日常編2
(なんていうか、ぐいぐい来るタイプの子だなあ……)
帰宅し、湯船に浸かりながら、路地の曲がり角でぶつかり、知り合った同学年の少女、稀堂要海との出会いを冬姫は回想する。
冬姫と要海は揃って学校に着き、昇降口に張り出されたクラス分け表を一緒に確認した。するとなんと、二人は同じクラスになっており、あろう事か席も隣同士だったのだ。
「やっぱりこれは運命力のなせる業だよ!」
要海のこのセリフが、いまでも脳内に蘇ってくる。
入学式の後は、クラスメイトが各々のグループを作ったりの活動に勤しんでおり、要海も持ち前の明るさで、次々と知り合いを作ってしまっていた。恐らくだが、初日にしてクラス全員と友達になってしまったのではないだろうかと冬姫は思う。
そんな彼女なだけに、冬姫もその他大勢の一人になってしまうのかと少しばかりの寂寥感を持ったが、初日の説明会などが終わって放課となった時、要海から一緒に帰ろうと持ち掛けられた。どうして自分なんか、と疑問に思った冬姫だったが、要海は特別な事ではないとばかりにこう一言。
「ゆきちゃんと帰りたいってだけだよ」
恋に落ちた事などないが、きっとこれは非常に似た感情ではないかと冬姫は考える。気遣ったり余計な策略があるわけではない、純粋に自分を求めてくれた姿勢に、冬姫は感動で心が暖かくなるのを感じた。
入学式も終わり、今は帰路。初めての登校を一緒にこなした冬姫と要海は、初めての下校も共にあった。
「ねえ、これから二人でお昼食べない?」
現在時刻は午後十二時半過ぎ。新入生は説明会が終わり次第解散で、学校に特別な用事がない要海と冬姫は、帰宅の途に就いていた。
そして前述の通りの刻限の為、二人はまだ昼食を摂っていない。
「ゆきちゃんに予定がなければだけどね」
冬姫に特に予定はない。それどころか、要海に誘われずともどこかで外食をするつもりだったので、タイミング的には渡りに船だった。
「うん、特にはないよ」
「じゃあ決まりだね。実はわたし、この辺は引っ越してきたばかりだから、おいしいお店とかわかんないし、入った事もあんまりないんだけどね」
登校の道すがらや、教室での要海との会話から、彼女が地方の出身で、下宿先の周囲が手一杯で、まだまだ地の利が不安な事は聞いていた。
「だったら、ボクが何かおすすめ教えてあげようか?」
そうなると、ここは自分が要海の力になれるいいタイミングだと思い、冬姫は早速とばかりにそう切り出した。
「ほんと?」
「こう見えて、外食は結構好きなんだ。だから食べたい系統の料理があればだいたいは見繕えると思うよ?」
いつもなら一人で店を回っていただけに、誰かと行くのは冬姫自身、非常に新鮮だった。
「じゃあねえ……」
要海は自分の顎に人差し指を当て、考える仕草になってからしばし沈黙委する。とはいっても、時折『んー』などと声に出しており、完全に沈黙していたわけではなかったが。
「よし、それじゃあねえ」
考えがまとまったのか、冬姫の方に向き直った要海が、リクエストメニューを口にする。
「すごーい、お肉盛りだくさんだ!」
目を輝かせながら、目の前の細切れの牛肉が盛られたどんぶりに向かって感嘆の声を上げる要海。
「本当に牛丼屋でよかったの?」
「うん、私の地元って田舎だったからさ、牛丼屋さんなんて手の届かない存在だったよぉ」
この町で生まれ育った冬姫にしてみれば、利用するようになってからはそこまで日が経っているわけではないが、やはり昔からあった店という印象は間違いがない。住む場所による常識の違いというのは、なかなかに面白そうだった。
「それじゃあこれが初めての牛丼だね」
「もう今日だけでわたしの初体験、ゆきちゃんにいくつ捧げちゃったかなあ」
「ちょっと言い方が……」
「?」
