第一話 通知霊と、カシラの煮込み
朝霧市には、地図に載らない“時間の溜まり場”がある。
それは、駅前の喧騒から少し外れた裏路地。昭和の残り香が漂う、古びた商店街の一角。そこに、居酒屋「くろべえ」はひっそりと暖簾を掲げている。
この店には、奇妙な常連が集まる。
ひとりは、民俗学者崩れの老人。
ひとりは、霊感持ちのITエンジニア。
ひとりは、コードに宿る“異常”を嗅ぎ分ける技術者。
そして、店主は、昭和の怪異を知る。
彼らは、日々の酒と肴を楽しみながら、時折持ち込まれる“怪異の案件”に向き合う。
それは、電脳世界に棲む魔物との闘いであり、都市の闇に潜む記憶との対話でもある。
この物語は、そんな居酒屋を舞台にした連作怪談譚の第一話。
始まりは、そんな常連の一人、アラサー会社員の女性のスマホに届いた、ひとつの通知だった。
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一、煮込みと通知
「通知が、来るんですよ。死んだはずの人から」
佐久間理央は、煮込みの湯気越しにスマホを差し出した。28歳。
地元のIT企業「PMソリューションズ」でフロントエンジニアとして働いている。仕事帰りに毎晩のように「くろべえ」に寄るのが習慣だった。
「この“カシラの煮込み、また食べたいな”って通知。送信元は、去年亡くなった先輩のアカウントなんです」
店内が静まり返る。カウンターの奥で、店主の黒部源三が黙って常連客に焼酎を注いでいる。彼は70歳を超えているが、背筋は伸びていて、目は鋭い。
「理央ちゃん、それは“通知霊”だよ」
そう言ったのは、常連のひとり、三宅文彦。元民俗学者で、今は年金暮らし。毎晩、同じ席で同じ銘柄の日本酒を飲む。彼は、スマホを覗き込みながら言った。
二、通知霊の民俗学
「通知霊……。それは、近年の都市伝説の中でも、最も“現代的な口寄せ”とされている現象だよ」
理央が首を傾げると、三宅は懐から小さなノートを取り出した。そこには、彼が収集してきた怪異の記録がびっしりと書かれていた。
「まず、民俗学的には“言霊”の延長線上にある。日本では、言葉には霊力が宿るとされてきた。口にした言葉だけでなく、書かれた文字、そして今では、デジタルのメッセージにもね」
「つまり、LINEや通知にも?」
「そう。たとえば、東北地方には“死者が夢枕に立ち、言葉を残す”という伝承がある。これが現代では、スマホの通知という形で現れる。死者の未練が、電波やコードに乗って届くんだ」
田所翔太が苦笑する。「電波に霊が乗るって、オカルトすぎません?」
三宅は頷きながらも、続けた。
「確かに科学的には説明できない。でも、都市伝説の記録はある。2009年、関西の某大学で、亡くなった学生のアカウントから“ゼミに遅れます”という通知が届いた事件。サーバーにはログが残っていなかった。あるいは、2016年の東京・中野で、亡くなった祖母のスマホが、家族の誕生日に“おめでとう”と通知を送った例もある」
理央は息を呑んだ。
「それって、偶然じゃないんですか?」
「偶然かもしれない。でも、民俗学では“偶然が繰り返されるとき、それは意味を持つ”と考える。通知霊は、現代の“憑きもの”なんだ。昔は狐や蛇が憑いたが、今はアプリやアカウントに憑く。人の記憶がクラウドに残るようになった今、霊もそこに棲むようになった」
店主黒部が、焼酎を注ぎながら言った。
「この店にも、昔からそういう話はあった。FAXで届いた“死者の注文”とか、留守電に残された声とか。今は通知だが、形が変わっただけだよ」
三宅は、煮込みを一口食べてから、静かに締めくくった。
「理央ちゃん、その通知は、未練の声だ。食への執着は、霊を強くする。だから、供養になる煮込みを届ければ、きっと成仏するよ」
三、供養とログ
その夜、理央は店主に頼み込み煮込みを持ち帰り、通知が来た時間に合わせて、部屋の机に並べた。スマホを置き、録音を開始する。部屋は静かだった。だが、午前2時、スマホが震えた。
通知:「カシラの煮込み、また食べたいな」
その瞬間、録音アプリが自動で停止し、画面が真っ黒になった。そして、理央の耳に、かすかな声が届いた。
「…ありがとう…また…」
翌朝、通知は止まっていた。スマホの挙動も正常に戻った。理央は、翌日、いつものように「くろべえ」に向かった。
「終わったみたいです。煮込み三人前で彼は成仏したのかも」
黒部は、静かに頷いた。
「食は、供養になる。この店の味は、霊も覚えてる。だから、ここには“常連”が多いんだよ。生きてる人間だけじゃない」
三宅は、笑いながら言った。
「次は、昭和94年の横丁に迷い込んだ話でもしようか。あれも、電脳と昭和が交差する怪異だった」
田所は、スマホを見ながら呟いた。
「このログ、まだ何か残ってる気がする。通知霊は、ひとりじゃないかも」
理央は、煮込みを口に運びながら、思った。
この居酒屋には、何かが棲んでいる。だが、それは恐怖だけではない。記憶、未練、そして、物語の力だ。