9月4日、新幹線とベランダプールとパンダの午後
午後二時過ぎ、私はいつものテーブルに座って、紅茶の蒸気を頬に浴びながらため息をついた。今日は子どもたちが幼稚園の見学会で午後いっぱい不在。つまり、ママ友会の特別編成だ。
「ねぇ聞いた? 今朝のニュースでさ、中川礼治さん一家が九州新幹線つばめに乗って熊本まで行ったって!」
いきなりドアを押し開けた智子が、保育園バッグをぶら下げたまま叫んだ。いつも通りの情報先行型エントリーだ。
「智子ちゃん、またママチャリで飛ばしすぎ?」と私が苦笑いする間もなく、美咲がふわふわと続いた。
「熊本って、熊本城のくまモンがいるやつ? あれ、それともくまモンが熊本城にいるのかしら……」
「美咲ちゃん、どっちでもいいから座って」と毒舌担当の佳代が、すでにアイスコーヒーのストローをくわえながらツッコむ。「で、中川さん一家、何がどう微笑ましいの?」
智子がスマホを掲げた。写真には、中川さん一家四人が揃って「つばめ」の車内でペアルックのTシャツを着ている姿が写っていた。白地に緑のレトロなロゴ。「REIJI & FAMILY TRAIN TOUR 2025」
「うわ、これパパの顔、ちょっとイケメンじゃない?」と私が思わず呟くと、智子が「でしょ!」と膝を打った。
「でもさ、ペアルックって正直恥ずかしくない?」美咲が首を傾げる。「うちの子、『ママとお揃いなんて絶対イヤ!』って言い出す年頃なんだけど……」
佳代がクスクス笑った。「中川さんの奥さん、インスタに『旦那が急に企画してきました』って書いてたわ。『急に』って、きっと前々から計画してたくせに」
「でも電車旅って、子どもたち喜ぶよね」と私がフォローすると、智子が「そうそう!」と身を乗り出した。
「特急あそぼーい! 乗ったことある?」
美咲がぱちりと手を叩いた。「あ、あれって『アソボン!』って書いてあるやつ? 子どもたちが座席で大はしゃぎするやつ?」
「ちがうちがう、『あそぼーい』は『遊ぼう』の方言じゃなくて、あそこの列車名よ」と私が訂正すると、美咲は「え、方言じゃないの?」と目を丸くした。
佳代がため息をついた。「美咲ちゃん、それ熊本弁じゃなくて豊後弁だよ」
私たちは一斉に吹き出した。店内のBGMがちょうど「夏の思い出」に切り替わる。
「で、西野未生さんのベランダ特大プール、見た?」と智子が話題を変えた。
「あー、あれ!」美咲が急に声を上げた。「インスタで話題になってたやつ! 『ベランダ広くてうらやま』って」
私はスマホで検索してみた。西野さんのアカウントには、ベランダに設置された巨大なビニールプールの写真がズラリ。奥さんが「子どもたちの夏休み最後に」とコメントしている。
「でもさ……」佳代がストローを指で回しながら呟いた。「ベランダにプールって、漏水したら大変でしょ」
「下の部屋、水浸しになっちゃう……」美咲が心配そうに呟く。
「西野さんって、マンションの最上階だから大丈夫なんだって」智子が情報を追加した。
「最上階でも、屋根とか外壁とか……」私が呟くと、佳代が「でも『なんかこの家族素敵やな!!!』って思ったわ」とニヤリと笑った。
「うちの旦那に言わせたら『非常識』って言われそう」と私が苦笑いすると、美咲が「うちも!」と頷いた。
「でも子どもたち、大喜びだよね」と智子が写真を見せながら。「これ、水深50センチあるって書いてある」
「50センチ!?」私たちは一斉に声を上げた。確かに写真では、子どもたちがしっかりと水に浸かって遊んでいる。
「ベランダの補強とか大丈夫なのかしら……」美咲が心配そうに呟くと、佳代が「きっと旦那さん、構造計算してるわよ」と茶化した。
「で、動物園の赤ちゃんパンダの成長日記、見てる?」と智子が次の話題に移った。
「あー、『今日もほのぼのをあなたに』!」美咲が目を輝かせた。「昨日の更新で、立ち上がろうとしてコケたって書いてあった」
私は思わず「あはは!」と笑った。「パンダの赤ちゃんって、ほんとにぬいぐるみみたい」
「名前、もう決まった?」と佳代が訊くと、智子が「まだ公募中だって。うちの子、『プリン』って提案してる」
「プリン?」私が首を傾げると、美咲が「うちの子は『モチ』って言ってる」と笑った。
佳代が「動物園、来月の誕生日に名前発表するらしいわ」と情報を追加した。
「でもさ」と私が呟いた。「パンダの赤ちゃん見に行くと、ママ友同士で『うちの子もこんなに小さかった』って話題になっちゃうよね」
「そうそう!」智子が頷いた。「去年の夏、うちの次男がパンダ見て『ママ、お腹に戻りたい』って言ったの」
美咲が「え、それ可愛い!」と声を上げた。
「でも実際、パンダのママって大変そう」と佳代が呟いた。「24時間子ども見てるわけでしょ?」
「私たちも24時間見てるけどね」と私が苦笑いすると、全員が「確かに……」と頷いた。
「でもさ」と美咲が急に真剣な顔で。「パンダの赤ちゃん、いつまで母乳なんだろう?」
智子が「一年半くらい?」と答えると、私が「人間と同じくらい?」
佳代が「パンダは成長早いから、もっと早いんじゃない?」と首を傾げた。
私たちは一斉にスマホを取り出した。検索結果を見ながら、
「え、一年半って本当に?」と美咲が驚いた。
「でも、人間と違ってパンダは竹食べるから、離乳食大変そう」と智子が呟いた。
「竹って、固くない?」私が首を傾げると、佳代が「赤ちゃんパンダ用の柔らかい竹があるらしいわ」
「へぇ……」私たちは感心した。
「でも結局」と私が呟いた。「中川さん家族の鉄道旅も、西野さんのベランダプールも、パンダの赤ちゃんも、全部他人事だけどなんだか楽しい」
「確かに」と智子が頷いた。「今朝は疲れてたけど、こうやって話してると元気出る」
美咲が「明日もパンダ見に行こうかな」と呟くと、佳代が「動物園、混雑するわよ」と苦笑いした。
「でも、行きたくなってきた」と私が呟いた。
智子が「じゃあ、来週のママ友会は動物園?」と提案すると、全員が「いいね!」と頷いた。
「でもパンダ見る前に」と美咲が急に立ち上がった。「うちの子の水着、どこにしまったか思い出さなきゃ」
私たちは一斉に笑った。店内のBGMが「夏の終わりに」に変わる。
「なんだかんだ言って、くだらないけど笑える時間だったね」と私が呟くと、智子が「明日も来よう?」と微笑んだ。
佳代が「でも、ベランダプールはやめとくわ」と呟いた。
私たちは再び大笑いしながら、カフェを後にした。
外は、夏の終わりの陽射しが優しかった。