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アイノリフレイン  作者: 矢田さき
2章 貫奈亜以乃 (アイノリフレイン)
8/31

1-2

 六月に入り、三年になって最初の進路希望調査票を提出したときのこと。

 まだ本人の実力に関係なく、生徒の大まかな希望を学校に伝える段階だった。

 わたしは少しまえから、志望校は私立のS女子高校に決めていた。母さんの出身校であり、母さんたっての希望だったから。それにS女子は制服も清楚な雰囲気で、わたし自身憧れてもいた。

 提出する際、深い考えもなく、となりの早川くんの用紙をチラとのぞいてしまった。是が非で、彼がどこの高校を志望しているのか知りたかったわけじゃない。半分以上、単なるはずみだ。

「あっ! えぇっ」

 喫驚が反射的に声になっていた。思わず口に手をやる。そして、そっとあたりをうかがう。

 それほど大きな声にはなってなかったようで、まわりの生徒はわたしを気にするようすもない。ただひとり、早川くんをのぞいて。

 彼はわずかにいぶかるようにわたしを見た。どうしよう。絶対変に思われたよね。それより、のぞき見したこと、気づかれたんじゃ。と思ううちに、後ろから回収された用紙が送られてきて、思案を破った。いちばんまえの席のわたしや早川くんは、それらをまとめて教壇に持っていく。

 ホームルームは続く。もう早川くんはわたしの方を見もしない。しかし、わたしもそれどころじゃなかった。わたしの心臓は、今までにない鼓動を打っていた。

 なんだろう。大地がスプリングボードになって波打つような、シロナガスクジラの吐き出す気泡が海面を揺らすような、どこまでも胸が膨らんでいくような、不可解な感覚。

 その原因。提出した調査票には氏名、住所に続き生年月日を書きこむ欄があり、彼のそれが十二月二十四日と記されていた。そこだけ目に焼きついた。

 クリスマスイブ。

 驚いたのはそんなことじゃない。わたしもそうだから。わたしと早川くんの誕生日がいっしょだったから。

 すごいよ。わたしたち、同じ日に生まれたんだ。そのふたりが教室に並んで座っている。この偶然の持つ意味はなんだろう。

 しばし考える。

 ううん、すごくもないし、意味なんかないのはわかっている。となりの席の子が、たまたま自分と同じ誕生日だった、それだけのこと。

 だけど、わたしの内側では膨らみすぎた風船が破裂せんばかりに内圧を高めていた。そのせいで体温が上昇する。

 そして思った。もし意味があるとすれば、これからふたりにとって、どんな意味を持つようになるか、じゃないかしら。


 わたしはJRのN駅まえにある、わりと大きな学習塾に通っている。

 部活のあといったん家に帰り、私服に着替えてから自転車でせわしなく塾へと向かう。中学に入ってからきまってそうだ。

 涼佳もいっしょ。彼女とは部活も同じだし、三年になってクラスもいっしょになったから、このごろは四六時中べったりしている感がある。

 塾のあと、よく女子三、四人でミスドやファーストキッチンに寄り道する。といっても遅くならないよう、三十分程度。わたしや涼佳も含め、部活の朝練がある子ばかりだからなおさらだ。受験生のささやかなガス抜き。

 最近になって、そこに男子二名が加わるようになった。山名くんと児島(こじま)くん。

 ふたりともこの塾に二年の終わりから通い始めた子たちだ。そして学校では、三年になってわたしと涼佳と同じクラスになったふたりでもある。

 きっかけは涼佳が山名くんを好きなったことに端を発する。

 涼佳が好きになる男子は決まってあるタイプに分類される。いわゆるさわやか系だ。髪はサラサラ、目はどちらかというと垂れ目、身体は痩身、運動部より文化部、といった特徴が挙げられる。

 山名くんはテニス部に所属している以外これにぴったりあてはまるし、そのまえの荻野先輩なんか完全一致。明らかにルックス重視の上、傾向もわかりやすい。

 彼女は性格がオープンだから、好きになったら積極的に相手にとり入る。そして持ちまえの器量と愛嬌で、つき合うまではいかなくとも、ほどなく仲のよい友だちになってしまう。荻野先輩のときは兄妹みたいな関係で足踏みしていたけど、山名くんの場合はどうだろう。わたしの目には、彼もまんざらでもないように映るけど。

 とにかく、涼佳と懇意になった山名くんが自然な流れで塾終わりのお茶会に参加するようになり、ひとりじゃ照れくさいのか、付録みたいに児島くんもくっついてきた。

 涼佳はもちろん、同席する礼子(れいこ)亜美(あみ)ちゃんも特に異議はないみたい。男子ふたりは毎回参加するわけではなく、女子トークなら男子抜きのときすれば十分だし、それに男の子たちがいる日はいつもと空気が変わって新鮮味がある。とまぁ、彼女たちの心情はそんなところだろう。

 わたしは――正直どっちでもよかった。男子が加わって特別有意義な時間になったわけでも、逆に居心地が悪くなったわけでもない。涼佳が嬉しそうならそれでいっか、ってくらいのやや消極的肯定かな。

