序章
――もう、限界だ。
自分の靴の長さ位しかない、不安定な場所に立ち、胸の高さしかない、錆びたフェンスに背中を預けて、少年はただただ無表情に、ビル10階下に広がるシミを見下ろしていた。
遠目からでもはっきりと確認できるそのシミは、赤でも黒でも茶色でもない不思議な――でも、何によってできたシミなのか分かる、そんな色をしていた。
――今までに、一体、何人の人がここから飛び降りたんだろう。
5、6年だったか、7,8年だったか――とにかく、随分前に使われなくなったこの廃ビルは、今では有名な自殺スポットと化していた。
まだ日が暮れていないというのに、真下の道路には人っ子一人、車一台通っておらず、周囲にはそのビルより高い建築物は無い。まさに、身投げするには打って付けの場所だった。
一人目は、そのビルのオーナーだった。
原因はわからない。家庭か仕事が、それとも両方か、とにかく原因不明のまま彼は飛び降りた。
それが今から8年前。少なくともまだ、そのビルはとある会社が使用していた。
その後、その会社も倒産。まるで図ったかのように同じ場所から社長が飛び降りた。
そしてそこが廃ビルと化した後も、三人目、四人目と、まるで引き寄せられるかのように同じ場所から人が飛び降り、全員がシミになった。
そして今も、一人の少年が、シミの一部になろうとしていた。
「ふぅ」
まるで何かを諦めたかのような面持ちで、少年は息を吐き出し、預けていた背中をフェンスから離した。
瞼を閉じ、体中で秋の冷えた風を感じる。
そして、飛び降りようと瞼を閉じた――のと同時に、ズボンのポケットが軽く振動した。
少年は、気にせず飛び降りようとして、気が変わり、ポケットから携帯を取り出した。
今飛び降りてしまえば、もう2度と、携帯を確認することが出来ないことに気が付いたのだ。
画面に表示されていたのは、見知らぬメアド。
少しだけ、知り合いじゃなかったことを残念に思ってから、自分にメールを送ってくる人などいないことを思い出す。
そして、迷わず、人生最後になるであろうメールを開いた。
そこには、黒い文字でたった一言、こう書かれていた。
≪ようこそ≫




