第十話
「なぁ、カミト……」
「なんだよ?」
「いったい僕らはいつまで拘束されるんだろう……?」
「知るかよ……。そんなのフィリアに聞いてくれ」
俺達が街を回り始めてから約五時間。俺達はなぜか今この瞬間、とある店の厨房で皿洗いをしていた。
なぜこんな事になっているのか。
これを一言で説明するのは極めて簡単だ。
それはずばり、フィリアが原因。この一言に尽きる。
朝っぱらから行動を開始したおかげか、銀行やら病院、図書館、本屋などといった、知らないと不便であろう主要な場所はほぼ全て回り終え、その後は適当にブラブラしていた俺達だったのだが、昼食のために寄った喫茶店が繁盛しており、なぜか俺達は助っ人を頼まれて、それをフィリアが承諾。結果、俺達まで巻き込まれて店の手伝いをする事になって今に至るというわけだ。
「てか、なんでこの店の店主はフィリアに手伝いなんて頼んだんだ? 普通、客に手伝いなんて頼むか?」
おかげで俺達は未だに昼飯すら食べれていない。
昼飯を食べに来て、労働させられてるのもおかしいが、それよりも店に来てから約二時間の間何も口にできないのはもっとおかしいと思う。
「そりゃ、この店の経営にラニエールさんの家が関係してるからだろうね」
「え? この店ってラニエール家と関係あるのか?」
「え、知らないかい? 噂でしかない話だけど、この街に住んでる人なら誰でも知ってる、かなり有名な噂だと思うんだけど……」
全然知らなかった……。
てか、なんか俺って知らない事多すぎじゃないか? まぁ、異世界人なんだから知らなくて当たり前と言えば当たり前なんだけど……。
「すまないね、二人とも。これも追加でお願いできるかな?」
「あ、はい! 分かりました!」
「ありがとう。こっちの終わった分は僕が直しておくね」
突然フロアからマスターが現れたが、俺達に用件だけ伝えた後、マスターはすぐにフロアに戻って行った。
「……今の話、聞こえてたかな?」
「さぁな。でもまぁ、あのタイミングで現れたなら聞こえてたんじゃねぇか?」
まぁ、あの感じだとあまり気にもしてなさそうだったけど……。
「てか、そんな事より早く仕事に戻ろうぜ。また量が半端なく増えやがったし……」
さっきマスターが持って行った皿と同じくらい増えた皿に目をやると思わず溜息が出そうになる。
この店、実はかなり特殊な作りをしていたりする。
マスターがカウンター席の客と喋れるように良く使う器具だけ置いてある第一厨房があるのだが、その裏には洗い場や在庫を保管しておくための巨大な冷蔵庫やら、仕込みなどで料理を作れるように第二厨房があるのだ。
その関係で第二厨房方で洗い物だけを担当している俺とレイにはフロアの方は見えないわけだが、この皿の量的にフロアはもっと忙しいように思う。
俺達が手伝わなければ、フロアの方にマスターとフィリア以外にもう一人いるスタッフと二人だけ見せを回さないと行けなかったらしいが、正直この店を二人で回すのは不可能だったんじゃないかと思う。
「……よし。こうしよう、カミト。どっちの方が皿を多く洗えるか競争しよう。ほんで負けたら罰ゲームで明後日提出の宿題をするってのはどうだ?」
「乗った。てか、そうでもしなきゃ終わらない気がするしな」
こうして、俺達二人はやる気を失わないように、色々と工夫しながら洗い物に没頭したのだった。
☆
「なんだ、これは……」
全ての作業を終えて、ようやく飯にあり付けた俺達。
あんだけ働いた後なら何を食っても美味く感じるだろうと、俺は自分の注文をマスターのオススメに任せていたのだが、そうして出てきた料理を目の前にして言葉にならない程感動していた。
「ん? どうかしたのかい? ひょっとして、苦手な物でもあったかい?」
「いえ、違うんです。ただちょっと感動してしまって……」
こっちの世界に来てから早二週間。まさか、まさかこっちの世界でもコレがあったなんて思いもしなかった。俺は約二週間ぶりに対面した、それに感動せずにはいられなかった。
