2-1
夏休みが終わると、すぐに修学旅行にて沖縄に出発。あわただしく二泊三日の日程を消化。帰路につく。そのあと、間髪をいれずに実力テストが待ち受ける。それもあわただしくこなし終了。二学期はそんな調子で始まった。
早川くんとは相変わらず。席をとなり合っていても話すきっかけもない。夏休みに別れぎわ、彼から言われたことが引っかかって、やはり気後れしていたのかも。わたしったら、あんな啖呵を切ったくせに。しょうもないヤツ。
そのあいだ、特に変わったことといえば、塾終わりのお茶会に山名くんたちが参加しなくなったことかな。
一学期の終業日に起こった――わたしと三原さんたちの一件を涼佳が人づてに聞き知り、心ならず詳細を涼佳に話すと、彼女が配慮してくれた結果だった。もちろん、児島くんに本当の理由が伝わらないよう、そこはうまく別の理由をつけて。
はっきりと聞いてないけど、涼佳と山名くんは夏休み中に進展があったみたいで、わざわざわたしたちのいるまえで仲よくしなくても済むようになったってことも関係あるかも。
それでも塾では児島くんと顔を合わすわけで、夏休み中に一度、彼からみんなで遊びに行こうと提案があったけど、そのときも涼佳がうまい具合にはぐらかしてくれた。
学校が始まっても今まで通り、不自然にならない程度に児島くんと距離をとっていた。さらに涼佳もフォローしてくれていたので、彼と話すのは塾でのわずかな時間だけだった。三原さんたちもあれからなにも言ってこない。
その気遣いが、逆に過剰になっていたのかもしれない。
十月に入ってすぐだった。
五時間目のあとの休み時間。自分の席で次の授業の準備をしていると、いつもとようすの違う児島くんが近寄ってきた。
これまで、彼が休み時間にわたしの席までくることはなかった。たいていは山名くんたち男子相手か、そこに三原さんたちが加わるかして談笑していることが多かった。
それは、親しくなったからと、自分から特定の女子の席まで出向き、さらに親睦をはかるのは、クラスメイトの手まえやってはいけない、カッコ悪いこと、という彼らの美学に乗っとってだと思う。そういうこの年ごろの男の子ルール。
だからわたしも席に座っているときは安心していられた。それなのに、どうして――。
目のまえにやってきた児島くんは、一瞥しただけで興奮状態なのが伝わってくる。明らかに尋常じゃない。
「貫奈、オレ、桂のことなんか、なんとも思ってないから」
うわずりぎみの声で唐突な内容を告げる。
「えっ?」
なに? やっぱりふつうじゃない。自分の頭に占めていることをいきなり前後をとっ払ってしゃべっている。そんな印象を受ける。相手の理解なんかおかまいなし。それでも声量を押さえようと努力する理性はまだ働いているようで、その声は控えめだった。
「……児島くん、なんのこと?」
正直こわかったけど、なるたけ相手が落ち着くように笑みを浮かべたつもりだった。
「貫奈がオレのこと、さけているのって、桂に気を遣ってなんだろ」
ぼんやりと線が繋がる。
桂さん。クラスメイトの女子で、やはり三原さん周辺のひとり。そして児島くんの口ぶりから、以前三原さんが言っていた、「コジのこと、真剣に好きなヤツ」というのが彼女のことみたい。
まさか、わたしが児島くんとなるべく接しないようにしている理由を、桂さんに気を遣ってのことだと思いこんでいるんじゃ……。今日の昼までふだん通りで、今言いにきたってことは、この昼休みに、だれかに吹きこまれたのかな。いや待ってよ。わたし、桂さんなんて、今初めて聞いたし。いや、それより、わたしがさけていること、彼にバレてる。
さりげなく斜め後方に目をやると、三原さんたちの視線が刺さる。思いっきりこっちを見ている。最悪だ。とにかく、この場は穏便に引きとってもらわなくちゃ。
「ごめんなさい。言っている意味がよくわからないんだけど……」
「だから、桂がオレのこと、どう思ってようと、オレはアイツのこと、少しもなんとも思ってないってことだよ。わかるだろ」
さっきより声のトーンが上がる。桂さんの耳に届いてないことを祈る。おそるおそる訊き返す。
「……それと、わたしとなんの関係があるの?」
「最近、学校でオレのこと、さけてるだろっ」
「さけてないよ」
「さけてるよ。アイツらに――、三原たちになんか言われてるんだろっ。オレ聞いたんだよ。もう知ってんだよ。クギ刺されてるんだろ。オレに近づくなとかなんとか、さ」
徐々に声が大きく激しくなる。
「違う、わたし知らない」
たえられなくて、児島くんから目をそらした。そしたら、彼はわたしの肩をつかんだ。揺さぶった。
「隠さなくたっていいって。なんかあったらオレがアイツらに文句言ってやるから、なっ」
「やっ」
わたしは小さく悲鳴を上げた。イヤイヤをしてお尻を後ろにずらす。それでも児島くんは手をはなしてくれない。顔を近づけて、
「ちゃんと話そう、なっ」
と、なおも迫る。視界の隅に涼佳がかけ寄る姿が入る。しかし、それより早く児島くんの身体が、すっとわたしから遠ざかった。
えっ?
