第五話
「えー……ゴホン。こう見えて私も忙しい身なので、そろそろ真面目に話を始めるとしよう」
ミレーナさんの一喝が入った後、俺達はこの部屋に置いてある唯一の机を挟んで、俺と後から部屋に入ってきた女の達の三人と、クロードさん、ミレーナさん、ジジイとの三人に別れ、現当主として、この部屋に唯一置いてある椅子に座ったクロードさんが再びこの場を仕切り始める。
ただ、今までのクロードさんを見ていると、あまり忙しそうに思えないので、今の言葉にはちょっと説得力が足りないような気がしなくもない。いや、まぁ、責任ある立場の人だから、多分本当に忙しいんだろうけど……。
「それじゃあ、えっと……とりあえず、カミト君とフィリア達でお互い簡単に自己紹介してくれるかい? その方が途中で余計な疑問を持つ事なく、スムーズに話が進められるからね」
「分かりました、お父様……」
そう言って、俺の隣に立っている、さっきジジイにビンタしていた方の女の子が、俺の方に視線を向けてくる。
ジジイの事をビンタした時、要は一目見た時からずっと思っていたのだが、どことなくミレーナさんに似ている気がする……と言うか、ミレーナさんを少し幼くした感じの女の子だ。綺麗な真紅の髪もミレーナさんと同じで、違う所と言えば、美人なミレーナさんより幼く感じる分、美人と言うより美少女と言った方がしっくりする位だろう。
「私はフィリア・ラニエールです。多分、アナタも同じくらいの年だと思いますが十六です。フィリアと呼んでください」
「えっとね、エリスはエリス・ラニエールって言います! えっと、もうじき十歳になります!」
フィリスが喋り終えると、まるで自分の順番を待っていたかのような速さで、フィリアの隣にいた、もう一人の女の子、エリスちゃんが元気に自己紹介をしてくれる。
髪はミレーナさんやフィリアと同じ真紅なのだが、エリスちゃんは二人と違って白いリボンを頭の左右にくくっている。いわゆるツインテールと言う奴にしている。エリスちゃんもフィリアと同様ミレーナさんに似ているのだが、エリスちゃんはフィリアよりもさらに幼い感じで、美人や美少女ではなく可愛いといった感じだ。
「んじゃあ、最後は俺だな……。俺は風間カミトだ。フィリアの予想どおり、フィリアと同じで十六だ。……こんな感じで良いですか、クロードさん?」
クロードさんに言われた通り、本当に簡単な自己紹介。
正直、さっきから二人の名前はちょくちょく呼ばれていたので、なんとなく二人の名前くらいは分かっていたので、あまり必要性は感じなかったが、これでこの場に知らない人は誰もいないという事なのでよしとしておこう。
「ああ、問題ないよ。それじゃあさっそくだけど、先に結論から言おうか。まぁ、フィリアとカミト君は途中で気づいたみたいだし、今の自己紹介で確信に変わっていると思うけど、カミト君はフィリアとエリスの従兄弟だ。ここまでは良いね?」
「はい」
「大丈夫です、お父様」
それはさっきまでの一連の流れで、なんとなく予想できていたし、さっきの自己紹介で二人は自らラニエールと名乗っていたので、間違いないと思っていた。
と言うか、同じ人物の事をそれぞれ「ジジイ」「お爺様」なんて呼んでいたら、答えはそれしかない。
「うん。じゃあ、次の確認事項だ。フィリア達とカミト君が従弟同士と言う事は、つまりカミト君もラニエールの血が流れている。まぁ、私の兄の息子なんだから、これも当然だと分かるね?」
「まぁ、自覚はないですけど、そりゃそうでしょうね」
クロードさんが何を言おうとしているのか、依然としてさっぱり分からないが、今の言葉は間違いなく事実なので、とりあえず頷いておく。
と言うか、さっきまで俺と同じように騒いでいた、フィリアが今の話を聞いた途端「まさか」みたいな顔をしているんだが、もしかして今ので何か分かったんだろうか?
