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アイノリフレイン  作者: 矢田さき
2章 貫奈亜以乃 (アイノリフレイン)
9/31

1-3

 最初は涼佳の指摘からだった。やはり放課後、部室に向かうふたりきりの時間、

「ねぇ、気づいてる? 気づいてるわけないか、亜以乃だもんね」

 猫みたいな、思わせぶりに持ってまわった調子なのは、いつもの涼佳だ。質問が漠然としすぎるし、まったく心あたりもないので、

「いったい、なんのこと?」

「そうだよねぇ、わからないよねぇ。でも気づいてないのは亜以乃くらいだよ、きっと」

 もう、メンドクサイなぁ。

「だからなによ、なんのこと?」

「コジだよ、コジ」

「児島くんがどうしたの?」

「ここまで言ってもピンとこないとこなんか、やっぱり亜以乃だな。自分のアンテナに引っかからないことにはまるで無頓着って感じだもんね。じゃぁ教えてあげる。いい、コジはね、亜以乃のことが好きだよ。これはゼッタイ。そう言われたら、なにか思いあたる?」

 聞いたところで「なにそれ」って感情しか湧いてこない。何度も話はしていても、それくらい児島くんのことは、わたしの眼中になかった。山名くんと同じくらいに。だから、それが嘘だとも真実だとも思わない。ただ「なにそれ」だ。一拍おいてから、

「えぇっと、それどういうこと?」

 カマトトすぎるとは思うけど、ほかに返しようがない。

「どうもこうもナシ。コジは亜以乃のことが好きだってこと。もちろん恋愛対象として」

 断定する涼佳。

「児島くんがそう言ったの?」

「バーカ、言うわけないじゃん。そんなの、アイツの態度見てたらわかるって。礼子や亜美だって気づいてるのに」

「ホントかなぁ」

 それ以上の感想もない。本当だったところで「そうですか」としか思えないだろう。

「亜以乃がコジのこと、興味ないのはわかるけど、それならそれで、早めにアイツに気づかしたほうがいいかもね」

 クラスメイトの男子が自分のことを好きかもしれないと聞かされたのに反応のうすい友だちに対して、涼佳はそんなふうに言った。その意図がイマイチよくわからなかった。

「それって……」

「あーあ、一から百まで言わなきゃダメ? コジってさ、結構女子に人気あるんだよ。特に三原(みはら)さん周辺にね。だ、か、ら、ゴチャゴチャするまえにコジにあきらめさせたほうがいいよって、わざわざ忠告してあげてるの。わかった? まぁコジを亜以乃に近づけた原因の一端はわたしにもあるし、フォローはするからさ」

 ゴチャゴチャか。説明されて、ようやく彼女の言わんとすることがおぼろにわかった。

 整理する。まず児島くん。

 彼のタイプをひとことであらわすとヤンチャだ。お行儀のよいわが中学においてって意味で。会話のノリがよく、悪く言えば軽い。ハンドボール部に所属しレギュラーで活躍中。外見も男気がありそうで、一般的には、まぁカッコイイ部類に入るんだろうな。わたしの趣味じゃないけど、女子に人気があるのはわからないでもない。

 そして三原さん周辺。

 三原さんはわたしたちのクラス、中でも女子の中心的存在。牛耳るってほどではないにしろ、あえてとって代わろうって子もいない。クラスでいちばんオシャレな子。学校内でも、髪どめ、小物、ソックス、スカート丈など校則違反にならない範囲でそのセンスを存分に主張している。フォロワーも多いくらいだ。また、勉強もわりと優秀だし、部活はバスケ部に所属し運動も得意。そして――ちょっとこわい。

 これまでなにかもめごとを起こした経歴を知っているわけでもなく、あくまでわたしの心象なんだけど。涼佳ですら、〝さん〟づけで呼ぶくらいだ。

 その彼女を特に慕う――またはつき従う――女の子四、五人を含めたグループを、涼佳は「三原さん周辺」と称したのだ。少々揶揄をこめて。

 児島くんは、その彼女たちに人気があるってこと。それは、教室で彼らのふだんのやりとりを見ていれば、その手の男女の事情にうといわたしにもなんとなくわかる。休み時間、彼女たちが黄色い声を上げて児島くんと接するシーンを何度も見かけたことがある。