「感動して? 何か気になるものでもあったのかい?」
「ええ……。その、味噌汁に感動しまして……」
俺が感動した食べ物。
それは味噌汁だった。
こっちの世界にきてから衣食住、ラニエールの家のおかげで何一つとして不自由なく生活させてもらえた。しかし、出てくる料理は見た事も聞いた事もない料理か、全く一緒と言うわけではないが、まだ似ていると思えるような料理も洋食風だったりと、日本人にとって馴染みのある味噌汁のような食べ物は全く口にできなかった。
そんな中で毎日のように食べていた味噌汁が目の前に現れてみろ。
感動せずにいられるか? 俺には無理だ。
「味噌汁に感動……? 君はどこかで味噌汁を見た事があるのかい? 僕の知る限りでは、ここらの店で味噌汁を取り扱っている店はなかったと思うんだけど……」
「あ、いえ、この街で食べた事は一度もありません。ただ、実家の方では良く食べていたので、それで……」
あまり詮索されると俺が異世界人である事がバレてしまいそうなので言葉を濁す。
正直、さっさと異世界人だと公表できたら色々と楽だと思うんだが、クロードさん達から俺が異世界人である事や、ラニエールの人間である事は極力黙っておくように言われたので、それはできない。
ラニエールの人間である事を公表できないのは、俺が正式に次期当主になっていないからだが、異世界人である事が言えないのは安易に異世界なんて単語を出して、無用な混乱を招きたくないってのが理由らしい。
まぁ、俺としても変に混乱させるのも嫌だし、その方針に納得しているから何も言えないんだけど……。
なんて事を俺がちょうど考えていた時だった。
「カミト君。突然変な事を聞いてしまってすまないが、もしかして君の実家って言うのは異世界……。もっと言ったら、日本、なのかな……?」
マスターの口から思いもしなかった言葉が零れ出た。
それは決して適当な事を言って、たまたま当たったとか言うわけでもない。マスターなりの明確な根拠があったからこそ出た言葉だった。
どうする? 正直に答えるか? それともシラを切り通すか?
「そ、それは、その……」
あんまり返答に時間をかけ過ぎると怪しまれる。しかし、どの対応が正解かも分からない。
結果、俺は完全に答えに詰まってしまった。
「はぁ……。仕方ないわね……。おじ様、その件については私からお話しさせて頂きます」
そう言って俺に助けを出してくれたのはフィリアだった。
それは、俺を見かねての行動なのか、呆れての行動なのかは分からないが、どちらにせよ俺に取ってはありがたい申し出だった。
「わりぃ、フィリア」
「構わないわ。どうせおじ様には話さないといけない話だったし」
俺にはこの言葉の意味をすぐに理解する事は出来なかったが、フィリアは俺が言葉の意味を理解するのを待つ事なくマスターに俺の事を話し始めた。
「おじ様。まず結論から話しますと、彼の名前は風間カミト。二週間前に異世界からやってきた、正真正銘おじ様の実の孫になります」
たった一言。フィリアのそのたった一言でマスターは全てを理解したようで、それ以上フィリアに何も言及はしなかった。
「そう、か……。それじゃあ、やっぱり、君があのカミト君なのか……」
ただ一言、そう呟いたマスターの声には、色々な感情が籠っていた。けど、そう言うのに鈍感な俺でも分かるくらい、マスターの声や表情から、一番大きい気持ちは喜びである事が伝わってきた。
もー何も説明はいらない。マスターの口からはそんな言葉が聞こえてきそうだった。
けど、俺に取ってはそんな一言だけでは説明不足でしかない。
むしろ、フィリアのその一言で、俺に取っては理解どころか、逆に頭の中が疑問符だらけになってしまい、俺は全てを理解しかのようなマスターとは対照的に驚きの声を上げそうになったのだが……。
「えええぇぇぇええ!?」
俺が叫ぶよりも前に、俺の隣に座っていたレイから驚きの声が上がってしまい、俺は完全に叫ぶタイミングを失ってしまった。
いや、そこは普通レイよりも先に俺が叫ぶところじゃね?
