4-3
それから、わたしと早川くんは定期的に会うようになった。地元N駅近くのミスドでお茶をするのが定番。早川くんは放課後や休日にバイトをしていることが多く、時間を合わせても一カ月に一度会うのがやっと。それも、連絡をするのはいつもわたし。
でも、それで十分だった。特に告白したわけでも、つき合おうと宣言したわけでもない。たまに二時間ほど会って、近況を報告し合い、これからのことをぼんやり語らう関係。それは、恋愛経験ゼロのわたしの身の丈に合っている。
それでも休日に会う日はオシャレに気を遣う。早川くんがそのことに気づいているとは思えないが、そうやって出かけること自体トランポリンように心弾む行為だ。
彼は昔と変わらず、いつも量販店の無地のシャツにチノパンだ。無個性かつリーズナブルな恰好で、いたって服装には無頓着。それも彼のパーソナリティーに合っていて好きだった。
好き、といえば、橋の下――彼とまさかの邂逅の際自覚した「早川くんが好き」という感情。これは、その後もわたしの中で確固たる居場所を見つけて居座り続けた。それは、あの場の雰囲気に流されたかりそめの感情だった可能性を否定し、少々のことでは揺らがない本物の証だった。つまり、これがわたしの正真正銘の初恋ってことだ。
会うたび、わたしからいろんな話をした。クラスのできごと、軽音部での活動のようす、女子校だけの特殊な校則や校内事情、などなど、たわいもない日常にまつわるあれこれ。早川くんも相づちや感想を返すほか、たまに自ら話題を提供してくれる。また、授業で理解が曖昧だった数学の問題について、彼に質問して教えてもらうこともあった。
中学のころのわたしたちからすると、考えられない進展だ。もっとも涼佳に言わせれば、「いつまでそんな中学生みたいなデートしているつもり?」となるだろう。ま、そうなるから教えてないけど。
目下、いちばん気になるのは彼の進路のことだった。
わたしは早くから現在通っているS女子高校の系列大学に進学することを決めていた。その話をした流れで、早川くんに卒業後の進路について訊いたことがあった。そのときは即答で進学するつもりはないと返ってきた。
彼の通うH高校は学区内でもいちばん優秀な公立高校だ。高校での彼の成績は知らないが、優秀な頭脳を持っていることは間違いない。少なくともわたしよりは。下世話に、進学しないのはもったいないと思った。
もちろん早川くんの家庭の事情に関わることだ。彼がバイトをしているとはいえ、家計を支えているのはお母さんだ。そのお母さんの体調が最近思わしくないと聞いていた。経済的理由が彼の進学の歯止めになっているのかもしれない。でも、それならそれで、奨学制度など使っていくらでも方法があるんじゃないかと、差し出がましくも思ってしまう。
後日、おせっかいだと思いつつ、蒸し返した。
「あのねぇ、やっぱり早川くんは大学に進んだほうがいいと思うな。もったいないもん。早川くん、勉強嫌いじゃないでしょ。わたし、知ってるよ」
「まぁね、勉強は嫌いじゃない。だからって、お金を借りてまで大学行って勉強したいとは思わない。オレは高校までで十分だ。勉強したいことがあるなら個人でもできるし――。とにかくオレは卒業したら働くよ」
あっさりいなされた。
「働くってなにをするの? 地方公務員の試験を受けるとか?」
「ハハ、オレに公務員が務まるように見える?」
「ふつうに見える。なにもおかしくないよ」
「それならオマエの目がどうかしてる。たぶん事務仕事には就かないだろうな。いくつかやりたい仕事があるんだ」
「そうなんだ。どんな? 教えてよ」
「まだ教えない。はっきり決まったら教えるよ」
「いいじゃない、もったいつけないでもー」
結局、早川くんは自分の進路をしっかり決めていた。そして、今はまだ教えるつもりはない、ということ。わたしの口をはさむ余地はなかった。