 しかし、児島くんがわたしを好きだなんて、とうてい信じられない。どう考えても涼佳の思い違いだろう。彼みたいなはっちゃけた性格の男の子が、わたしみたいな鈍くさい女子を好きになるとは考えにくい。それこそ三原さんのような子がお似合いだ。

 したがって涼佳の言わんとする心配――児島くんがわたしを好きだってことが三原さんたちに知れ、わたしが彼女たちに妬まれる、嫌がらせをされるっていうのは、まったくの杞憂だと思う。とんだとり越し苦労というものだ。だからそう言い返した。それなのに涼佳ったら、

「よく思い返してみなよ。最近コジ、学校でもよく亜以乃に声かけてくるじゃん。わたしに対してはそうでもないのにさ」

「それは、涼佳は山名くんがいるから……」

「それ逆、逆。ふつうだったら、友だちのヤマナンと仲のいいわたしのほうに、より声をかけてこない? だいたい、もともと亜以乃って男からすると近寄りがたいんだよ。それなのに塾帰りにお茶するときだって、たいてい亜以乃の近くに陣どってるし。もうバレバレだって」

 そう言われてみると、たしかに教室を移動する廊下で、放課後教室を出るタイミングなどで、彼に声をかけられることが多くなった気もする。でも、それは単に塾帰りの交流が始まって気安くなったからで、特別な感情に基づくものだとは思えないけど。

 なんにせよ、せっかく涼佳が忠告してくれているんだ。学校内で、特に三原さんたちのいるまえで、児島くんと接触する機会を作らないように気をつけよう。用心するに越したことはないから。と小心なわたしは考えた。


 七月に入り、期末テストが終わる。

 あと一週間もすれば夏休みだ。入道雲みたいな解放感。といっても、受験生の身には塾の夏期特別講習が待っているし、夏休みだからといってウキウキしてもいられない。

 また、わが合唱部は朝練までやっているわりに代々ゆるい活動気風なので、かのNコンとも無縁だったが、八月初めに行われるささやかな発表会が待っていた。それをもって、わたしたち三年生は引退する。そのあとは高校合格を目指しひたすら勉強三昧――の予定である。一応そういうことにしておくね。

 テスト最終日の放課後。部活は今日まで試験休みなので、このあとは帰宅するのみ。

 涼佳たちとひとしきり、終わったばかりのテストの問題について、今さら手後れな討議をウダウダかわす。それからみんなで教室を出る。わたし以外トイレに行くというので廊下で待っていた。そこで声をかけられた。

 テストを終えて、気が抜けていたのはしかたがない。すっかり油断していた。

「貫奈、ちょっといいか?」

 児島くんだ。涼佳に忠告を受けてから、学校ではできるだけ彼に近づかないよう心配りしていたのに。しまった。わたしもトイレに入っていればよかった。と思っても遅い。なるべく気持ちが顔に出ないよう「うん」とうなずく。児島くんは挨拶代りに今回のテストの手応えに触れ、その社交辞令のあと本題に入った。

「今度の日曜、なんか予定ある?」

 彼の言葉に心臓が一メートル跳ね上がる。

 ええっと、どう返そう。この質問って、かなり高い確率でわたしをなにかに誘うためのまえふりだよね。わたし個人なのか、ほかのだれかといっしょなのかわからないけど。とにかく予定があることにして、断れるよう予防線を張らなきゃ。

 合唱部は、基本土曜日に練習が入ることがあっても、日曜日は完全にオフだ。だから部活は理由に使えない。だったら――、

「つ、次の日曜日は、母さんと親戚の家に行くことになってるんだ」

「そうか、じゃぁしょうがないな」

「日曜日、なにかあるの?」

「いや、オレ、珍しく部活休みだから、息抜きにいっしょに映画でもどうかなって思ってさ。用事があるならしょうがないな」

「ごめんね」

「いいって、また夏休み入ったら誘うよ」

「そうだね。時間が合えば――、そう、涼佳たちや山名くんもいっしょに、ね」

 わたしがそう言うと、児島くんはちょっと苦笑いみたいな表情を浮かべ、

「それじゃ、今晩また塾で」と去っていった。

 肩の荷が下りたと同時に、今のやりとりをクラスメイトに目撃されなかったかと心配になり、あたりを見まわす。生徒の往来が多く、真偽ははっきりしない。はっきりしたところで起きたことは変えられないけど。

