表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイノリフレイン  作者: 矢田さき
2章 貫奈亜以乃 (アイノリフレイン)
20/31

4-2

「オレの母さんは少しほかとは違う人で――、貫名も会ったことがあるなら、なんとなくわかるだろ?」

「うん」

「なんていうか、どんなつらいことがあっても、顔では涼しげに笑っているような人なんだ。だから、親父にいくら暴力をふるわれても淋しそうに笑うだけで、なにも言い返さないし、逃げ出すこともしなかった。もしかしたら、頭の部品がひとつかふたつ、抜けているのかもしれない。って、まぁそんな人。とにかく、オレは小さいころからそういう両親を見てきた」

 以前も感じたけど、お母さんについて語る早川くんには、親戚のお姉さんの話をするようなところがあった。

「オレが小学校に入ったころから、親父はオレにも暴力をふるい始めた。それが、両親が離婚する――オレが四年生になるまで続いた。平手で張り倒される、蹴り飛ばされてタンスに打ちつけられる、なんて日常茶飯事だ。貫名には想像もできない環境だったよ。でも、まだ自分が傷つけられる分には我慢できた。痛いのはホントどうってことない。それより母さんが殴られるほうが見てられなかった。オレはいつもかばいにいったけど、逆に親父にたたきのめされた。情けないほど弱かった」

「あたりまえじゃない。子どもなんだから。そのこと、だれかに相談できなかったの? たとえば――親戚の人とか」

「親父の親戚とは会った記憶がない。母さんは二十歳かそこらでK県から家出同然に出てきて、それ以来実家に帰ったことがないらしいんだ。だからやっぱり会ったことがない。親戚なんていないも同然だ。どっちにしたって、小学生のオレに大人に頼るなんて発想はなかったよ」

 早川くんにとって身近な大人は両親だけだったんだ。

「じゃぁ先生に」

「またセンセイか。オマエ、そればっかりだな。センセイだって、ただの大人だ。親戚のおっさんおばさんとなにも変わらない。大人なんてオレたちより何十年か長く生きてるってだけで、どこにも聖人君子なんていないだろ」

 なにか言い返したかった。でも、伝えたい思いがうまく言葉にできそうにない。下手に伝えても、すぐ早川くんから反論されるだけのような気がした。歯がみする思いで黙っていると、

「オレの親父の職業、なんだったと思う?」

 いきなり変則な質問を投げかける。「わからない」と答えたけど、ぼんやりと予感はする。

「高校の教師だよ。笑えるだろ」

 なにかが繋がっていく。早川くんをかたどる一本のラインが。

「だからオレは、小学四年生になったとき、大きな決意をしたんだ」

 また早川くんの声が真冬の氷のように冷たくなった。わたしの心が身がまえる。


「親父を殺してやるって決意した」


 あぁ、これだ。このことだ。

 三年まえに彼から投げつけられた言葉、「本気でだれかを殺したいって思ったこと、一度だってあるのか?」の先にあるもの。

 あのとき、たしかに早川くんの発言は――自分はだれかを殺したいと思ったことがあると――暗に物語っていた。しかし、わたしは知るのがこわくてたしかめなかった。あのとき恐れず尋ねていたら、もっと深く踏みこんで話をしていたら、わたしと早川くんの関係も少しは変わっていたのかもしれない。今さら思ってもしかたがないことだけど。

「ただ殺すんじゃない。だれにも、警察にも、母さんにもばれないように殺してやろうと、殺人計画書を作ったんだ」

「殺人――計画書?」

「そう、バカだろ。小学四年生の頭で完全犯罪ができると信じていたんだから。いろんな方法を思いつく限り紙に書いて、自分の机なんかなかったから、服をしまうタンスの、自分のシャツの下に隠していた。中身も今思うと稚拙極まりない計画でさ、親父を匿名の手紙でどこか人気のないビルの屋上に呼び出して、そこから突き落とす案だとか、親父のタバコに針をしこんで、吸ったときに針を飲みこませる案だとか、そんなどう考えてもうまくいきっこない、子どもの浅知恵満載の計画を練ってたんだ」

「……それで、まさか計画を実行したの?」

「それがまたマヌケな話でさ、母さんが洗濯物をしまうときに、その殺人計画書をあっさり見つけてしまったんだ」

「あぁ」

「そらそうだよな。母さんに見つかって当然の場所に隠していたんだから。そんなことにも頭がまわらないガキに、完全犯罪なんてできるわけがないんだ」

「見つかってよかったんだよ」

「……そのかわり、それを読んだ母さんは計画書を破り捨てて、泣きながらオレを説得した。絶対こんなことしちゃいけない、考えてもいけないって。そのとき初めて母さんの真剣に訴える顔を見たよ。それで、やっと母さんは親父との離婚を真面目に考え始めた。オレに犯罪を行わせたくなかった一心だと思う」

