日常編2
「このくらいの大きさでよろしいですか? 静波さん」
乱切りにした人参を一つ摘み上げ、静波に大きさを確認する涼歌。
「はい大丈夫です。手際がいいですね、涼歌さん」
先程の騒動から静波も落ち着きを取り戻し、程なくして四人は夕食の準備に取り掛かっていた。これも燐音らの提案で、皆で料理をしようという算段になっており、静波は事前に今日作るシチューの材料を買い揃えていた。
「静波さんや丈さんには到底敵いませんわ」
素直な賞賛を贈られた涼歌だったが、自分としては満足いく状態ではないのか、謙遜した反応をする。
「でも、調理実習の時より格段に進歩してると思います。生意気なことを言うようですが、自信をもってください」
その調理実習というのもそれなりに前に話だが、当時目の当たりにした涼歌の手際は、お世辞にもいいとは言えなかったが、今の彼女の包丁さばきはすっかり料理ができる人間のそれだった。
「はい。ありがとうございます」
静波の追加の一言で、ようやく涼歌は素直な笑顔を向けてくれた。
「何度やっても、たまねぎには勝てる気がしないよぉ」
「あねさん! オレ、もうだめです!」
「あきらめないで、りんちゃん! これがみじん切りだったら、もっと大変だよ!」
「そんな……これ以上すごいなんて……」
静波と涼歌が順当に工程を消化していく中、要海と燐音はたまねぎを切るのに苦戦していた。
「早く切ってください二人とも」
たまねぎを切る手よりも明らかに口の方が動いている二人に、静波は容赦なく突っ込みを入れる。
「まあまあ、わたくしたちの方で少しでも進めましょう」
「そうですね」
涼歌の冷静な対応に賛同し、静波も常温に戻した鶏肉の下準備を再開する。
「ふふふ……」
すると、涼歌が唐突に含み笑いをする。理由が解らず、どうかしましたか? と静波は問う。すると、はにかみながら涼歌がこう言った。
「こうしてると何だか、静波さんを独り占めしてるみたいで、少しだけ優越感があります」
まるで新婚の夫婦が並んで料理をしているかのようなノリだった。
「思ったんですけど、たまに涼歌さんも変な事言いますよね」
涼歌の言動の意図が掴めず、静波は訝しげに返答するしかなかった。
「わたくしは変だとは思っていませんわ」
そして、一切悪びれる様子もなく、申し開きもせずに涼歌はしれっと言い切る。釈然としない部分はあるものの、そういった態度はいつもの涼歌らしく、変なおかしさが込み上げてくるのだった。
「あねさーん! オレの堤防、け、けっかいしましゅたあああ!」
燐音の目から、涙が流れているのが確認できた。先程の反応からわかっていた事だが、彼女にはたまねぎへの耐性がないらしかった。
「だ、だいりょうぶだよ! あきらめない限りわたしたちは負けないよぉお!」
要海も状況は同じだった。やはり一か月と少しの料理経験では、彼女もたまねぎに勝つ事は難しいのだろう。
「いい加減終わらせてください。コントもたまねぎも」
流石に料理が進まないと判断し、静波は少し強めの語気で二人に言う。そしてたまねぎは静波が仕上げる事にし、要海たちには鶏肉へのスパイスのすりこみを任せた。もちろん、切る工程には手を付けない様に念を押したのは言うまでもない。
「おー、うまそー!」
紆余曲折を経て、四人で作ったクリームシチューは完成し、テーブルには四人分のシチューとコッペパン、サラダが並んだ。その様を見た燐音は開口一番にそう口にした。
「みんなで作ったシチューだよ。いいよねえ、こういうの」
配膳を終え、席に着いた要海も燐音につられるようにテンションの高い台詞を紡ぎ出す。
「お二人がもう少し手が早ければ助かったんですけど」
「面目ないです」
静波の発した皮肉に、二人の語気がわずかに下がる。どうやらしっかりと反省したらしい二人の反応を確認した静波は、それ以上の追及はしなかった。
「まあ、こうして出来たわけですし、よしとしましょう」
今の言葉を以って、この話は終わりという意味で静波は涼歌に視線を移す。それを受けて彼女は笑顔で頷き、両手を合わせる動作をする。
「それでは皆様、いただきましょう」
それを合図とし、四人の口から『いただきます』の合唱が紡がれた。
「うまい! すげー、ルー使ってないのに、しっかりシチューだよこれ」
まずシチューを頬張った燐音が元気に感想を漏らす。
「米粉を使ってとろみを出した上で、塩コショウで味を調えました。あとはありあわせの調味料で微調整を加えたんですけど、いい感じみたいですね」
スプーンに具を載せず、汁のみを口に含んで改めて味を見る静波。我ながらいい塩梅を作り出せたと内心で胸を撫で下ろした。
「この鶏肉も、皮がぱりぱりしてておいしいですわ」
煮込むのではなく、焼き上げた鶏肉を後入れして皮の触感を楽しむやり方がある事を知り、これを機会に試したのだったが、こちらの方も評価は上々の様だった。
「もうわたし、しーちゃんのごはんなしじゃ生きられない体になっちゃってる気がするよ」
好物の鶏肉と人参を同時に頬張り、幸せそうに恥ずかしい事を言いだす要海。
「でも冬姫さんと外食してますよね?」
照れ隠しの為に思わず、心の宿敵の名を口にしてしまう静波。
「それとこれとは別問題」
しかし、すかさず可愛らしい笑顔で要海は調子のいいはぐらかしをする。
「ねえねえ、あねさん、ふゆきって誰? 愛人?」
