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レコード・アクセス  作者: 藤崎彰
二つの相性
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問題編1

 事件が発覚したのは四月五日の火曜日。現場は会社経営、森崎真治もりさき しんじの自宅で、森崎の配偶者である奈津美なつみ夫人が自室にて首を吊っているのが、森崎本人と、共にいた家政婦、安達希和子あだち きわこによって発見された。

 具体的な動きは以下の通り。

 森崎夫妻は四月二日から五日の朝まで、取引先の会社がある地方まで出張する事になっていた。それに伴って、家政婦の安達も二日の午前を以て、夫妻が不在の間休暇をもらっており、五日の朝に出勤という指示を受けて帰宅する。これが二日の午前十一時ごろの事である。

 そして午後に入ってから、夫人は体調を崩し、急遽、森崎のみが出張に行く事になった。彼女の世話は、申し訳ないが、安達を呼び出してしてもらうという夫人の提案を飲み、森崎が夫人を寝かしつけて部屋を後にしたのが十六時頃。そして十六時半過ぎに家を出て、十七時十分発の新幹線で出張先に向かったという。それにより、用意されていた夫人の新幹線の切符及び、宿泊予定のホテルでも、夫人の部屋はキャンセルする事になった。


「駅の防犯カメラや出張先の人間の証言から、森崎は行きも帰りも、証言した時間の新幹線に間違いなく搭乗しとる」


 その上、森崎は出張中、取引先の社員らと、常に三人以上で行動しており、一人になったのは宿泊したホテルに戻った後のわずかな時間か、トイレなどで集団から離れた一時のみだった。

 そして出張の終わった五日、森崎が朝一の新幹線に乗って出張先から帰宅したのが、九時半過ぎ。自宅に入った所で、すでに仕事を始めていた安達と顔を合わせた。話を聞いてみると、どうやら夫人が出張に同行しなかったことを聞いていなかったらしく、彼女から何の連絡も受けていない安達は、当初の予定通り今日来たばかりらしかった。

 情報を交換し、不審に思った二人は夫人の部屋に行くと、鍵がかかっていた。電話をかけても通じなかったので、外に周って窓から中を覗いて見た所、二人は夫人が倒れているのを発見する。窓も内側から鍵がかかっており、何とか開けられないかと模索した二人だったが、格子のはまっている窓はどうにもならず、そのまま救急車を呼んだのだが、部屋に突入した時点で、すでに夫人は亡くなっていた。

 後に行われた検死の結果、死亡推定時刻は二日、土曜日の夕方、十六時から十九時の間で、動脈の圧迫による窒息死。典型的な首吊りの症状で、特に不自然な点は見られなかった。遺書らしきものは発見されなかったが、それらに現場が密室状態だった事も重なり、大きな問題とはならず、自殺として処理される所だったのだが……。


「せやけど、そこで色んな事実が出てきたんや」


 第一に、事件の三日後に夫人あての荷物が届いた事。どうやらこれは夫人が通販で注文したもので、死亡日の前日、つまり金曜日に自宅のパソコンから注文されていることが分かった。中身は婦人用の夏物衣類で、翌日に自殺する人間が注文するには不自然であると異が上った。


「そしてもういっこ。森崎氏は不倫していたことが判明したんや」


 仕事上の出張という事は事実だったようだが、取引先の会社の社長秘書と森崎は数年来の仲らしく、今回の取引も彼女が理由であることは、一部の人間たちの間では暗黙の事実だったようだ。


「ここまで来ると、状況的に問題視されなかった『遺書がなかった』という事実も重なって、森崎が夫人を殺したのではないかという疑惑が浮上したわけや」


 グラスに残ったビールをちびりちびりと飲みながら、真琴は資料を補足する。


「当人に聴取はしたの?」


 手元の資料から顔を上げ、真琴を見つめながら質問する。


「当然っちゃ当然やけど、知らぬ存ぜぬと主張しとるわ。せやけど、不倫の事実はあっさり認めたで」


「そこは否定するメリットないもんね」


 疑惑を持たれている以上は、必要以上の嘘は疑いを深める結果になる。情報の取捨選択を出来ているのだと仮定するなら、なかなか狡猾な人物かもしれないと、要海は森崎の人間性を想像する。


「けどな、森崎を名指しはせんかったけど、殺人の可能性があるいう説明をした時の奴さんの顔色見るに、ウチ的には黒や思とる。死亡推定時刻的にも、犯行は十分可能やしな」


 通常死亡推定時刻は、関係者の証言と死体の検死の結果を組み合わせて導き出されるものだ。司法解剖だけで死亡推定時刻を正確に特定するのは困難で、どうしても幅のある時間しか導き出せない場合が多い。その上死体発見が遅れれば尚の事だ。


