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アイノリフレイン  作者: 矢田さき
2章 貫奈亜以乃 (アイノリフレイン)
18/31

3-4

 翌週末には、S女子高校の文化祭が開催された。その二日目の夕方。

 わたしとリッキーは、軽音部部室のある校舎の裏、芝を植えたゆるい斜面に腰を下ろしていた。正面には灌木の垣根をはさんで弓道部の道場が見える。その奥は雑木林。夕日のうすいオレンジ色があたり一面に色調のエフェクトをかけているようだ。

 文化祭の喧騒はここまで届いてこない。そもそも、先週行ったH高校文化祭にくらべ、ウチの文化祭には喧騒と呼べるほど賑やかな雰囲気はなかった。

 今もまだわが部室では演奏会の打ち上げが続いている。十分まえにそこから抜け出してきたのだ。ききすぎた暖房のせいで気分が悪く、騒がしさにも若干食傷ぎみだったから。「トイレのついでに、ちょっと空気を吸いに行ってくるね」と飛び出してきた。とにかく極度の緊張を持てあました二日間の演奏を終えて、わたし自身放心していた。そのせいで、なんとなく落ち着ける場所に足が向いて、ここにきた。

 リッキーがどんな心境でわたしについてきたのかはわからない。彼女は彼女で、文化祭で上がった熱を冷ましたかったのかもしれない。

 道場の屋根にスズメかムクドリが十数羽とまっているのをぼんやり見ていた。そのあいだ、ポツポツと今日の演奏について思いついたことをお互い口にし合っていた。

 身体も冷えてきたし、そろそろもどろうかと思いかけたとき、

「ねぇ、変なこと訊いてもいい?」

 遠慮がちにリッキーが口をひらた。

「変なことって?」

「……貫奈は――好きな人っている?」

 恋バナ! 彼女にこの手の話をふられたのは初めてだ。思わず相手の顔を見てしまう。リッキーは自分の下履きの先あたりを見つめている。

「好きって恋愛の好き、だよね。ならわたしはいない。ウソだって思われるかもしれないけど、今まで好きになった人っていないんだ」

「ひとりも?」

「うん、ひとりも。なんかね、心のどこかで、そんな簡単に人を好きになるのはおかしいって思っているのかも。これは自分に対してだよ。ほら、このあいだ引き会わせた涼佳なんか中学のころからしょっちゅうだれかを好きになってたし、それを別に悪いことだとも思わないし。あくまでわたしの中で、ね。――やっぱりわたしって変わってるのかな?」

「ボクは変わってると思わないよ。そういう感覚は人それぞれだと思う」

「人それぞれなんだけど、まわりが恋バナで盛り上がっていると、その輪に入れないわたしは女子失格なんじゃないかって考えちゃう。せっかくこういう話をふってくれたのに、水を差すようでごめんね」

 わたしの言葉にリッキーはゆるくかぶりをふる。こんな話をしてきたってことは、自分にも訊いてほしいってことなのかな。なんか新鮮。一方的に、彼女はわたしと同じでこの手の話題が苦手だと思っていたから。急に湧き上がる好奇心に口が動いた。わたしらしくない。

「リッキーは好きな人いるの?」

「……うん、いるよ」

 まっすぐな答に、身体がわずかに震える。

「そ、そうなんだ。その人、どんな人?」

 彼女は部活とは別に、学校外でバンド活動をしている。一貫して女子校に通う彼女が男の人と知り合うとすればそのあたりだと見当はついていた。しかし、彼女はわたしの問いには答えず、

「今から衝撃の告白をするけど聞いてくれる?」

 唐突に大仰なことを言い出した。

「え? あ、うん」

 最初、半分冗談めかしているのかと思ったけれど、そうじゃなかった。リッキーの表情は真剣そのものだ。わたしもあらためて身体を彼女に向けて、受けとめる体勢を整えた。

「貫奈に引かれてもしかたがない、と覚悟はできてるから」とまえおきしておいて、彼女は内なる勇気をふりしぼるように告げる。

「ボクはね、物心つき始めたころに、自分は男の子を好きになれないと気づいたんだ。つまり――ボクが好きになるのはいつも女の子ってことなんだ。幼稚園のころからずっと」

 心臓がとまるかと思った。彼女の声は震えている。わたしは表情を動かせない。少しでも動かすと彼女を傷つけてしまう。そんな呪縛にかかったように身体がかたまった。

 本当に衝撃の告白だった。

 こちらに覚悟ができてなかった。わたしが予想できたのは、せいぜい、父親ほど年の離れた人を好きになったけどどうしよう、くらいの話だ。

 わたしは、同性どうしの恋愛に偏見はないつもりだった。いや、今考えても、それはない。しかし、身近な人からカミングアウトされてどんなふうに反応すればいいか、とっさに判断できなかった。平静すぎるのも驚きすぎるのもうまくない気がする。でもこのまま無反応はもっとよくないぞ。

