われてはいるが、結局は他人である僕にとって居心地の良い場所ではない。
と言っても、虐待を受けている訳でもないし、普通の家族よりも暖かく接してもらっているような感覚を抱かせる。
どこか腫物を触るような…。
あんな事件の被害者なのだから仕方がない事なのだろうが、それがかえって僕に居心地の悪さを感じさせてしまっているのだろう。
そんな僕は、学院への入学を機に、院の敷地内にある寮で生活するようになった。
遅くまで校舎に残っていたとしても何の問題もないので、僕は毎日遅くまで図書館に引き籠っているのだが、今日は麗しの図書館ではなく、医務室で過ごす事になってしまった。
実技講習の時、頻繁に貧血で倒れる僕にとっては馴染み深い場所ではあるが、室内に籠った薬品の匂いがどうも好きになれない。
いつもなら気を失っていて、あまり薬品の匂いを感じる時間もないのだが、今日は意識のある状態で、長い時間簡素な椅子に座り、薬品の匂いに晒されている。
「ん…。」
僕が薬品の匂いに些か辟易してきた頃、漸く彼女の意識が戻ったようだ。
「ここは…。」
「気分はどうですか?アイリス先生…いや、師匠。」
「ああ…、ファクトか。ここは…医務室?」
「はい、中庭で気を失ってしまったので、あそこに居た院生達で運び込みました。」
「そうか…。私が気を失ってる隙に変なトコ触ってねーだろうな?」
彼女はニヤリと笑い、僕を見つめた。
「そ、そんな、確かに魅力的ではありますが、触るなんてそんな事!」
「ははーん、さてはムッツリっつーやつだな。」
「なっ、何を言ってるんですか!貴女がそんな教職者に相応しくない格好をしているから…。」
「ほう、なるほどなるほど。私の格好を見て欲情したって事だな?」
「欲情だなんて、そんな!」
「まー落ち着け、冗談だ。」
慌てふためく僕を見て、彼女は涼しげにクククと笑った。
「冗談はさておき、あの論文だが、どこで手に入れた?」
急転した彼女の表情は、怒りを含んだような真剣なものに変貌する。
「あれは、僕が書いて纏めた物です。」
「そうなのか!?驚いた。オマエがそこまでの才を持っていたとはな…。しかし、あれがどんな意味を持ち、多くの危険を孕んだ物かは解っているのか?」
「危険と言っても、教会の圧力がある程度ではないのですか?それに、現段階では理論であって簡単に実現できるものではないと考えています。」
「なるほど、やはり理解はしていないようだ。」
「理解…というと?」
「人はなぜ魔法という能力を持って生まれるのか?いや、そもそも魔法とは一体何なのか…オマエは知っているか?」
「いえ、知りません。今まで考えた事すらありません。」
「そうだ、オマエだけではない。人は魔法という力を行使できたとしても、その本質が何なのか、解き明かした者は一人として存在しない…。」
「この論文と魔法の本質に、一体何の関係があると言うのですか?」
「オマエはこの魔法を何だと思っているんだ?」
「魂を取り戻すための魔法…です。」
「そうか…そうだったな。私もそう思っていたよ、半年程前までは…。しかし、その認識は正しくもあり間違ってもいる。」
「つまり、この論文は既に実在して、実現可能であるという事ですか?」
「いや、それも正しくはない。」
僕は彼女が何を言っているのか解らなかった。
いや、混乱しているというのが正しいだろう。
この後、彼女が語る真実は僕に衝撃を与えるのだった――
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