問題編2
「まず気になるのは一階だけど、窓とかの鍵もちゃんと閉まってたの?」
「人の出入りできる場所はすべてかかってます。その辺は厳重にしてたみたいっすよ。このご時世、もし非常事態が起こったらいろいろ面倒っすからね。
まあ壊せば入れるでしょうけど、そんな痕跡がなかった事は捜査で確認が取れてます」
「侵入するならやっぱり、二階の渡り廊下しかない訳だね」
最も、二重の見張り員がいた渡り廊下も、実質状況は同じであるが。
「あとは科学部かな。千鶴ちゃんのクラスメイトの話もあったし、科学部も出し物があったんだよね? 化学室が封鎖されてるのに、出し物はどこでやってたの?」
要海に言われて、静波はようやくそこに思い至った。科学部であれば当然実験機材のある部屋を使いそうなものだが、そこを使えないのではどうしていたのだろうか。
「第二化学室ってのが本校舎にありまして、そこでやってたんすよ。こちらは実験ではなく、理科関係の座学の際に使われてるみたいです。余計な設備もないので、出し物をする上ではスペースが有効に使えるんです」
貴音からの説明があり、当日の彼らの活動拠点が説明される。
「用途で同じ教科でも使い分けるんか。なんや大学みたいやな」
真琴と同様、同じ教科の特別教室が二か所あるというのが静波には驚きだった。小学校時も現在の中学でも理科室が一か所あるだけで、用途で使い分けるという贅沢にも感じる発想が出てこなかったのだ。
「ちなみにっすけど、音楽だと座学は音楽室、演奏は器楽室とか、家庭科も座学や裁縫は家庭科室、調理実習は調理室、みたいに別れてますね」
技術家庭なら、技術室と家庭科室で使い分けていると、謎の安堵を浮かべてしまう静波。今日初めて存在を知った学校に対抗心を感じている静波の事などつゆ知らず、要海が次の質問を口にしていた。
「現場の写真はある? 見取り図じゃないやつ」
「ええ、いつでも出せるよう準備しといたっすよ」
タブレットをそのまま要海に渡す貴音。言葉通り、画面には準備室の入り口から中を撮ったと思しき写真が表示されていた。
「そのフォルダの中は全部現場の写真っす。別の写真が見たい時はスライドして切り替えてください」
貴音の言葉を受け、要海は何度かスライドを繰り返し、準備室の写真を順番に閲覧していく。壁に配置された戸棚や実験器具などの置かれた机、そして出火元の窓際と一通りの確認をする一同。
「確かに、窓の方がより焼けているように見えますね」
要海の隣から端末を覗き込んでいた静波は、率直な感想を漏らす。
「間違いなく火元はここやろうな」
焼け焦げた窓際の写真を見て、真琴が得た印象もまったく同じ様だった。
「ローソク箱の隣にあるのって何?」
もはや断片的にしか残っていないカーテンの下に、雑多に置かれている可燃物。その中にあるもとは蝋燭であった白い塊の入っている箱の隣に、黒焦げになりながらも、所々白い物が覗いている塊の正体を尋ねる要海。
「それは紙袋に入れられてた角砂糖っすね。千鶴ちゃんの目的の物ですよ」
「角砂糖を窓際に保管してたんですか?」
貴音の返答に困惑する静波。砂糖の保存は冷暗所、恒温恒湿が理想的な環境であり、陽の当たる窓際に放置するなど、料理をする彼女としては信じられない気分だった。
「まあ角砂糖っすからね。固まる心配はする必要はないですし、もとが実験に使ってたみたいっすからね。腑に落ちない気持ちはわかりますけどね」
貴音も恐らくは料理をするタイプなのだろう。静波の驚愕の理由を察した上で今の答えをくれた事は、静波にも理解できた。
「この窓の日差しってどうだったのかな?」
質問を続ける要海。
「窓は西向きで、火災が起きた時刻にはそれなりに差し込んでたみたいっすよ」
「それなら、収斂火災の条件は悪くないね」
「しゅうれん火災とはなんでしょう?」
要海の発した聞きなれない言葉に、静波は意味を問う。
「虫眼鏡でお日様の光を集めて黒い紙なんかに照らすと、火が付く実験はわかるよね? 同じ原理で、水の入った金魚鉢とかを通して日の光が収束して、それが原因で何かを燃やして火事になっちゃう事を『収斂火災』っていうんだ」