顔を上げると、早川くんが児島くんの肩のあたりをつかんで立っていた。相変わらず顔色も変えず無言で。彼が児島くんを引きはなしてくれた?
児島くんは一瞬不可解な顔をして、首をまわし、そこに信じられないものを見た、と言わんばかりに唖然とする。しかし、それも一瞬で憤怒の形相に変わった。
「はなせっ! オマエ、なにしてんだっ!」
児島くんは、今度は身体ごとひねり、出し抜けに拳をふり下ろした。早川くんの頬に直撃する。音をたてて机が後ろにずれ、早川くんは机に寄りかかるように体勢を崩した。児島くんはさらに踏みつけるように早川くんの腹を蹴った。
「やめてっ!」
今度こそ激しい音とともに机が倒れて、早川くんも完全に手を床についてあお向けに倒れた。教室中が騒然となる。
だけど、いったいだれがそのあとの展開を予想できただろう。
早川くんはゆっくりと身体を起こした。やっぱり表情から感情は読みとれない。苦虫をかみつぶしたような顔は不敵にさえ思える。
すると――早川くんが動いた。
素早く児島くんの胸ぐらをつかんだかと思うと重心を崩させ、すぐさま黒板まで一気に引きずる。その勢いのまま、顔から黒板にぶつけた。
打音が教室に響く。
早川くんは両手で児島くんの襟首と胸もとをつかみ直した。倒れることができない児島くんの身体を自分のお腹のあたりに引き寄せ、下から膝を突き上げる。胸部を強打する。二度三度――。
次に手をはなすと、不自然に身体を折り曲げた体勢で一瞬静止する児島くんの身体を躊躇なく蹴り飛ばした。児島くんは教壇にぶちあたる。糸の切れた人形みたいに倒れこんだ。
教室にいる生徒全員の目が早川くんに集まっていた。水を打ったように静まったあと、数秒して山名くんたちがようやくまえにかけ寄った。児島くんを抱きおこす。
みんなで早川くんに報復するのかと心配したけど、そうはならなかった。彼らはモンスターでも見るような目つきで早川くんを見ただけだ。児島くんを席につれてもどる。
また別人の早川くんが現れた。でも、あの小学生たちと遊ぶ晴れやかな別人とは違う。今日の彼は、手負いの獣みたいで近寄りがたい。そして痛々しい。
どれが本当の早川くんなの?
