第八話
「……いつまで拗ねてるつもり?」
この世界に来てから、二日目の夜。
ラニエール家の本宅から学園までは遠いという理由で、学園に一番近いラニエール家の別宅に移動してきた俺とラニエール姉妹の三人で夕食を食べていると、俺の正面に座っているフィリアが俺に向かって、そう呆れたように言い放った。
「……別に拗ねてねぇよ」
一瞬フィリアに視線を向けた後、すぐに目の前の料理へ視線を戻し、そう短く答える。
因みにだが、現在この家には俺達三人と使用人が数人いるだけなので、フィリアが何を言おうと、ジジイやクロードさんに何か言われる可能性はゼロだったりする。
「拗ねてないなら、こっち見なさいよ。模擬戦が終わってから、一度も私と目を合わせようとしてないじゃない」
「カミトにぃさま? もしかして、ねぇさまとケンカでもしたの?」
フィリアだけでなく、フィリアの隣の席に座っているエリスちゃんにまでそんな事を言われてしまう。
別に本当に拗ねていたわけじゃないのだが、エリスちゃんにまでそんな事を言われてしまうと、なんだか申し訳ない気持ちになってくる。
「心配しなくても大丈夫よ、エリス。別にケンカしたとかじゃなくて、この人はただ単に今日の模擬戦で私に負けた事をいつまでも拗ねてるだけなんだから」
「……だから拗ねてないって言ってるだろうが」
確かに、もう少しで勝てそうだったのに負けたのは悔しいと思っているが、俺は別に拗ねてるわけじゃない。
ちょっと考え事をしていたので、周りに気を配っていなかっただけだ。
「だったら、こっち見なさいよ。どうせ『もう少しで勝てたのに……』とか思ってるんでしょ?」
「…………」
思わず言葉を失ってしまった。
なんでバレたんだろうか?
フィリアにはもちろん、レイにだってそんな事は言ってないのに……。
「確かに、私はもう少しで負けそうになった。それは認めるわ。けど、私だってまだ本気を出し切っていたわけじゃないんだから、どっちにしてもアナタが勝つなんて事が起こらなかった事に変わりはないわよ」
「お前、手加減はしないとかずっと言ってたじゃねぇか」
「て、手加減はしてないわよ! けど、アナタにケガさせないように、ちゃんと気をつけながら戦ってんだから、本気で戦っていたわけでもないのよ!」
あくまでも本気ではなかったと言い張るフィリア。
まだフィリアと出会ってから二日しか経っていないが、なんとなくフィリアの事が少しずつ分かってきたような気がする。
「お前、結構負けず嫌いなんだな」
今日の模擬戦でも、俺のせいとは言え、一人だけ率先して二試合もやっていたし、俺と戦った時の試合は割と危なかったくせに「余裕で勝ちました」みたいな涼しい顔をしてたし。
「なっ……! だ、誰が負けず嫌いよ! 私は事実を言っただけでしょ!?」
「凄いね、カミトにぃさま! どうして、ねぇさまが負けず嫌いだって分かったの?」
「ちょ、エリス!? アナタまで何を根拠にそんな事を言っているの!?」
「え? だってねぇさま、この前の学園のテストで一番取れなかったからって、勉強時間増やしてるでしょ?」
「そ、そんな事してないわよ! エリスの勘違いでしょ!?」
「え? でも、他にもねぇさま――」
「分かったわ、エリス。分かったから、アナタは少し黙ってなさい」
そう言って、無理やりエリスちゃんの口を塞いでしまったフィリア。
よほど努力してる事を俺に知られたくないらしい。
「良く聞きなさい! 一応言っておくけれど、私は学園で出された課題や、授業の予習や復習はちゃんとするけれど、それ以外の事は特に何もやってないわ。間違っても変な勘違いをしたり、変な噂を学園で広めたりしないでよ!」
「言われなくても、別にそんな事しねぇよ」
そもそも、そんな事を広めて俺に何の得があると言うのか。
「てか、別に悪い事してるわけじゃねぇんだから、そこまで必死になって隠す事じゃねぇだろう」
「バカ言わないで。私はラニエールの人間。つまり貴族なの。平民に絶対の安心と安全を与える義務があるのよ。いつも余裕があって完璧な姿を見せてないといけないの。努力してる姿を見せるなんて言語道断だわ」
「平民を守るための努力だろ? 別に見せたって良いじゃねぇか」
「貴族は平民の前では何事も平然とこなせないといけないの。努力しなくても平民を守れるだけの力があると思わせないとダメなのよ」
「……そうかよ……」
フィリアの真っ直ぐな言葉に、俺は何も言い返す事ができなかった。
