第17話 放置だな
「さて、初めまして。シアと言います。幾つか質問をよろしいでしょうか?」
アンモニアの容器を鼻の下で軽く振ると、男が眉根を寄せて咳き込み、目覚める。スタンと打撃のショックで気を失っていただけなので、覚醒も早い。
痛みに顔を顰めながら、現状を理解すると、ぷっと唾を吐いてくる。流石世紀末ヒャッハー。筋金入りだ。
「んだ、てめぇ?」
モヒカンヒャッハーのボキャブラリーの貧相さに、若干の残念を感じる。
「通りすがりの者です。強姦と思しき現場に居合わせたので、仲裁のため一旦拘束しています」
ちなみにこの国における強姦に関する処罰は重い。
自意識で制御可能な行為であり多種多様な形態が存在するためか、情状酌量の余地が無い場合いきなり死刑が言い渡される。
形態に対する侮蔑行為として容易に形態間紛争、戦争を引き起こしかねないからだ。ベルも言っていたが、寛容な世界は、それを崩す要因には厳しい。
「知るか」
言葉少なに顔を背ける男。目には侮りと嘲りの色が強い。
「それが、証言ですか?」
私が再度問うと、ぷっと唾を吐いてくる。こいつはアルパカなのだろうか。臭いし。
「すぐに放せ。今なら冗談で済ませてやる。なんなら、俺らの後で楽しませてやる。悪い事は言わねえ」
凄みながら言うが、私は首を傾げる。
「強姦を認めるのですか?」
「るせぇ、ふざけんな。放せと言ってる。てめぇも家族がいんだろ? 痛い目見たくなかったら、放せ。無駄に手を汚させんな」
この辺りで、尋問では埒が明かないなと判断し、猿轡を嵌め直し、他の二人にも尋問してみるが似たような結果だった。
ここまで圧倒的に制圧されていて強気の姿勢を崩さないのには敬意を払うし、日本で営業の人に聞いた話で理由はある程度推測出来たので納得もする。
あぁ、この世界でもそうか……。
在りし日でも当たり前にあった事象。暴力を生業にしている人生において、まず初めに狙われるのは綻び、つなぎ目、弱い部分だ。それは獲物もそうだし、敵対関係者もそうだ。
結局この世の地獄を見るのはそんな弱さの部分。営業の人が言葉少なに語る内容は、発注された物がそういった弱者にどう使われるか、何を結果に残すかだ。
当たり前に憤り、当たり前に義憤し、当たり前に諦めた。二十数年は心を摩耗させるのには十分な年月だった。
それでも諦めきれなかった何かが、私を逸らせた。
最低限、三人共生粋の傭兵というのは意思疎通が出来たので、それだけでも良かったと思いながら女性の下に向かう。
穏やかな寝顔をよく見ると、歳は十五から十八程度といった頃だろうか。柴犬か狐を彷彿とさせる三角の耳が頭の上でへにゃりっと眠っている。
毛布に包まれた肩を揺すると、ふわっと瞼を上げる。紺碧を思わせる深く濃い青の焦点が合う。一瞬怯んで強張ったが、先程の記憶が戻ったのか、くたりと力を抜く。
その瞳が荒み、諦めに彩られていない事を確認し、深い安堵を得る。
「初めまして。シアと言います。話をする事は可能ですか?」
「はい。私はシェルです。シア……さんですか……」
「心労のところを申し訳ないのですが、状況を把握したいのです」
私の言葉に気丈に頷いたシェルはここまでのいきさつを説明してくれる。
シェルと母は二人の貧しい生活。機織りで生計を立てていたが、その母が持病に倒れた。薬局に行っても薬が無い。製薬後、薬効が続く時間が短く、都度製造するものだそうだ。製造の上での販売を希望したが、高額になっている秋価格から断念。
困ったシェルは、布を買い取っていた付き合いのある商人に相談した。商人からは伝手のある傭兵を紹介するので護衛に付けて自分で採取すれば良い。護衛の費用は立て替えて分割で支払うと言う契約を口約束でしたそうだ。で、森に赴いた結果が先程の状況のようだ。
「なる……ほど」
その話に私は、右手で額を押さえてしまった。世間知らずの子供なら、しょうがない事なのだろう。だが、あまりに世間ずれしていない。
「お母さんの症状はどのようなものですか? 薬の材料は分かるのですよね?」
話を聞いていると、胃潰瘍の類と推測出来た。材料に関してはスマホの写真を見せてみたが、見つからない。
「でも、植生してる場所は分かります。何度か採取に来ましたから」
真剣な表情で告げてくるシェルに、暫し黙考する。対価無く働く事は簡単だ。だがそれでは今後に禍根を残すし、私自身にも良くない。困って頼めばなんでもする人になる訳にはいかない。
「護衛を……新たに雇いますか?」
譲れないラインを明示した上で訊ねた。私の悩みに思い至ったのか、シェルは口をきりっと結んだ覚悟の表情でこくりと頷く。
「待って頂く事になります。それでも、必ずお支払いします」
母を思う少女の気持ち。はぁと、溜息を一つ。キャリーケースやケリーケトルを移動してきた際に発注、用意しておいたニットセーターとジーンズを差し出す。
「まずは着替えて下さい。動くのはそれからです」
毛布の上からでも激しく主張するその豊満な肢体は、枯れた身としても気恥ずかしい。あっと羞恥の声を上げたシェルを背後に三人をどうするか刹那悩む。
「放置だな」
私が小さく呟くと、なにかとシェルが問うてくるので、何でもないと答える。
別に、猛獣に殺されたとしても問題無い。出来ればその方が憂いを断てるのだが……。そんな事を考えながら、シェルが着替え終わるのを待った。