「よかった。それでそのお父さんと離れられたんだね」

「すぐとはいかなかったけどな」

「どうして?」

「最初は当然、親父は離婚に同意しなかったから。悪態をついてまた暴力に訴えた。でも、そのときばかりは母さんも、なにをされても考えを曲げず、役所の力も借りて戦ったんだと思う。オレはまだまだガキンチョでまったく蚊帳の外だったから、なにも知らされてなかったけど――。結局、半年後には親父も同意して離婚が成立した。母さんとオレは、今住んでる団地に引っ越してきたんだ」

 早川くんの心情のほんの一部だけど、わかった気がした。彼は同じ団地に住むトオヤマくんに、昔の自分を重ね合わせていたんだと思う。トオヤマくんの境遇を痛いほどわかっていたから。それなのに最悪の結末を迎えてしまった。そのことが悔しいんだ。自分の拳を痛めつけるほど、自分に憤りを感じている。

 早川くんの告白を聞いて、中学のころ、ふたりの育ってきた環境の差について言い合いになり、彼に反発したことを思いだす。そして恥ずかしくなる。わたしは、この日本で、同じ年ごろの子どもが育つ環境に、彼が言うほどの大差なんかないと本気で信じていた。でも、今ではそんなふうには思えない。

 わたしの世界は本当に狭かった。そして、今もさほど変わってないことが悲しい。わたしのモノサシはまだまだ短いままだ。

 彼にしてみれば、わたしやほかのクラスメイトはまるで別世界の住人に思えていたはずだ。だから自然と距離ができた。こちらから見て壁があるように感じた。

「そんなオレだから、タケトのこと、いちばんわかっていたし、たすけられたはずなんだ。それなのに、アイツも中学生になって、もうひとりで大丈夫だろうと、勝手に高をくくってしまった。ほったらかしていた。自分の毎日にばかり気をとられていた。たすけられなかった。全部最悪だ」

「……トオヤマくんが亡くなったのは悲しくて残念なことだよ。だからって、早川くんが責任を感じるのは、わたしは違うと思う。もしかしたら早川くんにはトオヤマくんをたすけることができたかもしれない。でも、それを言い出すなら、トオヤマくんに関わっていた全員に言えることでしょ。だから、責任を感じなきゃいけないのは、トオヤマくんのお父さんひとりで十分じゃない」

「そんなこと、わかってるよ。わかってるけど、オレの気持ちはそんなことで納得しないんだよ」

「トオヤマくんは早川くんに憧れていたんだよ。それってすごいことだとわたしは思う」

「憧れていた? タケトがオレに?」

「そうだよ。わたし、トオヤマくんに一度しか会ってないけど、それはすごく強く感じた。トオヤマくんは早川くんみたいに強くなりたい、強く生きたいと思っていたんだ。あの子はそうやって日々のつらいことも乗り越えていたんだと思う。早川くんは気づいてないけど、彼に十分自分のできることをしてきたんだよ。それはとても意味のあることだと思う」

 早川くんはまた黙りこんだ。右手を強く握ってなにかに耐えるように。わたしから表情を隠すようにうなだれる。彼の気持ちが痛いほど伝わる。

 わたしがいくら言葉を重ねたって、彼の自分に対する憤りは簡単に消えないだろう。時間が解決してくれるのかどうか、わたしにはわからない。

 わたしは――ここにきて本当によかった。早川くんに会えたのは単なる偶然だけど、それでも会えてよかった。あのまま日常にもどっていたら、わたしも憤りや悲しみを消化できないまま、もっと鬱屈とした気分ですごしていたに違いないから。

 それに、早川くんが自分の過去を話してくれたことが嬉しかった。それがトオヤマくんの死に対する責任を説明するためだったとしても。それも含めて嬉しかった。こんなわたしにでも、本気の感情をぶつけてくれたことが嬉しかった。

 去年、H高校の文化祭で早川くんに会ったとき、彼の変化に驚いたし戸惑った。高校生になって変わったんだと思った。他者との感覚の齟齬を相手に見せないよう、ふるまっているように見えた。壁を感じさせないよう努めているように見えた。彼も大人になったってことかな――とわかったような顔をした。

 いや、大人になるって言葉のなんと便利でうすっぺらいことだろう。

 早川くんは大人になろうとしているわけじゃない。自分をシマウマに似せようとしているんじゃないか。シマウマの群れにまじってどうしても浮き上がってしまう自分を消そうとしている。

 なんのために?

 わからない。わからないけど、シマウマに見えないと、この先の未来が生きにくいものになることは容易に想像がつく。

 それなのに、今、目のまえの早川くんは、わたしのよく知っているオカピの早川くんだった。胸中を吐露した彼は、わたしに「もうオレには話しかけないほうがいいよ」と言って突き放した、あのころの早川くんにもどっていた。そしてわたしは、このオカピのままの早川くんが好きだと思っていることに気づいた。早川くんにはオカピのままでいてほしい。いや、シマウマに似せてもいい。でもオカピの部分はいつまでも消さないでいてほしい。そんな彼をこれからも見守っていきたい――と。

 あれ?

