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泣きじゃくる市道を見て晶はあわてた。以前貫奈に泣かれたことを思い出す。
どうして女って、どこでもだれのまえでも、こうも簡単に泣けるんだ。
どうにも対処できずに立ち尽くし、彼女が泣きやむのを待った。そのうち落ち着いた市道が、
「……わたしが……わたしが……」
なにかを訴えようとする。根気よく次の言葉を待つ。
「わたしが……貫奈さんを殺したんだ……」
「はぁ? なんだそれ?」
「わたし――、わたし、クリスマスイブに、同じ時刻に、北門街にいた。だから――」
「もっとわかるように説明しろよ」
「わたしが落としたクラッチバッグを――たぶん貫奈さんが拾ったんだ」
「オマエは、そのバッグをどうしたんだ?」
「……オヤジから、オヤジがおいてたものを……持って逃げた」
「どうしてそんなことしたんだよ」
「だって、あのオヤジが、わたしにひどいことしたから――、しょうがなかったんだよぉ」
その状況を思い出したのか、市道はまたたかぶって泣きそうになる。
「わかった、それはいい。つまり、市道が男から奪ったバッグを貫奈が拾って、それをとりもどしにきた男に歩道橋で捕まって、暴行されたってことだな」
「たぶんそう。だから――、だから貫奈さんは、わたしのこと恨んで、それでわたしにとりついたんだよ」
「ふざけんなっ!」
「え?」
「貫奈はな、どんなひどいことをされても、人を恨んだりするようなヤツじゃない。オマエといっしょにするな」
「ご、ごめんなさい……。でも、わたしが貫奈さんを殺したことには違いないよ」
「オマエの中に貫奈がいるんだろ? その貫奈はオマエに対して敵意とか憎悪とか向けているのか?」
「向けてない。違う、貫奈さんはわたしの中にいるあいだ、なんどもわたしを救ってくれた。とても真っ直ぐな人だよ」
「わかってるんじゃん」
今日初めて会ったこの子に対して、言い方がきつくなっていたと反省する。いや、去年のクリスマスイブからだれに対しても晶はこんな調子だった。
「市道、今からオレといっしょにきてくれないか?」
「え、どこに?」
と市道は不審そうに晶を見る。
晶はそれに答えた。
タケトが死んで、晶はどっぷりと落ちこんだ。それでも日常はあたりまえのように続く。あたりまえのように学校に通いあたりまえのようにバイトに精を出した。
あの――橋の下で貫奈とすごした夜、彼女は晶にまた会おうと言ってきた。自分を気にかけてくれてのことだと晶は解釈した。中学のころなら、おせっかい女のひと言で片づけていたはずだが、そのときの晶はそのおせっかいを素直に受けとることができた。
それが、乾いた日常に水を与えてくれた。
晶がバイトのない日に合わせて、地元で会ってなんとなく話をした。とりとめのない時間だったけど、安穏とした気分になれた。
貫奈はなにを考えているのか、月に一度はそんな日を設けた。
またよく電話をかけてきた。彼女なりの安否確認のつもりだろう。彼女に自分がどんな危なげに見えているかと考えると晶は可笑しかった。
晶の中で貫奈は、あの夜を境に自分を偽らなくて済むただひとりの相手になっていた。自分の忌むべきことは全部話してしまった。だから、そんな彼女とすごすのは貴重な時間だった。だけど貫奈にとって晶とすごすことにどんな意味があるのだろう。晶とふたりでいるところをだれかに見られて、嫌じゃないのだろうか。
貫奈に接している限り、特定の異性とつき合っているようには見えなかったが。というより、彼女の口から出る異性の話題ときたら、自分の父親か学校の教師の話だけだった。女子校なのでそういうこともあるだろう。だが貫奈はふつうの女子じゃない。ひときわ人目を引く容姿をしている。その相手が晶ではあまりに不釣り合いというものだ。
いずれにせよ晶にとって貫奈とすごす時間は、ときを経てかけがえのない大事なものへと変わっていった。
また高三の晶は自分の進路について考える時期だった。
高校に入学当初から大学進学は念頭になかった。家の経済事情を考えればそれは当然だ。
三年の二学期には、バイトを通じて自分のやりたいことをしぼりこんでいた。それがケーキ職人とパン職人だった。どちらもたまたまバイトで経験したものだが、かじってみて、さらに深く知りたいと興味が湧いた仕事だった。
ふたつは製造という点では同じでも、かなり性格の異なる職種だった。晶は自分の性分に合っているという判断で、パティシエにしぼって就職先を探した。
晶の通う高校は進学校で、そこからパティシエの道に進む前例はほとんどなかった。だから自分の足と時間を使って探し、十二月には大手パティスリーに就職が決まった。
そのころだった。貫奈がいっしょにクリスマス会をやろうと提案してきたのは。
晶は、二十四日は夕方六時まで、ストラスブールでのバイトが入っていたので、それが終わってから、つれだって貫奈の家に行くことに決まった。成り行きでそうなったのだけど、いろいろと戸惑うことはあった。
まず、クリスマス会など参加したことがないので、なにをするのか見当もつかない。それに、いきなり女子の家に押しかけていいものかどうか。貫奈は両親に話しておくとはいったが、つき合ってるわけでもない男をどう説明するつもりだろう。あとはプレゼント。やはりそういう会をするということは、貫奈は用意するだろうし、相手に期待もするんじゃないか。しかし、女の子のプレゼントになにを選べばいいのか想像もできなかった。
それに、貫奈は知らないだろうが、その日はふたりの誕生日だった。今となってみれば、このことは晶でも特別な感じがする。
と、そこで思いついたことがある。ケーキは晶がストラスブールで用意することになっていたので、そのデコレーションをクリスマス、プラス、ハッピーバースデイにするのはどうだろう。そのサプライズを貫奈は喜んでくれるんじゃないだろうか。
あまり気乗りしなかった会が、これで少し楽しみになった。
プレゼントは悩んだ末、無難に手袋にした。この時期これで外すことはないだろう。いざデパートの売り場に行って選ぶときは、さすがに一種の拷問のように思ったけれど。
そうして十二月二十四日を迎えた。
クリスマスイブ、予定の六時をすぎても貫奈は現れなかった。