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アイノリフレイン  作者: 矢田さき
2章 貫奈亜以乃 (アイノリフレイン)
12/31

2-2

 翌日も早川くんは教室に現れなかった。

 わたしはいてもたってもいられなくなり、放課後、一度帰宅してからM団地に向かった。

 自転車をこぐ。正体不明のざわつきが、ペダルを踏む足を急き立てた。この衝動がなんなのかはわからない。くわしい住所も知らないくせに。行ってどうしようっていうんだろう。まるで先のことを考えてなかった。

 秋空に吹く風が冷たくなり始めていた。そういえば制服のままだ。なにか羽織ってくればよかったかな――。

 記憶をたどってハンドルを握る。いつかの川沿いの道に出た。

 夏の日射しの下、子どもたちと走りまわる早川くんを思い出す。

 あのときは、この人もこんな無防備に心をひらいた顔をするんだ、と驚いた。ドキドキした。嬉しくなった。その彼が、今は大勢から暴行を受け、その上学校を休んでいる。それもわたしが原因で。

 そう思うと、初めてきつい炭酸ジュースを飲んだ子どもみたいに切なくなる。

 春、クラス替えで早川くんのとなりになってから、どれほど彼について知っただろう。たぶんなにも変わらない。いまだ、なにも知らないのといっしょだよ。

 勇気をふりしぼって、初めて話しかけたとき、「オレに気を遣ってくれなくて大丈夫だから」と言われた。夏、彼のあとをつけていって、思い切って話しかけ、少しは近づけたと思ったのに、結局、「もうオレには話しかけないほうがいいよ」と言われた。

 そうやって、やんわりとわたしを突き放そうとした彼。

 それなのに、わたしが児島くんに迫られて困っていると、黙ってたすけてくれた。そしてお礼を言うと、今度は「かまうな」だ。

 彼の心境がわからない。わかりたい。

 彼のことを好きなんじゃない。そんな感情が生まれるほど近くない。それなのに知りたい、近づきたい。

 涼佳に話したら「そういうのを好きって言うんだよ。それじゃぁダメなの?」って言われそうだ。でも、違うんだ。わたし、だれかを好きになったら、自信満々に「好きっ」って言いたいもん。それまでは軽々しく使っちゃダメだ。

 時間をかけずに、夏休みに別れた橋のたもとに着いた。思い出してまた胸がつまる。

 M団地は目のまえだった。

 これからどうしよう。団地まで行って、あのたくさん並ぶ建物すべての郵便受け、そのひとつひとつをたしかめて、早川って名まえを探し出す。できないことはないけど、無謀だろうな。早川姓が一軒とも限らないし。

 と、思いついた。あの子どもたちだ。

 早川くんと顔見知りの子をつかまえて、何棟に住んでいるのか訊き出せばいいんだ。あの子たちなら、また河川敷のグランドで遊んでいるんじゃないか。

 その場に自転車をとめて、期待を胸に土手の上を引き返し走った。それもすぐ落胆に変わる。遠目にグランドにはだれもいないことが確認できた。早々うまくもいかない。

 すでに夕暮れどきだ。遊歩道を散歩する人影さえ見あたらない。しばらく、あたりをぼんやり眺めた。

 そこに夏の面影はもうない。景色をふちどる線がやわらかい。

 すべてを跳ね返す白が影をひそめ、半透明の黄色が控えめに街全体を染める。

 川面からあの日の輝きは消え、代わりに寂寥とした夕日の照り返しがチラチラと水面を跳ねている。その光の揺らめきに誘われるように、あてもなくなく土手を下りた。

 すると、そこから自転車をとめた橋の下がのぞけた。男の子がひとり川縁に座っていた。ランドセルがかたわらにおかれている。その横顔に見憶えがある気がした。自然と足が動いた。

 数メートルの距離に近づき、はっきりした。

 はたして早川くんとサッカーをしていた子のひとりだった。学年は四年生くらいかな。相手もわたしに気づき、いぶかしげにこちらを見ている。逃げられたら嫌だな。そのまえに声をかけよう。

「こんにちは。おじゃましてごめんね。ちょっと訊きたいことがあるんだ」

 やさしい口調を意識したつもりだった。それなのに、男の子はさらに警戒するように眉を寄せた。笑顔、笑顔。

「キミさぁ、早川くんのお知り合いでしょ。お姉ちゃん、早川くんの住んでるところ、知りたいんだ。教えてくれないかなぁ?」

 男の子は口を結んだまま、さらににらみをきかせる。

「早川くんって、わかる?」

 再度尋ねると、

「アキラくんのことだろ」

 とボソ。やっと答えてくれた。

「そう、そのアキラくんの住所、知りたいんだ」

「知らない人と話しちゃダメだって、学校で教わった」

 ぶっきらぼうに言って顔を背ける。

「いや……わたし、お姉ちゃんね、アキラくんの友だちなんだ。それで、早川くん、二日も学校休んでいるから、お見舞いに行こうと思って、それで近くまできたんだけど、団地のどこかまでは知らなくて。だから、教えてもらえたらたすかるんだけど」