「うん、結構……。ところでカミト君。ここでイキナリ話が変わってしまって申し訳ないんだが、カレッドモンド……つまり、君に取っての異世界には、現在二十一の国が存在するんだ」
「カレッドモンドってのは、要するに“地球”みたいな名称の事じゃからな?」
「ん? ああ、なるほど……」
知らない単語が出てきて、一瞬なんの事か良く分からなくなったが、ジジイの補足説明のおかげで何とか理解する。
「因みに、今我々がいるのはアストラル王国。二十一カ国の中で、今最も安全な国だと言われている国なんだ」
つまり、他の国はあまり安全じゃないって意味なんだろう。不謹慎なんだろうが、有無を言わさずに連れて来られた場所が安全な場所で良かったと心底思う。
「だけど、いつ何時危険が訪れるか分からないし、もし国が危険に陥ったら、誰かが何とかしないと行けない。そうだろう?」
「まぁ、そりゃそうなんでしょうね……」
どうしよう。クロードさんが何を言いたいのか本格的に分からない……。と言うか、どうして俺の親戚の話から、国がどうたらこうたらの話になったんだろうか?
「カミト、先に言っておくが、この世界に政府とかはないぞ? あるのは王族と貴族だけじゃからな?」
「あー……うん。そっか」
ジジイの補足も、正直俺にはどうでも良い事だし、本当にこの二人が何を言いたいのか全く理解できない。
「ん? お前、ワシが言っておる意味をちゃんと理解しとるか? この国では、政府ではなく王族と貴族が国を動かしとるんじゃぞ?」
「うっせぇな……。ちゃんと分かってるってよ」
クロードさんとジジイが俺に何を言いたいのかはさっぱりだけど。
「だったら、貴族には責任があるって事も理解できておるな?」
「ん? そりゃまぁ、王族や貴族が国を動かしてるなら、王族と貴族には責任があって当然なんじゃねぇの?」
むしろ、そういう連中に責任がないなら、どこの誰が責任ある奴らなんだって話だ。
「そうじゃな、王族や貴族には責任があって当然。ワシもそう思うぞ、カミト」
「そ、そうかよ……」
全く意図の読めない質問ばかりで、返答に困ってしまう。
ただ、なんとなく俺の返答に対してジジイが満足そうな笑みを浮かべているので、俺に取ってはあまり良くない方向に話が進んで行ってるような気がする。
「それでは、カミト君にこの世界の事を理解してもらった所で、話を少し元に戻すとしよう」
「は、はあ……」
最早何の話か分からなくなってきたので、話を元に戻してくれるのは非常にありがたいんだが、このタイミングで話を戻そうとするのもかなり不自然だよな……。
やっぱこの二人、何か俺に取って良くない事を企んでる気がする……。
「我々の母国である、このアストラル王国。実はこのアストラル王国には二百以上の貴族の家があったりするんだ。もちろん、その中でも序列があるわけなんだがね……」
「要は、国を動かしているのは王族と貴族だけど、その中でも力の強い貴族と弱い貴族がいる……って事ですよね?」
「ああ。その通りだよ、カミト君」
なんかさっきから俺に関係なさそうな話ばっかりしているが、どうやら今の所は何とか付いて行く事ができているようだ。
正直、わりと本気でこんな話はどうでも良いんだけど……。
「で、だね、カミト君。まだ言っていなかったが、実はラニエール家もアストラルの二百以上ある貴族の1つだったりするんだよ」
「まぁ、城なんか持ってるし、ラニエール家の現当主なんて言ってたから、薄々そうじゃないかとは思ってましたけど、やっぱりそうだったんですね……」
当主なんて単語が出てくる漫画でも、当主なんて言葉を使っていたのは偉い人物だけだったし、何よりこれだけダラダラと王族やら貴族やらの話をされ続けたんだから、正直それくらい予想するのは難しい事じゃなかった。
だが、クロードさんの次の言葉は、俺が全く予想もしていない事だった。
「そうなんだ。私達ラニエール家はアストラルでは序列八位の貴族で、私はその現当主だ。つまり、私には国の未来を守るため、ラニエール家の次期当主を選ぶ義務があるわけなんだが……。次期当主はカミト君にお願いしたい。と言うか、現状では君しか次期当主の権利がないから、君に次期当主になってもらいたいと思っているんだ」
「は、はあ……。俺にラニエールの次期当主をやらせ…………ん?」
途中まで自分の口で言葉にしてから、今のクロードさんの発言を一言一句思い出してみる。
今この人、もの凄く変な事を言わなかったか? それとも、俺の耳がおかしくなったんだろうか?