 もし正直に予定がないと言っていたらどうなっていただろう。彼に映画に誘われて、それでもはっきり断れただろうか。わたしのことだから、曖昧に返答をにごしているあいだに相手に押し切られてしまっていたかも。そう考えると、今回だけはとっさに口から出まかせが出て心底よかったと思った。


 わたしたちの中学は、終業式の日に生徒総出で大掃除を行う。各教室のみならず敷地内全域にわたって。この日、わたしは校門から校舎までの道とその周辺がふりあてられた。男女四人で、竹ぼうきやゴミばさみを使って清掃する。

 外はみごとな快晴。夏の日射しの下、よりによって屋外担当なんてついてない。でも、ついてないのはそれだけじゃなかった。

 始まってしばらくして、わたしのもとにクラスメイトの菊地(きくち)さんがやってきた。その姿を見てヘソの奥をきつくつままれたような気持ちになる。

 彼女は〝三原さん周辺〟のひとりだ。

「貫奈さん、ミーコが話があるって。いっしょにきてくれる?」

 平坦な声で言う。クラスで三原さんを〝ミーコ〟と呼ぶのは三原さんのとりまきの子たちだけ。

「まだ掃除の途中だし、終わってからじゃ」

 こちらが言い終わらないうちに、

「そんなの、ほかの子に任せておけばいいから。さぁきて」

 変わらず起伏のない声がふさぐ。わたしには選択の余地はないと言いたげに。すでにきびすを返し歩き出した。

 しかたなく、ほかの三人に目配せで謝って――向こうも災難だねって顔でうなずき返してくれた――菊地さんのあとについていく。

 校舎の中を抜けずに、大きく迂回してプールの囲いまでくると、運動場とは反対側にまわる。そこは、さっき掃除用具をとりにきたプレハブの倉庫や、それより大きい体育倉庫が並ぶ。その先に教育花壇や百葉箱、さらに奥まった場所に、今は本来の目的を終え、ただのゴミ収集場所となった焼却炉がぽつねんとある。

 わたしはついて歩きながら、一週間まえのテスト終わりに児島くんに話しかけられたことを思い出していた。案の定、だれかに見られていたのかな。どのみち、彼女たちの用件は児島くんがらみのほかになさそうだ。

 菊地さんは体育倉庫の角を折れて小径を進み、倉庫の裏手に出た。

 へぇ、校内にこんな場所があったんだ。

 高さ二メートルくらいのフェンスが雑木林と学校の敷地を区切っている。そのフェンスと倉庫のあいだの小暗いスペース。

 三原さんたちはいた。

 ちょうど表から死角になっており、そんな場所も、そこに呼び出されたことも、まるで昔の学園ドラマで主人公が不良たちに呼び出しを受けるシーンそのまんま。そんなことが実際に起こるのだということが実感できず、ウソのようにこわさはなかった。

 ドラマだったら、このあとどんなことされるんだっけ。

 木洩れ日がかすかに揺れる。アブラゼミの声がじゃまにならないボリュームで聞こえる。五人の女子がわたしひとりと対峙する狭い空間。ここまでは、まだ周囲を観察する余裕があった。

 最初は彼女たちを全体としてとらえていたのに、三原さんがすっと一歩まえに出たことで、焦点が彼女ひとりにしぼられる。

「亜以乃」

 三原さんのひと言目。わたしの目は彼女のリップでつやつやしたくちびるに釘づけになる。とたんにこわさが水をかけられたように押し寄せた。彼女に名まえで呼ばれるのは初めてだ。そもそも面と向かって話をしたことがあっただろうか。

「そんな緊張しなくてもいいよ。ちょっと訊きたいことがあるだけだから」

 よく澄んだ声。その言葉とは裏腹に人に緊張を強いる温度。

「……うん、なに――かな?」

「単刀直入に言うと児島のことなんだけどさ」

 ふだんは「コジ」って呼んでいるくせに、「児島」ってどういう加減なの。

「アンタ、アイツとつき合ってるの?」

 はぁっ! 何段階か素っ飛ばしてない?