フィリアは全く気にしていないみたいだが、俺にはフィリアの言い分が少し寂しく聞こえてしまった。
確かに、自分達を守ってくれる貴族が何でもできる、最強の人だったら平民を安心させるには効果抜群だろう。
けど、それは同時に平民と貴族との間に壁を作る事になるんじゃないか。そんな気がしてならなかった。
「まぁ、今まで平民として育ったアナタには分からないでしょうけど、アナタも貴族になったんだから、今後は貴族である事を少しは自覚しなさい。仮にも次期当主“候補”なんだから」
候補だけ強調されたような気がするのは、きっと気のせいなんかじゃないだろう。
「お前、俺が次期当主候補になった事、絶対納得してないだろう……」
「当たり前でしょ? 満足に魔法も使えない人がラニエールの次期当主なんて納得できるはずないわ。アナタがラニエールの当主にふさわしい人間にならない限り、私がアナタを次期当主として認める事は絶対にないわ」
「もっともな言い分だな。俺も自分が次期当主になるなんて考えられねぇよ」
正直、できる事なら俺だって変わってほしい位だ。
「てか、俺よりフィリアの方が優秀なんだから、男女関係なくフィリアが次期当主やれば良いじゃねぇか」
「それができるなら、最初から私とアナタが出会う事もなかったでしょうね」
「そりゃそうだわな」
もしフィリアと出会ってなかったら、俺は今でも地球で平穏な生活を送り、フィリアは俺と違って優秀な次期当主になっていただろう。
そう考えると、俺達は出会わなかった方が互いに幸せだったんじゃないかと思えて仕方がない。
「まぁ、なんにしても今さらそんな事を言っても意味のない話ね。たらればの話なんてするだけ無駄だわ。そんな事を言ってる暇があるなら、どうしたらアナタが少しでも貴族らしくなれるか考えた方が、よっぽど建設的だわ」
「奇余計なお世話――と、本当なら言いたい所なんだが、実は奇遇な事に俺もさっきからずっと似たような事考えてたよ」
まぁ、結局何も思いつかず、そんな事をずっと考えていたせいでフィリア達に拗ねてるなんて言われたわけなんだが……。
「てか、ちょうど良いタイミングだから聞くけど、俺みたいに魔法が使えない奴でも、なんとかフィリア達みたいに魔法を自在に扱える奴に勝つ方法ってあるか?」
「はぁ? アナタ、それ本気で言ってるの?」
バカを見るみたいな目で言われた。
「おい。なんだ、その目は。本気に決まってるだろう? 本気でフィリア達に勝つ方法を考えてるよ」
まぁ、手っ取り早くっていうのはさすがに冗談だが、フィリア達に勝つ方法は本当に考えている。
「呆れた……。魔法を使わずに魔導師に勝つなんて無理に決まってるでしょ? そんな下らない事を考える位なら、少しでも魔法が使えるように練習でもしたらどう? 簡単な魔法だけでも使えるようになったら、少しは真面に戦えるんじゃない?」
「無理かどうかはやってみなけりゃ分かんねぇだろう?」
と言うか、そもそも魔力を使うって事が既に良く分からない俺には、簡単な魔法ですら習得するのも難しそうなので、ないと困る。
因みにだが、魔導師と言うのはフィリア達みたいに魔力を魔法に還元できて、自由に魔法を使える奴らの事だ。
なんでそんな事知ってのるかって? 今日一日の授業で、何回も同じ単語を耳にしてたら、誰だって嫌でも分かるようになるだろう? つまりそう言う事だ。
「魔法なしで魔導師を超えるなんて無理に決まってるでしょ? 戦闘以外で魔導師を超えるならともかく、戦闘で魔法を使わずに魔導師を超えるなんて、どう考えても不可能だわ」
「ふ、不可能……? そこまで言い切るのかよ……」
「当たり前でしょ? そもそも魔法は遠距離から放たれるものなのよ? どうやって魔法なしで遠くにいる相手に攻撃するつもりなのよ?」
なるほど……。確かにフィリアの言う通りだな。
魔導師に戦闘で勝とうと思ったら、とにかく相手に近づかなきゃ話にもならない。
でもそれは、本気で俺に向かって飛んでくる、炎やら岩の塊なんかを全部避けて相手の懐まで潜りこむって事で、そんな事は普通に考えたら相当難し……あれ?
「意外とできるんじゃねぇ?」
ちょっと考えてみたら、なんとかなるような気がした。
「アナタ、やっぱりバカなの……?」
憐れむような目で言われた。
「失礼な奴だな。ちゃんと俺なりに考えたっての」
「そう思える事が既にバカなのよ……。さっきも聞いたけど、どうやって魔法を使わずに離れた所にいる敵を倒すつもりなのよ?」
「近づいて」
「…………」
なぜだろう?
