20 決着
「え……?」
思いがけない言葉に、エシアは一瞬呆然とする。
あの故郷の島から落ちた時、リグリアスは間に合ったのではなかっただろうか?
けれどこればかりは、エシアが記憶を失ったから知らないのではない。あの時エシアは気絶してしまったのだ。
目覚めた時には、聖域府の船の寝台の上だった。大きな怪我も打ち身もなかったのだ。
「共通するのは死の大地に降りて、生きて戻った者という事だ。おそらく星の核の母体でもある死の大地に触れることで、体に何らかの変化が起きたのだろう」
「でもその八代目も十五年しかもたなかった。ならば星の核を飲み込んだのでは……?」
レジオールの疑う声に、ホーンが笑う。
「既に地位を固めていた星振官達によって、毒殺されたのだろうよ。聖女交代によって聖女を輩出する栄華を求めてな。神職のため表だっては優遇されないものの、聖女を擁する家は様々な特権が扱える」
「そんな。栄華の……ために?」
「我々の栄華を潰えさせる聖女など必要ない。これは私だけの意志ではないのだよ。数年ごとに交代するからこそ、各家は平穏に譲り合って存在している。この伝統を崩されては困るからな。以後誰も、死の大地へ降りた聖女を創り出そうとする者もいなかったのだろうよ」
自慢げに語るホーンの言葉に、エシアは息を飲んだ。
そうだ。死の大地に降り立つことによって聖女になれるのならば、星の核を飲み込まなくても良い。
そうすれば聖女になるために、生死を賭けなくてもいい。聖女になってからも長く生きていられる。
シュナのように、死の恐怖に震えることはなかった。
聖女になれなかった少女達が、死ぬこともなかったのだ。
エシアはぎりっと奥歯を噛みしめた。
「なんてことを」
この人達は、消耗品としてしか女性を見ていないのだ。都合が悪くなるからと、その命を代償にしている罪深さにも気づかずに。
怒りにめまいがしたその時、体の中へやわらかな霧が流れ込んでくるような感覚があった。
「――――え」
この感覚を覚えている。シュナと繋がったあのときと同じ。
さらさらと細い澪のように流れてくるのは、死にたくなかった、という哀しみと怒り。
それを感じ取り、エシアは理解した。
自分はシュナに拒否されたわけではない。シュナと同じ感情を持つことが必要だったのだ。
あの時は二人とも、ただリグリアスを守りたかった。
今はただ怒りに染められて――――。
「なっ!?」
突然吹き荒れた風に、アクスト達が吹き飛ばされそうになる。
レジオールを足で小突こうとしたホーンは、近くの木に叩き付けられた。縛られていたレジオールも、丸太のように転がって遠ざかる。
アクストは器用に吹き荒れる星振の一端を操り、離れた場所に着地していた。
「ちっ、あまり時間をかけると聖女の力を使えるようになるみたいだな」
アクストは銀色の細い金属の環、星叉環を取り出して爪で弾く。
弦の楽器を弾いたようなやわらかな響きに呼応し、エシアの足下に炎が広がった。
シュナの怒りの声のように、エシアから星振が風となって響き渡る。
しかし荒れ狂う感情そのままに、風の方向が定まらない。足下の炎はそれで少し遠ざけられるものの、離れた場所の炎は吹き消すどころか煽ってしまう。
「シュナ様、せめて水を呼ばないと」
エシアはそういった調節をどうすればいいのか分からない。しかし呼びかけても、シュナから伝わるのは、ままならない事への怒りだけ。
やがて風に煽られた炎が、シュナの変化した樹の幹を撫でていく。
「シュナ様!」
熱さにシュナが悲鳴を上げた。エシアは思わず耳を塞いだ。
が、それは耳から聞こえる声ではない。エシアの頭の中がシュナの絶叫で満たされ、真っ白になりそうだった。
「早く終わりにしようか」
我に返ると、アクストが再び一歩エシアに近づいてきていた。数日前、村で会話したときとかわらない優しげな表情で。
唇を噛みしめ、せめてシュナの樹を守ろうと手を広げた。
その時、体の中から新たに風が湧き出るような感覚がよぎる。
「シュナ様?」
同時に、アクストの体を青銀の輝きが弾き飛ばした。
アクストは脇腹を押さえながら、素早く立ち上がる。
彼にぶつかったのは青銀の星振鳥だった。くるりと宙を回り、アクストと対角線上にいる人物の剣へと吸い込まれて消える。
「リグ……」
ほっとしたあまり、エシアの声が震える。
エシアの目を通して見たシュナが、少し落ち着きをとりもどしたのがわかった。風が水気を帯び、炎に絡んで鎮火させていく。
呼び声に気付いたリグリアスが、エシアの無事を確かめるように目を細め、すぐにアクストに視線を向けた。
「お前がホーンの側の人間だったとはな」
リグリアスも彼とは親しくしていた。
エシアが追われる立場になった時、アクストを頼ったところからも信頼具合が伺える。それなのにアクストはエシアを監視し、聖女となる可能性があるとわかった今は抹殺しようとしていたのだ。
表情がないのは、リグリアスなりに衝撃を受けているからだろう。
「俺は、気付かれてるんじゃないかと思ってたよ。どんなに誘導しても、お前はあまりにも情報をしゃべらなさすぎたからな」
アクストは音を奏でる星叉環を、再度指で弾く。音がたわんで、また同じ響きに戻る。
「その程度の星振では、俺は止められないぞ」
「君のその自信、俺はとても嫌いだったよ」
その瞬間、やわらかな響きだった星振が、何重にもかき鳴らす音へ変化した。
音色は違う。だけど一人で何重もの音を出せるのは聖女だけだ。