早川くんが、わたしと会うことをどんなふうにとらえているのかはわからない。わたしの見立てでは、少なくとも嫌々つき合ってはいないはずだけど、わたしのように半分デート気分かどうかは難しいところだ。
そんなふうに、わたしは高校三年の春、夏、秋と、つかず離れず早川くんとすごした。
十二月。わたしはリッキーや聡美とともにS女子学院大への進学が決まっていた。高校生でいられるのもあと数カ月。ここに、わたしにはひそかな計画があった。
これまで早川くんに対し、自分の思いも告げないまま、たまに会ってはお茶をするだけの関係に、ひたすら甘んじてきた。それはわたしが自ら選んだことだ。
それが最近になり、その先に進みたい野心が湧いてきた。高校卒業が間近になったことが影響しているのかも、と自己分析するが……。いや、それは自分を偽っている。いちばん関係しているは、やはりクリスマスが近づいたこと。そんなの、わかりきってる。
カレシのいるクラスメイトの日に日にソワソワしていくようすを目のあたりすると、無粋なわたしだって、胸の奥を焼かれるような、なんとも切ない気分になるってものでしょ。
それが、早川くんとクリスマスイブをいっしょにすごそうという、途方もなく大それた計画――少々大げさだけど――に繋がった。ふたりだけのクリスマス会。実現した際は、きちんと彼への思いを告げる、自分への課題つき。
つき合ってもいないのに、いきなりハードルが高いのは承知だ。だけど二十四日はわたしと早川くんにとって、さらに特別な日。その日を告白にあてたいと思うのは、われながら女の子女の子していると思う。
とりあえず彼に二十四日の夜をあけておいてもらうのが先決だ。ただ夕方まで、わたしに予定が入っていた。リッキーが部活とは別に校外で活動しているバンドがクリスマスライブなるイベントに出演する。それが二十四日の昼間に開催される。それを見に行く――という予定では、残念ながらない。わたしも出演するのだ。
彼女のバンドは通常キーボードのいないフォーピースバンドだが、クリスマスイベントということもあり、もう少し演奏に色をつけたい、キーボードを助っ人に入れようという話になったらしい。そこでリッキーがわたしに白羽の矢を立てたというわけ。演奏に自信のないわたしは最初ことわったのだけど、ほかにあてがないと泣きつかれ、折れる形でついに受けてしまった。
リッキー以外のメンバーは全員男子、それも大学生ばかり。とくれば、緊張する反面、なかなか新鮮な体験だ。練習は二十四日まで週二のペースで続く。
それはさておき、その合間をぬって、なんとか早川くんとの定例のお茶会をもうけた。肝心の約束をするために。場所はいつもの地元のミスド。
テーブルに着いてから数十分。早川くんのまえには湯気の消えたアメリカンのカップがおかれている。わたしは今日に限って自分のドーナツにまったく手をつけてなかった。関係のない話で繋いでもなかなか本題に入れない。
だが、ついに意を決する。
「二十四日にね、わたし、部活で仲のいい子が外でやってるバンドのお手伝いで、クリスマスライブに出ることになったんだ。よかったら、その……見にきてほしいんだけど……」
いきなりふたりきりのクリスマス会を提案するのは気怖じしたので、まずライブに誘って、そのあといっしょにすごそうと話を進める算段だった。
「ライブって何時から?」
「昼間なんだ。二時開演かな」
「ごめん、じゃぁ無理だ。オレ六時までバイト入ってるんだ。以前オープンするとき働いたことがあるケーキ屋で、クリスマスの繁忙期だけ呼ばれてるんだ」
「知ってる。ストラスブールでしょ」
「そう、去年のこの時期も呼ばれて――、あそこの人、みんな人がいいから働きやすくて、今年も行くって、もう返事してあるんだ」
「じゃぁ六時以降は空いてるの?」
「あ、貫名の出演する時間ってそんなに遅いの?」
「ううん、ライブはもう終わってる。そうじゃなくて……。そのあと、わたしと……クリスマス会しないかなって……」
