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婚約破棄された私がお相手になってもいいですか? 侯爵令嬢はダンスパーティーの夜に輝く。

作者: もちマロ
掲載日:2026/03/03


「すまないアレクシア、君との婚約を解消させてもらう」



 侯爵令嬢のアレクシアがそう告げられたのは、婚約者必須のダンスパーティーの前日だった。


 毎年この魔法学院では、冬の聖霊祭の夜に盛大なダンスパーティーが行われる。貴族が通う学院らしい催しだが、そこで学院内に婚約者がいる者は、最初のダンスをそのパートナーと踊ることになっていた。


 だから、婚約者のビズリーから『話がある』と言われたときは、明日のダンスのことだと思ったのに……。


 呼び出された校舎裏でアレクシアが告げられたのは、婚約破棄の通告だった。



「そんな……どうして……」

「好きな人ができたんだ」


 そう言ってビズリーが視線を投げた先には、遠くの木陰に一人の少女がいた。


 見たことのある顔だ。

 彼のクラスを訪れたときに、その周囲でよく見た顔。

 たしか平民だが、魔法の才があって入学してきた、ふわふわとした印象の少女だった。


「ダンスパーティーには彼女と向かう。だからきみとの婚約を解消したい」

「そんな……」

「元々ちゃんと書面で交わした契約でもないだろう? 子供時代の口約束だ」

「っ……!」


 けれどそれを信じて、アレクシアは18歳になるこの年まで生きてきた。

 学院を卒業すれば、彼の家に嫁ぐのだとそう信じて……。



「だいたい君は、淑女らしくないんだ。授業中も剣で僕を打ち負かそうとするし……いい加減男を立てることを学ぶべきだよ」

「っ! それは……あなたが喜んでくれたから――」

「――それは子供時代の話だろう?」


 ビズリーは重い溜め息をつく。


「将来妻になる令嬢が、夫を打ち負かすなんて聞いたことがない。……いい加減、彼女の百分の一でも『しおらしさ』を学んだほうがいいと思うよ」


 それじゃ、と言って、ビズリーは話は終わりだとばかりに背を向ける。

 そうして木陰で待つ『彼女』の背を抱くと、そのまま校舎へと戻っていった……。



「そんな…………」




 彼と過ごした十年間が、走馬灯のように過ぎ去っていく。



 アレクシアは、ただ誰もいなくなった校舎裏で一人立ち尽くした。






            *





 アレクシア・ガーディナーとビズリー・ヘンズリーの婚約は、二人が7歳のころのことだった。


 二人はいわゆる幼馴染みで、両親同士の交流があったことから、小さいころからよく会っていた。


 そしてある日ビズリーは言ったのだ。アレクシアに。


『アレクシアちゃんはかっこいいね。将来ぼくとけっこんしてくれる?』


 アレクシアは嬉しかった。


 アレクシアの家は、代々王国騎士団長を輩出してきた家柄で、アレクシア自身も上の兄3人の影響で幼いころから剣を振り回してきた。

 両親はそれを温かい目で見守ってくれたが、ほかの女の子たちの家でその話をすると、決まってその両親は、苦笑いするような気まずい表情を浮かべるのだった。


 だから他人のなかで唯一アレクシアのことを認め、必要としてくれるビズリーに、アレクシアは恋をした。



 淡く、幼い、触れれば溶ける雪のような恋。



 けれどビズリーは子供時代を卒業しても、アレクシアが一人前の令嬢に成長して魔法学院に入学しても、自分のことを婚約者だと紹介し続けてくれたから、アレクシアはそれを盲目的に信じ続けた。


 ――こんな自分を、こんな自分だからこそ、彼はきっと必要としてくれる。



 そう、ただひたすらに信じて。





(信じて……いたのに…………!)



 誰もいない教室で、アレクシアは泣き崩れる。


 夕日の射す教室には無数の机の影が伸び、アレクシアを隠してくれる森のように見えた。


(誰にも見られたくない。見つかりたくない。こんな姿……私らしくない)


 彼が好きだと言ってくれた。だからいつも笑っていた。

 元気に、快活に、それこそが自分の魅力なのだと、自信と母譲りの美しさを武器に、誰よりも輝こうと頑張った。

 ――彼のために。


 そうすれば、もっと彼が喜ぶだろうと思ったから。


 そうすれば、もっと好きになってくれるだろうと思ったから。




 それが……知らぬ間に、彼の自尊心を傷つけていたとも知らずに。




(どうすればよかったの……?)