「……ボクのこと、気持ち悪くなった?」

 先にリッキーが、黙りこんだわたしに耐え切れなくなったようにつぶやく。

「なってないなってない。そんなこと思うわけがないでしょ。急だったからびっくりしただけ」

「気を遣わないで正直に言って」

「正直に言ってるよ。ホントにびっくりしただけだから」

「そっか、よかった」

 わが校は女子校なので、先輩の中に学内の生徒どうしでつき合っているカップルもいると噂に聞く。けれどそんな事例はまれであって、わたしにはまったく免疫がなかった。

 リッキーは見た目のボーイッシュさや〝ボク〟という言葉遣いだけ抜き出すと、男の子みたいな印象だけど、実際に、彼女の仕草や心配りのしかたに接すると、とても女の子らしい印象を受ける。だったらどうだ、という話なのだが、男子より女子が好きだったなんて、これまでいっしょにいてまったく気がつかなかった。

「実は、リッキーっていうボクのニックネームには、ちゃんと意味があるんだ」

「まえ訊いたときに忘れたって言ってたけど、あれはウソだったってこと?」

「うん。今、告白したことに関係しているから言えなかった」

 なるほど。そういうことか。

「中学のとき好きだった先輩に思いを告げたことがあって――、その先輩はもちろんノン気だったからつき合ったりできなかった。ボクもつき合いたいと思って告白したんじゃなく、気持ちを自分の中だけに抑えておくことができなかっただけだから、告白することで満足だったんだ。その先輩はとてもいい人で、ボクが告白したあともそれまでと変わりなく接してくれた。先輩は音楽に詳しくて、ボクの音楽知識はほとんど彼女から教わったものなんだ。その先輩がリッキーってニックネームをつけてくれたんだ」

「どういう意味があるの?」

「先輩の好きなアーティストに昔のアメリカの女性歌手で同性愛の人がいて、その人の名まえからとってるんだ」

「嫌じゃなかった?」

「全然。大好きな先輩がつけてくれたし、もちろん先輩はつけた由来をほかの子に話さなかったから。その上、女の子を好きなのはボクの個性だって言ってくれたんだ」

「わぁ、素敵な人」

「そうなんだ。だからこのニックネームはとても気に入ってるよ」

「じゃぁ、リッキーの好きな人って、その人のことだね」

「それは……今は違う。先輩は親の転勤で高校から県外に引っ越して、もうこの学校にいない。だからってわけじゃないけど、今好きな人は違う。去年新しくできたんだ」

 その相手について突っこんだ質問をするべきか迷う。話の流れだとリッキーは話したそうに感じるけど、正直この手の質問をするのは得意じゃない。

 逡巡していると、あっさり不意打ちをくらった。

「ボクが今好きなのは貫奈だよ」

「えっ」

 さっきよりさらに大きな衝撃を受けた。もう自分の表情がどうなっているのか見当もつかない。身体の内側から猛烈な勢いで熱がこみ上げてくる。まともにリッキーの顔を見ることができない。

「ついに言えた。これまではながーいまえふりで、ホントに告白したかったのはこっちなんだ」

 彼女はつっかえたものがとれたように、すっきりした調子で吐き出した。

 反対に、こちらはなにか言わなきゃと焦っても、頭の中が空っぽになったみたいでなにも浮かんでこない。どうしよう。

「ごめんね。驚かせちゃって。どう返していいかわからないと思うから、ボクの話をただ聞いてくれる?」

 リッキーのたすけ船に、黙ってうなずき返す。

「貫奈が軽音部に入ってきて数週間で、もうボクはキミのことが好きになっていた。理由なんかない。理屈じゃなくフィーリング。貫奈のそばにいると鼓動が早くなる、ただそれだけ。だからバンドのふり分けのときも同じバンドに入れるよう画策したし、部活中はできるだけ貫奈のそばにいた。ボクがそんな気持ちだったなんて気づいてなかったと思う」

「うん」

 今わたしは生まれて初めて告白を受けている。その相手が男の子なら、もう少し冷静だったかもしれない。でも事実は女の子であって、それもふだんから仲よくしている友だちだ。その子からストレートに熱烈な言葉を向けられ、照れていいのか喜んでいいのかわからない複雑な思いがグルグルまわっていた。