「どうして? 聖女じゃないのに」
エシアの疑問に答えたのは、彼女を背に庇ったリグリアスだった。
「星の核だ」
見れば、アクストの握った右手の隙間から、一度レジオールが使おうとした時のように銀の火花が散っている。
星の核だと認識したとたん、シュナの星振が増した。
「うっ……く」
強い星振が体内にもたらす圧力に、エシアは呻く。
エシアとリグリアスを囲むように、白い結晶が宙に現れた。冷気をまとった結晶が、風とともにアクストに襲いかかる。
が、アクストの周囲にうずまく炎に触れて結晶は溶けた。風の刃が炎の表面を削ぐものの、越えることはできなかった。
「聖女の力ってこんな程度ものなんだな」
アクストが楽しげに鼻歌をくちずさみだすと、さらに銀の火花がアクストの手の中かから散って、空気にとけていく。
かき鳴らされる音色が更に増えて、波立ちながら広がって周囲の木々を焼いていく。
「レジオールが!」
吹き飛ばされて離れていたレジオールの元にまで、炎がせまっていた。このままでは焼け死んでしまう。
エシアは焦ったが、シュナの風が不安定に揺れただけだ。シュナもこの状況をエシアを通して見ながら、どうしていいか戸惑っているのが伝わってくる。
アクストはそんなエシア達を笑いながら、見せつけるように右の手を開いてみせた。
「星の核が……あんなに」
揺らめく炎の向こうで、アクストの手の上に赤く輝く石が五つも見える。そのうち二つが火花を散らしていたが、さらに一つが反応し、かっと光を放って新たな波をつくりだした。
炎が増す。
もはやシュナの力は、エシアとリグリアスを囲む狭い範囲だけを炎から遠ざけるのが精一杯になっていた。やけるような熱に炙られ、シュナが焼け死んでしまうのではないかと、白い幹を抱きしめた。
触れるとより強く、シュナの気持ちが流れ込んでくる。
炎を前に自分の力が効かず、シュナの心が震えていた。
死んでしまう。怖い。
シュナの気持ちにひきずられるように、エシアも怖いよと返して涙ぐんだ。
そこへ風が生まれ、熱さが遠ざかる。
驚いて見れば、リグリアスの剣が青い霧をまといつかせ、それが波のように広がってエシア達を覆っていた。
「泣いている場合じゃない。これもたいして保たないからな」
リグリアスはエシアに釘を刺し、叱咤した。
「これをどうにかできるのはエシア、お前だけだ。それに俺に言っただろう。今度こそは受け止めてみせると。なら果たしてみせろ。そしてシュナ様を守り抜いてみせろ」
リグリアスは振り返って柳眉を険しくする。
「でも、さっきから……」
「感情に任せて、力を播き散らかしているからだ。冷静になれ。そしてシュナ様を誘導しろ。できないなら、俺たちはみんな死ぬだけだ。シュナ様も焼け死ぬだろう」
シュナが死んでしまう。この、死ぬのをとても怖がっていた人が。
その言葉に、エシアは冷水を浴びせられたように感情が冷えた。
リグリアスはエシアの答えを聞かず、次にシュナに呼びかける。
「シュナ様。貴女には言いたいことが随分ある。エシアを巻き込んだこともそうだ。けれど体が蝕まれながら、聖女として人を救い続ける貴女を尊敬していた。そしてエシアを助けてくれて……ありがとう」
シュナが息を飲むのが感じられた。
彼女に捧げられたのは尊敬だけ。リグリアスはエシアを選んでいるのだと、シュナは直接突きつけられたのだ。何も今、そんなことをシュナに言わなくてもと、エシアは焦るが。
『私の声が聞こえる?』
シュナの声には、冷静さと決意が滲んでいた。彼女の心に怒りによる揺らぎが消えている。
『聞こえます、シュナ様』
『私の星振の音はわかる?』
『大丈夫です。今度は見分けがつきます』
千の鈴を振るような音は、星の核と共鳴して作られる聖女の星振音だ。
知識をえて、自分で少しずつ星の核の力を体感した今だからこそ、それがわかる。
そしてシュナの言葉も。
記憶を少しずつ受け取った後だからこそ、冷静に彼女の声だけを受け取れるのだ。
『でも、待たせてすみません』
エシアが拒絶をしていた間、シュナは一人世界から隔てられていた。いつだって寂しがっていたシュナには辛かっただろう。
そんなエシアの気持ちを感じ取ったのだろう、シュナが呟くように言った。
『私を忘れた時間は、あなたにとって大切なものだった。だからいいわ。私にとっても必要だったのだし』
エシアと夢見る間だけ、記憶の交換をしたのはシュナもだったようだ。エシアの考えや気持ちを記憶とともにシュナも知ったからこそ、エシアの行動を理解してくれているようだ。
『さ、早くあのアクストという人を排除します。手をお貸しなさいエシア。私を振ったひどい男に、目にものをみせてくれるわ』
言葉の激しさとは反対に、伝わってくる気持ちはごく穏やかだ。
シュナは今自分の心に寄り添う相手がいることを再認識したのだ。
『お願いします。失敗なんてしたら、死んだ後までひどい事を言われそうだから』
『本当にひどい男よね』
だけど、好きだから。貴方の望むままに。
エシアはシュナと、心で微笑みあえたのを感じる。
暖かな気持ちが、二人の間に一本の線をつくった。力を世界へ解き放つための道だ。
その道を通してシュナから力を受け取ったエシアは、さらにリグリアスへ預ける。どんな状況でも、必ず自分を守ってくれる人へ。
リグリアスの剣にさらに強い青の光が宿った。
剣が一閃した瞬間、炎は二つに裂け、青い波に浸食されて空気にほどけて消えた。
幻のように。