きっと冗談を言ったのだろうと解釈した冬姫だったが、こちらに向けられた要海の笑顔に曇りが一切感じられず、あくまで他意のない発言だったと分かり、居住まいが悪くなってしまう。
「ごめん、なんでもない」
何でもなく振る舞いたい所だったが、動揺が顔に出てしまってる事は自覚していた冬姫は、要海が話題を先に勧めてくれることだけを祈るのだった。
「じゃあ気を取り直して、いただきまーす!」
そんな感情が馬鹿らしくなるくらい、要海は冬姫のそんな態度を気にも留めず、牛丼の最初の一口を口に含んだ。
「うーん、おいしい!」
牛丼を食べてここまでのリアクションをする人は果たしてどれだけいるのだろうと思ってしまう程、要海のものは実にオーバー気味だった。
「初めて牛丼を考えた人ってすごいよね。ごはんの上に肉を乗せるってだけなのにこんなに完成度が高くなるんだから」
しかし、冬姫も要海のわかってる発言にはどこか嬉しくなり、目の前にいる友達が、自分と同じ価値観を共有してくれた事に嬉しさを感じるのだった。
「ごちそうさまでした!」
そしてあれよあれよという間に、要海は牛丼を平らげる。
「感想はどうかな?」
冬姫も食べ終わり、箸を置きながら要海に尋ねる。
「さいこーだよ。もうその一言!」
朝も見たサムズアップと満面の笑顔で、最大級の賛辞を贈る要海。
「それは何より。ボクも嬉しいよ」
ここまで喜んでくれるなら、連れてきた甲斐があったというものである。
「あとはやっぱり、ゆきちゃんと一緒なのも大きいよ」
続けざまに冬姫への言葉も贈る要海。
「そ、そうかな……」
つくづく、人を褒めるのが上手な人間なのだと、冬姫は思う。
「そうだよ。だからお礼言うね。ありがとう、ゆきちゃん」
しかし、ここまで一方的にお礼を言われてしまってはむず痒いものがあったので、冬姫も要海に対して言いたい事を言う事にした。
「お礼を言いたいのはボクの方だよ」
「どうして?」
「実はボク、こんな風に誰かと遊びに行ったことってなかったんだ。だから、きっかけくれた要海ちゃんには本当に感謝してるんだ」
在処に言われているうちは、友達とこうして何かをするのは煩わしいと思っていたが、やはりそれは自分の強がりだったのかもしれないと、冬姫は思い始めていた。何故なら、今こうして要海と一緒にいるのがとても楽しかったからだ。
そんな現金な自分に若干の嫌気が差す心持ちだったが、現実にそうなのだから認めないわけにはいかなかった。
「もー、そんなストレートに言われたら照れちゃうよー」
「え? それ要海ちゃんが言うの?」
常にまっすぐで優しい言葉のジャブをぶつけてくる要海に言われてしまっては、もはやリアクションに困ってしまう。冬姫はただそう一言突っ込むしかなかった。
「だったら、またこうして一緒にごはんとかいこうね! ごはんとかだけじゃなく、どこかに遊びに行くとかでもさ」
「うん、ボクからもお願いするよ」
きっと要海がいるなら、楽しくならないわけがない。冬姫は心の底からそう思えていた。
「すみませんお客様、ビールはお一人様二本までとなっておりまして」
そんな折、店の奥からそんな声が聞こえてきた。
「あん? そんなんきいてないで?」
声のした方に視線を向けると、眼鏡をかけ、独特の訛りで話す女性客と、店員が話をしている光景が目に入った。女性客の座っているテーブル席には何かの小皿が二つと、ビール瓶が二本、そして手にはグラスが握られていた。
「こちらの注意書きに……」
「……、すんませんでした」
「いいえ。ごゆっくりー」
この牛丼屋は、例にもれずビールを販売しているのだが、券売機の所を初め、アルコールの書かれた掲示物に、『お一人様瓶ビール二本まで』と注意書きが書かれている。
察するに、あの女性客はそれを見逃し、追加注文をした際にそれを指摘されたのだろうと冬姫は内心納得した。