「え、えっと、クロードさん? い、今なんて……」
「ん? だから、カミト君にはラニエール家の次期当主になってもらう。そう言ったんだよ?」
どうやら俺の耳は正常に機能しているようだ。
こんなにも自分の耳が正常だった事を残念に思った事は、生まれて初めてだ。
「そ、それ、本気で言ってるんですか……?」
「もちろん本気だよ」
真っ直ぐな視線を俺に向けてくるクロードさん。どうやら冗談で言っているわけではないようだ。
「あ、あの、俺、この世界の事何も知らないん――」
「これから知っていけば良いじゃないか」
「……俺、この世界の人間じゃ――」
「ラニエールの血が流れているんだから、何も問題はないよ」
「お、俺なんか――」
「君なら大丈夫だ」
「む――」
「やってくれるね?」
「……………………」
何を言っても無駄。と言うか、もはや俺の話を聞いてくれそうな気配がまるでない。
これ、どうやったら断れるんだ……?
「カミト、いい加減に諦めたらどうじゃ? さっきクロードも言っておったが、現段階では候補者がお前しかおらんのじゃから、どう考えてもお前に拒否権なんかないじゃろうが?」
「それは理不尽すぎるだろうが……」
いきなり異世界に連れてきといて、今度はいきなり次期当主になれって、どんだけ横暴なんだよ……。
「てか、別に候補は俺一人ってわけじゃねぇだろう? フィリアとエリスちゃんだっているだろうが」
確かに、さっきのクロードさんの話を聞いた感じだと、俺の親父(どんな人か全く知らない)がクロードさんの兄だったなら、俺にもラニエールの血が流れているって事になるだろう。
けど、それはフィリアとエリスちゃんにも言える事だ。クロードさんの娘である二人にもラニエールの血が間違いなく流れている。だったら、この世界の事を何も知らない俺なんかが当主になるよりフィリア達が当主になった方が良いのは誰の目からも明らかだ。
だと言うのに――……。
「それは無理よ。お父様とお爺様の言う通り、候補者の条件をクリアしているのは現状アナタしかいないわ」
「へ……?」
――だと言うのに、途中からずっと黙ったまま俺の横でクロードさんの話を聞いていたフィリアが、俺の考えを即座に否定してきた。
てか、なんかさっきまでと違って、フィリアの言葉に棘があるような気がするのは俺の気のせい?
「アナタが住んでいた国がどうかは知らないけれど、この国では貴族の家で当主になれるのは、現当主と血の繋がりがある男性だけって決まりがあるのよ。だから、私とエリスは当主になる資格はないの」
「え……。ま、マジで……?」
「それ以外に、アナタしか候補者がいない理由が他にあると思う?」
残念ながら何も思いつかないので、返答に困る。
そうか。つまり、フィリアとエリスちゃんは当主になれないから、条件を全てクリアしている候補者である俺に次期当主になれって事だったのか……。
「まぁ、そう言うわけだからカミト君には次期当主になってもらうって事で良いね?」
「良いな、カミト?」
さっきは俺に拒否権はない。なんて言ってたくせに、俺に同意を求めてくるクロードさんとジジイ。
おそらくジジイの考えとしては、強制的に俺を次期当主にするのではなく、最後は俺が自分の意志で決めたって事にしたいんだろう。
クロードさんの考えは分からないが、多分クロードさんもジジイと同じ考えだと思って間違いない。何と言ってもこの二人は親子なんだし。
だから、俺は二人の意図をしっかりと理解した上で、二人に返事を返す事にする。
俺しか次期当主になれる人がいない事。