テーブルを挟んで向かい側に座る要海に対して身を乗り出し、何故か目を輝かせてそんな質問をする燐音。
「それだと奥さんがいる事になるじゃないですか」
自分でもどこかおかしいと思いつつ、とりあえずの突っ込みを入れる静波。
「あら、それは静波さんではありませんこと?」
前触れもなしに涼歌から放たれた一言に、静波は盛大にむせてしまう。
「し、しーちゃん! だいじょうぶ?」
近くに座っていた要海が駆け寄ってきたのが分かったが、静波は彼女の方は見ずに手で口元を押さえて俯く。反射的に素早く口を塞いだ為、中のものを吹き出してしまう事態にはならなかったが、気管の違和感は消えず、意識的に咳き込む静波。
「静波さん、はい、お水です」
打って変わって慌てた口調で近寄って来た涼歌が、水の入ったコップを静波に差し出して来る。それを受け取り、適量をゆっくり中身を流し込む。
「はあ、はあ、すみません」
何とか落ち着いた静波は、涼歌に頭を下げる。
「いや、こっちこそごめん。ふざけすぎた」
いつの間にか近くに来ていた燐音が申し訳なさそうに詫びの言葉を口にする。
「いいえ、気にしないで下さい」
内容はどうあれ、ここまで咽てしまったのはタイミングが悪かったのが一番の理由だ。燐音たちに必要以上の責任を感じて欲しくはなかった。
「でも、今のすうちゃんの話で咽たってことは……」
要海が顎に手を当てて、何やら思案をし始める。
「わたしの奥さんって言われて照れちゃったのかな?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて起きたままに寝言を言う要海。しかし、冷静さを手に入れた今の静波にとっては全く脅威ではなかった。
「知ってます? 多くの旦那さんは奥さんに、自分のお母さんを重ねるんですよ?」
「え?」
予想外であろう静波の切り返しに言葉を詰まらせる要海。
「つまり、静波をお母さんと認めてくれたんですよね? うれしいです」
そしてとどめの一言を突き刺す。きっと今自分は今の要海以上に意地悪な顔をしているだろう事が想像できた。
「それはダメー! しーちゃんのお母さんはわたしだよー!」
もはやおなじみのリアクションが、今は心地よかった。
「燐音さん、涼歌さん。冷めないうちにご飯食べちゃいましょう」
意識的に要海に背を向け、自分の席に座る静波。
「もう、いつか絶対認めさせるんだから!」
しぶとく決意表明をする要海を尻目に、静波は食事を再開するのだった。
「見てて飽きませんわね」
「だな」
二人のクラスメイトの発言も、もはやシャットアウト状態の静波だった。
「お風呂あいたよー」
食後。みんなで後片付けを済ませた後に入浴する運びとなったのだが、バスルームのスペースを鑑み、相談の結果二人ずつ使用する事になった。たった今、先に使用していた要海と燐音が戻ってきたのだ。
「じゃあわたくしたちも入りましょう」
「はい」
すでに準備をしていたタオルと着替えを手にし、涼歌と共に立ち上がる静波。
「涼歌、静波の戦闘力、しっかり確認して来いよ」
居間を出ようとする涼歌に対し、燐音がそんな言を投げ掛ける。
「承りましてよ」
敬礼をし、気持ちのいい笑顔で返答する涼歌。
「なんの打ち合わせですか」
思わず胸の前に手を回し、後ずさる静波。
「ちなみにあねさんは九十オーバーと見たぜ」
最後に燐音は自分の戦果を報告するかのように一言そう付け加えた。
「え? あれは測ってたの?」
珍しく動揺した様子で要海が言う。
「見ただけで分かるものなの?」
興味津々に燐音と話を始める要海だったが、それ以上付き合うと時間がいくらあっても足りない気がしたので、涼歌を促し、バスルームへ向かう為に居間を後にした。
「もどりましたわー」
静波は涼歌と共に湯浴みを終え、要海と燐音のいる居間に戻ってきた。
「おかえりー、しーちゃん顔赤くない?」
自分の顔色を見た要海から早速入った指摘に、静波は動揺する。
「き、気のせいですよ」
言うまでもなく、先程までバスルームで行われたやりとりが原因だったが、今はそれを思い出すほど心に余裕がなかった。
「?」
言葉を濁す静波に疑問符を浮かべる要海だったが、それ以上の追及はして来なかった。どこか要海らしくないとも思ったが、今はありがたかった。
「おい涼歌、やり過ぎてないか?」
「さあ、どうでしょう?」
燐音の問いかけに的を射ぬ発言をする涼歌。あれがやりすぎでないなら、どこからがやりすぎなのか少しだけ気になったが、追及しようとまでは思えなかった。
「ところで、お二人は何をご覧になっているんですの?」
一通り話し終わった所で、涼歌が映像を映し出しているテレビに視線を向けながら燐音らに質問する。
「テレビ点けたらちょうどドラマやってさ。なんか面白そうだったから見てたんだ」
アザラシを模したクッションを抱えながら、燐音が答える。
「これは、確か有名な推理ドラマでしたよね?」
「『刑事、波越三十郎』ですわね。本格的な謎解きが評価されているドラマですわ」
静波が失念していたタイトルを涼歌が横から説明する。
「もし他に見たいのがないなら、これ見ようよ」
どうやら要海も見たいらしかったので、静波は構わない旨を二人に伝える。
「ええ、わたくしも異論はありませんわ。というより、是非とも見たいです」
全員の意見が一致した所で静波と涼歌もソファに並んで座り、視線と意識を液晶の画面に向ける。