陽だまりの庭園
リカルドと戦ったあの日から、世界の景色が変わった。
いや、僕が狭い世界に閉じ籠っていただけで、世界は初めからこうだったのだろう。
あらゆる物が色彩を放ち、空が、海が、遠くに見える山々が、僕という存在の小ささを訴えている。
あの日から僕は少しずつだが、周りの人々と言葉を交わすようになっていた。
リカルドとその腰巾着4人は、僕に対する敵対心を強めたようだが、以前のように絡んでくる事が無くなった。
理不尽な暴力ではなく、実技や試験などで正々堂々正面から捻じ伏せに掛かってくるといった具合だろうか。
ある日の午後、いつものように図書館への渡り廊下を歩いていると、中庭のベンチで寛ぐ特別講師アイリスの姿を見かけた。
彼女とは話してみたいことが沢山ある。
僕は初夏の強い日差しが差し込む中庭へ向かった。
「こんにちは、アイリス先生。」
「おーう、ファクトか。」
彼女は手の平で日差しを遮り、彼女の座るベンチの傍らに佇む僕を見上げた。
「隣、よろしいですか?」
「おう、座れ座れ。で?私に何か用か?」
「少しお話してもよろしいですか?」
「ああ、構わねーよ。今日はもう私の講義もねーし、ヒマしてたトコだ。」
「講義の時と今とでは雰囲気も話し方も別人のようですね。」
「んー、まあな。一応、時と場所はわきまえているつもりだ。ま、どっちかてーと、こっちの方が本当の私だな。」
「そうですね、僕も今の方が話しやすくて助かります。」
そう言って僕は、はにかむような笑顔を彼女に向けた。
「それはそうと、対抗戦では良くやったな。オマエが優勝するなんて思わなかったぞ。」
「いえ、それは先生の言葉があったからです。先生にはとても感謝しています。」
「んー、そうか?オマエに感謝されるような事、言った覚えはないんだがなー。」
彼女にとって本当に感謝されるような言葉ではないのか、はたまた単に忘れているだけなのか、僕には知る由もないが、彼女は暖かい日差しを受け、大きな欠伸を一つ吐き出した。
「ところで、先生は王都の魔術研究機関からいらっしゃったんですよね?どうしてウチの学院の特別講師なんかになられたんですか?」
「私が魔術研究機関から来たなんて、どっから聞いたんだー?」
彼女は横目で僕を見据える。
もしや、公開していない情報を僕は知ってしまったのだろうか。
だとしたら、不味い事を口走ってしまったかもしれない。
「まー良いか、そんな事。確かに私は魔術研究機関から志願して特別講師になったんだが、深い理由はねーよ。ちょっと現場から離れたくなっただけかな…。」
深い理由はないと言っているが、どこか哀しげな表情を見せている。
これ以上立ち入った事を聞くのは、良くないだろう。
「あの…、最前線で魔法の研究をなさっていた先生に、是非見て頂きたいものがあるんですが、よろしいですか?」
「んー、構わねーよ。それより、先生って呼び方、何とかならねーか?期間限定の臨時講師みたいなもんだし、どうにもムズ痒くてなー。」
彼女はおどけた仕草でニヤリと笑う。
「えーでは…アイリスさん?いや、これでは失礼ですね…。アイリス先輩?いや、院生ではありませんからこれも失礼ですね…。アイリス師匠?そうですね、師匠とお呼びしてもよろしいですか?」
「うーん、大袈裟だなー。まぁ、先生よりはマシな響きだなー、じゃあそれで行こうか。」
随分適当な納得のされ方だが、彼女が良しとするならば、それで構わないだろう。
僕は背負い袋から一冊に纏められた論文を取り出し、彼女の前に差し出した。
「師匠に見て頂きたいのは、この論文なんですが…。」
「どれどれー。」
彼女は舐め回すように、かつ高速で論文を読み上げてゆく。
いつしか彼女の眼は瞳孔が開き、異様なまでの真剣さで、書き連ねられた文字を吸収している。
「まだ理論の域を出ませんが、この魔法は実現可能でしょうか?」
バサバサと頁をめくっていた彼女の手が、不意に止まった。
そこには、複雑な術式の展開図が描かれている。
「あ、あ…あ…」
展開図を凝視する目から大量の涙が噴出し、そのまま彼女はベンチで気を失った。
必死の呼びかけにも反応せず、僕は周囲の院生の手を借りて医務室に運び込んだ…。
「彼の論文は完成していると?」
薄暗い院長室の執務机に座る男が目を細めた。
「はい…。」
か細い女の声がそう答えると、彼は眉間に皺を寄せ逡巡する。
「その論文に書かれた魔法は実現可能か否か、という問題だが…。」
後ろに控えるもう一人の男が、細い眼鏡を指で押し上げ、執務机の男に返答する。
「私はかなりの信憑性、信頼性、確実性があると考えています。」
「今しがた、あの女と接触したとの情報が入った。我々も悠長に構えていては、全て持って行かれるぞ?」
「確かに、臨時講師とはいえ国家の犬、機関の者、魔法の番人であるが故に、我々の慮外の行動に出られては厄介です。」
執務机の男がギシリと音を立て、椅子にもたれかかる。
「あの女は始末して構わん。その代わり、確実に手に入れるのだ。最悪あの少年さえこちらの手に収まれば、手段は選ばん。奴らの手を借りる事になったとしてもな…。」
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