フィリアの目がさっきよりも憐れな人を見るような目になっている気がする。
「それ、本気で言ってる? 私の炎みたいな魔法はもちろん、他の色々な魔法がアナタに向かって飛んでくるのよ?」
「全部避ければ良いんだろう?」
事実フィリアの魔法だって避けられたんだ。
難しいのかもしれないが、決して不可能な事ではないはずだ。
「……確かに全部避ける事ができるなら、魔導師とも互角に戦えるでしょうけど、もし一発でも当たれば命を落とす危険だってあるのよ? それでも良いの?」
「え、い、命を落とす? え、一発当たっただけで死ぬレベルなのか……?」
「当たり前でしょ? 基本的に魔導師は、ダメージを最小限に抑えるために戦闘時は常に魔力を身に纏っているものなのよ。つまり簡単な魔法どころか、魔力すら自在に扱えないアナタなら、一発当たれば即死の可能性だってあるって事ね」
もちろん、いくら魔力を纏っていても死ぬ時は死ぬけどね。
フィリアは最後にそう言い放ち、それでもアナタは無謀な賭けをするつもりなの? なんて言われたような気がした。
ハッキリ言おう。
普通に怖いから無理だ。
「今の話を聞いて、それでもやるなんて言える奴は勇者かバカのどっちかだよ……」
「懸命な判断ね」
俺もそう思う。
「まぁ、でも近距離戦に持ち込むための魔法を覚えられたら、今の話も少しは現実味を帯びてくるんじゃない?」
「近距離戦に持ち込むための魔法、ねぇ……」
それってつまり、やっぱり魔法が使えなかったら話にならないって事じゃねぇか……。
てか、そんな簡単に魔法が使えるなら、最初から苦労なんてしてねぇっつうの。
「ねぇねぇ、ねぇさま。だったら、付加系の魔法はどう? エリスも付加の魔法だったら教えられるよ!」
今まで黙っていたエリスちゃんからの突然の提案。
地味にエリスちゃんの口から、俺の知らない単語が出てきた事がショックだ……。
「付加の魔法って、基礎中の基礎じゃない……。まぁ、この人は基礎から覚える必要があるから、そういう意味では間違ってはいないけど」
「じゃあ、エリスがカミトにぃさまに付加系の魔法教えてあげる!」
「それよりも魔力の使い方を教える方が先よ。魔力の使い方も知らないのに、魔法を覚えるなんて無理に決まってるでしょ?」
「魔力の使い方なんて、魔法の練習してれば自然と覚えられるって!」
「それはある程度の基礎ができてる人が相手の場合。この人みたいに知識が皆無の人には無理なの」
二人でなにやら議論を始めたフィリアとエリスちゃん。
あえて言おう。
俺の話なのに、俺がその会話の中に入っていないのはおかしいと思う。
まぁ、例え会話に参加していても理解できないんだけど……。
「と言うわけだから、アナタには今日から魔力の使い方を覚えるまで毎日特訓してもらうわよ」
「え!? 今日から!?」
二人の会話に参加できずにいたら、今度は気づいたらフィリアの特訓を受ける事になっていた。それも今日から。
もう外は真っ暗だって言うのに。
どうしてこうなったんだろうか……?
「当たり前でしょ? 今のアナタは皆より遅れてる所か、まだスタートすらしてないんだから、少しでも早く最低限の事はできるように今すぐ特訓するわよ」
「いや、でも、今は飯食ったばっかりだし……」
強くはなりたい。
けど、だからと言って晩飯を食った後すぐに特訓とか、できる事なら勘弁してもらいたい。してもらいたいのだが……。
「今のアナタに特訓を拒否できる権利があると本気で思ってるの?」
「……いえ、なんでもないです……」
この件に関しては、俺に拒否権なんてものが存在するはずもなく、フィリアのその一言で俺は飯を食ったばかりにも関わらず、問答無用でフィリアの特訓を受ける事になってしまった。
「なら、五分後に庭まで来なさい。準備したら私も行くから」
そう言って部屋から出ていくフィリア。
正直、やる気満々すぎて怖い。
「あーあ。ねぇさまのスイッチが入っちゃったねー。エリスも昔、ねぇさまに魔力の使い方を教えてもらった事があるけど、ねぇさまの教え方は厳しいから、カミトにぃさまも頑張ってね?」
「き、厳しいって……。俺が魔力とか魔法の事を知ってから、まだ三日も経ってないんだけど……」
「多分関係ないと思うよ? ねぇさま、かなりやる気満々だったし」
どうしよう。始める前から、すでに逃げ出したい。
「ま、まぁ、死なない程度に手加減はしてくれるとは思うよ? ……多分……」
「多分!? ちょっと待って、エリスちゃん! 今、最後にぼそっと『多分』って言わなかった!?」
「き、気のせいじゃない? うん。多分、カミトにぃさまの気のせいだよ!」
今のが俺の気のせいなら、今エリスちゃんが少し返答に詰まったのはおかしいと思うのは俺だけなんだろうか?
「ま、まぁ、とにかくねぇさまとの特訓頑張ってね! エリスは眠たくなっちゃったから、お風呂入って寝るね! おやすみ!」
「あ、ちょ、エリスちゃん!? このタイミングで俺を一人にするの!?」
「ごめんね! おやすみ!」
そう言って俺の静止を振り払い、一目散に部屋から出て行ってしまったエリスちゃん。
おそらく……と言うか、絶対巻き込まれるのが嫌だったから逃げたんだろう……。
「……はぁ……。仕方ない。一人で行くか……」
こうして、俺は深い溜息を零しながら、フィリアの待つ庭へと向かったのだった。