 それでも、ほんのわずかではあるけど収穫もあった。男子ふたりから早川くんに関するいくつかの情報を得られたこと。

 もちろん、わたしから進んで訊き出したわけじゃない。例によって涼佳が、

「この子の席ったら、まるで陸の孤島なんだよねー」

 と、学校でクラスの違う礼子や亜美ちゃんに、わたしの教室での境遇――つまり、席が窓ぎわ、いちばんまえ、無愛想な男子のとなり――を冗談めかして説明したことから、自然と男子たちが、その〝無愛想な男子〟について個人的感想を口にした、その過程で知り得たってしだい。

 そのひとつ、彼は帰宅部である。以前の涼佳の軽口はあたっていた。これに関して、男子ふたりの口ぶりから若干蔑視するようなニュアンスがくみとれた。なんでも早川くんは運動が苦手ではなく、むしろ体育の授業のようすからうかがえる身体能力は、クラスでも優秀な部類に入るらしい。そのくせ帰宅部というのが彼らは気に入らないのだろう。

 またあるいは、早川くんの家は母子家庭であるとか、兄弟はいないはずだとか、M団地に住んでいるという噂を聞いたことがあるとかないとか、かなりあやふやでおおまかな家族構成や住所など。

 そして、そういうことを知っているだけで、ふたりとも早川くんと必要以上の口をきいたことはないと言う。ただ、それらの早川くんの個人情報よりわたしの興味をくすぐったのは、最終的に彼らが口をそろえて述べた総評だった。「なに考えているのかわからない、ちょっとおっかないヤツ」というのがそれだ。

「なに考えているのかわからない」の部分はまだわかるとして、「おっかない」ってどこからくるんだろう。それこそ女子にはうかがいしれない領域かしら。

 涼佳も同じような所感を持ったのかもしれない。ふたりに理由を質した。

「早川がおっかないってどういうこと?」

「別に深い理由があるってわけじゃないんだけどさ」ともらしたのは児島くん。続けて、

「パッと見、アイツって、いつもいっしょにいる岡崎なんかと同類に見えるけど、あぁいうタイプのヤツら特有の、オレらに対するビクビクしたような雰囲気がまったく感じられないっていうか、な」

 それを受けて山名くん、

「そうそう。なんかただの地味なヤツと違うんだよ。キレたら、こっちの想像を遥かに超えることしそうな、なんか隠し持ってるみたいな、さ。だからおっかない」

「そうかなぁ? わたしらにはゼーンゼンわかんないけど。ただのネクラでしょ」

「そりゃ男どうしだけわかるアレだよ。空気感ってぇの? いや、実際ケンカになったら、あんなヤツ、絶対負けねえけどさぁ」

 最後を茶化してしめる児島くんにつられてみんなが笑う。わたしは笑えない。

 男子ふたりの「あぁいうタイプのヤツら」や「オレらに対する」や「ただの地味なヤツ」のような上から目線には、たぶんまったく悪気や、その意識すらないんだろう。言葉の端ににじむ根拠のない優越感。聞いていて気分よくないよ。

 でもこの場の空気を悪くすることはいけない。つとめて平静な顔を装った。本意じゃないけど、そうやって心と外面を保つ。

 でもこんなのって、この年ごろの男子には日常なんじゃないかとも思う。自分の価値観だけの絶対的正義を盲信すること。ふりかざすこと。

 山名くんや児島くんなら、教室で目立つ中心的グループにいることが正義で、地味や内気やオタクやネクラや帰宅部は全員自分たち以下という価値。また、地味云々とひとくくりにされる子たちも、意識無意識に関わらず、彼らに対抗するなんらかの正義を持っているはず。そんな彼らの対抗意識の発露を、山名くんたちは「ビクビクしたような」と自分たちの都合のいいように解釈している。

 そんな図式を思い描いて――気づいた。

 早川くんは、その土俵にいないんだ。そのゲームに参加してない。だから山名くんたちには「おっかない」なんて映るんだ。

 少しわかった。わたしにとって、なぜ彼が浮き上がって映るのか。

 早川くんは、第一印象の通り、シマウマの群れに迷いこんだオカピだった。


 夜、フトンにもぐりこんで早川くんのことを考える。

 最初のころよりずっと彼の顔を細かに思い出せる。可もなく不可もなしだった面立ちも、今では気持ちプラスイメージがくっついていることに気づく。

 山名くんたちの話では、団地で母親とふたりで生活しているってことだけど……。

 家ではどんなふうにすごしているんだろう。学校では口数の少ない彼も、お母さんとならたくさんしゃべることがあるのかな。それとも中学生の男の子なんて、千篇一律に親との会話は少ないものかしら。数学があれほど優秀なんだから、やっぱり夜遅くまで勉強しているんだろうな。

 ベランダに向いた窓の横、彼が机に向かう姿を想像してみる。デスクライトの下、シャーペンを持つ指の繊細な動きが浮かぶ。

 わたし、早川くんがノートをとっている姿が好き。変なたとえだけど、谷川の静ひつな風景を見ているようで。

 でも、早川くん自身を好きになるには、あまりに彼について知らなさすぎる。

 これって、つまり、もっと知りたい、ってことかしら。

 きっと、そうだ。

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