第2話 技能が分かりました
「ふごっ……」
ふわと目を覚ますと、木窓の隙間からほのかな明かりが漏れ入ってきていた。ふわふわと神秘的に浮いてる埃に導かれるように、建付けの悪い窓をがこんと開ける。
すると、鮮烈な朝の空気がさわーっと入ってくる。くんと鼻を鳴らすと、微かに秋の匂いがした。
体感的には二十度ちょっとくらいかなと若干冷やりとする風を浴びながら、ふわぁと欠伸をする。
くきりと首を鳴らしていると、ヴヴヴとスマホのバイブが響く。時間は五時半。いつもの目覚めの時刻だ。太陽は軽く頭を出したばかり。
「仕事でもないのに……」
土日も出勤で潰れる事が多く、いつの間にか早起きは習慣になっていた。ベルが寝ているなら迷惑になるかと思いドアに耳を付けて気配を探ってみるが、物音が聞こえてくるので起きているのだろう。ドアのカギを開けて、とんとんと階段を下りる。
「おはようございます」
通じるかなと思いながら、炉の前で作業をしているベルに挨拶をするとおはようと返事が来た。
「早えな。まだ夜明けだぞ?」
「習慣です」
「はは。ちょっと待っててくれ。一段落したら飯の支度するからよぉ」
振り返ったベルは人の良い笑顔を浮かべながら、ちょいちょいっと食堂の方を指さす。
「あぁ、その事ですが。今朝は私が用意しても良いですか?」
自分の手の内を曝け出すのはどうかと思ったが、どこかで情報を得る必要はある。少なくとも金を持っていると分かっているのに夜中に襲ってこなかったベルを信用するだけの価値はあるだろう。
「そりゃ構わんが……。台所、荒れてっぞ?」
若干不思議そうな表情で語るベルにぷるぷると首を振る。
「技能が分かりました。ちょっと見て下さい」
「おぉ、面白そうだな。分かった、任せる」
そう言って作業に戻るベル。私は部屋に戻り、タブレットと革袋を手に食堂に向かった。
「待たせたな」
布で手を拭いながら、ベルが食堂の椅子に腰かける。
「で、技能ってのは?」
「これです」
タブレットを差し出すと、ベルが首を傾げる。
「光る板だが、これが何かあんのか?」
「光る部分に絵や文字が見えますか?」
私の問いにベルが液晶画面を凝視するが、ふるふる首を振りタブレットを返してくる。
「ただの光だな。夜は灯りに使えそうだが」
ふむ。私には画面が見えているが、これは神様の個人認証なのかな。神様のモザイク……。少し笑える。
受け取ったタブレットを操作し、社食のモーニングAセット三百レーネを二個発注する。机の上に写真のメニューが出てくるのをイメージしていると、ことりと音を立ててほっかり湯気を上げるモーニングAセットが現れた。
「うぉ!? 驚ぇた……。なんだこりゃ、魔法か? でも物を生み出す……いや、石を飛ばす魔法っつうのもあったな……」
おの形に口を開いて驚愕していたベルがつんつんとトレイを突きながらぶつぶつと呟く。その中で出てきた情報、魔法とかに関しては後で聞かなければならないだろう。
「食い物みてぇだが、食えんのか?」
「食べられます。試しました」
私がスプーンでコーンポタージュを掬って口に含むと、あっとベルが声を上げる。
「大丈夫なのか?」
「はい」
その言葉に、ごくりと緊張で喉を動かしたベルが昨日の私みたいな表情でぱくりとスプーンを銜える。
「美味ぇな……」
ほっと放心したように呟いたベルが美味い美味いと食べ進め始めるのに合わせて、私も本格的に食事を進める事にした。
「うっはぁ。腹一杯だ」
椅子の上で仰け反り、にっかりと微笑みながら腹を叩くベル。
「お粗末様でした」
「粗末な事あるかぁ。こんだけの素材と香辛料をふんだんに使ってんだ。しかもこの量。お貴族様でも食えるか分かんねぇぞ」
苦笑を浮かべたベルが告げるのにまた一つ聞く事が増えた。貴族いるんだ。
「で、料理を出すのがシアの技能ってやつなのか?」
ぐいっと前のめりになったベルが真剣な表情で聞いてくる。
「いえ。私が欲しい物に対価を支払って生み出すという技能なようです」
私はそう言って、じゃらりと革袋の中身をテーブルの上にあける。