「つき合ってなんかないよ。なんでそんなこと……」

 反動で思わず勢いづいてもすぐに失速する。

「ウソ言うなよ」

 とりまきのひとりがなじる。三原さんは右手を軽く上げてふってみせて、「口出し無用」とばかりに黙らせた。

「正直に答えてほしいんだ。わたしら、別にそれを聞いて、みんなに吹聴しようなんて思ってないから。ここだけの話だよ、ここだけの」

「ホントにつき合ってないよ」

「亜以乃はそう言うけどさ、児島は、ハンドの連中には微妙なことこぼしてるんだよね。オレにはイイ感じの相手がいる、みたいなニュアンスをさ。それと最近になって児島が急に亜以乃になれなれしくなったことを踏まえて、こっちは質問してるんだけど、どうなの?」

「そんなこと言われても、ホントだもん。つき合ってないよ」

「じゃぁさぁ、最近アイツと仲いいのはどうしてなの? まるでアンタのキャラに合ってないんだけど」

 恐怖で萎縮していても、この言葉にはカチンときた。わたしのキャラに合ってないって――。自分でもそう思うけど、他人からそんな言われ方される筋合いはない。

「わたし、児島くんと特別仲よくしてるつもり、ないよ。三月ごろから、わたしの通っている塾に児島くんが通い始めて、少し顔なじみになったってだけ。わたし児島くんのこと、好きでも嫌いでもないから」

 自分でも驚くほどはっきり言えた。それも三原さんに対して。彼女も予想外の反応に驚いたのか、わずかに目を見ひらいた。

「それ、どこの塾?」

 その的外れな質問に動揺がうかがえる。わたしは自分の通っている塾の名を告げた。

「そっか。ならいい。いや、この中にさ、コジのこと、真剣に好きなヤツがいるんだ。その子が、コジにつき合ってる子がいるって噂を聞いて、それが亜以乃じゃないかってなってさ、ずっとヤキモキしてたから。はっきりさせたほうが楽になるだろうって思ってね。悪かったね」

「……大丈夫」

「じゃぁ悪かったついでに、もう一度ここで誓ってくれないかな。わたしは児島のことが好きじゃないし、これからも好きになることはありませんって。さぁ」

 調子をとりもどした三原さんは、冷たい脅迫口調で突きつけた。なんでこの人たちのまえでいちいち誓わなくちゃいけないんだ。そう思ったけど、ここで逆らったら変に疑われるだけだ。それもバカバカしい。

「わかった……。わたしは児島くんのこと、好きじゃないし、これからも好きになったりしない。これでいい?」

「オッケイ」

 屈辱だ。すごくみじめな気持ちになる。いったん和んだ雰囲気にしておいて、結局、最後は自分に屈服させなくては気が済まないタチなんだろう。

 そのとき、三原さんたちの背後から近づく人影があった。彼女たちも足音に気づき、瞬時に空気が張りつめる。

 早川くん!

 彼だった。片手にゴミ箱をぶら下げて歩いてくる。彼女たちも相手がだれか気づき、張りつめた空気がとたんにしぼんだ。菊地さんが、「なんだ、早川か。おどかすな」ともらす。

 彼はわたしたちを視認しているのに、まったく顔色が変わらない。だんだんと近づき、三原さんたちをよけるように通りすぎる。そのとき、三原さんが言った。

「早川、どうしてこんなところにいるの?」

 早川くんが立ちどまる。

 まるで「人間はなんのために生きているんだ」と問いかけられた子どもみたいな顔で三原さんを見返す。自分が声をかけられたことが不思議でたまらないとでもいうように。そして、

「オレはプールと周辺の担当だから。ゴミ捨てに行くとこ。焼却炉にはここを通るのが近い」

 淡々と事実を告げる。

「あっそ」

 早川くんはなに食わぬ顔で再び歩き出す。わたしの横をすぎる。わたしを見もしない。わたしは彼の姿を見た瞬間から涙が出そうになるのを必死でこらえているのに。どうしてだかわからない。

「なんだアイツ」

「キモい」

 口々にもらす三原さんのとりまきたち。三原さんはすでに早川くんには興味を失ったようで、再びわたしに顔を向けた。

「掃除さぼらせて悪かったよ。もうもどっていいよ」

 わたしはなにも言い返せず、つれてこられた道を引き返した。緊張が解かれて今度こそ涙が溢れる。このままみんなのもとにはもどれない。いちばん近くの校舎に入るとトイレにかけこんだ。

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