 ほかの子たちのように、大人しく淑やかにしていればよかったのだろうか。


 剣など知らない。刺繍にダンスに、ちょっと魔法ができるだけ。


(でも私は、刺繍もダンスも魔法もそんなに上手くない……)


 だから誰よりも剣を頑張った。

 両親にも才能があると認めてもらったから。

 だから自分が輝ける最高の強みで輝いて、誰よりも彼の自慢の婚約者でいたかった。



「っ……!」


 溢れ出る涙は止まらない。


 もう二度とは戻らない過去に、アレクシアは一人嗚咽を上げ続けた。





            *






 無慈悲な結末は、泣こうが喚こうがどんなときも訪れる。

 そんな現実を、アレクシアはダンスホールの入り口で一人噛みしめていた。


 聖霊祭。

 国中の人々が、聖霊に感謝と祈りを捧げる尊い夜。

 恋人同士のロマンチックなジンクスもあるこの夜に、アレクシアは一人でダンスホールの前に立っていた。


 周囲では、友人や恋人と連れだった生徒たちが、次々に会場の中へと吸い込まれていく。


(私も本当は……ここにビズリーと来るはずだった……)


 もうすでに現実感もなくなったその想像が、かつてあった可能性としてだけアレクシアの胸をよぎっていった。



 泣いて、泣いて、泣き腫らしたから。

 涙とともに彼への気持ちも抜け落ちてしまったのか、心は空っぽのままだ。

 すでに彼のどんなところが好きだったのか、彼がどんな顔をして笑っていたのかも思い出せなくなっていた。


 それくらい――遠い昔に彼の気持ちは自分から離れ、自分もまた、その事実に薄々気づきながら過去の約束に固執していただけだったのだろう。


 いま残るのは、色褪せてじきに思い出すこともできなくなるだろう記憶たちと、ダンスパーティーの前日に婚約者に捨てられた惨めな自分の存在だけだった。



(こんなことなら……パーティーの当日は婚約者かれと会場に向かうから、なんて言わなきゃよかった)


 仲のいい友人たちにはそう告げてしまったばかりに、アレクシアは一人で会場に向かわなくてはならない。


 アレクシアに婚約者がいることは同学年の者なら大半が知っているから、自分が一人で会場入りすれば、いまアレクシアが置かれている現状など半日もせぬうちに学院中に広まってしまうだろう。


(来なきゃよかった……)


 パーティーへの出席は義務でもあるから、そうするわけにはいかないのだが、仮病を使ってでもそうすればよかったと後悔した。



(でも……負けたくない)


 ビズリーには。自分を振って勝った気になっているあの男には。


 彼を貶めたいわけじゃない。ただ、彼に振られた程度で、曇るような女だと思われたくなかった。


 婚約者に振られても、たとえみじめに一人、会場で相手を待つ身になったとしても。

 心ない噂に、陰口に、背中を殴りつけられるような状況になったとしても。


 背筋を伸ばして、ぴんと誰より胸を張って。


 どんなときでも私は私で輝けるのだと、証明してみせたかった。



(心は……折れそうだけど)


 威勢のいいことを言ってもまだ少し怖い。


 でも、負けたくない。



 アレクシアは、一歩会場へと踏み出した。






            *






 目映い光が溢れる会場へと入ると、そこは普段の学院よりさらに華やかなパーティー会場が広がっていた。


 ホールの周囲には立食用のテーブルが林立し、生徒たちが集っては楽しそうに会話している。


(パーティーの義務は、最低一人以上の異性と踊ること)


 すでに婚約者を失った自分には、なかなかにハードルの高い目標だった。


(同じクラスの男子には言いづらいし……)


 なぜなら誰よりもアレクシアに婚約者がいることを知っているから。

 彼らに頼んで『婚約者とは踊ったの?』と聞かれるくらいなら、自分のことを知らない誰かに誘ってもらえるよう壁の花でいるほうがましだった。


 アレクシアは、周囲の視線が自分に注がれているのを感じながら唇を結ぶ。


(みんな私に婚約者がいるのを知ってる。だから待ってる……婚約者が誘いに来るのを)


 同じ学院に婚約者がいる人間は稀だから。

 だからそのロマンチックな一幕を見ようと、見物客気分で注目しているのだ。


「………………っ」


 やはり心は折れそうだ。


 アレクシアは唇を噛みしめて――――ホールの隅へと向かおうとした。








「――――アレクシア」



 その時、ホールの中央から歩いてきた一人の人物が自分を呼び止めた。


 元婚約者ビズリー――ではない。

 けれどアレクシアはその人物のことをよく知っていた。



「……ウォルター?」


 ウォルター・ライオール。

 見間違えもしない。2年間同じクラスに在籍しあった、アレクシアのクラスメイトだった。


「どうしたの……?」


 ――こんな日に。

 日頃『制服のボタンが取れかけている』や『ペンを落としている』など、よく指摘されていただけに、身だしなみに問題があるのかとアレクシアは制服を検めた。


(変なところはない……はずだけど)