貴族の家に生まれたからには、嫌でも責任がある事。
それらを全て踏まえた上で俺は――。
「絶対に嫌だ! 断固拒否する!」
――俺は二人に向かって力強く拒絶の言葉を言い放った。
「なっ!?」
「えっ……?」
「え……?」
「ん?」
「はぁ……」
俺の回答がよほど予想外だったんだろう。クロードさんだけでなく、ミレーナさんと俺の隣にいるフィリアまでもが驚いていた。
まぁ、エリスちゃんは何が起こったのか理解してないみたいで首を傾げているし、ジジイは予想していたのか溜息を吐いているが……。
「何となく、お前なら今の話を聞いても拒否するような気がしておったが、まさか本当に拒否するとはのう……」
「そりゃそうだろう。事情は理解したけど、だからって俺が当主をやらなきゃいけない義務なんてないだろう? それに、俺はこの世界で育ったわけじゃねぇし、ぶっちゃけ親父の顔も知らないのに、親父の血筋だからって理由で当主になんかなれるか」
さっきの責任の話だって、あれはこの世界で育ってきた奴らに対する話だ。
例えこの国が親父の故郷であっても、俺の故郷はあくまで地球にある日本だけだ。この世界の事情なんて俺には全く関係ない。
「お前、意外と細かい奴じゃのう。自覚がなくとも、お前は間違いなくユギトの息子じゃろうが」
「うっせぇな……。だから、自覚もないのにお前にはラニエールの血が流れてる。なんて言われても、困るんだよ」
と言うか、ぶっちゃけ当主の仕事なんか俺はやりたくない。
今、クロードさんの目の前に山のように積んである紙束はおそらくクロードさんの仕事の山々だ。
あんな物を見て当主になりたいなんて俺は全く思わないし、あんなに大変そうな仕事を俺は絶対にやりたくない。
「カミト、正直に言ったらどうじゃ? 本当はお前の血筋がどうこうより、この書類の山を見て、こんなのと格闘するなんて嫌だと思っておるだけなんじゃろう?」
俺は一切言葉にしていないのに、なぜかジジイに思考を読み取られていた。
なんで分かったんだろうか……?
「全く……。一族の一大事に、自分が仕事をしたくないから当主になりたくない。なんてアホらしい理由で拒否するとは、なんて情けない奴なんじゃ……」
「い、いや、それはその……。ほ、本当に、俺は当主になれるような器のデカイ人間じゃないと思ってだな……」
「言い訳が苦しくなってきておるぞ、カミト?」
「う、うっせぇ!」
ジジイに本音を当てられたのが予想外すぎて、ちょっと動揺しちまったんだよ!
「だいたい、器なんぞこれからデカくしていけば良いだけじゃろうが? 今はまだ、誰もお前みたいな十六の子どもに期待などしておらんわ。ワシらがしておるのは、いずれの話じゃわい」
「父上の言う通りだよ、カミト君。君はまだ若いんだ。これから、いくらでも成長できるさ。それに、仕事だって一人で全てやる必要はないんだよ? もちろん、ある程度はできないと話にならないけれど、君が当主になる頃には、君より年下のエリスだって大きくなっているんだし、フィリアとエリスの二人を頼れば良い。……二人とも、カミト君が当主になった暁にはカミト君の事をしっかり補佐してくれるね?」
そう言って、ここぞとばかりにジジイの加勢に加わったクロードさんがフィリアとエリスちゃんへ視線を向けた。
「うん! エリスがカミトにぃさまを助けてあげる!」
「……まぁ、彼が当主になった時は、私も全力で補佐しますけど……」
「だ、そうだよ? カミト君」
フィリアとエリスちゃんの返事を聞いて、満足そうな笑みを浮かべながら、再び俺に視線を戻すクロードさん。