「え!? か、カミトは異世界人だったのかい!?」
「あー、まぁ、その、なんだ。結論から言うとそうなる、かな……。あ、でも一応これ公に発表するまでは誰にも言うなって言われてるから内緒で頼むわ」
「い、言われてるって、い、いったい誰に……?」
「ジジイとクロードさん。あ、俺とフィリアの爺さんと、フィリアの親父さんの事な」
「き、君たちって親戚だったのかい……?」
「まぁ、従姉妹って関係だし、そういう事になるわな」
レイは開いた口が塞がらないようで、驚きを隠せないでいた。
一応口止めもしといたけど、レイの事を完全に信用にして良いのかは正直ちょっと不安だったりする。でもまぁ、ここはレイを信じるしかないな……。
と言うか、今の俺にはそれよりも大事な事がある。
「おい、フィリア。マスターが俺の、その、なんだ。実の爺ちゃんってのはどういう事だ? ちゃんと詳しく教えてくれ」
「言われなくてもそのつもりよ。……ただ、アナタはもう少し驚いたらどうなの? 普通はもう少し驚くと思うのだけれど?」
「充分驚かされたから気にするな。ちょっと驚くタイミングを見失っただけだ」
「そ、そうなの? あまりそうは見えないんだけど……。まぁ、良いわ」
そう言って、一度咳払いをしてからフィリアは再び口を開き始めた。
「さっきも言った通り、この人はアナタの母方のお爺様に当たる人よ。そしてご出身はアナタと同じ場所。つまり、元異世界人よ」
「な、なんで……」
「なんでアナタ以外にも異世界から来た人がいるのかって? さぁ? そこまで詳しい事は私も知らないわ。ただ、事実だけ言うのであれば、おじ様は十八年前にこっちの世界に移住した。そうですよね?」
そう言ってフィリアはマスターに視線を向けた。
「まぁ、そうだね。フィリアちゃんの言う通りだよ。僕は十八年前に娘の結婚に合わせて、娘と共にカレッドモンドに移住してきた。それで間違いないよ」
「娘さんと一緒に……?」
「ああ。僕の一人娘で、君に取っては血の繋がった母親だよ」
言われた瞬間、俺の中で一瞬時間が停止した。
俺は生まれてから一度も母親の顔を見た事がない。
昔、ジジイに一度だけ母親の写真だけでも見せて欲しいと頼んだ事があるが、ジジイに写真は一枚もないと言われ、当初の俺は素直にそれを聞き入れてしまった。
だから俺は一度も母親の顔を見た事はないし、どんな人だったかも知らない。
そんな俺の目の前に突然その母親の親だと名乗る人物が現れたんだ。
本当なら色々と母親の事を教えてもらえるチャンスだと考えるべきなんだろう。けど、突然そんな事を言われた俺には、それを実感する事ができなかった。
他人事と言うか、夢を見ている感覚と言うか、とにかく自分に関係のある事だと実感できなかった。
「はは。カミト君に取っては今さらって感じだよね……。娘が他界してから十七年、ハヤト君が君と一緒に暮らしていた間、僕は何もできなかった。母親の事を教えてあげる事すらできなかった。母親の事を何も知らないまま幼少期を過ごさせてしまった。そんな僕が突然、君の祖父だなんて言われても、今さらどの口がって感じだよね……」
そう言ったマスターの顔は本当に申し訳なさそうだった。きっと心底そう思っていなかったらできない。そんな表情だった。
でも、そうか……。マスターは俺に対してそんな風に思っていたのか。
確かに今さら祖父が一人増えるとか受けるのは簡単じゃ……ん?
「いや、そうでもないな」
ガタッ
俺がそう言った瞬間、レイが椅子から転げ落ちた。
なにしてんだ、コイツ?
