第24話 果断にして、怜悧
「用件は?」
濃い灰色の貫頭衣の随所を革のベルトで締めて身動きしやすいように特化させた影が、押し殺したような声で微かに問う。
「情報を希望します」
私が小声でそう告げると、小さな頷きの後に、鋭い視線を感じる。
「ふん……。付いてこい」
同じ声音で影が微かに呟くと、廃墟の影に沿って進み始める。私は周囲を警戒しながら付いていくが、意図的に道を惑わそうとしているのか、同じ場所をぐるぐると回る。
「ん?」
影に聞こえない程度に唸ってしまったが、気付けば後ろから数人の人の足音が付いてくるのが分かる。横目に見ていると、通り過ぎた廃墟の扉から、男がぬっと現れて随行に加わる。
はずれだったのか、念入りなのかは不明だが、若干まずい雰囲気を感じて、杖を持つ右手に力が入る。
「ここだ。入れ」
すわ逃走かと思った瞬間、影が声をかけてくる。そこは何度か前を通った廃墟だった。腐って役に立たない扉を抜け、狭い廊下を抜けるとキッチンが見えてくる。その中心には食料用の地下保管庫の扉が見える。
「ジャワーの花に零れる雫」
微かに聞こえるくぐもった声。
「永久に凪ぐ大河の如く」
影が答えた瞬間、ゴっと重い音が響き、扉がせり上がり、がこんと直立する。目前には地下への階段が現れていた。
戸惑う事無く降りる影。
「付いてこい」
その言葉に、何とか体を折り曲げながら、地下への階段を下る。蝋燭がぽつりぽつりと灯る薄暗い細く湿った土壁を暫く歩くと、石壁と扉が目に入る。シャコっと扉の中心に穴が開き、刹那の灯りと瞬転しての闇。再度シャコっという音を響かせて、扉が重くぎぃぃと軋みながら開かれる。
そこは、明るい部屋だった。
奥側には扉があり、部屋の中央に簡素な低いテーブル。それを囲うように、そこそこましなソファーが並んでいる。
「座れ」
影の言葉に従い、下座のソファーにゆっくりかけると、影が奥の扉を符丁じみたノックで叩く。数秒の間が開き、がちゃりと扉から五十程の男が出てくる。服装は何の変哲もない、町中の人間が着ているような服装だが、その雰囲気は暴力を生業にしている人間特有の鉄錆じみた臭いを鼻の奥に感じさせた。
「見ない顔だな……。その服装、最近噂になってる渡りか?」
地の底から響くという印象が最も近く感じるような低音が、対面のソファーに座った男の喉から零れる。影は奥の扉の前で待機している。
「そうです」
私は情報を必要以上に渡さないよう、短く答える。
「違う世界から来たと聞いていたが、礼儀が分かっているようだが?」
表情を変えないにせよ、若干の興味を感じさせるような色で、岩を砕くような低い音が響く。
「この手の場所の挨拶は似たようなものです」
私も素直に応える。
仕事柄、営業の人達は明らかに危険な場所、裏稼業や紛争地域に出入りする事が多々あった。その為、通り一遍の礼儀や振舞いというのは良く話題になっていた。特に宗教系の紛争地域などになると、一手順間違うだけで文字通り首が胴体と別れるというケースも存在しており、情報共有に関しては皆真摯に行っていた。
「そんなものか。俺が呼ばれたという事は情報か。何を求める?」
「公爵閣下に関する統治方針及び裏稼業に対しての対策方針」
私の言葉に、入ってきた扉側で立っていた後ろを付いてきた集団に動揺が生まれる。
「手ぇ出すな。大人しくしとけ」
男の一喝で殺伐とした雰囲気は雲散霧消とはいかないにせよ、感じられない程度には収まる。
「そんな情報を何に使う?」
純粋に疑問を感じさせる男の声音。
「明日、出頭命令が出されました。その理由が分からないため、情報を求めています。情報屋を探すにも時間が無い上、公爵閣下の情報を漏らす程の信頼関係を築けるとは到底思いません」
