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アイノリフレイン  作者: 矢田さき
3章 早川晶 (アキラスカイハイ)
26/31

1-4

 九月の終わり、実力テスト期間中だった。

 帰宅した晶は母さんから親父が死んだことを告げられた。初めはその言葉と実際の現象がうまく結びつかなかった。そのあと晶の口から出たのは「ウソだろ」だった。

 母さんの話によれば、親父は春に訪ねてきたときから病状が思わしくなかったらしい。大腸癌だった。あのときも休職しており手術も受けたあとだったそうだ。

 母さんから翌日の通夜にいっしょに行くよう言われたが断った。母さんはすでに離婚したので他人だが、晶は今でも血の繋がった肉親だから葬儀にも参列したほうがいい、そんなふうに説得されたけれど、行く気にはなれなかった。

 いっしょに住んでいたとき、あれほど殺してやりたいと憎んでいたはずなのに、死んでしまった今、ざまあみろとはならなかった。無論、悲しみなんかこれっぽっちも湧かなかった。清々した。それなのになぜか空しかった。

 春、二度会った親父を思い出す。別人のような風貌。覇気のない態度。あれは病気に侵され弱り切り、面変わりした親父だった。

 すでに死期を悟っていたのか。だから母さんに会いにきたのか。

 それもどうでもいいことだ。勝手に現れて勝手に晶の心を乱し勝手に死にやがった。そして死んでもこうして晶の心を乱す。

 クソったれだ。


 親父は死んでからも呪いをかけたように晶にまとわりついた。それほど、ずっと影響を受けていた証かもしれない。

 この、憶えのない傷口から溢れる血みたいな感情を、どうにかして払いのけたかった。

 そんな中、甘い罠のような状況が訪れた。

 休み時間だ。となりの貫奈がクラスの男子、児島(こじま)に言い寄られていた。ふたりが自分の横でどんなにイチャつこうがどうでもよかったが、貫奈のほうが嫌がっている素ぶりだった。それでもふだんの晶なら口出しすることはなかっただろう。

 だがこのときは違った。晶の中から抑えきれないむき出しの衝動が湧き上がった。

 児島はクラスメイトの中でも晶の対極にいるような生徒だ。目立ちたがりの自意識過剰でクラスの人気もの気どり。日ごろからいい印象はなかった。

 貫奈が児島の押しに軽く悲鳴を上げた。晶は立ち上がり、児島の肩をつかみ一気に引き寄せ、貫奈から引きはがした。ふり返った児島のバカみたいに驚いた顔を見たら、気持ちがたかぶった。

 児島の顔は羞恥から怒りに変わる。すぐに殴りかかってきた。よけることもできたが、殴らせた。頬にあたる。次に腹を蹴られる。机といっしょに晶も後ろに倒れた。

 児島の怒りとさげすみの表情が晶には快感だった。見ていろ。その顔をすぐに変えてやるから。

 わざと時間をかけて立ち上がる。身体中を沸騰した血液がかけめぐる感覚を味わうように。児島の目が晶から離れた一瞬をとらえて飛びかかった。

 そこからはうまく思い出せない。

 児島の顔を黒板にたたきつけたことと、最後蹴り飛ばしたことは憶えているが、ほとんど本能のまま動いた気がする。

 すべてが終わっても、晶の身体は間欠泉のように断続的に荒く噴き上がる衝動に支配されていた。


 翌々日の放課後、校門を出たあたりでこすからい視線を感じた。すぐに察しがつく。児島がらみだろう。

 知らん顔でふだん通りの道すじを歩く。学校から五分も離れたところで姿を現わした。児島の友だちかなにかだ。本人や同じクラスの生徒は見あたらないが、何人か見知った顔もあった。両側をがっちりふたりに挟まれる。

