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『猫と野菜スティックサラダとキス』

作者: 北城駿

ついてねえ。


電車を降りると、夕立だった。


走って帰ったとしても、相当濡れそうだ。


さて、歩いて帰るのと走って帰るのとでは、どちらが濡れるのだろう?


昔テレビ番組で、同距離だったらどちらも変わらなかった実験結果を見た覚えがあるが、定かではない。


しゃーない、コンビニでビニール傘買うか。


給料日前に500円の出費は痛い。


いや、給料日前じゃなくても500円は大きい。


牛丼特盛り食える。


とにかく駅前のコンビニに駆け込んだ。


ついてねえ。


売り切れ。


レジに並んでる客が、最後の1本を持っている。


何も買わずに出るのは気まずい。


俺は店内をぶらりと1周して、発泡酒を2本買った。


家に何本もある傘の在庫を増やすより、有意義な買い物だと思うことにした。


店を出た時、雨音に混じってかすかに「みゅー」という音がした。


気のせいか?


「みゃー」


分別ごみ箱の陰だ。


まわりこむと、毛並みを湿らせた仔猫がいた。


都心からそう遠くないこの街で、野良猫を見るのは珍しい。


まいったなあ・・・


見なきゃよかった。


俺は仔犬・仔猫に弱い。


かがんで近づいたら、意外にも逃げなかった。


「いい子だから、おとなしくしてろよ」


ハンカチで濡れた身体を拭いてやった。


今夜も熱帯夜になりそうな暑さ。風邪をひくこともないだろう。


雨があがって冷え込まなければの話だが。


「お前、腹減ってるか?」


「みゅーみゅー」


「しょーがねえ、待ってろよ」


俺は再び店内を周りはじめた。


探し物はなかなか見つからなかった。


5分以上かけて、ようやく見つけた。


野菜スティックサラダの容器。これなら使えそうだ。


俺はそれをパック牛乳と一緒にレジに置いた。


「これで逃げてたら笑えるな」


内心祈ってる自分を自嘲しながら店を出た。


鳴き声がしない。


焦って分別ごみ箱の陰をのぞきこむと、ちゃんといやがった。


のんきに毛づくろいしてる。


「よしよし。言いつけ守ったな」


小さな仔猫には、紙皿じゃだめだ。


野菜スティックサラダのフタは、牛乳を入れて飲ませるのにピッタリだった。


本当はあたためてあげたいんだけどな。勘弁しろよ。


さすがに「表の仔猫に飲ませたいから、ぬるめにチンしてくれ」なんて店員に言えない。


3杯目のおかわりを終えたところで、仔猫は口の周りを舐めだした。


「腹いっぱいになったか?じゃあな。付いてくんなよ」


俺は残ったパック牛乳を一気飲みし、空きパックを濡れたハンカチと一緒に燃えるゴミ箱の方に捨て、コンビニを後にした。


振り返ると、仔猫はちゃんとじっとしてる。


聞き分けのいい奴だ。


発泡酒、野菜スティックサラダ、牛乳、ハンカチ。


500円のビニール傘より、ずっと高くついた。


まあ最近野菜不足だったからいいか。


仔猫をかまっている間に雨脚もだいぶ治まった。


俺は家路を走った。




長かった夏が終わり、秋風が肌に心地良くなった。


相変わらず不況で仕事はヒマだった。


残業も無く、早く帰れる代わりに残業代が出ないから、悲しい安月給だった。


駅を出ると、今にも降り出しそうな雨雲が広がっていた。


降り出す前に帰らなきゃ。俺はコンビニに急いだ。


最近はコンビニで買い物することも少なくなった。


節約のため、食料品はもっぱらスーパーだ。


でも今日は金曜日。週末のマストアイテム競馬新聞を買わなきゃ。


予想の御伴に発泡酒も欲しい。


俺はコンビニで競馬新聞と発泡酒2本を買った。


「ちょっとおじさん!」


コンビニを出ると、若い女の子が声をかけてきた。


「おじさんじゃねーよ」と言いかけてやめた。


彼女の若さに比べたら、29歳は十分おじさんだ。女子高生か?


「なに?」


「ちょっとお金貸してくんない?」


アホか。人を見て言え。見知らぬ他人に貸すほど金持ちじゃない。


「悪いけど他当たってくれる?」


「ひどい。困ってる人見捨てるの? 財布落としちゃってマジ困ってるの。お願い」


「いくら?」


ヤバイ。答えてしまった。


「3千円位。お願い!」


よく見たらかわいい顔してる。


「絶対返すから!」


すがりつくような瞳でお願いされ、もう断れなかった。


「ちょっと待ってて。絶対よ!」


俺が3千円を渡すと、彼女はコンビニに入った。


一体何を買うのか気になって目で追ったら、コスメコーナーをうろうろしてる。


数分後出てきた彼女が言った。


「ありがとう。ねえおじさん、お金貸してくれたお礼にデートしてあげるよ」


ナニコレ? 新手の援交か?