 好き?

 わたし、今、彼のこと「好き」って思った?

 ついこのまえまで、あんなに好きという感情がよくわかってなかったのに、今、すんなり早川くんが好きだと思えた。

 好きってもっと、大げさでロマンティックなものだと思っていた。岩みたいに硬いものだと思っていた。でも違った。

 それは突然腑に落ちる滑らかな感情だ。なにかの拍子に胸に灯る豆電球の明かりだ。

 わたし、早川くんが好きなんだ。

 この瞬間、三十センチとなりに座り、近所の男の子の死に胸を痛めている彼のことが好きなんだ。

 こんなときに不謹慎だと思う。それなのに、今、わたしの中に生まれたこの感情をとても愛おしく思っている。

 早川くんが少し顔を上げた。

「ここは、タケトが家に帰りたくなくて、ほかにどこにも行くあてがないとき、決まって時間をつぶしていた場所なんだ。ほら、ここなら雨もしのげるだろ」

「うん」

「アイツ、小さくて弱いくせにプライドはムチャクチャ高くてさ、ケンカしてボコボコにされても絶対泣かなかった。泣いちゃったほうがイジメてるヤツらもそこで満足してやめるのに、アイツ泣かないから、毎回とことんやられるんだ。それでも泣き言を言わず、そのたびに、オレにどうしたら勝てるか教えてくれって、訪ねてきてたよ」

「うん」

「そのくせテストで悪い点数とっても平気だったな。そういうプライドはないんだ。オレが勉強見てやろうかって言っても、それはいい、それよりケンカの勝ち方教えてくれって、さ」

「うん」

「オレ、こんなんで、少しはアイツの役に立ってたのかな」

「もちろん、あの子のヒーローだったんだから」

「そっか――、あのな……貫名、今日はタケトのためにきてくれてありがとう」

「ううん」

「オマエと話せて、少し楽になれた気がする」

「なんか調子くるっちゃうな」

「どうして?」

「だって、早川くんと話すと、いつだって最後は、これからはオレに話しかけるな、かまうなって言われてたんだもん。憶えてないの?」

「ごめん、あのころは――なんていうか、メーターがおかしな方向にふり切っていたっていうか、われながら青くさかったと自覚してる」

「今は違うの?」

「今は……もうちょっと丸くなった。今なら、となりで児島がオマエに強引に迫っていても、じゃましたりしないよ」

「わぁっ、まだそんなこと憶えてるの? やめてよ。それに、そこはたすけてくれなきゃダメでしょ」

 早川くんが力なく笑った。ひとまずホッとする。今まで張りつめていた空気がゆるんだ瞬間だ。その打ち解けた雰囲気に任して、

「あのね早川くん、よかったら、またわたしと会ってくれる? 今度もっとゆっくり話をしようよ」

 ためらいなく言葉が出た。ふつうだったらありえない。きっとわたしの口に魔法がかかっていたに違いない。

「なに? またオレがおかしなことしやしないか心配してくれているの?」

「おかしなことって? あぁ、壁を殴りつけてたことか。そんなことじゃないよ。ただ早川くんと話をしたいだけ。中三のとき、わたしたち一年間となりどうしだったのに、まともな会話をしたことなかったでしょ?」

「そうかな」

「そうだよ。あったとしても、言い合いだし。わたしはあれでも努力してたんだよ。少しでも話すきっかけがないかなって、うかがって。それなのに早川くんたら、完全にわたしを遮断してたんだから」

「だから、それはさっきあやまっただろ。オレが青かったって」

「そう、だから仕切り直しだよ」

「別にかまわないけど。オマエ、それで楽しいのか」

「なんか腹立つ。去年文化祭で会った早川くんは、もっとさわやかに女の子に応対していたくせに。わたしが相手だと、とたんに意地の悪い言い方するんだね。それじゃあのころといっしょだよ」

「そう言われるとそうだな。貫名相手だとなんかこんな調子にもどっちゃうな。悪かったよ。わかった、今度ちゃんと会おう。連絡はどうする? オレ携帯持ってないけど」

 やった! 奇跡的にわたしと早川くんは連絡先の交換を行った。

 夕食の下準備を放り出して家を出てきていた。母さん、怒っているかな。いや、心配しているに決まってる。急いで帰らなきゃ。

 自転車をとめてあった橋のたもとで早川くんと別れた。

 家まで自転車をこぎながら、トオヤマくんのことを思っていた。

 トオヤマくんは、きっと天国から、さっきのわたしと早川くんのやりとりを見ていたはず。そして、「アキラくんって、意外と泣き虫だったんだな」って、にんまりしているんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