「なるほど、それでわかりました。推理小説でもよく使われるトリックですね」
小さいころ、父親に虫眼鏡と新聞紙を使って実験を見せてもらった事を思い出す。
「これなら道具を揃えることが出来れば、火種がなくても火事を起こせるからね。こういう時のとっかかりとしては有効なアイディアだよ」
相変わらず、発想の転換が見事だと静波は思う。
「でもかなみん、現場にそれらしい道具は残ってないっすよ?」
しかし、貴音は要海の意見を正とする場合の障害を挙げる。
「あるのは『プリントの束』に『薬包紙』。『ローソク』と『角砂糖』、であとは『オブラート』。何をどうやっても虫眼鏡かそれに準ずるものなんか作れるように思えんけどなあ……」
前に貴音によって説明された遺留物を列挙する真琴。当然ながら、静波にもここにあるものでそういった装置を生み出す発想は出て来ない。
「窓の外はどうでしょう?」
室内に無いのであれば外はどうか。単純な考えだが、静波が巡らせられる思考程度では、これが限界だった。
「どこにも仕掛けをセットできるようなスペースはない、シンプルな窓でしたよ。まあ強力な接着剤でも使えば何かかしらはくっつけられるでしょうけど……」
やはり、すでに考えられていた様で、静波の提示した可能性は否定される。
「接着剤とかの跡は残っちゃいますよね」
その上、今回の場合火事の発覚は相当に早かった。もしそんな仕掛けがされていたなら犯人が回収する暇などなかっただろう。その類のものが発見されていない時点で、この推測が成り立たないのは自明の理だった。
「でも、仕掛けをしたかもって考えるなら、一つ謎が解けるよね?」
ここで要海がさらに新しい発言をする。
「どういう事や?」
「『前日に自動的に火を起こせる仕掛けをセット』してしまえば、『当日犯人は、特別教室棟に一歩も入る必要がなくなる』んだよ」
「あ!」
まさに発想の転換と言うべき発言に、思わず声を上げる静波と真琴。
「さすがっすね、かなみん。そうです。『特別教室棟の進入が制限されるのは文化祭当日のお話』であって、前日は特別教室棟にある備品や設備を、出し物で使う為に持ち出したりする必要があるので、普通に入れたらしいですね」
今の貴音の話によると、前日なら堂々と進入できた事になる。つまり、首尾よくすべての準備を前日のうちに終える事が出来れば、あとは待つだけですべてが勝手に進行し、アリバイも作ってくれるのだ。
「今回は千鶴さんが犯人じゃないって前提があったからだよ。それなら、推理のスタート地点が違うから、だいぶ簡単だったよ」
相変わらず、簡単ではない事を簡単にやってしまう要海に静波はまたもや舌を巻いてしまう。
「つまり、文化祭前日に化学準備室の鍵を借りた人がいれば、その人は有力な容疑者って事になるね」
「じゃあお見せしましょうか。こちらが事件前日に、化学室と準備室の鍵を借りた人のリストっす」
タブレットをタップし、テキストファイルを呼び出す貴音。
「えーと、全部で三人か」
そこに書かれた容疑者たちの名前を見て真琴が呟く。
「千鶴ちゃんのクラスメイトで、彼女に角砂糖の存在を教えた山吹翔太。渡り廊下近くの二年六組の生徒、蒼村相馬。この二人は科学部員っすね。で、その科学部の顧問、中島和寿。以上の三人が、事件前日に鍵を借りた人たちっす」
テキストファイルを見遣りながら、当該の人物たちの基礎情報を読み上げる貴音。
「ここに書いてある時間はなんや?」
真琴の指摘を受けて静波も画面に目を落とす。容疑者たちの名前の横に『鍵』という文字と『時間』が書かれていた。
「鍵の貸し出しノートに書かれていた、鍵を借りた時間っすね」
そう言われ、この学校では鍵を借りる際にノートに名前を記入しなければいけないルールがあるのを、静波は思い出した。
「えーと、山吹さんが十時に借りて、十一時に返してるね。で、蒼村さんは十三時から十五時。で、中島先生は……、九時から二十時って……一日中?」