どうやらクロードさんは、今ので俺が良い返事をすると思っているようだ。
本当に俺が当主をやりたくない本質は、そこじゃないんだけどな……。
「と言うか、カミトよ。お前、ここで次期当主にならなかったら、どうやって生きていくつもりなんじゃ?」
「は? そんなもん、日本に帰って……」
「先に言っておくが、お前が次期当主になろうがなるまいが、今すぐ日本に帰るのは無理じゃぞ? お前とワシがこの世界に来る時に使ったナイフは、一回きりの使い捨てじゃから既に折れておるぞ?」
そう言ってジジイは、俺に絶望的な現実を叩き付けるかのように、さっきジジイが床に突き刺したのと同じ――ただし、今ジジイの手にあるのは根本からキレイに折れている赤いナイフを俺に見せてきた。
「……は? え? な、なんだよ、これ……? こ、これが、さっきジジイが床に突き刺したナイフ……なのか……?」
「うむ。これは間違いなくワシが床に突き刺したナイフじゃ。付け加えると、ワシが一から作った物じゃから、この世に一つしか存在せん代物じゃから、お前が複製させる事も無理じゃろうな」
「ま、マジかよ……」
俺はジジイの言葉が信じられず、ジジイの手からナイフを奪い取り、本当に使えないのか確認するために何度も床に突き刺したのだが、さっきみたいな魔法陣が描かれる事は一度もなかった。
「気は済んだか?」
「済んでねぇよ……。けど、これが使えないって事だけは分かったよ……」
もしかしたら、もう少し時間が経てば使えるようになるかも知れない。その可能性はまだ残されているが、とりあえず今このナイフが使えない事だけは間違いなかった。
「そうか……。だったら、今の結果を踏まえた上でもう一度聞くぞ、カミト。ワシに無理やりアストラルに連れてこられた今の状況で、お前が次期当主を拒否して生きていけると本気で思っておるのか?」
「…………ちっ!」
返事の代わりに、舌打ちしてからジジイを睨み付ける。
そんな分かりきった事を聞いてくるなんて、なんて性格の悪いジジイなんだ。
「言っとくけど、俺は帰る方法が見つかったら迷わず帰るからな!」
「その時はお前の好きにしたら良いが、ワシでも地球とカレッドモンドを繋げるためのナイフを作るのに数年かかったんじゃ。魔法の知識どころか、この世界の知識ゼロのお前ごときが簡単に作れると思うなよ?」
「ジジイが作れたんだろう? だったら俺でも頑張ればでき……って、ちょっと待て」
自信満々に「作れる」と言いかけて、途中で口を止める俺。
今、ゲームや漫画の世界でしか聞いた事のない単語が、ジジイの口から聞こえたような気が……。
「……おい、糞ジジイ。今、なんて言った? 魔法の知識が、何とかって言わなかったか……?」
「ん? なんじゃ? そんなに何度も、魔法の知識が皆無のお前ごときでは、自力で帰るのは無理だと言われたいのか?」
やっぱり俺の聞き間違いじゃなかったみたいだ。この糞ジジイ、何食わぬ顔で「魔法の知識」とか、さらっと言いやがった。
「この世界には“魔法”なんてものが当たり前のように存在するのかよ……」
「ん? 言っておらんかったか? この世界では地球と違って科学ではなく、魔法の力を使って皆生きておる。と言うか、魔法がなかったら真面な生活ができんから、この世界では老若男女、誰でも簡単な魔法は使えるぞ」
そう言われてみれば、この世界に連れて来られる前に「魔法が当たり前のように使われている異世界じゃ!」なんて事をジジイが言っていたような気がするな……。
と言うか、その誰でも使える簡単な魔法すら使えない俺は、この世界でどうやって生きていけば良いんだろうか?