本鈴が鳴る。早川くんは机をもどし、なにごともなかったように席に着く。頬が少し腫れて、口の端に血がにじんでいる。
「……早川くん、ありがとう」
おずおずとハンカチを渡そうと手を伸ばすと、
「かまうな」
わたしにだけ聞こえる声で、それでも十分威圧感のある声で制した。
二日後、早川くんは学校を休んだ。
その日の帰り道、涼佳より理由を知らされた。
彼女が山名くんから聞いた話によると、昨日の放課後、帰宅途中の早川くんをハンドボール部員十数名でシメたらしい。リンチのことをそう称するそうだ。児島くんの仕返しのつもりだろう。そのせいで身体を動かせないんじゃないか、と言うのだ。聞かされただけなのに、胸が押しつぶされたようで、ひどく気分が悪い。
「袋だたきにされて、今ごろ熱でも出して寝こんでるんじゃないかなぁ。可哀そうだけど、ま、しょうがないね」
「しょうがないわけないでしょ」
「そりゃ亜以乃のために殴られて、正当防衛だったとはいえ、やっぱ、あれはちょっとやりすぎだったもん。人まえであんなふうにやられたんだよ。コジも黙ってないって。あの早川にあそこまで遊ばれたんじゃぁ、人気もんのメンツ丸つぶれじゃん」
「だからって、たったひとりを大勢で相手するなんて卑怯だよ」
「まぁね、わたしもそういうのは好きじゃない。だから早川は可哀そうだとは思うよ。そしてコジはもちろん悪い」
「どっちが悪いとかじゃなくて――」
わたしの言うことなんか無視して、涼佳は続ける。
「――にしても、恋は盲目ってよく言ったもんだね。あそこまで自分が見えなくなるんだからさ。亜以乃、オレをわかってくれよーって感じ? だから許してやろうよ。ま、結果としてよかったんじゃない。これで、コジもカッコ悪くて、亜以乃に近づくことはできないだろうしさ」
たしかにそうだった。騒ぎの翌日と今日と身がまえていたけど、児島くんはわたしになにも触れてこなかった。
みんなのまえで恥をかかされた手まえ、体面を気にして、今さら話を蒸し返せないのかもしれない。また、時間をおいて落ち着いてみると、わたしのとぼけた態度に彼の熱が冷めたとも考えられる。いずれにしろ、このままうやむやに終わるのは、わたしとしても不誠実な気がする。
児島くんがあんなふうになるまえに、わたしは別の対応ができなかったのかな。涼佳は当初から「気持ちのないことを早めにわからせてあげたら」って意味のことを言っていたけど、告白されたわけでもないのに、そんな高慢なことできるわけなかった。
結局、三原さんたちの目を気にして、学校内で彼をさけていたのがいけなかったんだろうな。ふつうにしていればよかったんだ。わたしのせいだ。
「亜以乃、顔暗いよ。どーせぜーんぶ自分のせいだぁ、なんて考えてるんでしょうが、亜以乃はなんにも悪くないって。気にしない」
「気にするよぉ」
「それよかさ、意外だったのは早川だね。わたしがあいだに入るまえに、コジを引きはがしてさ、ちょっと見直した」
わたしも意外だった。どんな場合でも、彼が他人のもめごとに顔を突っこむなんて。
「アイツが手を出さなくても、わたしか、ほかのだれかがとめていたに違いないんだけどさ、まさか、いちばん先に動いたのが早川とはねぇ。アイツ、あんなわけわかんない顔して、自分は恋愛にはムカンケーみたいな顔してるけど、実は亜以乃のこと、ひそかに好きなんじゃない?」
「それは絶対ないよ」
「ほとんどしゃべらないくせに、どうしてそんな断言できちゃうの?」
「わかるよ。あのときだって――、早川くんの口に血がついていたの。だから、お礼を言ってハンカチ渡そうとしたら、すっごくこわい声で、かまうなって言われたんだよ。好きな相手に言うセリフじゃないでしょ」
「へー、かまうな、かぁ。それはアイツに似合わないなぁ。でもそれって、男の子特有のテレ隠しなんじゃないの?」
「違うよ」
「なんにせよ早川って、わたしらが思っているような人間とは違うのかもね。コジを倒したときのアレ、ムチャクチャケンカ慣れしてるって感じだったし。タダモノじゃないよ、アイツは。ネクラな上に腹黒だな。腹黒王子」
「……そんなことより、わたしから児島くんに正直に事情を話したほうがよくないかな。その上でさけていたことを謝って、児島くんにも早川くんに謝ってもらうの。ふたりに仲直りしてもらう、それがいちばんいいと思うんだけど、どうかな?」
「それはやめときなよ。正直に事情を話すっていうけどさ、コジに、アナタがわたしに気がありそうだったから、それが三原さんたちには気に入らないことだから、しかたなくさけていました、なんて言うつもり?」
「いや、それは……」
「それって、アイツの傷ついたプライドに塩塗りこむようなもんだよ。ほっといてあげなよ。コジも本物のバカじゃないんだから、いずれ自分でやらかしたバカに気づくって」
「でも、それじゃぁ早川くんに謝れないし仲直りできないよ」
「それも必要ない。早川だってコジに謝ってほしいなんてこれっぽっちも思ってないはずだし。コジも早川をシメたことで、一応の体裁を保てているんだから。ふたりとも、仲直りなんてしたくないんだって。もう丸くおさまっているの。これ以上亜以乃がよけいな口出ししたらダメだからね」
わたしには、まったく丸くおさまっているように思えなかった。