「顧問という事で、準備に追われる前日は鍵を常に持っていたらしいっすね。ここだけじゃなく、第二化学室の鍵も携帯してたらしいっすよ」
「ちなみにこのノートだけど、細工とか出来ちゃわない? ただの紙っぽいし」
「鍵の貸し借り時間の記入は、鍵を借りた本人以外の教師にやってもらわなければならない決まりらしいです。で、最終的に記入者がサインかハンコを押すと、結構徹底的なものなんですね」
「随分手間かけとるなあ」
「非常時の責任問題を明確にするためらしいっすよ。そういう事で、偽造しようとしても、サインを書いた人間という第三者が絡むんで、それは難しいでしょうね」
例え犯人が時間とサインを書く人間に協力を漕ぎつけた所で、今回の様な事件が起これば、協力者に不審がられるのは避けられない上に、下手をしたら警察に通報されかねないだろう。
「まあでも、仕掛けをするだけなら、この中の誰でも出来そうなもんやけど……」
仕掛けの正体は分からないにせよ、前日にトリックを施すのであれば、この三人の誰にでも出来ただろう。それは同時に、今の段階では絞り込めていない事も意味しているが。
「ところでたねちゃん、追加で教えてほしいんだけどいい?」
実質思考が止まっている二人を尻目に、要海はなおも質問を続ける。
「お、リアル追加のお願い、ようやく拝めたっすね」
まるでドラマのお約束的なシーンに目を輝かせる様に言う貴音。どこか楽しそうに見えるのは気のせいではないだろう。
「この角砂糖のあった所なんだけど、角砂糖だからグラニュー糖が検出されてるよね?」
一口に砂糖といっても、用途に応じていくつか種類がある。要海が今言ったように、飲物に甘味を加える目的で使われる角砂糖は、グラニュー糖か上白糖が一般的である。
「ええ、その通りっす」
「その中に、『イソマルツロース』もあったんじゃないかな?」
二度目の聞き慣れぬ言葉に、静波は胸中で疑問符を浮かべる。
「なんやそのイソ……なんちゃらて」
真琴も同様に、名前を反復できない程度には馴染みがないらしかった。
「テレビとかで見た事ない? 『虫歯にならない天然甘味料』みたいなコマーシャル。そういうお菓子に砂糖の代わりに使われてるのが『イソマルツロ-ス』なの」
「なるほど。そう聞かされるとわかるわ」
頷く真琴。静波も正式な名前は知らなかったが、通常の砂糖に比べて甘みが少ない代わりにカロリーも低いため、ダイエット用のスイーツや料理に使われているらしい事は知識として知っていた。
「かなみんの言う通りっす。黒焦げになってたグラニュー糖の中には、イソマルツロースも混ざってました。もっとも、これは後になって改めて検証した結果発覚したらしいっすけどね」
貴音曰く、イソマルツロースは天然のものは採集が難しく、基本的には普通の砂糖を加工して作るようだ。故に、今回の様に二つが混ざってしまっている状態では、しっかりと調べなければ見落としても不思議はないらしい。
要海の質問に答えた後に、貴音は神妙な面持ちになり、体を要海に向かって若干テーブルに乗り出した。
「ここまで予想できたって事は……まさか」
「うん、トリックの見当はついたよ」
自信に溢れた笑顔で宣言する要海。
「相変わらずやな。相変わらずウチはピンともきーへん」
こめかみに手を当て、悩ましげな顔をしながらも感嘆の声を上げる真琴。もはや要海のひらめき力が高い事は十分認識できているのだが、やはり自分がまったく見当を付けられない事実の裏側を見通してしまえるのは、未だに驚きを感じる静波だった。
「それと、誰が犯人かもね」
「今ので、わかるっすか?」
次に驚愕したのは貴音。どうやらなし崩し的に犯人の正体まで掴むとは思っていなかったのだろう。
「トリックが分かったら、あとは犯人も限られてくるしね。それと現場の状況、当時の人の動きを加味して考えると、『犯人が自首した理由』も見えて来たよ」
余裕さえ感じる微笑みを浮かべ、要海は一言こう言い放つ。
「レコード・アクセス、完了だよ!」