僕らのファムファタル
「あぁ、ピア。僕のピア。今日は君の大好きな金平糖を持ってきたよ!」
黄金色に波打つ豊かな髪。ふっくらと淡く彩る円やかな唇。蕩けた様に甘く見える瞳を縁取るのは、煙る様に生え揃い陰を作る長い睫毛である。それは少女の形をしてビロードの長椅子にチンマリ腰掛けている。
都会で新聞社に務めるリチャードは、彼女を前にしてホウッと艶かしい溜息を零した。巷ではキリッとした爽やか好青年で通っている彼の相好は雪崩の如し。溜息に色をつけるならば、間違いなく濃厚な桃色をしているだろう。
リチャードは、フンワリと広がる細いストライプのフレアスカートの上に置かれた白く小さな手を恐る恐る触れて、自分の頬へと擦り寄せる。恭しく、神聖な物として。
「この吸い付くような肌。素敵だ、凄く良い。僕は本当に幸せだ。たった一度の生に唯一無二の存在に出会えたのだから!そこでお願いだよピア。このどうか哀れな男に、君のこのスカートに出来て居る黄金の三角形の窪みに顔を埋める許しをくれないかい!?」
「……表現が気持ち悪いわ!ド変態がっ!」
「ぐべぁっ!!」
恍惚とした世界に耽るリチャードに一刃の閃光が放たれ、彼は一メートル真横に吹っ飛んだ。あまりの衝撃の残滓に「くぅっ」と呻きながら頭を振るリチャード。
「何をするんだユリウス!君はいつもいつもいつも!!どうして僕とピアの逢瀬を邪魔する!」
「邪魔だって!?はっ!!よくもまあぬけぬけと」
未だ視界に光の粒子が舞うリチャードはそれでも踏ん張って相手を睨み据える。そこには少女よりも濃厚な、最早赤に近いブロンドの男が踏ん反り返っている。先程リチャードの頭を、インテリアとして置いている極太の百科事典を使ってぶっ飛ばしたのは彼だ。
「俺の大事な妹が変態に襲われてるんだ。助けない兄が何処にいる」
「……兄って、ユリウス。君はピアの単なる従兄じゃないか。はっ!?それとも何かい?まさか君もピアのお婿さん志願だと言うのか!!なんてコトだ!」
「馬鹿が、お前の尺度で物事を計るな!!ピアは俺の家族だ!!」
「アッハハ、そうだね。君の宗派はいとこは近親婚だもの。なんだユリウス、僕よりイバラ道じゃないか」
「だから、お前と一緒にするなぁっ!!虫唾が走るわ!」
その絶叫をゴングに、良い歳こいた男性達の取っ組み合いの喧嘩が始まるのだ。これが彼等の日常。
その様子を「あらあら困ったわ。どうしましょう?」と、ばかりに彼女はソバカス混じりの自分の頬にもう一方の手を当てて首を傾げる。その姿は齢八歳にして既に妖婦の素質を持っていた。
少女の名前はピア。敬虔なピアのお父上が、かのローマ法王ピウス……〜うんにゃら世(リチャードとピアは覚えていない)への信仰心より真心を込めて付けられた清楚可憐な名前である。
リチャードとピアの関係は一言で言うと「赤の他人」だ。厳密に言えば、ピアの従兄弟がリチャードと幼馴染であり親友兼悪友であり、つまりリチャードとピアはやはり他人である。それをユリウスが指摘すると、リチャードはその度にユリウスの胸ぐら掴んで激怒する。
そんな年甲斐もない喧嘩が勃発する度に間に立たされる年少者のピアは、やはり「あらあら、困ったわ。どうしましょう?」と言う顔で二人を宥めるのである。機から見ればどちらが子供で、どちらが大人だと思う様な幼稚な喧嘩を繰り広げるのだ。
リチャードはピアの事が大好きだ。世界の何よりも愛している。周囲からロリコンと笑われ、変態と蔑まれてもリチャードは意に介さない。寧ろ、誉れと況やである。毎月の給料の半額以上をピアに着せるお洋服やアクセサリーに注ぎ込むリチャードにとって、ピアはまさしく「(運命の人)ファムファタル」なのだ。
二人の出会いは、ピアがまだようやくタッチとハイハイが出来だした頃にまで遡る。家の近いご近所さんなリチャードとユリウスは、当時よく互いの家で遊んでいた。
ある日、ユリウスの家にピアのご両親が彼女を連れて挨拶に来た。リチャードはそこにたまたま居合わせたのだ。それがリチャード、ピア、ユリウス、そしてその周囲にとっても忘れられない一日となるなど、誰が想像しただろう。
なんとリチャードは、まだおしゃぶりも取れていないピアに一目惚れをしたのである。リチャードとユリウスはその頃ハイスクールに通う年齢だった。そして何よりリチャードの顔面偏差値は無駄に高かった為、既に何人かのガールフレンドとお付き合いをしていた時期だった。そんな良くも悪くもプレイボーイの彼がピアを見初めた瞬間、目は潤み、唾液が溢れ、頬は蒸気し、とにかく生理現象と言う生理現象全てが促進されてしまったのだ。波乱の幕開けである。
リチャードにピアを紹介した次の瞬間、異常事態に気づかないまま当時まだ笑って互いを親友と言っていたユリウスがピアを抱き上げ頬を寄せた。その光景を目にしたリチャードはあまりの羨ましさと絶望に、ユリウスに殴りかかっていたのだ。
二人の喧嘩の始まりもまた、この記念すべき日であった。
運悪くリチャードにピアとの出会いを尋ねた者達は殆どがそれを聞いた段階で眉根を潜める。
こいつはロリコンではなく、まさかのペドかと。うっかり最後まで聞いてしまった日には誰もが「こいつはヤバイ、早くなんとかしないと」と言う想いに駆られる。しかし皆一様に思うだけで誰も「なんとか」出来た試しがないまま今日まで至っている。唯一立ち向かい続けているのがユリウス一人。彼はリチャードの病気を知る者達にとって、世界ただ一つの希望なのである。
その後リチャードが件の病気を患ってからと言うもの、女性関係が清算されたかと言えば残念ながらそうではない。寧ろややこしさに拍車がかかったのだった。
歯軋りするユリウスを他所に、彼はピアの事を当時付き合っていた女性全員に言い放った。
「僕が心から愛する女性はピアただ一人だ!だから君達との付き合いは割り切ったものにしたい」
ありていに言えば心はピアのだけど、身体ならOK宣言であった。勿論その噂は厳格な家に育てられているユリウスの耳にまで入り、今度は彼がリチャードの背に飛び蹴りを食らわしたのだ。
元来潔癖なユリウスは常々奔放なリチャードに苦笑はしていたものの、彼自身には実害はなかったのである程度目を瞑っていたのだ。だが今回は間にピアがいる。兄弟のいない彼にとってピアは年の離れた妹の様なもの。親友の枠で許すにも限度がある。怒髪天にまで達している。
それからと言うもの昨今まで、彼等の喧嘩は日常茶飯事。無いと周囲が明日は雨か?槍か?と囁かれる程の平穏で穏やかな日々の一コマである。