 アレクシアは自信をなくしていた。だからおずおずと彼を窺う。



「きみは……今夜はひとりか?」

「!!」


 その言葉は深くアレクシアの心を抉った。

 ようやく必死に塞いだばかりの傷痕を、ウォルターの言葉は容赦なく抉っていった。


「そう……だけど……。何か問題がある?」

「いや。――ただ、そのほうがよかっただけだ」

「???」


 何をわけのわからないことを。

 元々ウォルターは口数の多いほうではない。

 けれど意味ないことは口にしない、どちらかといえば理知的で理性的な男子生徒だっただけに、アレクシアは戸惑った。


(私をからかいに来た……わけじゃないんでしょうけど……)


 彼は同性の友人たちからも信の厚い、華はないが人徳のある紳士だった。



「アレクシア」

「だからなに――」

「僕と踊ってほしい」



 ウォルターは、静かに手を差し出した。



「? …………!!?!!?」

「駄目か?」


 窺うような彼の目に、アレクシアはますます戸惑う。



「どうしてあなたが私に……あ、あぁ! 相手がいないから?!」


 口にしながら、自分でも随分失礼なことを言っていると自覚していた。



(けど理解できない。そうでもないと説明ができない。だってウォルターが私をダンスに誘う理由なんて――――)


 ひとつだって思いつかない。



(だってウォルターは――――名門侯爵家の子息なのに)




 武門の誉れは高けれど、騎士団長の職位ゆえに侯爵位に預かっているアレクシアの家とは違う。

 彼の家は代々由緒ある――歴史も、伝統も、広大な所領もある超名門の侯爵家。

 彼は、そこの跡継ぎだった。


(所領の豊かさだって下手な公爵家を凌ぐくらい――それくらいすごいのに)


 そう、友人の女子生徒たちは囁いて、うっとりとした目で彼を見つめていた。


 そんな彼が? 自分に? ダンスの申し込みを?

 アレクシアはわけがわからなくてうろたえる。



「……どうなんだ。駄目……なのか?」

「駄目………………じゃないけど。どうして……」

「きみが婚約を解消したと聞いたから」

「!!」


(あぁ……だから……そういう…………)