ここは正直に話す方が吉と見て、一息に告げる。
その言葉に、残念という雰囲気が部屋の中に広がる。目前の何物にも動じ無さそうな男ですら眉根に皺を寄せる。
「っち。カモかと思いきや、紐付きか」
「下町に情報収集をする旨は残してきています。私が戻らない場合はそれが公爵閣下に伝わります。面子を潰す形になった場合、どのような事が起こるかは……」
伏せ気味にしていた顔を上げ、男の瞳を見つめる。
「分かりません」
その言葉から、交流が始まる。
「どの程度の粒度の情報を求める?」
刹那苦い物を浮かべた男もすぐに表情を直し、静かに問うてくる。
「今日はご挨拶程度ですし、急いでいます。表面をさらり程度で十分です」
くいと頬の端を上げて、笑顔らしき表情を浮かべ告げる。
「十五」
男の言葉に、私は胸に手を入れて、革袋からじゃらりとテーブルに貨幣を零す。
「客か……」
男の言葉に、影以外の人間が扉を開けて出ていく。部屋に残るのは、奥の影と男のみになる。
「挨拶という事は、今後も顔を出すのか?」
「現状は傭兵業で食べていますので、情報は必要です。組織間の力関係も不明ですので、まともと思われる組織に当たってみました」
「賢明だな」
男が右手を挙げると、影が棚から無造作に瓶と酒杯を持ってくる。男が杯に酒を注ぐと、口を開く。
「選べ」
私が無造作に右側の杯を選ぶと、逆側を手に取り、掲げる。
「偽りなき答えを」
男がそう告げると杯を呷るので、それに倣う。ごぐりと喉を通った瞬間、鼻から穀物系の香りと、喉のひりつくような熱さを感じる。この世界の蒸留酒は臭みが強く受け付けなかったが、この酒に関しては手放しに美味いといえる逸品だった。
「素人に見えるが……豪儀だな」
「ここで毒も薬も意味が無いですから。お酒は楽しむのが一番です」
私の言葉に、微かに口の端を動かす男。こぽりと再度杯に酒を注ぎ、男が口を開く。
「ジェクシャード公爵の統治は果断にして、怜悧。なれど恩情はあるが、コネは利かない」
私がこくりと頷き、先を求めるように目を動かす。
「こっちへの対策は線引きはしているが、緩くはない。それでも、町の中での殺しは法度だな」
「メーゲルに対しては随分と緩いですね……」
言外にその上、男爵の方針に関する部分も匂わせる。
「男爵が隠していたという部分はあるが、最低限町の中で殺しまではしていないな」
「ふむ……。難民を強盗に仕立てて抹殺。点数を稼ぎつつ公金をせしめるのは良しとするんですね」
私の言葉に、一瞬男の目が細くなるが、ふと頭が振るわれる。
「公爵の方針なら黒だ。男爵の真似だな」
「なるほど。ならば話が出来そうな御仁ですね」
微笑み、酒杯を再度傾けると、向かいの男もぐびりと含む。
暫く男から公爵に関わる話を聞き、瓶の酒が無くなった頃にふとという感じで、男が口を開く。
「公爵は……何を求めている?」
その言葉に心の中で首を傾げる。この手の組織であれば、目立つ情報は収集しているかと思ったのだが……。
「……ふ。そこまで行政が筒抜けという訳では無い。あの男爵の頃ならまだ手は出せていたがな」
面白くない色を瞳に浮かばせながら男が告げる。
「ふむ、またもありますし……。技能とみています」
私の言葉に、渡りと男が呟く。
「内容は取り敢えずお伝えしません。またの機会に」
私が杯を掲げると男も杯を掲げ、一息にお互い飲み干す。
これで、この楽しい一夜も仕舞だ。
「ここまでだ」
廃墟から下町の入り口まで先導してくれた影が、そっと呟くとすぃっと周囲の影に消えていく。
「さて、これも次回のネタですか」
胸ポケットから取り出したスマホの録画状態を解除し、僅かに感じるアルコールを吐息に混ぜながら、家に戻る事にした。