「先程の料理が三百レーネ。二食分で六百レーネが無くなっています」
昨日の残高からご丁寧に両替されて硬貨も増えている。謎の革袋だ……。
「あー、色々聞きてえ事はあるが……。まずは一つ」
「何でしょう」
「あの食事で三百レーネはあり得ねえだろ? 大分良い店の最高級の料理って感じだったぞ? 二千や三千は取られそうだ。量も多かったしな」
真剣な目で語るベルを見ていると、笑いが込み上げてきた。まずは値段の心配か。
「大丈夫です。三百です。でも、物価が高いですよね、この世界」
私の言葉にこくりと頷くベル。
昨日の夕食もそうだったが、交易都市という事で、何にしても物価が高いようだ。
農業に関しても周辺からの輸入に頼っているらしく、食材や調味料、香辛料の値段が異常に高い。
その結果が、昨夜の薄味で量の少ない夕食だったそうだ。別に二人で分けたからと言う訳でも無く、いつもあの量との事だ。その分、朝は大目に食べるのだが、このずんぐりとした筋肉の塊をどうやって維持しているのか、ちょっと知りたいなとは思う。
「あー、何にせよ支払うわ」
「いえ、泊めて頂いたので……」
「よせよせ。それに言うほどの値段じゃねえよ。ほい、三百」
卓上のトレイや皿は食べ終わると、硬貨と同じように燐光を発して消えてしまう。ペンや紙は問題無く残っていた。十中八九、料理を買うための対価しか払っていないからだろうなと考えている。
無限に皿やカトラリーをゲット出来るかと思ったが、そんなに甘くはないようだ。
手渡された百レーネ硬貨三枚を革袋に入れようとちゃらりと開けた口に何気なく落とすと、ぱしっと光を放ち、ちゃりんとテーブルに転がる。
「なっ!?」
二人で顔を見合わせ、テーブルの上でくるくる回る硬貨を見つめる。
「追加は……駄目なのか?」
私は呆然と言葉を紡ぎ、はっと気付く。二十万レーネ限定の技能となると、かなり貧弱だ。これから生きていくにしても、どこまでこの金額を大きく出来るかは分からない。昨日の晩に生まれた万能感は霧散してしまった。
明らかに気落ちした様子の私を慰めるつもりなのか、ぽんぽんとベルが肩を叩く。
「まぁ、色々分かって良かったじゃねえか。使いすぎは神様も認めねぇんだろうよ」
優しいベルの表情にこくりと頷き、ほぉっと溜息を一つ。何にせよ、もうこの世界で生きていくしかない。それは昨日の行政庁舎の話で思い知らされた。元の世界に戻った人はいないらしい。
と言う訳で、仕事が始まるまでという事で、先程気になった話を聞いていく。
まず魔法に関してだが、これは先天的な素質のようなものらしい。現代日本で言えば超能力みたいなものだろうか。使える人間は少ないが、能力は千差万別。火を出したり、石を飛ばしたり、水を生んだり、怪我を治したり、まるでゲームのような能力があるそうだ。
「魔法使いはそれで生計を立てている人間が多いな。傭兵にゃ多い」
で貴族に関してだが、この国は封建制を取っているそうだ。この町は公爵領の中の一つらしい。公爵自体は領都と呼ばれる場所に住んでいる。ちなみに、爵位は公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵が主だった区分だそうだ。詳しい内容は追々調べる事にする。
「まぁ、雲の上に住んでいるような方々だ。会う機会も無えだろ」
との事だし。で、傭兵という話も出たので聞いてみたが、どうも定職者以外で何でも屋は傭兵という区分に分けられるようだ。領主の権限で軍に徴発される義務は負うが、行政が提示する依頼を受けて報酬を得るらしい。そこで金を稼いで定職に就き、定住するというのが、ライフスタイルらしい。
「ベルも傭兵だったんですか?」
「いや、俺は相続だ。親父が故郷を出た時に金を持っていたらしく、この町で鍛冶屋を開いた。昔は傭兵に混じってたらしいがな」
「混じる……。傭兵でなくても仕事は受けられるんですか?」
「定職者の暇な時の稼ぎだな。徴発されない代わりに報酬から税金をたんまり引かれる。まぁ、それでも腕っぷしがありゃ、稼げる」