「はあ、家で飲み直すかなあ」
そう言って残ったビールを勿体なさげに飲み始める女性客。しかし、牛丼屋に女性客が一人で入って、しかもこんな昼時から飲酒とは、なかなか勇気のある行動をするなどと冬姫が思っていたその刹那だった。
「まこちゃん?」
向かいの席に座っていた要海が、その女性客に向かって声をかけたのだ。
「ん? およ? 要海ちゃんやんけ」
要海の声を受け、その女性客の方も要海に気が付いたようだ。
「どうしたの? お昼から」
「今日は非番やからな。普段なら出来ない昼飲みを楽しんでたんやけど、ここ制限があるの見逃してなあ」
半分ほど残った牛皿を見つめながらちびちびとビールを飲む『まこちゃん』とよばれた女性客。
「そっか。今日入学式やったな。制服、似合とるで」
「ありがと、まこちゃん」
親しげに会話をする二人。
「要海ちゃん、そっちの子は?」
女性客が今度は冬姫を指さし、要海に素性を尋ねてきた。
「あ、紹介するね。わたしのクラスメイトの、天津冬姫ちゃん」
椅子から立ち上がり、冬姫の隣に体を寄せながら彼女を紹介する要海。
「ゆきちゃん、この人は仁澄真琴さん。結構若いけど、警部補さんなんだよ?」
要海の言葉に冬姫は二つの意味で驚く。
警部補といえば、警察では役職のようなもの。しかもこの人は女性で、どう見繕っても二十代後半にしか見えない。
そして、要海はなぜ警察官と知り合いなのだろうか。いくら探偵事務所に下宿しているとはいえ、探偵と警察が協力するのはドラマや小説だけだという認識があった冬姫なだけに、衝撃があった。
「どうして刑事さんと要海ちゃんが知り合いなの?」
「なんや、言うてへんのか? 要海ちゃん」
「だって、表立って言っちゃダメだってしーちゃんに釘差されてるんだもん。まあそれでも、そんなに人のプライバシーなんて話せないよ」
「ふふふ、相変わらずやね」
そんな二人にしかわからない会話で通じ合ってる様子を見て、冬姫はどこかもやもやした気持ちが沸き上がるのを感じた。しかし、努めてその感情を無視しながら、話の続きを始める。
「要海ちゃん、何か刑事さんに協力でもしてたの?」
「協力なんてもんやないで。要海ちゃんはな、実際にウチ等警察が手に負えなかった事件をいくつか解決してしまった、リアル名探偵なんやで?」
「名探偵?」
「わたしがこっちに越してきた初日に、下宿先にまこちゃんが事件の依頼を持ってきたの。本当は所長さんに見せるはずだった資料を見せてもらってね。で、見事に真相を看破したわけですよ」
謎のポーズを決めながらドヤ顔を決める要海。その様の嘘くささに説得力が弱まっているが、要海の人柄上、ここまで大げさな嘘はつかないのではという思いもあった。
「ちなみに本当やで。ウチが警察官ゆう事を含めてな」
そう言って手帳をかざし、冬姫に見せる真琴。別に疑っていたわけではないが、それを見せられるとやはり、説得力は段違いだった。
「要海ちゃんって、何者なの?」
「まあまあ、その疑問はさて置いてさ。まこちゃん、その書類ってもしかして」
「お、さすがお眼が高いなあ、要海ちゃん」
そう言って真琴は、隣の空いた椅子に置いていた鞄の中から、分厚い封筒を取り出した。椅子に座っている冬姫からは見えなかったが、立っている要海にはその所在が分かったのだろう。
「いつものやつや。見てもらえるか?」
「もちろん」
要海は二つ返事で封筒を受け取り、真琴の座るテーブル席の向かいの椅子に腰かける。
「あ、ゆきちゃん、時間かかると思うから、一緒にこっちの椅子に座ろうよ」
要海に呼ばれ、どうしたものかと思いつつ、真琴からも手招きされ、冬姫は要海の分の鞄も持ち、二人の座るテーブル席に向かい、空いている要海の隣の席に腰かけた。
当の要海はすでに、封筒の中身をテーブルに広げ、目を通し始めている。