わたしは言葉なかばで目をそらしてうつむいてしまう。早川くんの視線を痛いほど感じる。顔が火照るのは店内の暖房がききすぎているせいじゃない。
「いいよ。別に予定ないし」
ウソッ、早川くんがこんなあっさりOKしてくれるなんて。
そっと顔を上げて彼を見る。特に表情に変化はない。
「ホントに?」
「うん、でもクリスマス会ってどこでするの? オレそういうの、まったく経験ないから」
それは考えてなかった。とにかく彼に約束をとりつけることで頭がいっぱいで、具体的な内容までおよばなかった。だからまるっきりアドリブで、
「じゃぁウチでやろうよ。チキンやケーキを買ってきて。外だと、どこのお店も混んでるだろうし」
考えもなしに口走っていた。
「オレはかまわないけど、いいのか? オレが押しかけて家族の人、びっくりするんじゃない?」
「大丈夫大丈夫、まえもって話しておくから」
「わかった。じゃぁケーキはストラスブールで予約しておくけど、それでいい?」
「うん、お願い。それならわたしはケンタッキーでチキン予約しておくよ。ライブの帰り、六時すぎにストラスブールに寄るから、それからいっしょにウチまで帰ろう」
と、とんとん拍子に話が進んでしまった。まるで、すでに恋人どうしみたいな展開じゃないか。わたしも、家に男の子を呼ぶなんて、なんて大胆なこと言っちゃったんだろう。
でも、そんなことは全部些末だ。計画が実現に向けて大きく前進したのだから。
「それと、オレからひとつ報告があるんだ」
ひときわ真面目くさった顔をして早川くんがわたしを見る。ドキッとする。
「あらたまって、なに?」
「来年の、就職先が決まったから――、まえに約束しただろ。教えるって」
「うわっ、どこに決まったの?」
訊くと、彼は市内だけじゃなく県外でも名の通った大手パティスリーの名を上げた。
「早川くん、パティシエになるんだ。意外だなぁ。ただのバイトだと思っていたけど、そっかぁ、お菓子作りが好きだったのか」
「いや、最初はオレもただのバイトのつもりで、軽い気持ちで働いたんだ。ストラスブールは短期だったし。でも、やってみると、これが案外面白くて。あとパン屋でもバイトをしたことがあって、そっちも面白かったから、どっちにするか迷ったんだけど、結局ケーキにした」
クリスマスイブの約束と彼の進路報告が同時にやってきた。とても幸せな日だ。特に、好きな男の子と初めてのクリスマス会かつ、ふたりの誕生日会ができることに、フワフワのマシュマロを胸いっぱいつめこんだ気分だった。待ってて、告白だってするぞ。
そういう気分はすぐ顔に出るらしい。翌日、さっそく部室でリッキーから指摘された。
「貫名、なんかいいことあったでしょ。顔がだらしないよ」
「そんなことないけど、そんな締まりない顔してる?」
「してるよ。もしかして、例の彼と、なにか進展あった?」
「う、うん。進展っていうのかな。クリスマスイブの夜、早川くんがウチにきてくれることになった」
「それ、進展どころじゃないよ。ってことは、告白したの? されたの?」
「いや、どっちでもない」
「えっ? 告白もないのに、ふたりっきりでイブをすごすんだ? それって、思いきりいくつも手順、すっ飛ばしてるよ。面白いけど変だよね」
「やっぱりそうかな。わたしから言いだしたんだけど」
「ま、いいんじゃない。それくらいしないと、貫名の場合、なかなか前進しそうになかったから、ちょうどいいよ。そうだ、ボクも三原に渡すプレゼント買いにいくから、貫名もいっしょに探しに行かない?」
「うん、行く!」
早川くんに渡すクリスマス兼誕生日プレゼントを買いにいったり、ケンタッキーにチキンの予約を入れにいったり、バンドの練習にスタジオに入ったり、告白するときの文句を考えては頭の中で丸めて捨てたりと、まさに師走らしいあわただしさで毎日がすぎる。
そして、ついに二十四日を迎えた。