そう言われて、自分の細腕を見て、ずどんと落ち込む。運動は得意ではない。ジムには通っていたので体型は維持しているし人並の力はあるだろうけど、目の前の筋肉の塊に比べられると貧弱そのものだ。
他にも細々と話を聞いて、さぁ仕事という時間になった。
「あぁ、待って下さい」
私はベルに声をかけてタブレットを操作し、四万レーネのマタギ用の山刀を発注した。
テーブルの上にことりと出現する段ボール。ぱかりと開けて、恭しく山刀を取り出す。
「おま……おい!! 無駄に出来ねぇだろ!! 大切な金じゃねえか!!」
慌てた様子で立ちあがるベル。自分の事のように慌ててくれる姿に確信を持つ。あぁ、ベルは信用して良い。
「ここまでの情報をもらったんです。対価は必要です。私の知っている知識を提示します」
そう告げて山刀を差し出し、鍛造の概要を説明する。この国の文化レベルだと、鉄の精製は行っている。
この家も川沿いに建っていて、工房へ水車の動力が直結されており鉄を溶融させるだけの温度は生み出せるそうだ。ならば手順の概要を説明すれば新しい技術が手に入るかもしれない。
取り敢えず、不純物混じりの鉄を扱っているようなので、折り返し鍛造により鋼の精製を説明してみる。
「ふむ……。型に流し込むんじゃなくて、叩くってぇのか。そのほう砂ってのは手に入るのか?」
「はい。発注可能です」
「また、それを使うのかよ。そんなんじゃ、量産出来ねえ……」
実際に鍛造で作られた山刀を舐めるように確認しながら、ベルはふむふむと話を咀嚼していく。
「分かった。出来る限り材料は揃えてみる。聞いた感じで何となく掴めた部分もある。こりゃ、今までの技術がひっくり返るかもしれねえ」
山刀を片手に熱弁するベルに優しい笑みで返す。こうやって喜ぶ顧客を見るのも久しぶりだ。あのブラックな会社で内勤をしていると、心が荒むだけの毎日だった。
一頻りぶんぶんと確かめるように山刀を振るうと、ベルがはっと気付いたように指さす。
「これ、幾らだったんだ?」
「それはぁ……ははは」
「言え」
「四万です」
「ば!! おま……呆れた……」
ほとほと呆れきったような表情で絶句するベルにはははと返す。きっと表情を変えたベルがどたどたと部屋を出ると、じゃらじゃらと音を鳴らしながら帰ってくる。
「ここに二十万レーネある。ちと今苦しいんでな。出せるのはこれだけだ。せめて受け取ってくれ」
その言葉に拒否を返そうと思ったが、真剣な眼差しに負けてこくりと頷く。
「技能に使えなくても生活の足しにはなるだろ」
「ありがとうございます」
ざらざらと受け取った弾みに何枚かがちゃりんと手から落ちる。
「あ……」
こんっとテーブルで跳ねた硬貨が丁度開いていた革袋の口にダイブする。あぁ、弾かれてどこかに飛んでしまわないように。そう願いながら行方を追おうとすると、そのまますぽっと革袋に入る。
「あ?」
二人で声を揃えて、首を傾げる。私は受け取った二十万レーネをじゃらじゃらと革袋に入れる。容量的にあり得ない量なのだが、するすると入っていく。
「なん……でぇ?」
絶句するベルを前に私はふっと浮かんだ仮説を検討する。これ、物をそのまま横流しする形の収入は認めないのだろう……。
私が何らかの仕事をして収入を得て、初めて対価として認められる。
今回は、授業料として二十万レーネを受け取った。それを認めたのだろう。何という尻を叩かれる仕様だ。
「増やせそうです……」
「やったじゃねえか……」
呆然とした二人だったが、現実が頭の中で咀嚼された瞬間、喜びのあまり抱きしめ合った。
「おいおい、すげえな!!」
「はい!!」
取り敢えず、この世界での方針は決まった。お仕事を探して収入を得る。そう考えた瞬間、ぐしゃっと苦笑が浮かぶ。そんなの人間の最低限の営みだなって。
収支
残高 200,000
夕食 - 500
事務用品 - 1,300
朝食 600
山刀 - 40,000
収入 +200,000
合計 357,600レーネ
朝食 + 300
合計 300レーネ