「女の子が女の子を好きだなんて、ふつう考えないもんね。ボクも貫奈に気づいてほしいと思っていたわけじゃないし。ただいっしょにいるのが楽しかった」

「わたしも楽しかったよ」

「ありがとう。だから告白をするつもりもなかったんだ。ずっとこのままで十分だと思ってた。だけど事情が変わってしまって」

「……事情?」

「うん。実は――今年の春ごろ、三原に告白されたんだ」

「告白! 告白って、聡美がリッキーを好きだってこと?」

「ま、そういうことになるのかな。ボクも最初は半信半疑だったんだ。なにより自分以外にそんな趣味の女の子に出会ったことがなかったから、どう反応していいかわからなくて」

「つまり……聡美もリッキーと同じで、女の子が好きだってことだよね?」

「そう……だと思う」

「全然気づかなかったよ」

 リッキーは最初の緊張がだいぶ解けてきたようだ。言葉つきがふだん通り落ち着いてきた。わたしも幾分彼女の言葉を消化する余裕が出てきた。

「三原に告白されたけど、ボクは貫奈のことが好きだったから、ずっと返事を曖昧ににごしてたんだ。だけど、三原は少しもめげずに繰り返しボクにアプローチしてきた。ボクも接していくうちに、彼女のいいところがいっぱい見えてくるし、いっしょにいて、だんだん居心地もよくなってきた。そして、最近になって少しずつ、つき合ってみてもいいかなって思えてきたんだ」

 聞きながら今年の春からのふたりのようすを思い返していた。わたしは彼女たちのことを個別に見ていたわけで、そんなやりとりがあったことを知るすべはなかった。でも今から考えると、そのヒントになるような言動なら受けとっていたのかもしれない。

「そして先週、H高校の文化祭でふたりになったとき、また三原からつき合おうって迫られたんだ。ボクもようやく決心して、OKを出した」

「そっか」

「三原とつき合うってことは、三原だけを好きになるってことだけど、そのまえに貫奈にボクの思いを伝えておきたかった。けじめをつけたかったんだ。これって変だと思うよね? 自分でも意味不明な理屈だと思う。でも、そうしないと三原との関係に進めない気がしたんだ」

 リッキーの気持ちはなんとなくわかる気がする。今までの自分を肯定してあげるために、わたしに告白したんだ。報われないとわかっていて。そうやって仕切り直すことで、聡美との関係に進める、真摯に向き合える、育んでいけるってことじゃないのかな。

 ただひとつ気がかりなこと、

「聡美とつき合っても、リッキーとわたしとの関係は今まで通りでいい――んだよね?」

「あたりまえじゃない。なにも変わらないよ。ボクたち親友だろ。そしてこれからも。違うの?」

「うん、親友だよね。でも、よかったぁ」

 リッキーはわたしに一段深い自分を見せてくれた。つまり、それだけわたしを信用してくれているってことだ。

「ちょ、ちょっと、貫名、どうして泣いてるの?」

「えっ?」

 ホントだ。知らずわたしの目から涙が溢れていた。

「わかんない。なんか嬉しくて」

「どうして」

「どうしても、だよ」

 涙をハンカチで拭いながら、言葉にならない感情が次々とこみ上げてくることに困惑していた。その中に聡美への嫉妬らしき感情がまじっていることに驚く。なぜだろう。

 しばらくして気持ちが落ち着くと、わたしにもリッキーに話すべきことがあると思いあたる。

「お返しってわけじゃないけど、わたしの話も聞いてくれる? 実は、好きな人はいないって言ったけど、中学からずっと気になっている人はいるんだ。特に恋愛ってことじゃなく、人として、ね」

 ついに、今までだれにも打ち明けたことのない気持ちを、これから話すんだ。

「それって、このあいだH高校の文化祭で会った人じゃないの? 廊下でばったり出会った」

「な、なんでわかるの?」

「なんとなく、だよ。あのときの貫名の態度から感じた。好きな女の子の変化だもん。ボクにもわかるよ」

 そうか。わかる人にはわかるんだ。早川くんに対するわたしの気持ち。隠せてなかった。

「彼、早川くんっていうんだ。中学三年のとき、わたしのとなりの席だった子で――」

 それから、寒さもおかまいなしで、リッキーに早川くんの話を聞いてもらった。彼女も気持ちよく耳をかたむけてくれた。日が落ち始め、あたりがうす暗くなっていたのにも気づかず。早川くんのことをしゃべっていると、心があったかくなる。

 小学生のとき、まわりの女の子たちが好きな男の子について語るときも、ちょうどこんな気分だったのかな。

 早川くんって、わたしにとってなんなんだろう。

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