プロローグ
「ふー、今日も一日乗り切ったぜー」
帰りのホームルームが終わり、支度を進める樹静波の席に近づいてきた女子生徒が、そんな言葉を発しながら眼前に姿を現した。
「早く帰ろうぜ! 静波! あと涼歌もな!」
短く切りそろえた髪を、左側で縛ったサイドテールにした、いかにも活発そうに見えるクラスメイトの少女、緑川燐音は、静波と彼女の後ろの方に向けて声を掛ける。
「もう少しで終わります」
燐音に対して静波は返答しながら、家庭学習と宿題で必要な教科書とノートを鞄に詰め終えた所で後ろを振り返る。
「静波の準備も終わりました。涼歌さんはどうです?」
「はい。わたくしの準備も終わりましたわ」
静波の確認の言葉に対してどこか柔らかな口調で、大田涼歌は帰り支度が完了したことを告げる。立ち上がる際に、右肩から胸に垂れ下がっている三つ編みにされた髪の毛が僅かに跳ねる。
中学に入学したその日、席が前後で近い事もあり涼歌から話し掛けられたのを切っ掛けに、静波は彼女と交流を持ったのだが、そんな涼歌の幼馴染である燐音とも程なく話すようになり、今では三人でのグループが形作られていた。
お淑やかで丁寧な言葉遣いの涼歌と、ボーイッシュで口調もどこかワイルドな燐音は、一見正反対なタイプで、二人の仲がいいのには当初違和感さえ感じていた静波だったが、二人ともお互いの事を本当に大切にしているのは、一年とはいえ親交を温めていれば十分に感じ取れる。結局の所、人間の相性というものは性格以上に、互いをどう思えるかが大切なのかもしれない。
「オレと涼歌の出会い? ふふ、それ聞いちゃうか?」
以前、二人の親交がいつから始まったのかを好奇心で質問した事があったのだが、その時のやり取りが、今にして思えば実に滑稽だった。
「それは今から七年前……、オレと涼歌が五歳の時だった」
目を閉じ、腕を組みながら得意げに当時の燐音は語りだす。
「涼歌が原因不明の病気にかかってしまって、医者さえもお手上げになっちまったんだ。そしてそれはどうやら呪いのせいだって事が判明した」
芝居がかった口調に、これまた芝居がかった身振りで話し続ける燐音。
「それを突き止めた涼歌の兄貴が、オレの兄貴と一緒に呪いの大本である大木を……」
「燐音と出会ったのは保育園での事ですわ」
盛り上がる燐音の状態など一切顧みず、否、更に盛り上がりそうな絶妙のタイミングで彼女の話の腰をへし折った。
「おい! 今からが一番盛り上がるのに何をしてくれんだよ!」
椅子から立ち上がり、涼歌に抗議をする燐音。
「申し訳ありませんね、静波さん。盛り上がちゃうとこの子止まらなくなってしまいますので。端的に事実だけを説明させてもらいました」
内容的にすぐに作り話をしている事は明確だったので、静波はもはや聞き流し状態だったが、気を利かせてくれたのだろう涼歌が、静波の質問の答えをもたらしてくれた。
「もー、すぐ静波にいい顔するし」
そっぽを向いてむくれる燐音。自業自得のはずなのだが、涼歌を燐音から取り上げている様で、静波はわずかな罪悪感に苛まれる。
「それに、どうせ話すならもう少し中身を推敲してくださいな。いまいち面白さが伝わってきませんよ?」
そして容赦のないダメ出しもおまけに付ける涼歌。
「くそぅ。今に覚えてろよ……」
唇を尖らせ、不服そうに座り直す燐音。
この時に静波にもたらされたのは、二人の出会いが相当昔である事と、共に兄がいる事、そしてこの二人の力関係だった。
(涼歌さんは、絶対に怒らせちゃいけないタイプですね。きっと)
一見穏やかな彼女の中に、確かな力強さと怖さを、それらのやり取りから静波は本能的に悟ったのだった。