プロローグ
耳障りなアラームが鳴り響き、眠りの奥底にあった意識が強制的にまどろみの外に引っ張り出される。
「くあ……」
欠伸を噛み殺しながら枕元に置かれたスマホに手を伸ばし、睡眠を妨げた元凶の音を止める。
「ふわあ、ねむ……」
ベッドの上に半身を起こし、奥羽貴音は誰にでもなく呟く。
今日は木曜日。時間は朝八時過ぎで、普通であれば早急に仕事に向かうための身支度を始めねばならないのだが、今週の日曜日に彼女は休日出勤を仰せつかっており、それに先駆けて休みを取得していた。
(一時はどうなるかと思ってたけど、先輩の都合付いてよかったっすね)
これからの予定を胸に思い浮かべ、貴音は眠気も忘れて意気揚々と布団を抜け出し、ベッドから降りる。
本当であれば今週末は、学生時代からの親交がある先輩とのショッピングに出掛けるはずだったが、先述の休日出勤によってお流れになる所だった。が、上手く彼女と予定を合わせる事に成功し、晴れて中止が中止になったのだった。
(さーて、気合入れて準備するっすよっと)
起き抜けにバスルームに向かい、入口横の洗濯機の上にバスタオルが畳んで置いてあるのを確認してから寝間着を脱ぎ、シャワーを浴びるために中に入る。
適温に調整されたシャワーの湯を浴びながら、貴音は今日の予定を整理する。
件の『先輩』とはショッピングモール、『モグラ』にて待ち合わせている。最近のショッピングモールの例に漏れず、様々な店舗が入っているだけではなく、そこそこの規模のゲームセンターや映画館までも併設されており、遊びの場としては実に格好の施設だった。
(まずは服見たいっすよねえ……、でも先輩は興味ないだろうからあんまり長居はしない様にしないと。あとはアクセでも見てから、先輩好みのファンシーショップに行こうかなあ。確かヘアアクセの店が新しく出来てたはず)
眼鏡の似合う理知的な見た目に反して、ぬいぐるみなどのファンシー雑貨が好きな先輩の姿を思い浮かべる貴音。学生時代に彼女から初めてその趣味を聞かされた時の事を思い出し、同時に恥ずかしがる彼女の赤面顔も脳裏に蘇ってきた。
(ふふ、先輩のあんな顔知ってるの、きっと自分だけっすよね)
優越感と言っていいのか微妙な感情を胸に、バスルームでの用事を終えた貴音はドアを開けて外に出る。
(っと、メイク前になんか胃に入れて置かないとっすね)
体を拭き、下着だけを身に着けた状態で貴音は冷蔵庫に向かう。昨日の夜、朝食用に作って置いたサンドウィッチを取り出し、ラップを取り払ってから口に運ぶ。
(ご飯はどこで食べようかなあ。レストランでもいいんっすけど……)
以前先輩とモグラに出掛けた時、ずらりと並ぶ行列を見てレストランに入るのを諦めた事を思い出す貴音。覚悟を決めた上でならともかく、その場のノリで行列の一部になる根性は持ち合わせていなかった。
(でも今日は平日だし、案外大丈夫かもっすね。あ、それならいっそ贅沢に牛タン屋さんもありっすね)
レストラン以上の行列率を誇る、ある牛タン店の事が貴音の頭を過る。お土産や弁当でならそれなりだが、ちゃんとした店で牛タンというものを食べた事がなかったので、挑戦する好機とも思えた。
(よし、先輩に話してみよっかな。多分お酒もあるだろうし、問題はないっしょ)
女性ながらの酒飲みである先輩なら、この誘いを無碍にはしないだろう確信があった。
(あー、今から楽しみでしょうがないっすよもう)
まるでデートに胸をときめかせる女学生の様だと思う貴音。冗談でもそんな事を言えなくなった年齢になりつつある事には意識を向けない様にしながら、メイクのために化粧台に足を向けた。