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中三のクラス替えで初めて貫奈と同じクラスになった。
それまでも彼女の存在を知らなかったわけじゃない。ほかのクラスにいても彼女の容姿は目立っていた。
目立つといっても、制服や髪をいじって積極的に目立つような出しゃばったタイプじゃない。控えめにしていても自ずと注目を集める顔立ちをしていた。はっきりした目鼻立ちは整いすぎて、話しかけるのに戸惑いをおぼえる相手だ。
とにかく晶とは、特に関わり合うことのない女子だったはずだ。
それが三年の教室で彼女のとなりに座ることになった。
近くで見ると、貫奈は思っていた以上にまぶしい存在だった。ただ予想と違ったのは、性格がその容姿とまったく合ってないこと。てっきりそういう美人にありがちの、自分の魅力を把握した上で見せ方を心得ているモデルタイプだと思っていたら、あまりに地味で控えめ、そして自信を持てない性格をしていた。最初はそれも演技じゃないかと疑ったくらいだ。彼女の親友らしい浅井のほうが、よほどセルフプロデュースに長けていた。
ただし、育ちのよさが所作のひとつひとつににじみ出ていた。常識ある両親に見守られて不自由なく育ってきただろうことは明白だった。
彼女は、同じ教室、となりの席にいても、別の惑星の住民のように遠い存在だった。
五月の中ごろだった。
それまでほとんど話したことのなかった貫奈が、休み時間、突然晶に話しかけてきた。内容はどうでもいいような、直前まで受けていた授業のことだった。
正直、うっとうしいなと思った。
このときの貫奈に限らず、こういうことはたまにあったからだ。
自分が周囲から、クラスになかなかなじめないでいる不器用な生徒と思われていることは、晶自身十分承知していた。自らなじむ気がないことをアピールするつもりもない。
そうすると、ときどき、クラスに溶けこむ手だすけを買って出ようとするおせっかいが現れる。もちろん晶にも相手に悪気がないのはわかるが、こちらは最初から溶けこむ気がないのだから、その気遣いはただただ面倒なだけだ。
貫奈の声に手をとめて、彼女のほうを見た。初めて正面からきちんと彼女と向き合った。
とたん、彼女の顔が母さんの顔とダブった。
いやいや、それは違うぞ。いくら貫奈が中学生にしては飛び抜けて整った顔立ちだからといって、母さんは別格だ。ダブるはずがない。
晶は遅れて彼女に答えていた。それに対し貫奈が返事をする。こちらから終わりにしないと、彼女はこのラリーをまだまだ続けそうだった。だから、「貫奈」と強めに切り出した。
「オレに、気を遣ってくれなくても大丈夫だから」
これでもう彼女から話しかけてくることもないだろう。
貫奈はあわてたように、
「そ、そんなつもりじゃないよ。ふつうっていうか、こんなの、ただの世間話じゃない」
言いわけした。晶はそれに対して、なぜか後ろめたさを感じ、とり繕うように答えた。居心地が悪くなり席を立った。教室を出た。
どうしたんだ。なにか調子が狂う。そう思った。
ホームルームで進路希望調査票を提出したときだ。
ふとしたはずみで、となりの貫奈の紙が目に入った。生年月日を書きこむ欄に書かれた日づけが、晶と同じ、十二月二十四日だった。あわてて目を逸らした。すると、貫奈が小さく素っ頓狂な声を出した。思わず彼女を見てしまう。それもすぐまえを向いて知らぬふりをした。
のぞいてしまったことを気づかれたのか。今さらごまかしたってどうしようもないけど。
それより、彼女と自分が同じ日に生まれた事実がどうにも引っかかった。
こんな偶然が大した確率でないのはわかる。同じ学年に自分と同じ誕生日の人間がいても、さして珍しいことではないだろう。だけど皮肉じゃないか。同じ日に生まれて、こうも正反対の環境で育った結果が、教室で席を並べてるなんて。
神さまがいるなら、そいつは晶になにを諭そうというのか。そんなふうに考える自分が、よけい自分をおとしめているとわかっているが、晶にはどうしようもなかった。
この子に、自分はなにをムキになっているんだろう。
親父は四月の初めに現れて以来、一学期中は姿を見せなかった。晶の有無を言わさぬ暴力に懲りて、母さんに会いにくる気が失せたのかもしれない。このまま姿を見せなければそれでよかった。
親父を追い返したあと、母さんは親父の話をしたそうにしていたが、晶が全身で拒否するオーラを出していたので言い出さなかった。まさかとは思うが、晶に隠れて会っていないともいえない。が、それは考えないようにした。少なくとも団地の部屋にきている形跡はないようだ。
一学期の終業日だった。
恒例の大掃除、晶はプールと周辺の担当になった。ゴミばさみとゴミ袋を手にして、テキトーに流していた。プール周辺は掃除範囲が広く、同じ担当になった生徒と群れていないで済み、気が楽だった。
しばらくして、クラスメイトの菊地とその後ろをついていく貫奈を見かけた。ふたりとも掃除用具を持っておらず、掃除奉仕をしているにしてはようすが変だ。菊地はやけに深刻ぶった表情だし、貫奈は職員室に叱られに行くような顔だ。
菊地はクラスでも気の強い女子だ。いつも三原という女子に腰巾着のようにくっついている。晶のクラスの女子は、よくも悪くもこの三原や菊地を中心にまとまっている。コイツらと貫奈にはあまり接点があるように思えなかったので、なおさらふたりがつれ立って歩いているのを不審に思ったのだ。
それに、晶は三原のことをもう少しよく知っていた。小学校でクラスが同じだったことがあったからだ。
小学生のころから三原のまわりには人の集まる傾向があった。人望とまで言わないが、同性を惹きつける魅力があったんだろう。晶には少しもピンとこなかったが。
仲間思いなところもあり、面倒見もよかった。その裏返しで、自分が道義に反していると思った相手は徹底して攻撃することがあった。それが男子相手であっても、だ。こう言うと正義感に溢れているように聞こえるが、あくまで彼女の道義に乗っとってである。傍目からすると一方的な制裁に見えることも多々あった。悪いヤツだとは思わないが、面倒なヤツには違いない。
菊地と貫奈の姿を見たとき、晶はそんなことを思い出していた。
貫奈が窮地に向かっている気がしないでもないが、それは晶には関係のない話だ。それまでテキトーにしていた掃除を、ことさら集中するように再開した。
しかし、ゴミを拾っていても、どうしてもさっき見た貫奈の表情を思い出してしまう。
タケトみたいな顔しやがって。
晶と同じ団地に住み、学校でクラスの男子からイジメられ、しょっちゅう晶に泣きついてくる小学生と貫奈がかぶった。
だからなんだってんだ。クソッ!