「ちょっとつき合ってもらうぞ」

 ひとりが言った。逆らったところで結果は同じだろう。それならこちらも気分を晴らさせてもらおう。相変わらず親父の死から続く不穏な感情は晶の中にうごめいていた。

 淋しい公園につれていかれた。そのあいだ、お互いだれも口をひらかない。グランドから離れ、遊歩道に入っていく。喬木の木立を進み、人目の届かないところまできた。

 思ったより人数がそろっていた。十人以上いる。どこまで応戦できるかわからないが、晶も黙ってやられる気は毛ほどもない。

「おい早川、どうしてつれてこられたのかわかってんだろ?」

 相手が口上を垂れてるあいだに、晶は両側を押さえていた生徒の胸に容赦なく肘鉄を入れた。

「この野郎!」

 そこから大乱闘が始まる。晶は完全にとり押さえられるまえに、できるだけ相手にダメージを与えた。少なくとも三人は歯が折れるほど殴ってやった。しかし、やはり人数が多すぎた。数分で自由がきかなくなると、寄ってたかってなぶりものにされた。

 十数分後、晶は目もあけられず身体も動かせない状態で、その場に放置された。児島の仲間は口々に捨てゼリフを残して去っていった。

 予想通りといえばそうだ。初めから勝ち目はなかった。殴られれば痛い。ただそれだけだ。児島の仲間のやり口が特別卑怯だとも思わない。これが世の中だ。自分が少しでもあいつらの上に立つことはない。

 下草の上に寝転がって、やっとひらいた目で暮れていく空を見上げている。

 空を見上げるなんて、どれくらいしてなかっただろう。

 口内に広がる血の味、身体中の熱を持った痛み、風の加減でときおり鼻につく土臭さ、そのどれもが、心地よいとは言わないが、現在の晶にはおあつらえだ。

 身体が動かせるまで、そうして夜の気配が下りるのを見ていた。


 晶は一週間近く学校を休んだ。

 児島の仲間から暴行を受けたその夜、高熱が出た。それも二日目には下がったが、いかんせん顔がひどい状態だ。とても昼間から表を歩けない。具合のいいことに、母さんは晶が学校を休んだところで、口うるさくする人じゃなかった。顔がもとにもどるまでのんびりすることにした。

 休んだ二日目の夜だ。おせっかいにもまた貫奈が家まで訪ねてきた。それもタケトに案内をさせて。どうせ自分のせいで晶が学校を休むことになっているんじゃないかと心配してようすを見にきたんだろう。

 何度も晶から邪険にされているのに、彼女の、このめげなさ、打たれ強さには感心する。やはり、ふだん自信のない顔をしていても、自分の中に一本太い芯を持っていて、他人に譲れないものがきちんとある子だ。そのことは好感が持てる。

 しかし、しょせん晶とはなにもかも違いすぎる。

 追い返すように貫奈を途中まで送っていくあいだ、言いたくなかったが、話の流れで「オレは貫奈みたいに、やさしい環境で育ってない」と似たことを言ってしまった。それに対して貫奈は、

「わたしは、早川くんとそんなに違う環境で育ったとは思わない。ウチ、団地じゃないけど、両親共働きで貧乏だもん」

 なんとも彼女らしい返し方をしてきた。彼女の中には、本当の悪意や本当の貧乏や本当の劣悪な環境など存在してないんだろう。だからそんな発想になる。晶は、それを別に悪いことだとは思わない。そういうものを知らないで触れることなくすごせるなら、それに越したことはないと思う。

 だけど、このときは意地が悪くなった。

「じゃぁオマエ、本気でだれかを殺したいって思ったこと、一度だってあるのか?」

 この子にこんなことを言ってどうなるっていうんだろう。

 言ってしまってすぐ後悔した。案の定、貫奈の勢いはとまった。

 でも、これでよかったんだと思い直す。

 晶は貫奈がそばにいればいるほど、自分が転覆しそうで不安になるからだった。さすがの貫奈もこれで晶に声がかけにくくなったはずだ。

 晶の思惑通り、それ以来、貫奈とは特別話すこともなく時間はすぎ――、中学卒業を迎えた。

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