「まぁ、今のお前には簡単な魔法も使えんじゃろうが、お前にもラニエールの血が流れておるんじゃ。ちょっと練習すれば、お前でも普通に暮らしていく分には問題ないレベルにはなれるじゃろう」
つまり、簡単な魔法ですら使えなかった時の救済処置なんかは存在せず、この世界では普通に暮らす事すら難しいと……。しかも、それすらできなかった時は、現段階では一つしか分からない、帰るための道具なんて絶対に作れないと……。
とんでもない世界だな。
「まぁ、そう言うわけじゃ、クロード。交渉は無事に終わったぞ」
俺が交渉……と言うより、脅迫に屈した事に満足しているのか、勝ち誇った顔をしている糞ジジイ。ジジイを見ていると非常に腹が立ってくる。
「……そのようですね。父上がさっき言っていた、簡単な魔法なら誰でも使えると言う話は若干違うように思いましたが……」
「細かい事は気にするな。相手はカミトなんじゃから、少しくらいウソを教えても別に問題ないわい」
「待て、こら糞ジジイ! 問題しかねぇだろうがっ!」
何も知らない異世界の人間に向かってウソを教えるとか、どう考えたって問題点しか見当たらない。
と言うか、仮にも次期当主にしようとしてる奴にウソを教えるとか、本気で俺を次期当主にしようと思っているんだろうか?
「ま、まぁでも、父上がさっき言った事の全てがウソと言うわけではないんだよ? さっきの話を正確に言うと、私生活の上で私達が使っているのは魔力であって魔法じゃないんだ。それに、誰でも簡単に魔法を使えるわけじゃないから、そこは安心してくれ」
「え? ま、魔力? そ、それって俺にもあるんですか……? と言うか、俺にも魔法とやらは使えるんですか……?」
「魔力と言うのは魔法を使うために必要なエネルギーのような物で、力の大きさに差はあるけど、誰もが体内に必ず持っている力の事なんだよ。もちろんカミト君も例外ではなく、ちゃんと魔力を持っている。それと、さっきから何度も言っているように、君にはラニエールの血が流れている。魔法を使えるだけの素質は充分あると私は思っているよ」
なんか、また漫画やゲーム以外では聞いた事のない単語が出てきたが、どうやら俺にも魔力とやらはあるらしい。
まぁ、魔法とやらは使える人と使えない人がいるみたいだから、俺にも魔法が使えるかどうかは今後の努力次第みたいだけど……。
「ち、因みに、魔法が使えなかった場合、俺が地球に帰れる可能性は……」
「限りなくゼロに近いだろうね。そもそも父上の使った方法は、父上が独自に編み出した魔法を使っているから誰にもマネする事ができないわけで、魔法が使えなかったら話にならないだろうね」
「ま、マジですか……」
「因みにだが、今の王族や貴族の人間で魔法を使えない者は誰もいないから、カミト君が魔法を使えなかったら帰る希望もゼロに近いし、今後次期当主としてやっていくのも苦労すると思うよ?」
この世界、どんだけ魔法が大切なんだよ。
魔法が使えなかったら何もできないとか、鬼畜過ぎるだろう……。
「まぁ、過去には魔法の使えない貴族もいたようだけど、その人たちは力以外の自分の能力を最大限に使って生き残っていたようだから、カミト君もやり方次第で当主の件に関してはどうとでもなると思うけどね」
つまり、俺が魔法を使う事ができなかったら帰る事は出来ないが、やり方次第で当主は務まるから、次期当主の話がなくなる事はない。と……。
元の世界に帰りたい俺からしたら、何のメリットもないな。
「まぁ、今は魔法の件については置いておきましょう……。ただ、これだけは先に言っておきますけど、俺みたいな奴に次期当主をやらせるとか、どうなっても知りませんからね? 何かあっても、俺なんかを次期当主にした自分たちを恨んでくださいよ?」
ハッキリ言って、俺にもジジイ達と同じラニエールの血が流れているから大丈夫だ。なんて事をいくら言われても、俺には自分が魔法を自由自在に使っている姿なんて全く想像できないし、この世界の事だって何も知らない。
そんな俺が仮に次期当主になったとしても、何かあった時に責任を持つなんて事をできるわけがない。
いや、まぁ、俺が魔法を使えないって事は、いつまで経っても俺が地球に帰れないって事だから、困るのは俺なんだけど……。