「だけど、その前に密室の謎が立ち塞がってるってわけだね。でも、なんで今日ここで資料なんか持ってるの?」


 資料と、それの入っていた封筒と真琴を交互に見ながら要海は疑問を投げかける。服装もくたびれた感じのあるトレーナーとジーンズといった出で立ちで、お世辞にも外に出る女性の格好としては相応しいとは言えなかった。


「本当は今日事務所に行ったんよ。ついこの前まで要海ちゃんもお嬢さんも春休みやったやん。せやから平日ゆう事忘れててな。まあせっかくの休みにこれ以上頑張る事ないなって思い直してここで飲んでたら、これってわけや」


「刑事さんに休日はないのかもね」


 その辺りは、少し同情的な気分になる要海。そうなると、服装を含めて余計なことに気を回したくないのだろう。それでも今の格好はもう少しどうにかならないものかと思ってしまうのだが。


「ほんま、下手なブラック企業よりよっぽどブラックやで」


 お新香と牛皿を交互に頬張る真琴。白菜を咀嚼する小気味のいい音が要海の耳にも届いた。


「仕方ないよ。税金がかかってるんだから」


「まあ、納税者に言われちゃ適わんなあ」


「ボク達、消費税しか納めてないと思うんだけど」


「ここはノリだよゆきちゃん」


 冬姫のまっとうで冷静な突込みにありがたみを感じつつ、要海は話の続きを真琴に要求する。


「まこちゃん、現場の状態のわかる資料はある?」


「これや。一応要所の写真もあるで」


 封筒の上に残っていた資料の中からいくつかの束を取り出し、要海に差し出す真琴。現場となった夫人の部屋は全体的に正方形で、それなりの広さだった。


「遺体周辺の写真は……これだね」


 洒落た装飾の多い部屋自体はきれいに整頓されていたが、なぜかすぐ側の机の上だけが乱雑だった。それだけではなく、机の上にあったらしい小物類が机の下に落下しており、いくつか破損していたり、中身が流れ出てしまったのか、空になっている化粧瓶などもあった。そしてそれらの傍らには、足の折れてしまった椅子が倒れている。

挿絵(By みてみん)


「どうして机の周りが散らかってるの?」


「当初はこの机を踏み台にして首を吊ったと思われたんや」


 『当初』という言い回しを鑑みるに、真琴の中ではもはや、夫人が自殺したという可能性は薄くなっているのが伺えた。


「どうしてわざわざここから?」


 夫人を吊るしていたロープは、天井近くの梁に結ばれていたのだが、その真下は机から離れており、机に乗ろうと思ったら手間が掛かりそうだった。それなら踏み台を使った方が楽なのでは、と疑問に思う要海だったが、真琴がすぐに答えを出す。


「椅子の足が折れとるやろ? ロープを括り付けたまではよかったけど、いざ首を吊る段になって、椅子の足が折れた。結果ロープの輪っかまで首が届かなくなった。しゃあなしに夫人は近くの机に上って首にロープの輪をはめて飛び降りたいうのが警察の見解や。その際に、机の上の化粧品箱に足をぶつけて、中身が周辺にぶちまけられたいうわけやな」


 真琴の言葉を受けて部屋の中の物を見てみた所、件の椅子以外に踏み台に手頃そうな物は確かに無さそうだった。警察のその解釈も一応筋は通っているように見える。


「奥さんの身長的に無理があるとかなかった?」


「夫人の身長は百六十五センチ。似た体格の警察官が実際に命綱つけて試した所、難なく実行可能やったで。奥さんが人並み外れた非力いう話も聞かんしな。ただ、首への衝撃は相当あったやろうけど」


 通常の踏み台を倒して行う首吊りでさえ、全体重が首に掛かり、骨折か窒息の違いはあれど、相当の衝撃が走る。その上振り子のような動きまでかかるとなると、もはや首を吊った時点で即死だったのではなかろうか。要海はそんな事を考えてしまう。


「それと、現場には鍵がかかってたみたいだけど、鍵は何本あって、誰が持ってたの?」


 改めて、残っている疑問点を追及する要海。


「一本だけや。この屋敷は随分古くからある建物らしくて、昔どっかの金持ちが建てたものを買い取ったらしい。で、この屋敷の部屋は水洗に工事し直したトイレを除いた、『すべての部屋に鍵がかかる』ようになっていて、『それらの鍵はすべて一本しかない』。他の鍵は屋敷の一階にある保管庫に置かれてて、誰でも使えたらしいんやけど、森崎夫妻の自室の鍵に関してはそれぞれ本人たちが常に持っていたらしいな」