 心が、黒く塗り潰される。



「やめて。同情ならいい。ありがとう、気遣ってくれて。でもそういうのは――――……」


 泣いて、しまいそうになるから。


 だからやめて、お願い。


 そう、必死に、涙をこらえ震える声で訴える。


 泣くもんか。絶対に。泣かないで、綺麗に笑ってみせるんだ。




「――同情じゃない。やっと……チャンスが巡ってきたと思ったから」

「……?」


 ウォルターはとつとつと話す。



「2年間。ずっときみを見てきた。同じクラスで、きみの傍で。きみは……気づかなかったかも知れないが」


 ――『ボタンが取れかけているぞ』。

 ――『このペンは、きみが落としたんじゃないか』。


「けれどきみには婚約者がいた。だからこの気持ちも、言葉も、ずっと胸に秘めておくべきだと思っていた――」


 他愛ない日常。

 クラスのひとコマ。

 振り返ればいつも教室の片隅に、彼の見守るような表情があった。


 いつも記憶の中の彼は、少し他人ひとにはわかりにくい笑顔で微笑っていた。



「けれど、きみが婚約を解消した。あの男の存在ことを気にする必要もなくなった。それなら僕のこの手を――」


 ――取ってほしい。


 ウォルターは、差し出した手をじっとアレクシアに向かい伸ばし続ける。



「………………」


 アレクシアは息を呑む。

 そして、じっと黙り込み――ぽつりと言葉を落とした。



「やめておいたほうがいいよ。私は――きっと、あなたには似合わないと思う」


 精一杯、涙をこらえて笑顔を浮かべる。


「お転婆だし、剣だって振り回すし、全然お淑やかじゃいられないし……」


 そうだ、きっと彼には物静かで、儚げに。清楚に笑う女性が似合う。

 彼の隣を静かに歩いて、彼の話に耳を傾けて。

 少し口下手な彼の話を、じっと待って聞いてあげられるような……小柄で、淡い、可憐な花のようなが似合う。



 ―― 自分とは、正反対の。




「ほら、私ってお喋りだから。何でも思ったことをそのまま言っちゃうし、あなたの話も遮るし……」


 あぁ、だからあなたが何か言いたそうにしているのに気づかなかったんだ。


 隣で笑って、泣いて、馬鹿みたいに代わりに怒り出して。全然あなたの話を最後まで聞いてあげられなかったから。

 だから――あなたの気持ちもわからなかった。


「自分より上手い人がいると悔しくて。すぐにあなたとも競おうとするし――全然、しおらしさも可愛げも……何もないから」


 上手く、笑えていただろうか。



 アレクシアが引き攣っていたかもしれない笑みを必死につくると、ウォルターはぐっと拳を握り締めた。



「あいつは……きみにそんなことを言ったのか」


 奥歯を噛みしめ怒りを滲ませながら、ウォルターはアレクシアの前に立つ。



「僕は……そんなきみだから、いいんだ」

「!」



「人の話を遮るのは……誰より相手に寄り添って話を聞いているから。……淑やかじゃなく、校内中を駆け回り皆に声をかけるのは――常に周りのことを気に掛けているから」

「っ――」

「威勢が良くてすぐに他人と張り合おうとするのは――相手の実力を認めて、その上で常に昨日の自分より前に進もうとしているから――」

「……っ」

「全然、ひとつも悪いことじゃない。すべてきみの美点だ」



「っ……!! でも……!!」


 元婚約者ビズリーは、そんなことは言わなかった。



 そう言おうとすれば、苦々しげにウォルターはそれを切り捨てた。



「そんな奴の言葉、きみが記憶する価値もない。きみのことを誰よりも傍で見てきたのは――――僕だ。アレクシア」


 ウォルターは真っ直ぐに、ただ真っ直ぐにアレクシアのことを見つめる。



「僕は……そんなきみだからいいと思った。そんなきみだから惹かれて……一緒にいたいと思った。きみと一緒にいる人生は――――きっと途方もなく楽しいだろう」


 だからアレクシア、とウォルターは優しく語りかける。




「僕と…………結婚してほしい」


「――――――!!」



 ウォルターの、緊張を孕んだ瞳が真っ直ぐにアレクシアを射貫く。





「僕では…………駄目、か?」


 何も言葉を返さないアレクシアに、ウォルターの声が消え入りそうに霞む。




(駄目……なんかじゃない。だってこんなにも真っ直ぐで、懸命で――――)


 そんな人に愛される女性は、きっと とても幸せだろうから。




「本当に……私でいいの?」


「きみでいいんじゃない。きみが……、いいんだ」


 少し恥ずかしそうに、頬を赤くして目を逸らす彼に、アレクシアは胸に温かいものが広がってゆくのを感じた。



「すぐに飽きて……捨てたりしない?」

「するものか。何年きみを見てきたと思ってるんだ」

「たった2年じゃない」

「それでも……2年だ。2年もの間、きみしか………………見えなかった……!!」


 気恥ずかしさにやけくそになったようにウォルターは言い放つ。

 それを見て、アレクシアは何故か……おかしくなって声を上げて笑った。



「笑う場面じゃないだろう……」


 耳まで紅くしたウォルターが、もどかしそうに睨めつける。



「だって……! おかしかったからっ……!」

「ぐっ……。それで、どうなんだ……?」

「え?」

「僕の、プロポーズ……だ」


 普段あんなに澄ました横顔の優等生が羞恥に崩れるのを見て、アレクシアはすとんと自分の中で何かが腑に落ちるのを感じた。



(ウォルターなら、きっとどんな私でも愛してくれる――……)



 きっと、そんな予感がした。





 これからの長い人生、喧嘩をすることもあるだろう。

 嫌な面を見せることだってあるだろう。


 少し、だらしのない面を見せることも。

 目に余る、キツイ言葉を投げかける場面も。


 それでも、最後には二人でたくさん言葉を交わし、話し合って。

 互いの手を取りたいと――――きっと、そう思えるようになるのだろう。


 ……ウォルターとなら。





「…………」


 意気消沈し黙り込み始めた彼に、アレクシアはひとつ息を吐くと――頷いた。



「……いいよ。その話を受けても」


「!! 本当か!?」


「ただし――まずは恋人としての婚約からだけど」



 まだ始まったばかりの恋。


 ここから一歩ずつ育てていければいい。




「ああ……! それで十分だ……」


 喜びに打ち震えるウォルターに、その手を取る。


 その指先に、これからの将来を誓うように、彼はそっとキスを落とした。







 その日、ダンスパーティーの会場には、ひときわ輝く一組のカップルの姿があった。


 華やかで、太陽のような笑顔の侯爵令嬢と。

 彼女を眩しげに見つめる、普段は寡黙な次期侯爵の青年と。


 将来の仲睦まじい侯爵夫妻を予感させるように――――誰よりも輝く一組のカップルが。



 会場を照らすように輝き続けていた。









関連作をお読みの方はお気づきかもしれませんが、この二人の息子が彼らです。


書いていてウォルター視点の後日談……というか、ウォルターがアレクシアに恋に落ちた経緯も書いてみたいなーと思ったので、また機会があったらいつか書いてみたいと思います。

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