「ないのかよ! だったら、さっきの間はいったいなんなんだよ!」
「いや、そりゃまぁ確かに驚いて言葉は出なかったし、正直マスターが俺の爺ちゃんだなんて実感もねぇよ? でも、別に受け入れらないわけじゃねぇし」
てか、そもそも俺はつい最近、それもわずか二週間前に従姉妹や叔父、叔母が増えたのだ。今さらもう一人祖父が増えた所で困る事もなければ、混乱したりもしない。
まぁ、今まで何も知らなかった母親の事を急に知る機会が出てきて、少し戸惑ったのは事実だけど……。
「カミト君……。こんな僕を許してくれるのかい……?」
「許すも許さないもないですよ。マスターが俺の母さんの父親で、俺の爺ちゃんなんでしょ? そんで俺にはまた親戚が一人増えた。俺に取ってはそれだけですよ」
「君は懐が深いね……」
なんだろう。凄くむず痒い……。
「違いますよ、おじ様。この人は懐が深いんじゃなくて、何も考えていないだけです」
「うっせぇ!」
でもまぁ、うん。凄く失礼だけど、そっちの方が的を射ている気がするし、何よりむず痒さが全くないから別に良いな。実際何も考えてない時の方が多いし。
「はは。まぁ、例えそうだとしても僕はカミト君の言葉で十六年ぶり救われた気がするよ。だから、ありがとうと言わせてくれ」
そう言ってマスター改め、爺ちゃんが俺に頭を下げてきた。って、ちょっと待て。
「ちょ、頭なんか下げないでください! 俺は本当に謝られるような事はされてないんですから、感謝されるような事も何一つないですよ」
「いや。君がそう言っても、僕はこの十六年間罪悪感でいっぱいだった。それに事故とは言え、娘が君を生んで早々に死んでしまったせいで君は母親の愛情を知らずに育ってしまった。それなのに僕は娘の一人息子に何もしてあげられなかった。それはどうやっても変わらない事実だ。だから、すまなかった」
あぁもう! 重たいな!
なんだってこの人はこんな感じなんだ! 俺が別に気にしてないって言ってるんだから、別に良いじゃないか!
けど、そっちがそんな感じなら仕方ない……。
俺は柄にもなく真剣な表情で、真っ直ぐとマスターの目を見ながら口を開いた。
「分かりましたよ。そんなに自分が悪いって思うなら、一つ俺の頼みを聞いてください」
「頼み? そうだね。僕にできる事なら何でもするよ」
「できますよ。俺の頼みはただ一つ。これからは俺の爺ちゃんとして、色々相談に乗ってください。そんで、母さんの事を色々と教えてください」
「そ、そんな事で良いのかい……?」
「そんな事が俺に取っては大事なんです」
ま、まぁ、その、なんだ。
こっちの世界に来てから、急に親戚が増えたけど、元の世界の事を知っている人間なんてジジイ位だし、ちょっとした思い出話だってしたい時があるかもしれないし、何より元の世界からこっちの世界に来た先輩として……そう! 先輩として色々と俺のためになる事を教えてもらえるかもしれないし、それに母親の事だって一応知っていても損はないはずだ。だから、これは別に爺ちゃんが増えてほしいとか、母さんの事が知りたいとかじゃ決してなく……って、俺はいったい誰に向かってこんな長ったらしく言い訳なんてしてるんだろうか?
「はは。そっか。カミト君がそれを望むなら、これから僕は全力でカミト君の力になるし、幾らでも娘の事を話すよ」
「ありがとうございます」
「はは。僕は君のお爺ちゃんなんだろう? だったら、そんな事は当たり前の事だし、もう僕に対して敬語で話さなくても大丈夫だよ? むしろ、敬語は使わないでもらえると嬉しいかな?」
「あー、まぁ、その……。分かったよ。ありがとう」
んー……。やっぱりむず痒いな……。
ジジイみたいに無駄に人をバカにしてくるようなタイプなら、俺も全く気にしないのだが、マスター……じゃなかった。爺ちゃんみたいに優しいタイプと言うか、人をバカにしない、敬意を持てる人が相手っていうのは全然慣れない。
まぁ、こうなった以上、嫌でも慣れるしかないんだろうけど……。
「さてと。それなら僕はお爺ちゃんとして、まず初めにカミト君に渡さないといけない物……って言うより、渡したい物があるんだ。ご飯を食べ終わったら少し僕の部屋まで来てくれるかい?」
「爺ちゃんの部屋? そりゃまぁ、別に良いけど……」
「ありがとう。それじゃあ、話はこれ位にして、冷めないうちにご飯を食べちゃってくれるかい? どうせなら僕も冷める前に食べてほしいからね」
そう言って爺ちゃんは俺達に目の前の飯を食べるように進めてくる。
俺に渡したい物がなんなのか正直気になるが、爺ちゃんの言うように今はそれよりも先に飯だな。
せっかく二週間ぶりに出会えた味噌汁だ。冷めたら勿体ない。
そんなわけで俺達三人は爺ちゃんが作ってくれた料理を食べ始めたのだった。