「アキラくん、学校休んでるの?」

 思わず口走ったように、男の子がまた顔をこちらに向けた。よく見ると、彼の顔はひどく汚れていた。顔だけじゃない。シャツも短パンも足も、砂か土でこすったみたいに汚れている。そこら中を転げまわったみたいに。ランドセルだってボロボロだ。

「夏休み」

 彼がポツとつぶやく。

「えっ?」

「姉ちゃん、夏休み、そこでアキラくんといっしょにいた人だろ」

 憶えていてくれたんだ。

「そうそう、だから――」

「あとで、あの人だれって、アキラくんに訊いたんだ。だって、アキラくんが学校の人といるところ、あんま見たことなかったからさ」

「うん」

「姉ちゃんのこと、クラスのおせっかいなヤツって言ってた。だから教えない」

 脱力する。小学生にそんな言い方しなくてもいいじゃない。そこは「クラスメイト」で十分でしょ。

 いきなり質問したのがいけなかったのかな。もう少しフレンドリーになってから、が正解だったかしら。

「キミはさ、まだお家に帰らなくていいの?」

「まぁね」

「もう六時まえだよ。ここも暗くなってきたし。そろそろ帰らない? そしたらお姉ちゃんもついてくから、ついでに早川くんのウチの場所を教えてよ」

 男の子は嫌そうな顔でわたしを見ていたけど、渋々ってふうに立ち上がって、

「わかった。つれていってあげるよ。その代わりジョーケンがある」

「条件?」

「オレもアキラくんの見舞いに行く」

「わかった。それでいいよ」

 取引成立。しかも好都合に話が転がった。この子がついていたほうが、わたしも早川くんを訪ねるのに気が楽だ。

 男の子はランドセルをかたっぽの肩に引っかけると、さっそく土手を上り始めた。わたしもあとに続いた。橋のたもとからは自転車を押して彼のあとをついていく。そこからなだらかな上り坂だった。

「キミ、お名まえは?」

「知らない人に、簡単に教えるわけないじゃん。今、個人情報とかうるさいんだぞ。知らないの」

「じゃぁ、わたしから教える。貫奈亜以乃。これで知らない人じゃなくなったでしょ」

 男の子は「フン」とメンドクサそうに大人ぶって鼻息をもらしてから、

「トオヤマタケト」と小声で言った。

「タケトくんだね」

「名まえで呼ぶな。いきなりなれなれしすぎ」

「わかった、トオヤマくんは何年生?」

「六年」

 ずいぶん幼く見える子だ。身長もそうだけど、身体も細い。ゴボウみたいだ。顔もリスを連想させて可愛らしい。

「トオヤマくんから見て、早川くんはどんな人?」

「兄ちゃんみたいな人」

 これは即答だった。

「トオヤマくんは兄弟いないの?」

「……いる。兄ちゃんがいる」

「本物のお兄さんがいるのに、早川くんもお兄さんみたいな人なんだ。お兄さんと似ているの?」

「うっさいなぁ。そんなのどうだっていいじゃん。だから女は嫌いなんだよ」

「ごめんごめん」

 しばらく無言で歩いていると、トオヤマくんが自分から続きを切り出した。

「ホントの兄ちゃんとはゼンゼン似てない。オレの兄ちゃん、もう高校生だし、いっしょにいること少ないし、オレのこと、すぐ殴るし――。アキラくんはこわいけど、いろいろ教えてくれるから――」

「そっかぁ、早川くん、サッカー上手だったもんね」

「サッカーだけじゃないよ。ほかのこともいろいろだよ。そのなんて言ったらいいのかな。……んんと、生き方? そう、生き方だっ」

 その口調が得意げだったので、思わず吹き出しそうになる。

「生き方かぁ。それはまた難しい話だね」

「バカにすんなよ。ホントにそうなんだから」

 早川くんが子どもたちにどんな話をしているのか興味が湧いた。

「たとえば、トオヤマくんに、どんな生き方を教えてくれたの?」

「そうだなぁ、授業は真面目に聞いて、高校まではちゃんと卒業しろ、とか」

「うんうん」

「イジメられても、だれかを頼るな、自分でやり返せ、とか、親がなにかしてくれるなんて初めっから期待するな、とか」

「……」

 これはさすがに暴論だ。小学生に諭す内容としてどうなんだろう。

「万引きはクズのやることだ、絶対やるな、とか、そんな感じ」

「……それを聞いて、トオヤマくんはどう思ったの?」

「授業はウザいけど、でもアキラくんの言う通りなんだろうなぁって思うし。だれにも期待しなかったら、あとでがっかりすることもないし。とにかく、アキラくんの言うようにやってたら、アキラくんみたいにカッコよくなれるのかなって思う」

 トオヤマくんたちにとって、早川くんは先生でヒーローなんだ。子どもたちには、彼の口から出た正論や暴論が砂地に降る雨のように受け入れられている。そんなふうに伝わってきた。

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