「でも、合鍵とかはないんですか? いくら古くったって作れるんじゃないですか?」


 冬姫も気になったのだろう、合鍵の存在を尋ねる。しかし、真琴の返答はそれらを否定する形でもたらされた。


「屋敷がそれなら、鍵自体も古いタイプでな、材質はありふれた真鍮やけど、作りは職人手製の、複雑な構造をした『レバータンブラー錠』みたいなんや」


「れ……、ればーたんぶらー?」


 単語自体に聞き覚えがないのだろうか。冬姫は真琴の口にした言葉をうまく呑み込めていない様だった。


「昔のドラマとかで見たことない? 鍵穴から部屋の中を覗けるタイプのやつ。ああいうのだよね?」


 冬姫に助け舟を出すのと、自分の記憶を確かめる意味で真琴に聞く要海。


「その通りや。まあ今は覗けない構造のやつもあるみたいやけど、こいつは部屋の中からも外からも錠前の開閉に鍵を使わなきゃいかんタイプで、要海ちゃんの言った通り、部屋の中を覗けるやつやな」


 ドアと鍵穴、そして鍵の写真を取り出し、要海と冬姫に見せて来る真琴。


「実際ウチも覗いて見たんやけど、視界は狭いながらもちゃんと中の様子が見えたで。まあ、ウチの場合、眼鏡付けてると顔を押し付けられんかったから、外さなアカンかったけどな」


 この手の鍵穴は、今時のマンションのドアについている、レンズの埋め込まれた覗き穴と違ってただの穴な為、向こうを見ようと思ったら本当に顔を近付けなければならないらしかった。


「で、普通この手の鍵はシンプルな構造の場合がほとんどで、ピッキングにめっぽう弱い。せやから住居の鍵としては、現在はほとんど使われてへん。けど、シンプル故に工夫の余地が入るんやろな。さっきも言うたけど、これは屋敷の前の持ち主が、ある職人に作らせた特殊なもので、当時のレバータンブラー錠としては有り得んくらいに複雑な構造になってるんや。よって、複製はもちろんの事、その辺の素人程度じゃピッキングなんてとても出来ん」


「玄関や窓とかの、外に通じる鍵も事情は同じ?」


「そういう事や。ただ、玄関の鍵に関しては合鍵がないのは問題ゆう事になって、そこは鍵を付け替えてて、森崎夫妻と安達がそれぞれ所有している三本がある」


 真琴のさらなる補足によると、そちらの方は、今時のちゃんとした鍵らしく、外部からの侵入などはなおの事有り得ないだろうとの事だった。そういった事情もあって自殺説は根強く、真琴の森崎犯人説はまだ勢力として力を持てていないのだろうと要海は推測した。


「問題の『一本しかない夫人の自室の鍵』は、『首を吊った夫人の足元に転がってた』。ちなみにそれが分かったのは現場に踏み込んだ後な。当初は現場に行ったはいいけど、結局ウチらはドアを開けられず仕舞いで、鍵屋を何店か呼んで、何とか開けることに成功したんや」


「プロでも相当梃子摺るレベルだったんですね」


 冬姫が素直に感心した様な声を上げる。


「何軒か呼んで、開けられたのが一店だけやからな。ここまでの難物は初めてや。まあ開けられないならそれはそれでぶち破るだけやったけど、何分ドアが頑丈でな。ウチらでも、救急隊の装備でも、ドアを壊せなかったんや。その後でどうやら道具手配してたみたいやけど、鍵屋の方がまだ早かったわけや」


「鍵穴とかは調べたの?」


「おかげで丁寧に分解でたさかい。その点では、もしぶち破ってたら正確に見れんかったかもな。んで結果としては、『普段から利用していた時に付いたらしい傷』と、『ピッキング時に付いたと思われる細かい傷』が残ってたくらいで、『不自然に大きな傷』や『何か仕掛けを施したような痕跡も見つからんかった』」


 またビールをあおり、一息ついて真琴はすぐに話し始める。


「さっきも少し話が出たけど、部屋の窓にも鍵穴がついてて、こっちは『内側からしか錠前の開閉は出来ひん』。その上格子が嵌まってる時点で、人の出入りは不可能とみていいやろな。当然この鍵も一本だけで、こいつは現場の机の引き出しに入ってたで」


「窓に隙間とかはある?」


「『防寒対策のパッキンが付いてて、ほとんど無い』といっていいな。まあ釣り糸くらいなら痕跡を残す事なく通せるかもやけど、それ以上の大物は閉じたままじゃ無理やろな」


「なるほどなるほど」


 要海は現場の見取り図を手に取り、真琴から得た情報と照らし合わせる。

挿絵(By みてみん)


「部屋の間取りと死体の位置は正確?」


「ウチも初動捜査の時から参加しとるから、大きくは違ってへんと思うで」


「うん、わかった。ありがとね、まこちゃん」


 要海の疑問に余すことなく答えてくれた真琴に礼を述べ、要海は今一度、思考を巡らせる工程に入った。

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