「カミト、お前は本物のバカなのか?」
そう言って可哀想な人を見るかのような目で、俺を見てくるジジイ。
心の底から思う。そんな事、ジジイにだけは言われたくない。
「確かに今のお前に次期当主をやらせて、何か問題でも起こされたら困るのはワシらじゃろう。じゃが、お前にそんな事を言われずとも、それ位ワシらだって分かっておるわ」
「私達もバカじゃないんだ。今のカミト君に、次期当主を任せられるだけの力がない事は充分に分かっているつもりだよ?」
全く以てクロードさんの言う通りなのだが、そこまで言うなら次期当主なんかやらせようとするんじゃない。と言いたくなる。
「だから、さっきも言ったようにこの話は“いずれ”の話だよ。カミト君に次期当主を任せても大丈夫だと私達が判断して、世間に向けてカミト君を次期当主として正式に発表するまでは、カミト君の肩書はあくまで“次期当主候補”だ。……あれだけ散々言った後に申し訳ないんだけどね」
「要するに知識も力も何もない今のお前に、いきなりラニエールの次期当主をやらせるなんて言っても他の貴族や王族に見下されるだけじゃ。なら、お前がこの世界と国の事を色々と学んで、充分に力をつけてから、お前を正式にラニエールの次期当主として発表すると言う事じゃ」
「まぁ、次期当主候補と言っても、実質的にはカミト君が次期当主で決まりだと思ってくれ。これは私達ラニエール家の問題ではなく、貴族社会での大人の都合だと思って理解してほしい」
「は、はあ……」
なんか良く分からんが、貴族は仕事だけじゃなく、大人同士の対人関係でも色々と大変な事があるらしい。本当、良く分からんけど……。
「まぁ、とにかくお前は余計な事は考えず、普通にこの世界の学校に通って、この世界でも生きていけるように、しっかりと学んでこいって事じゃ」
「要は、今までと行く場所は違うし、国どころか世界まで違うけど、今までと同じように学校に行ってこいと?」
「そう言う事じゃ。まぁ、今までと学ぶ内容はまるで違うが、お前がやる事は向こうでもこっちでも、結局は学生生活なんじゃから、そんなに難しい事ではないじゃろう?」
「魔法やら魔力なんて単語が出てきた時点で、俺の知ってる学生生活じゃねぇよ……」
授業内容とかは全く分からないが、魔法や魔力なんて単語が平然と出てくるような世界の学校で送る生活なんて、どう考えても俺が知っている学生生活じゃない。
「いちいち細かい奴じゃな。今までと違うのは、前の学校と同級生が違うのと、授業で使う文字と、授業内容が全然違うくらいじゃ」
「ほとんど全部違うじゃねぇか! てか、言葉は通じるのに文字は全く違うのかよ!?」
同級生や授業内容が違うのは、最初から分かり切っていた事なので何とも思わないのだが、文字が違うのはハッキリ言って予想外だ。
会話が成り立っているので、この国の公用語はてっきり日本語だと思っていたのに……。
「お前は何を今さら騒いでおるんじゃ? 異世界なんじゃから文字が違うのは当然の事じゃろうが?」
「そ、そりゃまぁ、そうなんだが……」
それを言ったら、異世界で会話が成り立つのはおかしい事だと思う。
いや、まぁ、会話も成り立たない、文字も分からないって事になって困るのは俺なんだから、せめて会話だけでも成り立つだけマシと言えばマシなんだが、なんか納得がいかない。
どうせなら、文字も統一させてくれば良かったのに……。
「まぁ、この国の文字は日本語と違って、漢字や平仮名、カタカナのように何種類もないし、覚えるのは簡単じゃろうから安心せい」
「そりゃ、親切な事で……」
俺からしたら、日本語以外の文字を覚えなきゃならん時点で、充分ややこしいんだけどな。
「それと言い忘れておったが、この国……と言うか、おそらくこの世界の全ての国で共通だとは思うが、この国では戦闘訓練の授業を全生徒に受けさせておるから、訓練で死なないように気をつけるんじゃぞ?」
「…………え…………?」
「まぁ、昔とは言え、ワシが直々にお前を鍛えてやったんじゃから、簡単に死ぬ事はないじゃろうがな」
どうやら俺は、これから本気で死ぬような事になるかもしれない授業のある学校に通わないといけないらしい。
元の世界に早く帰りたいと心底思いながら、俺は本日何度目かも分からない溜息を盛大に零したのだった。