「いいよ、断る」


「ちょっと位いいでしょ?飲みに行こうよ」


「お前明らかに未成年だろ!」


よく見たら口紅も付けていないノーメイクだし。


「私は飲まないもん」


「いいよ金無いし」


それは本当だった。週末の競馬が外れたら、給料日までピンチかも。


「だったら競馬やらなきゃいいじゃん」


「なんでそれを知ってるんだ?」


「だって競馬新聞持ってるじゃん」


彼女は俺のコンビニ袋を指さして言った。


「じゃあカラオケ行こうよ。たまにはストレス発散した方がいいって」


近くにたむろってるワルそうな連中がこっちを見てる。


なんかヤバい。援交に加えて親父狩りの匂いもしてきた。


朝のめざましで、うお座2位だったはずだぞ。なにこの災難。


「まったく用心深いなあ。私のこと疑ってるんでしょ? 男のくせにいくじないのね」


カチンときた。でも、頭の中では「やめとけ」って言ってる。


「見ての通り私手ぶらよ。ケータイも無いんだから。 あなたの好きな店でいいわ」


「何も俺みたいなおじさんと遊ばなくたっていいだろ」


自分でおじさんとか言ってるし。


「だからお礼だって」


「お礼するお金なんか無いだろうが」


「ワリカンにしようよ。私の分は私が出すから」


「だってお前お金無いって」


「さっき借りた。お釣りあるから」


彼女がペロッと舌を出した。


キュートだと思ってしまった。


「分かった。おじさんって言ったから怒ってるんでしょ。ゴメンね、お・に・い・さ・ん」


ニッコリ微笑んだ顔は、俺を騙そうとしている女には見えなかった。


「ね、行こう!」


彼女がすっと俺の横に体を寄せて腕を組んできた。


「じゃあ、ちょっとだけなら・・・」


哀しき男の性よ。




俺は駅前の一番目立つカラオケボックスに彼女を連れて行った。


万が一の場合の用心で、セキュリティを考えた。


「1時間だけだからな」


この期に及んでもまだ俺は不安だった。


受付でワンドリンクを聞かれた。


俺は生ビール。


「分かってるだろうな。アルコールはダメだぞ」


「飲まないわよ。私はアイスミルク」


部屋に入ってまず一服しようとしたら、彼女が言った。


「ゴメンなさい。タバコは吸わないで」


我慢するのは苦だったが、真面目な一面を見たような気がして少し安心した。


「さあ早く歌って」


「お前は歌わないのか?」


「言ったでしょお礼だって。あなたが歌ってストレス発散して。サラリーマンってストレスたまるんでしょ? 私は聞いてる方が好きなの」


どうせ金払うんだ。歌わなきゃ損だ。


もともとカラオケは大好きだけど、不景気で飲み会も減っていたから、 俺は遠慮なく歌わせてもらった。


彼女は1曲も歌わず、そして、飲ませ上手だった。


短時間に生ビール3杯飲んで、思いっきり歌いまくったから、酔いが回った。


「ちょっと待っててね」


そう言って彼女は部屋を出て行った。トイレか?


まったくよく待たせる女だ。


俺はタバコをくわえて火をつける寸前でやめた。


OK。久しぶりに酔っぱらったけど、自制心は大丈夫だ。


もしかしてこのまま戻ってこなかったりして。


元々ハンドバッグも何も持ってなかったから、このまま消えても不思議じゃない。


ぼんやりとそんなことをかんがえていたら、彼女が戻ってきた。


パッと見、印象が違うと思ったら、ピンクの口紅を塗っていた。


「おにいさん、どうもありがとう」


彼女の顔が近付いてきて、いきなりキスされた。唇に。


あまりにも突然のこと過ぎて、よけることを忘れた。


「本当にありがとう」


そう言い残し、彼女は部屋を出て行った。


長かったのか、短かったのか、よく分からない。


彼女のキスは、ミルクの味がした。


いったいなんだったんだ? まあ悪い気分じゃない。


受付からの電話に促され、俺も部屋を出た。


「結局俺が払うのかよ」


一人ぼやいてレジカウンターに並んだら、


「もう女性の方からいただいてます」


と言われた。


部屋代1時間とドリンク代、たぶん合計3千円位だろう。



おしまい

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― 新着の感想 ―
[良い点] いい話でしたー [一言] 猫たんハァハァ
2012/12/03 20:30 退会済み
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