晶は菊地たちが消えた体育倉庫の裏へ、校舎側からまわりこんでようすを見に行くことにした。別に貫奈をたすけようってことじゃない。だいたいアイツが窮地に陥っているかどうかもわからない。その事実をたしかめに行くだけ。そう、ゴミを捨てに行くついでに、ちょっとたしかめるだけだ。
自分でもよくわからない感情に突き動かされていた。
学校の敷地と雑木林との境の、道とも呼べないスペースを歩いていく。こうして見ると、周囲を気にせずだれかをシメるには恰好の場所ではあった。
すぐに彼女たちの姿をとらえた。手まえに三原や菊地たち五人の後ろ姿、その向こうに貫奈がこちらを向いて立っていた。ひとまず暴力をふるわれているようすはなさそうだ。貫奈の顔は今にも降り出しそうな曇り空みたいに消沈している。そうしていても彼女の整った顔はその価値を下げることはなかった。
三原たちが晶に気づいた。貫奈も気づいた。晶はだれとも目を合わせないよう無関心を装って歩く。これは晶の真骨頂だった。擦れ違いざま、
「早川、どうしてこんなところにいるの?」
三原に問われて立ちどまる。だがとり乱すことはない。修羅場ならいくらでもくぐり抜けてきていた。これぐらいでは動じない。
「オレはプールと周辺の担当だから。ゴミ捨てに行くとこ。焼却炉にはここを通るのが近い」
いつも通り感情をこめずに答える。「あっそ」と三原はふてくされたように晶から顔を背けた。晶の答が気に入らないようだ。再び歩き出す。
貫奈の視線を感じる。声をかけてほしいだろうことはわかるが、自分にできるのはここまでだ。顔を見ないで横を通りすぎた。三原に言った手まえ、焼却炉のゴミおき場に向かう。
理由は知らないが、貫奈が三原たちから反感を買って責められていたのは間違いなさそうだ。とりあえず、晶という目撃者が現れたことで、あれ以上なにかされることはまずないだろう。
人のことなどどうでもよかったはずなのに、晶は自分の行動にうまく理由をつけられずにいた。
夏休みは心穏やかにすごした。人と関わらずに済むし、昼間も晶が家にいることがわかっているため、親父が訪れることもないだろうと予想できたから。ほかのクラスメイトは高校受験に向け本格的に準備を始めるらしいが、晶にとって、高校は行けるところに行けばいいと考えていたので、今ごろから必死で勉強する気になれなかった。
もっぱら、図書館で借りた本を読むか団地の小学生の相手をするのが夏休みの日課だった。
一度だけイレギュラーがあった。穏やかな日常に割りこんできた世話好きなウサギ。
河川敷のグランドでガキどもの相手をしていたときだ。遊歩道を歩いてくる貫奈の姿が目に入った。
子どもたちから離れ、無視するのも大人げないので少し言葉をかわし立ち去ろうとしたら、彼女がついてくると言い出した。
またおせっかいが始まったと思った。散歩していて偶然見かけたと言ったが、見かけたからといって放っておいてくれればいいものを。
団地の下にある橋のたもとまで雑談をして歩いた。彼女が三原たちにからまれているとき、たすけなかったことを抗議されるかと思ったが、それはなかった。
別れ際にもう一度釘を刺した。もうオレには話しかけないほうがいいよ、と。そうしたら、
「ど、どうして?」
「それぐらいわかれよ。バーカ。じゃぁな」
「わかんない。わたし、話しかけるよ、学校だって、外で会ったって。バカは早川くんじゃないっ!」
背を向けて走り出した晶に、貫奈が激した声で怒鳴りつけたのだ。
驚いた。あの容姿に似合わずいつも自信のなさそうな貫奈が、晶の言葉に腹を立て感情を露わにした。
コイツ、意外に自分の気持ちをはっきり出せるんだ。見くびっていたのかも。
晶は走りながら、心の中で笑ってしまった。気分がよかった。